いどのて
いどのて
まだ宮子が結婚もしておらず子供の頃、田舎の祖父の家の裏庭に井戸があった。
ポンプ式ではなく、つるべを使って桶で水を組み上げる古い井戸が。
今はもう井戸自体なく、宮古が中学へと上がる前に電動のポンプ式へと変わってしまったものだが。
古い、とても古い井戸があった。
宮子が田舎へと訪れたとき、よく見ていた不思議な現象がある。
西日が差し込むような黄昏時に、すぅっと煙でも立ち上るように、井戸の中から白く半透明で細い手が上がってくる。
その手は井戸のつるべを掴む寸前のところで、いつも消えて見えなくなる。
そんな現象を宮子は何度も見ていた。
祖父に聞くと、
「それは井戸の神様だよ。見ても見て見ぬ振りをしてあげなさい」
と、言われていた。
確かに、その井戸から現れる手はとても神秘的であり、恐怖など宮子は感じていなかった。
ただその時の宮子は小学生に上がりたての子供であり、好奇心がとても強かった。
だからか、夕方、手が井戸から出て来るのを待って宮子は、井戸の中を覗いてしまった。
それほど深い井戸ではなかった。
西日も刺し込んでいたせいか、底が肉眼で確認できるほどの井戸でしかなかった。
けれど、宮子そこに見てはいけないものを見てしまう。
それは井戸の底の水面から上半身を出していた。
両目と口は、ただただ黒く穴が空いているように見えた。
緑と青が入り混じったような不気味な肌をしていた。
それが手を伸ばし、井戸のつるべを掴もうとしていた。
宮子は溜まらずに悲鳴を上げる。
すぐに祖父と父親が駆け付けて来る。
祖父と父はすぐにすべてを理解して、宮子を優しく抱きかかえた。
それから宮子はその井戸に近寄らなくなった。
それから三十年近くも経ち、祖父の葬式に旦那と子供を連れて父方の田舎へとやって来ていた。
宮子がこの田舎に来るのも十年ぶりくらいだろうか。
ふと宮子が井戸のことを思い出し、裏庭を訪れる。
もう井戸は十数年も前に埋められてしまったとのことだ。
なんでも大腸菌かなにかが発見されたとか、そんな理由だったはずだ。
田舎とはいえこの辺りも大分開発が進んでいる。
田畑はなくなり分譲住宅になり、森や山はマンションとなっている。
もしかしたら、それらの影響なのかもしれない。
井戸があった場所には、金属製のパイプが返しになって顔を出しているだけだ。
近寄ると、どの井戸からコォォォォッと言う音が聞こえる。
大人になった今、宮子はあの手は、井戸を覗き込んで時見た者は、なんだったのか、考えるが答えは出てこない。
今もちょうど黄昏時だ。
後で父にでも聞いてみよう、宮子がそう思っていると返しになっているパイプから白い煙が上がっていた。
ガスでも発生しているのかと、宮子は不安になる。
その一筋だった煙はだんだんと大きくなり、やがて手の形になって、天に登るように消えていった。
宮子とはただそれを茫然と見ていた。
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