ぼた餅

牛尾 仁成

ぼた餅

 ぼくの記憶の中でおばあちゃんが最初に登場するのは、ぼくが4歳の時だ。


 その人は、普段から着物を着ていて、髪の毛を頭の上で結い上げていた。とにかく背筋がピンと伸びた人で、姿勢がものすごく良かったことを覚えている。


 そのせいか、ぼくはおばあちゃんに対して人見知りが発動して、うまく挨拶もできず、ただモジモジと目の前のおばあちゃんから隠れようとお母さんの足にしがみついていた。


「あら、嫌われちゃったのかね」


 ぼくの目には厳しそうに映っていたおばあちゃんが、弱り切った顔でこぼしたのを見て、そんなに怖い人ではないのかもしれない、と幼心なりに思った。


 おばあちゃんは着付けの先生をやっていた。そのため、おばあちゃんの家には生徒さんが出入りすることが多く、その相手をおばあちゃんはいつもしていた。


 人は見かけに寄らないもので、厳しそうな感じのおばあちゃんは実はかなりのおしゃべり好きだった。先生と生徒というよりは共通の趣味を持つ友達同士という感じにぼくには見えた。休憩時間には生徒さんたちとお菓子を食べながら雑談に興じることも多かったようだ。


 実際、おばあちゃんはぼくに対しても優しく、時間がある時は着物について教えてくれたり、近くの催し物などにも連れて行ってくれた。


 ただ、ぼくはそんなおばあちゃんに一度だけ怒られたことがある。


 おばあちゃんの家は教室になる座敷の横におばあちゃんの私室がある。といっても、おばあちゃんはそこで寝起きや身支度をするだけで普段は居間にいることが多い。昼間家族は働きに出ているから、家には生徒さん達にケイコをつけるおばあちゃんしかおらず、誰もぼくの相手はしてくれない。はっきり言って暇だった。


 そんなわけで、ぼくはそういう時はよく家の中を探検して回っていた。


 おばあちゃんの家は小さかったぼくには広く感じられ、見知った家ではない分、珍しいものがたくさんある家に見えた。豚型の蚊取り線香置きだとか、大きな仏壇だとか、軒先に吊るされた干し柿のすだれとかが、ぼくにはとても新鮮に感じられた。


 おばあちゃんも家の中を見て回るのは構わないと言ってくれていたので、その日もいつものように家の中を見て回っていた。


 おばあちゃんの部屋に入ったのは、他に見るところが無くなったからだ。


 おばあちゃんの部屋はタンスと化粧台が置いてあるだけの質素な部屋だったが、押入れが大きかった。何の気なしに押入れのふすまを開けると、現れたのは布団だった。


 なんか面白いものはないかな、と布団と布団の隙間や布団の壁際をゴソゴソと物色していたその時。


「コラ! 何をしている!」


 座敷側の引き戸の入口におばあちゃんが立っていた。


 丁度窓からの光を背にして、その顔は陰になってよく見えなかったが口調から怒っているのは明らかだった。姿勢の良さからぼくにはおばあちゃんが仁王立ちしているようにしか見えなかった。


「ごめんなさいっ!」


 反射的にぼくはそう言って、脱兎のごとく部屋から飛び出してしまった。


 おばあちゃんはぼくの後を追っては来なかった。今にして思えば、あの時は生徒さんもいたから、直ぐに生徒さんの方へ戻らなくてはならなかったのだろう。


 勝手に部屋に入ったのがいけなかったのか、と思ったぼくはその日の夜におばあちゃんに謝ろうとしたが、普段とかけ離れたおばあちゃんの態度が小さかったぼくを心底震え上がらせてしまい、謝る勇気が出なかった。


 このことをお母さんに話したら、おばあちゃんはもう怒っていないよと言われた。けれど、ぼくはあの時の光景が頭の中にこびりつき、おばあちゃんとうまく会話ができなくなってしまった。


 そうこうしているうちに親の仕事の都合でぼくはおばあちゃんの家を離れることになった。別れの挨拶などは一応したが、結局ぼくはおばあちゃんにあの時の粗相について話しを聞くことも、謝ることもできなかった。


 時々、電話などで話すことはあったがおばあちゃんと直接会えたのは後にも先にもこの時だけだった。


 あれから12年。


 おばあちゃんの葬式で、ぼくはおばあちゃんに関する記憶を振り返っていた。


 隣にいたお母さんにおばあちゃんとの思い出ということで、あの時のことを尋ねてみた。


 するとお母さんは記憶を思い返すようにしばらく沈黙した後、くすくすと笑いだしたのである。そして、笑いを噛み締めるようにしながら話してくれた。


「おばあちゃんは甘いものが大好きで、押入れの布団の間にぼた餅をかくしていたのよ。好きすぎて教室の合間にもこっそり部屋に戻ってつまみ食いしちゃうぐらいだったんだから。それをあんたに見つかりそうになって、慌てたから思わずキツい言葉が出ちゃったんだって」


 なんだよ、それ。


 そんなことで慌てなくてもいいじゃないかと、もういないおばあちゃんに対して少しの不満が生まれたが、同時に心の中にあったモヤモヤが晴れたような気がする。


 キチンとして姿勢の良いおばあちゃんが、コソコソと部屋の押入れを開けてぼた餅を食べる姿を想像すると、何だか可愛らしい絵面に見える。


 おばあちゃんの甘いもの好きは結構有名らしい。ぼくが知らなかっただけで、供物や香典返しなどは甘味が用意されていたし、弔辞でも甘いもの好きについて触れられていた。


 葬儀が終わって、家に帰ってくると一息吐こうとお母さんがお茶を入れてくれた。


 ぼくは御茶請けが欲しいと思い、祭壇の供物がたくさん余っていたのでそこから持ってくることにした。あずき色の甘いやつだ。


 そのちょっとした石ぐらいのお菓子を頬張ると、びっくりするほど甘さが口いっぱいに広がる。


 それからぼくは、ぼた餅が好物になった。

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ぼた餅 牛尾 仁成 @hitonariushio

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