第2章 異世界の騎士

vol.6 生命の秘術



   [Ⅰ]



 目を開けると、そこは見知らぬ天井であった。

 そこそこ豪華なシャンデリアと、純白に塗られた天井が見える。

 周囲を見回すと、意外と広い部屋である事がわかった。

 大体だが、20畳程の広さがある四角い部屋で、壁は天井と同じで純白に塗られていた。

 壁際には西洋アンティーク風の高級感あるタンスらしき物や、棚に絵画、それから、鏡台や西洋の甲冑ポイ物が置かれている。

 また、それらの壁の1つに半分開いた窓があり、そこから優しい日の光が少し射し込んでいた。それと、鳥の鳴き声や優しい風も。

 どうやら外は心地よい晴れ模様みたいだ。

 続いて俺は、自分の所へと視線を戻した。

 俺は今、大きなベッドで寝ているところであった。

 かなりフワフワのマットレスであり、寝心地も良い。

 おまけに、ラベンダーのような良い香りも、そこから漂っていた。

 大きさもキングサイズくらいありそうだ。

 まぁ要するに、かなり質のいいベッドで俺は寝ているのであった。

 だがそこで、1つ疑問が湧いてくる。

 それは勿論、俺はなぜここで寝ているのだろうか? という事だ。

 見た事ない光景なので、ちょいとパニクっているのである。

(どこや、ここは……俺の部屋ではないよな。まぁいい……とりあえず、起きるか)

 というわけで、俺はそこで半身を起こしたのである。

 その際、少し頭がズキンと来た。

 おまけに倦怠感もあるので、なんとなく二日酔いみたいな感じであった。

 脱水症状の翌日もこんな感じだったので、あの力を使い過ぎた代償なのかもしれない。

(アイタタタ……ええっと、これはどういう状況? ちょっと待て……思い出そう。確か……不死の王・ハンズとかいう、変な化け物と遭遇したんだ。で、湯船に水を張って、それから銀の器を湯船に入れて……向こうの世界に行って……ああ、そういうことか……)

 俺はそこで、自分の置かれた状況を大体把握したのである。

 どうやら俺は、不死の王とかいう化け物を倒した後、そこで気を失ったのだろう。

 奴を倒したところまでは覚えているからだ。

(って事は、ここは水鏡の向こうの世界だよな。たぶん、異世界……てやつだ。咄嗟の事とは言え、まさか、俺がこんな行動するとはな……。どうなってんだよ、俺。そういうキャラじゃないのに……まぁいい。それよりも、ここはどこなんだ? オルフェウス城か? 近くには誰もいないな……仕方ない。少し散策するか)

 俺はそこでベッドの端に移動し、床に足を着けた。

 すると、床の大部分は赤い絨毯が敷かれており、なかなか高級感のある装いとなっていた。

 絨毯が柔らかいので、裸足の俺にとっては優しい肌ざわりであった。

(こんなのが敷いてあるって事は、城かもな。おまけにこのベッドデカすぎやろ……一体、誰のベッドだよ)

 などと思いつつ、俺はそこで立ち上がった。

 少しフラつくが、歩くのは問題なさそうだ。

 周囲を見回すと、とある壁の一角に、焼け落ちた扉があるのが視界に入ってきた。

 それはなんとなく、見覚えのある光景であった。


「ン? あの焼けた扉は、もしかして……」


 俺はそこへと向かった。

 すると、その扉の先は細長い部屋になっており、またその奥には、供物を乗せた祭壇と、大きな姿見の鏡が壁に掛かっていたのだ。

 その祭壇は見覚えのあるモノであった。

(あの祭壇の奥にある、あの鏡はもしかして……。とりあえず、行ってみるか)

 俺はその部屋に足を踏み入れた。

 そして、俺は祭壇の前で立ち止まったのである。

 俺はそこで大きな鏡を眺めた。

 鏡は角が丸く加工されたモノで、縦に3m、横に2mくらいあった。

 なので、かなり大きな鏡である。

 また、鏡の外縁の枠には、見た事ない文字が沢山彫られており、どこか神秘的な雰囲気を醸し出していた。

 そして、その鏡には今、俺の風呂場の天井が映し出されているのである。

 ただ、この部屋の映り込みと、向こうの世界の映像が被っているので、若干わけのわからないごちゃごちゃした光景であった。

 とはいえ、この様子を見る限り、向こうの世界とはまだ繋がっているみたいである。

 俺はそこで少し安堵した。

(よかった……一応、俺の風呂場が映ってるから、まだ繋がってるみたいだな。でも、以前試した時、こっちから向こうへは行けなかったんだよな……。って事は、俺は戻れないのか? いやいや、それは困るぞ。こんな世界で一生過ごすのは勘弁だ。でも、こちらの鏡側から戻れないと、どうにもならないんだよな。さて、どうしよう。まぁいい、この際だ。もう一度、試してみよう……)

 というわけで、俺はそこで鏡に右手を伸ばした。

 するとそこで異変が起きたのである。

 なぜなら、鏡に映る俺の右掌の紋様が、近づくにつれて眩く発光したからだ。

 そして、鏡面に到達するや否や、まるで水の中に入るかの如く、ずぶずぶと中に入っていったのである。

 驚愕の現象であった。

(マジかよ、入ったわ……なんなんや、この鏡は……。あ! でも、そういう事か。このイシュタルトの紋様が、向こうの世界と行き来きする鍵になるのかもな。という事は、俺しか行き来できないのかも。ほうほう、なるほどね……ン?)

 と、その時であった。


「え! コースケ、何してるの?」


 すると、イアティースが部屋の入口で立っていたのである。

 俺はそこで鏡から腕を戻し、イアティースに振り返った。


「ああ、イアティースか。元気そうだな」


 イアティースは頬を膨らませながら、俺の前にやって来た。


「ああ、イアティースか。元気そうだな、じゃないわよ! まだコースケは、寝てなきゃダメなんだからね。こんな所で立ってないで、早くベッドで横にならなきゃ」

「え? ちょっ、ちょっと……」


 そういうや否や、イアティースは強引に俺の手を取り、ベッドへと連行したのである。

 そして俺は、ベッドに座らされたのであった。


「強引だなぁ、俺はもう大丈夫だよ。ちょっと休んだお陰で、体力も結構回復したからさ」

「本当に、大丈夫なの? コースケが急に倒れたから、私……心配だったのよ。ニンフル神殿の神官に見てもらったら、疲れによるモノだろうと言ってたから、とりあえず、安心はしたんだけど……」


 ニンフル神殿というのがよくわからないが、一応、ちゃんと対処してくれたみたいだ。

 礼を言っておこう。


「そうなのか。ありがとう、イアティース。色々と手を掛けさせて。でも、たぶん、その神官とやらの言う通りだと思うよ。俺も慣れない魔法を使ったからだと思ってるからね」

「だって、あの時のコースケ、凄かったもの。イシュタルトの門を開いたんだから。あの時、言い伝えは本当だったんだって改めて思ったわ」


 イアティースは若干興奮気味にそう言った。

 だが、俺もその時の事はよく憶えていないのである。

 あれは俺も見てはいたが、無意識下で身体が勝手にそうしていたからだ。


「そうなのか? でも、あの時、俺は無意識に動いてたんだよな。だから何してたのかよく憶えてないんだよ」

「え、そうなの? でも、そういう事もあるのかもね。エンギルの力は不思議なのよ。凄い術者になると、色んな魔法が見えてくるというもの。しかも、限られた者は、未来を見る事もできるようになるらしいし」


 イアティースの言葉に少し俺は思うところがあった。

 なぜなら、確かにあの時、魔法を発動させる方程式みたいなのが見えたからである。


「へぇ、魔法が見えるか……興味深い話だね。まぁそれはともかく、俺はもう大丈夫だよ。俺の事は気にしなくていいから、仕事に戻りなよ。今、城の中は大変なんだろ?」

「まぁ……確かにそうなんだけど、でも、コースケに対してそんな事出来ないわよ。それにまだ、お礼を言ってないわ」


 するとイアティースは、神妙な面持ちになり、俺の前で跪いたのであった。

 そして、祈るように胸元で両手を組んだのである。


「コースケ……いえ、希望の光・イシュタルト様。我が国を救って頂き、本当にありがとうございました……感謝の言葉もございません」

「なんだよ、急に……いつも通りでいいよ。今更、そんな畏まらなくていい。俺の名前はコースケだ。イシュタルトでも、アスタロトでもない。わけのわからん名前で呼ばなくていいよ」


 俺の言葉を聞き、イアティースは少しキョトンとしていた。

 だがすぐに元の表情に戻り、気楽な感じで俺の隣に腰掛けたのである。


「じゃあ、いつも通りにするわよ。コースケ、ありがとう。私達を救ってくれて……この国はコースケのお陰で救われました」

「え、そうなん? 不死の王は確かに倒せたけど、オルフェウスは大丈夫なのか? 亡者の軍勢に襲われていたんだろ?」


 イアティースは微笑むと頷いた。


「不死の王が消滅した後、城内にいた亡者の群れは、すべて灰になったそうなの。だから、そこまでの被害は城になかったらしいわ。でも……あのまま、私が不死の王の手に掛かっていたら、滅びは免れなかったでしょうね」

「ふぅん、なるほどね。って事は、不死の王・ハンズはネクロマンサーだったのかもな。亡者達は、不死の王の力によって動いていたんだろう」

「ネクロマンサー? って何?」


 意外であった。

 寧ろ、こっちの世界の方が、馴染みのある言葉だと思ったからである。


「ああ、ネクロマンサーってのは、死霊使いって意味だよ。まさに、亡者を操る悪い魔法使いの事さ。まぁとはいえ、俺達の所だと、それはあくまでも御伽噺の世界での話なんだけどね。だから……実際にそんなのがいるとは思わなかったよ」

「へぇ、そうなの。コースケは物知りなのね」

「物知りってほどの話じゃないよ。それはそうとイアティース、執務の方は良いのか? 俺の事は気にしなくていいぞ。もうそろそろ、向こうの世界に帰ろうと思うから」


 するとイアティースは、慌てて、こちらに振り向いたのであった。


「え!? か、帰るの? というか、帰れるの?」


 少し動揺している風であった。

 何かあるのだろうか。


「ん、どうしたんだ、そんなに驚いて。何か不味い事でもあるのか?」

「いえ、そ、そういうわけじゃないけど……その前に、本当に帰れるの? 私が鏡に手を伸ばしても、全然ダメだったけど……」

「たぶん、帰れると思うんだよね。さっき試してみたら、この右手の紋様が光って、腕が鏡の中に入ったからさ」

「え、本当に! で、でも……まだもうちょっとココにいた方が良いんじゃない。あ、そうだ! 今日は天気が良いから、城の外を少し歩きましょうよ。それに、コースケにも、オルフェウスの様子を見てもらいたいし。ね? いいでしょ?」


 イアティースはそう言うと、俺の右手を両手で優しく包み、ニコリと微笑んだのであった。

 なんとなくだが、今のイアティースからは、俺を引き留めようとしてる雰囲気が感じられた。

 ちょいと違和感があるのだ。


「いや……それは別にいいよ。だって、俺はここの住民じゃないからね。それに……俺は部外者だから、皆、なんだコイツ? って思うよ。俺みたいな種族ってオルフェウスにあんまりいないんだろ?」

「た、確かにそうだけど……でも、少しはアシュナの民もいるわよ。少ないけど……。ねぇ、行きましょうよ、コースケ。私……コースケにオルフェウスを見てもらいたいの。それに、綺麗なお花が一杯咲いてる場所があるのよ。そこに行ったら、身体の疲れなんて、すぐに良くなるわ。だから……ね?」


 イアティースは小悪魔っぽい表情で上目遣いになり、俺の手を握ったのである。

 ちょっと可愛いと思ったのは言うまでもない。

 まぁそれはさておき、俺はそこで自分の足に目をやった。


「イアティースがそこまで言うなら、行ってもいいけどさ。でもなぁ、俺は裸足なんだよね。こんな状態で外は歩きたくないなぁ……だから、靴だけでも取りに帰っていい? それと、できれば着替えもしたいし」


 これは本音であった。

 流石に裸足で外を歩き回れるほど、俺の足の裏の皮は厚くないからだ。

 ちなみにだが、イアティースは革製の紐サンダルのようなモノを履いていた。

 どことなく、古代ローマや古代ギリシャの人々が履いてそうなサンダルである。


「じゃあ……私も一緒に行っていい? 私も、コースケがどんな所に住んでるのか気になるし……いいでしょ?」


 イアティースは予想外の提案をしてきた。


「え? 一緒にか? 上手くいくかどうかわからないよ」


 とはいうものの、モノのやり取りは出来たので、今の湯船の水鏡ならば出来るのかもしれない。確証はないが。


「コースケと一緒なら、行けると思うわ。だって、モノのやり取りはできたもの。じゃあ、決まりね」

「まぁいいか。とりあえず、やってみる価値はあるかもな」――


 というわけで、俺達はその後、あの鏡の部屋へと移動し、それを試してみた。

 で、その結果だが、俺の予想通り、向こうの世界への帰還は無事成功したのであった。

 そしてなんと、イアティースも俺と一緒ならば、向こうの世界へと行けたのである。

 これにはイアティースもかなり驚いていた。

 まぁそんなわけで、俺の部屋に初めて、女子を連れ込む事となったのである。

 今後は暗黒面に落ちないよう注意するとしよう。

 好意は愛情に、愛情は恋に 恋は悶々に、悶々は時により、強制挿入へと変化する場合もあるからだ。

 大丈夫。俺なら踏み止まれる筈だ。

 さぁ行こう。新しい生活の始まりである。



   [Ⅱ]



 オルフェウス城の鏡から風呂場に戻った後、俺はイアティースをキッチン兼リビングに案内し、適当に寛いでもらった。

 イアティースは初めて見る現代の調度品や室内の様相を見て、興味津々であった。

 おまけに、窓のカーテンを開けて外の景色を見せたら、そのあまりの建物の多さに驚愕していたのだ。

 それからは質問攻めである。

 電柱や電線に高層建造物を指さして、アレは何? コレは何? ってな感じであった。

 俺はその都度、適当に答えていたが、質問はなかなか止むことが無かった。

 そんな感じの受け答えをしつつ、俺は寝室のクローゼットから適当に衣服を取り出して、着替えていたのである。

 そして、着替えを終えた後、俺は玄関の下駄箱から飾りっ気のない茶色のスニーカーを取り出し、イアティースと共に、また向こうの世界へと旅立ったのだ。

 

 話は変わるが、風呂場でイアティースにはサンダルを脱いでもらい、裸足になってもらった。

 そして、この国における土足厳禁文化の説明もしておいたのだ。

 イアティースは意外だったのか、少し首を傾げていたが、俺の言う通り、サンダルを脱いでくれた。

 まぁそんなわけで、今後はこういう機会が多くなりそうなので、これからが大変だと考える今日この頃なのであった。

 つーわけで話を戻そう。


 オルフェウス城に戻った俺は、そこでスニーカーを履いた。

 無地に近い感じなので、そんなに目立たない筈だ。

 一応、この時の服装は、カーゴパンツと長袖のシャツに、その上から、丈の長いミリジャケを羽織るという出で立ちであった。

 向こうの気候がまだよくわからないので、若干薄手のミリジャケを持ってきたのだが、あまり暑かったら脱ぐ予定である。

 また、財布は持って来なかったが、スマホは携帯しておいた。

 勿論、スマホの電波は圏外だが、せっかく異世界に行くので、写真を撮っておきたかったからだ。

 それプラス、ディバッグも持ってきておいた。

 バッグの中には、500mlの経口補水液のペットボトルと、折り畳みナイフ、それからタオルと、簡単な防災グッズ等が入っている。

 こんなモノを持っていく必要は無いのかもしれないが、とりあえず、念の為に持ってきたのである。

 なんせ、化け物がいる上に、勝手の知らない異世界なので、何が起きても不思議ではないからだ。


「さてと、準備は出来たかな。ところで、イアティース……この聖なる鏡の間って、向こうのベッドがある部屋と繋がってるけど、寝室と隣り合わせなのか?」


 実を言うと、さっきから少し気になっていたのである。

 なぜなら、聖なる鏡の間は、寝室からしか行けない構造になっていたからだ。


「そうよ。鏡の間は、王の寝室からしかいけないのよね。だから、コースケは私のベッドで寝ていたのよ。驚いた?」

「ええ、本当にか? どうりで寝心地が良いと思ったんだ。そうか、イアティースの寝室だったのか。良い香りがしたし……あれはもしかすると、イアティースの……」


 するとイアティースは、顔を真っ赤にしたのである。


「ちょっ、ちょっと何を言ってるのよ! あ、あれは、香水の香りなんだから。私の香りじゃないわよ!」

「ゴメンゴメン、変な事言ったね。でも良い香りがしたから、寝てて気分が良かったよ」

「もう……あまり変な風に言わないでよね」


 イアティースは恥ずかしかったのか、まだ少し顔が赤い。

 おまけに手を後ろにやり、ソワソワとしていた。

 なかなか可愛らしい仕草である。

 まぁそれはさておき、準備は出来たので、もう良いだろう。


「さて、それじゃあ、そろそろ探検に出掛ける?」

「探検て……そんな風に考えなくていいわよ。ただの散歩なんだから」

「まぁね。それはそうと、今日は護衛とか侍従みたいな、お供は付かないの?」

「うん……今日は私達だけよ。城も色々と忙しいし、負傷した者もいるから、私が断ったの。それに、コースケという凄い護衛もいるからね」

 

 イアティースはそう言って俺にウインクした。

 あまりアテにされても困るところである。

 最近、魔法を覚えたとはいえ、俺の属性はほぼ一般人だからだ。


「護衛って俺かよ。期待するとがっかりするよ、たぶん……」

「何言ってるのよ。不死の王を退けたのよ。そんな事が出来る魔導師、この国にはいないんだから。それに……今日はコースケとだけで散歩したいの。護衛の者達には無理を言って、そうしてもらったんだから。コースケが私を守ってくれればいいのよ。さて、それじゃあ、行くわよ」

「ったくもう、どうなっても知らないよ」


 少し釈然としない理由だったが、イアティースも色々と考えがあるのだろう。

 まぁそれはさておき、俺はそこでジャケットの襟を正し、執事ばりに頭を下げたのである。


「女王陛下、では、今日は宜しくお願い致します。これよりは陛下の立場を考え、私は行動する事に致しましょう」

「ちょっと、何よ、突然。いつも通りでいいわよ」

「そういうわけには参りません。女王陛下には、陛下のお立場というモノがあります故、恥をかかせるような事はしたくないのです。何卒、ご容赦のほどを」


 俺はそう言って、イアティースにウインクをした。

 イアティースはこの国の王なので、部外者である俺も、流石に礼節をわきまえる必要があるからだ。

 誰も見てない鏡の間ならいざ知らず、国民が見ている前で、恥をかかすような事はしたくないのである。

 するとイアティースもそれを察したのか、静かに頷いたのであった。


「その心遣い、感謝します。では我が国を救った功労者たる貴公を、これより、オルフェウス城の中へ、案内しましょう。さ、こちらへ」


 探検の開始の合図であった。

 鏡の部屋を出た俺達は、寝室にもう一つある無傷の扉の前へと行く。

 そして、イアティースは扉を開いたのである。

 その先には、白く美しい丸柱の並ぶ通路が伸びていた。

 それはまるで古代ギリシャの遺跡を思わせる丸柱の並びであった。

 俺はイアティースに案内され、白く美しい厳かな通路を進んでいった。

 そこでわかった事だが、オルフェウス城は、古代ギリシャやローマのような建築様式の王城であった。

 その様式美たるや、古の時代に迷い込んだかのような錯覚を憶えるくらいである。

 だがそれは違うと、すぐに思い知らされるのであった。

 なぜなら、そこにいる人々はイアティースのように耳の尖った者達ばかりだったからだ。

 オルフェウスはニューフェンという種族の国らしいが、顔付きは北欧系ぽい感じである。

 だが、人間よりも顔付きが整っているので、人形のようにさえ見える種族なのである。

 そう、非常に美しい見た目の種族であった。

 ただ、耳の形以外は人間とほぼ同じで、老若男女もちゃんといた。子供も同様だ。

 なので、人間と同じように年は取るのである。

 ファンタジーゲームや小説に出てくる耳が長い種族のように、美しさがいつまでも続くわけでは無いのだ。

 それもあり、エルフのような見た目とはいえ、あまり神秘的な雰囲気というのはないのであった。

 亜人間の一種といったところだろう。


 話は変わるが、この国の民が着ている衣服は、古代ギリシャをモチーフにした映画で見かけるモノとそっくりであった。

 後で調べて分かった事だが、キトンという衣服らしい。

 簡単に言うと、長い布を上から羽織るように着て腰を帯で縛るという衣服である。

 一応、この国では一般的な服装のようだ。

 生地の違いはあるものの、庶民から貴族まで、様式はコレだそうである。

 また、男と女も丈が違うだけで、ほとんどキトンを着ているようだ。

 とはいうものの、貴族の場合、貴重な生地を用いた高貴なローブをこの上から纏うので、そこが大きな違いのようである。

 まぁなんにせよ、古代ギリシャっぽい文化の国なのであった。

 つーわけで、話を戻そう。


 城内にいる人々を見て、1つわかった事があった。

 それは、俺のような見た目の種族は、誰もいないという事であった。

 恐らくだが、オルフェウス城には俺のような種族はいないのかもしれない。

 それもあるのか、擦れ違う者達は皆、俺を見て、微妙な視線を投げかけてきたのである。

 なんとなくだが、歓迎されてない感じであった。

 ただ、今は有事の後という事もあり、城内は破壊された箇所の瓦礫などが、至る所に散乱していた。

 その為、城内のニューフェン達は、それを片付けたり、何らかの指示をしたりする者が忙しそうに動き回っているのである。

 それに加え、剣や鎧で武装し、警戒に当たる兵士の姿も至る所にいるのだ。

 俺の事など、構っている余裕などはないのだろう。

 そんな慌ただしいオルフェウス城の中を俺達は暫く進んでゆく。

 すると程なくして、イアティースは厳かな意匠で凝らされた木製の扉の前で立ち止まったのであった。

 その扉は両開きで、蔦のレリーフが彫られていた。

 何かを予感させる扉であった。

 イアティースは扉をゆっくりと開く。

 するとその直後、辺り一面に白い花が絨毯のように咲き誇る、非常に美しい光景が視界に入ってきたのだ。

 それは本当に美しい花の園であった。

 まるで天国を思わせる園といった感じである。

 だが同時に、どことなく見覚えがある光景でもあったのである。

(ほえぇ……確かに、凄く綺麗な花の園だな。でも、なんかデジャブ感があるんだよな。なにかここで起きるような……)

 イアティースはそこで俺に振り返った。


「これが我が国自慢の『天使が舞い降りる園』です。さぁどうぞ、扉の向こうへ参りましょう」

「はい、陛下」


 俺はイアティースに促されるまま、扉の向こうへと足を踏み入れた。

 そしてイアティースと共に、俺は花の園を暫く散歩したのである。

 非常に長閑な所であった。

 心地よい日差しに、透き通るような青い空。そよぐ花から香る、甘い香り。春のようなほのぼのとした暖かさ。

 気分が落ち着く美しい花園であった。

 城の喧騒から離れるに従い、花と俺達だけの世界となっていたので余計であった。

 そして、そんな花園を暫く進んだところで、イアティースは俺に振り返ったのである。


「フゥ……もういいわよ、コースケ。普通にしましょ。ここなら、誰も見てないから」

「そのようだね。俺も慣れない言葉使いしたから、疲れたよ」


 俺はそう言って大きく背伸びした。

 イアティースはクスリと微笑む。


「でも、コースケ、ありがとうね。気を使ってくれて」

「いいよ、別に……俺もあんまり恥かかせるようなことはしたくないからな。イアティース女王陛下」

「もういいって、それは。ところで、コースケ……貴方に話しておきたい事があるの」


 するとイアティースは、そこで立ち止まったのであった。

 真面目な顔をしてるので、何か重大な事を話すのかもしれない。

 俺もそこで足を止めた。


「話しておきたい事? なんだい? もしかして、また何かヤバそうな化け物の話か?」


 イアティースは頭を振る。


「ううん、違うわ。いや……ある意味では違わないかも」

「ある意味? なんかもったいぶった言い方だね。気になるな」

「話しておきたいのは……私が使えるエンギルの秘術の事なの。私……エンギルの力を扱うのは、それほど得意じゃないけど、1つだけ、オルフェウス王の証たるエンギルの秘術を使えるのよ」

「王の証たるエンギルの秘術? よくわからんけど、まぁ話は聞くよ」


 するとイアティースは、そこで周囲を見回し、深呼吸をしたのである。

 緊張してるようだ。

 

「ねぇ、コースケ……目を閉じてくれる」

「え、なんで?」

「いいから、目を閉じて」


 半ば強制であった。

 俺はイアティースに言われるがまま、目を閉じた。


「はいはい、わかったよ。目を閉じたけど、次はなんなの?」

「エル……エンギル……」

 するとイアティースはそこで、呪文のようなモノを唱え始めたのだ。

(なんだ一体、何をするつもりなんだ、イアティースの奴……ン? ンンン!)

 などと思っていた、その直後であった。

 なぜか知らないが、唇に柔らかい何かが、勢いよく接触してきたのである。

 俺はこの突然の展開に、思わず目を見開いた。

 そして俺は、何が起きたのかを理解したのである。

 なんとイアティースは、俺に思いっきりキスをしていたのだ。

 そして俺はというと、そんなイアティースに押し倒されるかのように、花園へと後ろから倒れ込んだのであった。

 しかも、これだけに留まらない。

 イアティースは更に、積極的なキスをしてきたからである。

 そう、舌を思いっきり絡ませてきたのだ。

(ちょっ、おいおいおい、なんだよ、イアティース。いきなり、ディープキスかよ。まぁいいけど……というか、ラッキー。イアティースみたいな子なら、大歓迎だぜ。ヒャッハー)

 イアティースはかなりねっとり、舌を絡ませてきた。

 俺はイアティースの背中に手を回し、それを暫し堪能した。

 そして、それは1分くらい続いたのである。

 それから程なくして、俺が堪らず、胸を揉もうとしたところで、イアティースは恥ずかしそうに俺から離れたのであった。

 イアティースの顔は真っ赤であった。

 まさに、ゆでだこ状態だ。

 というわけで、とりあえず、キスした理由を訊いてみる事にした。


「ええっと、イアティース。今のは一体……ン? グアァァァァ!」


 だがその時であった。

 俺の胸に焼けるような痛みが襲い掛かってきたのである。

 それは焼き印を押されたかのように、強烈な痛みであった。


「む、胸がァァ! なんでこんなにィィィィ! WRYYYYY」


 凄まじい痛さだったが、それも束の間であった。

 程なくして痛みは、嘘のように消えていったからだ。

 だが、あまりに痛かったので、俺は思わず服を脱ぎ、胸を確認したのであった。

 そして俺は、その有様を見て驚愕したのである。

 なぜなら、そこには2つの輪が重なる紋様が描かれていたからだ。

 それは見覚えのある紋様であった。

 イアティースの額にあるエンギルの印と全く同じだったからだ。


「ええっと、イアティース……これは一体?」


 するとイアティースは俺の前に膝を付き、申し訳なさそうに言葉を紡いだのである。


「ごめんなさい、コースケ。でも、こうしないと……貴方は向こうの世界に帰っちゃうから……だから……生命の輪という秘術を施させてもらったわ」

「生命の輪? 何それ?」

「私の命とコースケの命は1つに繋がったの。だから……私が死ぬ時は貴方も死ぬし、貴方が死ぬ時は、私も死ぬ……そういう秘術よ」

「ハァァァァ? なんじゃそりゃァァァ!」

「ごめんね、コースケ。だから私の傍にいて、ずっと私を……いえ、私達を守ってください。どうか、お願いします……イシュタルト様」


 そして、俺の絶叫が辺りに木霊したのであった。


「ちょっと待てヤァァァ! 聞いてねぇぞ! そんな話ィィィィ!」と―― 

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