第1章 東からの使者
第1話 旅人
広場で人形劇を眺めてから十日後。
旅人の男はロムド国の西部まで来ていました。
時は五月。あたりはすっかり初夏のたたずまいです。
荒野に樹木は少ないのですが、薄緑の草におおわれた地面のいたるところで赤や白の花が咲き乱れ、風が甘い花の香りとミツバチの羽音を運んできます。
荒野は今、一年で一番美しい季節を迎えていましたが、男は黙々と街道を馬で進むだけでした。
自然の美しさは男の心を奪うことができません。
やがて町の入り口を示す門にさしかかったとき、男がふいに馬を止めました。
門の上には横木が渡してあって、『シル』と町の名前が刻んであります。
見上げる瞳に、輝く光が宿り始めました。
「そうだ、確かにこの町だ……。この町にわしらの希望の星はいるのだ……!」
しわがれた声は感動に震えています。
旅の男は馬の腹を蹴ると、町に駆け込んでいきました。
シルはロムド国の西にある小さな町でした。
西の街道沿いにあるので、町をたくさんの旅人が通っていきます。
旅人相手に商売をする店や旅館も通りに面して建っていますが、馬で一時間ほど先にもっと大きな宿場町が控えているので、彼らは小さなシルの町など通り過ぎていってしまいます。
シルの人々もそんな旅人の様子には慣れっこで、自分たちのペースで商売をしては、適当に慎ましく暮らしていました。
客引きの声も聞こえない、なんとものんびりした田舎町です。
男は町中に入ると馬の
すると、通りに面した一軒の店から、子どもがひとり出てきました。おつかいに来たようで、手に買い物の包みを持っています。
「これ、そこの子ども」
と旅人は馬の上から呼びかけました。
子どもは驚いたように立ち止まりました。
「なんでしょう?」
と丁寧に応えてきます。
少女のように優しい顔立ちの、小柄な少年でした。まだ変声期前の高い声なので、本当に女の子が少年の格好をしているように見えます。
旅の男は一瞬口ごもると、思い切って言いました。
「この町に、金の石の勇者がいると聞きおよんでいる。どこにお住まいであろうか?」
とたんに少年は青い瞳をまん丸にしました。ぽかんと旅人を見つめ返します。
旅人は不愉快そうな表情になりました。
こいつは馬鹿だろうか、尋ねた相手を間違えてしまったのだろうか、と考えたのです。
すると、少年が首をかしげて言いました。
「家ならわかりますけど……金の石の勇者になんのご用なんですか?」
男はさらにむっとしました。
おまえにそんなことは関係なかろう! とどなりそうになりましたが、すんでの所で思いとどまると、馬から飛び降りて、できるだけ丁寧な口調で言いました。
「勇者殿に大事な用事があるのだ。直接お会いして伝えねばならぬ話だ。子ども、金の石の勇者のお宅まで連れて行ってはもらえぬだろうか?」
少年はとまどう顔のまま旅人を見つめていましたが、ふと、旅人の足下に目を向けました。
いつの間に来ていたのか、一匹の白い子犬がしきりに男の靴の匂いをかいでいたのです。
「ポチ」
少年に呼ばれて子犬が駆け寄りました。
少年は抱き上げると、しばらくほおずりするように犬に顔を寄せ、改めて旅の男に言いました。
「わかりました、金の石の勇者の家までご案内します。ついてきてください」
今にも爆発しそうなほどじりじりしていた男は、ほっと肩の力を抜きました。
「そうか……! そうか、そうか、かたじけない!」
笑い顔になって繰り返すと、馬の手綱を引いて、少年の後についていきます。
少年は先に立って通りを歩いていきました。
足元に白い子犬がまとわりつくので、優しいまなざしを向けています。
そんな少年に、男は尋ねました。
「おまえの名は何というのだ?」
すると、少年と子犬が同時に振り返りました。青と黒の四つの瞳が旅人を見つめます。
「フルートです」
と少年は、はっきりした声で答えました。
「そうか」
男はなんということもなく言うと、また黙って少年についていきました。
すると、どこかから、くすり、と小さな笑い声がしました。
フルートという少年が笑ったのではありません。
男はあたりを見回し、誰も自分たちに注目していなかったので、首をひねりました――。
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