お狐様は許してくれない。

水定ゆう

第1話 雨足の森

 シトシトシトシト——

 シトシトシトシト——


 深い森の中は雨足が強くなる一方だった。

 そこを荒い息遣いで走る男性が一人居た。


「はぁはぁはぁはぁ……」


 男性は鈍い灰色の雨合羽を着込んでいた。

 フードを目深に深く被っている。

 それでも前髪を伝い、目尻や頬にシトシトと雨粒が垂れた。


「クッソ! 如何してこんな目に……」


 男性は降り頻る雨に打たれ苛立っていた。

 奥歯を噛み殺し、恨めしく曇天の空を見た。


 すると余計に雨足が強くなった気がした。

 クソ、うぜぇ! こんな時に雨なんて降るんじゃねえよ。

 男性は足早に泥に埋もれた地面を蹴り挙げ、急いで森の中を出ようとしていた。


 しかし中々下山が捗らない。

 泥がスニーカーに絡みつく。

 本当に最悪だ。男性は雨が濁ったように見え、余計に恨めしく思うのだった。


「チッ! どっかで雨宿りできねぇのか?」


 男性は一本道を睨みつけた。

 周囲の木々は高いが雨宿りには適していない。

 泥だらけになっていて、雨宿りもしたくなかった。


「チッ。使えねえなぁ!」


 男性は余計に足早になった。

 すると視界の先が少しだけ開けた気がする。

 多分気のせいだ。


 けれど木々の合間を抜けた。

 すると坂道になっていて、男性はただでさえ疲れた体を起こして、余計に泥を蹴り上げる。

 ドンドン体を痛めつけると、自分のことを戒めているように男性は感じてしまった。


「クッソ。流石にこの坂を超えたらなんかあんだろ!」


 苛立ちながら坂道を上った男性。

 息を荒くしていると視線の先には建物が見えた。

 立派な建造物で、如何やら神社らしい。しかしながらかなり古いのが気になった。


「神社か? おいおい、マジで丁度良いな?」


 男性は少しだけ躊躇ってしまった。

 言葉にも濁りの色が見える。

 けれど背に腹は代えられない。

 こんなところにいても風邪を引くだけなのだ。


「えっと、その、よし!」


 男性は身なりを気にした。

 泥を付けると悪い気がしたのだ。

 靴だけは脱いでおこう。

 そんな偽善な優しさを露わにすると、神社の拝殿へと足を掛ける。


「邪魔するぜ! って誰もいやしねぇか」


 拝殿へ入ると、真っ暗な暗がりで包み込まれていた。

 おまけに臭いも強い。

 ニスが剥がれて、酷い有り様になっていた。


 端の方を見てみれば蜘蛛の巣が張ってある。

 おまけに天井付近は立派な龍の絵が描かれているにもかからわず、何処か古ぼけている。

 天井の一部が破損して、雨が入り込んでしまったらしい。黒いカビが繁殖している。


「うえっ。酷ぇ有り様だな」


 男性は悪態をついた。けれどそれも分かるほど荒れていた。

 正直こんなところに長居はしたくない。

 むしろ居るだけで体を悪くしそうだった。


「ってもな、この雨も止む気配すらないな」


 振り返ってみるとまだまだ雨が降っている。

 流石に外に出るのはごめんだ。マジで風邪を引くだろう。

 男性は渋々と言うべきか、拝殿へと躍り出ると、ギシッ! と嫌な音を立てた。

 如何やら床板が軋んでいるらしい。


「マジか。俺の体重で軋むとかあり得ねえだろ!」


 男性は体重七十五キロほど。成人男性にしては普通だ。

 身長も百七十は余裕である。むしろ百八十はある。

 そんな日本人ではごく当たり前かは分からないが、そこまで不自然でもない体格に耐えきれないとなると、この神社が異常に古く手入れも行き届いていないのは明白だった。


「マジかよ。うわぁ、マジかよ……」


 男性は唇をひん曲げた。

 こんなところに居たくない。

 さっさと雨が止んで欲しいと心から願った。


 だけど雨足は男性の望みを聞いてくれない。

 余計に強さを増していき、「はぁー」と心から溜息が出た。

 けれどそうも言ってられない。

 このままここで休むしか無いのだ。


「仕方ないな。んじゃ休むか……」


 男性は胡坐を掻いて拝殿を床にした。

 雨足を見るのもう飽きた。

 クルンと振り返ってカビが繁殖し、変なシミになった壁を見つめた。


「暗いな。ったく、ほんと湿ってんな」


 男性は悪態を付き続ける。

 ムッとした表情を浮かべて雨宿りをしていた。

 すると突然だった。雨足が強くなり、シトシト雨の中に爆音が響いた。


 ゴロゴロドッシャーン!


「な、なんだなんだ!?」


 雷が鳴り響いた。

 紫電が降り、一瞬にして背後が眩しくなる。

 すると流石の男性もビビってしまい目を見開く。


「ビックリした。んだよ、クソ雷が!」


 悪態を再びつき始めた男性。

 そんな中、ふと首筋に吐息が掛かる。


「雷でビビってたら、この森で正気を保っていられないよ?」

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」


 男性は飛び跳ねる勢いで驚く。

 目を見開き、その場から立ち上がろうとする。

 しかし足が震えて動かない。

 完全にビビってしまった男性はゆっくりゾクゾクしながら振り返ると、そこに居たのは髪の長いはっきりとした目鼻立ちの少女だった。

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