第27話 お前はそれを、どう証明する?
「ララさん、演者控室まで来られるかしら」
いま自分が出て来たばかりの会場を一瞥し、アルテイシアは心配げに瞳を揺らす。
壇上から少し見えたが、かなりの人数に取り囲まれて質問攻めにあっていたような。
「少し待っても戻ってこられないようなら、おれが様子を見に行こう」
演者控室の扉を開き、レオハルトは入室を促す。
「あら」
先に入室したアルテイシアは足を止める。
そこに、人がいたからだ。
五十代に差し掛かろうかと思しき、グレイヘアの男性だ。きっちりと撫でつけられた髪やしわなどまるでない衣服から、彼がかなり高位であることが見て取れた。
「こんばんは、レディ」
瞳を細めて会釈をするから、アルテイシアも慌ててお辞儀をした。
「これは……ミレニアム宮中伯」
背後で扉の閉まる音がし、足早にレオハルトが男性に近づいていく。
(宮中伯……なるほど)
レオハルトとは旧知の仲なのだろう。ミレニアム宮中伯と呼ばれた男性は両腕を広げて迎えると、柔和な笑みを浮かべて軽くハグをする。レオハルトのほうも随分とうれし気な笑顔で、おや、とアルテイシアは目を瞬かせた。
レオハルトは騎士団の中でも屋敷の中でも当然一番の高位者だ。
いつも無表情で、その位にふさわしい態度と行動を心掛けているところがある。腹心のウルバスぐらいではないだろうか、彼がくだけた態度で接するのは。
だが、このミレニアム宮中伯はウルバスに対するそれとも違う。
特別なのかもしれない。いま、彼の素の表情が垣間見えた気がした。
「魔獣討伐お疲れ様でした。宮中に報告に来られた時、会えなくて残念でした」
「とんでもありません。こちらこそまたお伺いするとご伝言しましたのに、その後無沙汰をしておりまして……」
レオハルトはそこでふと我に返る。
「ところで。どうしてミレニアム宮中伯がこちらに?」
「ああ、閣下のお供で」
「閣下の?」
いぶかし気にレオハルトが眉を寄せる。
レオハルトだけではない。アルテイシアだって驚いた。
宮中伯をして閣下と呼ぶべき人物と言えば、この国ではモンテーニュ侯爵その人だろう。
(ここに……来ているの?)
アルテイシアがまだ聖女だったころ、一度だけ親善交流を兼ねて会う機会があった。
会う、といっても握手をしたり会話をしたりしたわけではない。あくまで交流を深めたのは国王と侯爵だけで、その折に遠くから少しだけみた程度だ。年は30代後半。そのときすでに妻帯して子どももいたが、男ぶりのいい方だと神女官たちが騒いでいたのは覚えている。
(……いまのわたしを見ても、気づきはしないでしょう……)
アルテイシアだってよく見えなかったのだ。向こうも同じだろう。そもそも当時、アルテイシアはまだ十代半ば。いまより子どもだった。
「ところで」
レオハルト越しにミレニアム宮中伯が視線をよこす。紹介しろ、ということなのだろう。アルテイシアはおずおずとレオハルトに近づいた。
「ご紹介が遅れました。恋人のアリです」
レオハルトが背に手を添えてくれるので、改めてアルテイシアは片膝を曲げて挨拶をする。
「アリと申します。ミレニアム宮中伯におかれましてはご機嫌うるわしく」
「これはこれはご丁寧に、レディ。どうぞお楽に」
くすりとミレニアム宮中伯は笑うと、水色と灰色が混じった独特の色合いの瞳に柔和な光を宿す。
「先ほどは見事な歌声でした。感服いたしましたよ」
「お耳汚しでした」
ご謙遜を、と笑ってからミレニアム宮中伯は愉快そうに身体をゆすった。
「それに、レオのヴァイオリンを久しぶりに聴くという機会を作ってくださったこと、本当に感謝です」
「それは……どうも……すみません」
珍しくレオハルトが口ごもる。きょとんと両者の顔を見比べていたら、ミレニアム宮中伯が苦笑した。
「この子にヴァイオリンを手ほどきしたのはわたしなんですよ。紳士たるもの、いつでも楽器ぐらい弾けるようになっておきなさいと言っているのに、突飛な小手先ばっかりでごまかすことばかり覚えて……。あれは君、まるで練習をしていないね?」
「いえ、そんなことよりも」
レオハルトはぶすっとした表情を作って話を断ち切る。子どもっぽいそのしぐさにアルテイシアは驚いた。
「閣下がお越しなのですか? セッテリーノ伯爵の屋敷に?」
「ああ、話がずいぶんとそれてしまった。そうそう」
ミレニアム宮中伯は、すいと肩をすくめて見せた。
「ラミア嬢が何度も何度も……その何度も招待状を閣下に送られてね。どうしても見せたいものがあったのだろうねぇ」
苦笑いを見てなんとなく理解した。
たぶん、アルテイシアが無様に失敗するさまを見せつけたかったのだろう。
レオハルトにふさわしくない女。
それを印象づけたかったのかもしれない。
「それだけのためにお忙しい閣下を?」
レオハルトが鼻を鳴らす。
「だがちょうどよかった。閣下も君のことを気にしていたのだよ。このところ多忙でね。君が謁見を求めていることは知っていたが、なかなか時間が取れなくて申し訳ないと常々口にされていた。ちょうどいい機会だと閣下がお呼びだ」
途端にレオハルトの顔に喜色が広がる。アルテイシアも声が弾んだ。
「よかったですね、レオハルトさま。ぜひあのお話を……」
魔境が回復しつつあることを進言しなくては。レオハルトも意気込み、ぎゅっとアルテイシアの手を握った。
「ぜひ閣下にお話を聞いていただきたいことがあるのです。アリも同席させてよろしいでしょうか?」
「え⁉ いやあの……っ。わたしは……!」
身分が違いすぎる。慌てて首を横に振るが、ミレニアム宮中伯は「もちろん」と笑顔でうなずいた。
「彼女の歌声が随分とお気に召したようだ。レディにも同行いただくよう申しつかっている。さあ、お待たせしてはいけない。閣下のところへ」
ミレニアム宮中伯はくるりと背を向けると、そのまま掃き出し窓のほうへと歩いて行った。
「本日の閣下はお忍びでね。君たちには悪いが、外階段から二階席へ移動してもらいたい」
「問題ありません」
アルテイシアの背にふれて促しながらレオハルトが答える。
ついて歩きながら、アルテイシアは小声でレオハルトに訴えた。
「わ……わたしは同席しなくてもよろしいのでは? 身分が……」
一般人だ。爵位どころか爵位を持った親の娘でもない。
「お前の知識が必要だ。おれが閣下に現在の魔境の状況について説明を行うが、補足をしてほしい」
「ですが……」
「足元に気をつけろよ」
レオハルトはこれ以上会話を続ける気はないのだろう。
アルテイシアを連れて庭に出る。
セッテリーノ伯爵家に到着したときはまだ夕方だったが、もう夜が帳をおろしている。
メインが屋内だからか、庭には照明らしきものがなかった。暗く沈んだ庭には人気もなく、知らずにレオハルトの腕にぎゅっとつかまると、彼は少しだけ歩調を緩めてくれた。
「暗いからな。おれから離れるな」
顔を近づけてささやかれ、どきりと心臓が跳ねる。急に頬が熱くなり、それを隠すようにうつむいてうなずく。
ミレニアム宮中伯は、迷いなく屋敷の外壁に沿うように作られた鉄製の階段を上って行った。レオハルトに連れられ、アルテイシアも階段に足をかける。かつん、とヒールが硬質な音をたてたので、慌ててそっと足音を消しながら上る。
「ここだ」
階段を上り詰めると、ミレニアム宮中伯が扉を開いた。
室内からあふれ出したまばゆい光にアルテイシアはわずかに目を細める。
「おお、宮中伯。遅かったな」
「お待たせいたしました、閣下」
陽気なテノールの声にそっと顔を向ける。
そこは直接伯爵邸の二階席に通じていたようだ。
広さはさほどないが、そのぶん豪奢な部屋だ。壁紙やカーテンまですべてにおいて上質なものが使用されていた。
部屋の北側からは一階が見渡せるようになっているようだ。いまは参加者たちが会話しているざわめきだけがあって、音楽らしきものはまったく聞こえない。
角度が絶妙にとられているのだろう。二階席のこの部屋からは階下の様子がうかがえるが、一階にいたアルテイシアたちからはこの席の様子がまったくわからなかった。
「さあ、どうぞレオ。レディも」
ミレニアム宮中伯に促され、アルテイシアはレオハルトにエスコートされて部屋に入室した。素早く背後で扉が閉められる。
中央のソファに座っているのは、随分と若々しい男性だ。
アルテイシアが初めて彼を遠くから見たとき、三十代後半だったのだからいまは四十代になっているはず。
だが目の前でくつろぐ男性はまだ三十代前半だと言っても問題ない。
「閣下におかれましては……」
「堅苦しい挨拶はなしだ、レオ」
ひらひらと手を振ってモンテーニュ侯爵はレオハルトの言葉を遮った。グラスを持つ手を軽く持ち上げると、背後に控えていた侍従が酒瓶を傾ける。
「なんの期待もせずにやってきた音楽会だったが、面白いものを見せてもらった」
にやりと笑う。
「お前の恋人が最後の出演者だったらしい。そのあと、ぽろんぽろんピアノが聞こえたようだが……。それより人の声が大きくてなんだかよくわからなかった」
ということは最後の演者であるラミアの演奏は誰も聴いていなかったということだろうか。
「その礼だ。予に会いたかったらしいな。なにか言いたいことがあるのか?」
「魔境についてです」
レオハルトは大きく一歩踏み出して開口一番に切り出す。
モンテーニュ侯爵は足を組み、片手でグラスを揺すりながら興味深げに黒い瞳をレオハルトに向けた。小さく頷く。先を続けろということなのだろう。レオハルトは静かに、だが熱意溢れる口調で話し始めた。
泉が復活したこと。
汚染区域が狭まりつつあること。
魔獣が減少していること。
この状態が続けば、人が入植できる可能性が出てきたこと。
「確かにお前はこのところずっと『泉が復活した』と言い続けていたな。ふむ」
モンテーニュ侯爵は酒で唇を湿らせると、ソファのひじ掛けに頬杖をついてレオハルトを見上げた。
「さて。ではそれをどのように予に証明する?」
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