第26話 本来のアルテイシア

 知識としてはある。

 確かに弦楽器だ。


 内部に空洞部分を持たせて反響させるところも一緒ではある。


 だが、ヴァイオリンは弦を弓で弾く。リュートのようにつま弾くわけではない上に、そもそも音階もなにもかも違う。


「練習場は会場を出て右手にあるから。演者控室ってところを使って。わたくしたちはもうみんな練習しているからアリさん、存分に使われるといいわ」


 朗らかにラミアが言う。

 アルテイシアの反応を見て明らかに令嬢たちは楽しんでいる。できるだけ平静を装おうと思うがさすがにこれは無理だ。


「じゃあ、わたくしたちはいまから演奏会にむけての打ち合わせがあるので失礼」


 きらきらした笑い声を残してラミアたちは会場へとまた蝶のようにひらひらと舞い戻る。


 残されたアルテイシアは愕然と壁際で立ち尽くしていた。


「レオハルト様……っ!」


 だがいち早く動き出したのはララだ。

 目ざとく会場内からレオハルトを見つけると、小走りに駆けて彼を捕まえた。そのままの勢いで戻って来る。


「どうした」


 アルテイシアの異変に気付いたのか険しい顔つきでレオハルトが問う。


「リュートじゃなくて……。あの……ちょっと練習しないと……」


 混乱しながら答える。答えながらも、練習したからといって人前に出れるレベルになるには時間が足りないことなどそもそも分かり切っている。


「リュートじゃないとはどういうことだ」

「ラミア様がおっしゃるには、勘違いでリュートはなかった。同じ弦楽器だからこれでいいだろう、と」


 ララが簡潔に説明する。アルテイシアのしどろもどろとは大違いだ。


「あいつ……っ」


 舌打ちし、すぐさま殴りにでも行きそうなレオハルトの手を、アルテイシアは咄嗟に握った。大きく動いたからだろう。ケースが揺れ、持ち手が本体から外れて床に落ちる。


 大きく跳ねたあと、ぱかりとケースが口を開き、中におさめられたヴァイオリンを見てまたもやアルテイシアは言葉を失った。


 とてもじゃないが、手入れされているとは思えない。


「とにかく控室に参りましょう。ここは人目が多いです」


 ララの提案にアルテイシアとレオハルトは頷く。

 大きな音をたてたからだろう。彼女の言う通り、参加者たちがいぶかしげにこちらを見ていた。


「松脂やクロスはあるな」


 レオハルトが手早くケースを拾い上げて呟いた。

 ララが手を伸ばすから彼女に渡し、レオハルトはアルテイシアの背を押して足早に会場を出る。


 すぐ右手の扉には「演者控室」という表示が出ていた。


 中に入ると、アップライトピアノが一台。

 あとは練習場というより衣装置き場のように見えた。

 トランクや小物をいれたような箱が所狭しと置かれている。


「アリ。一応聞くが……」

「ヴァイオリンは弾けません」


 きっぱり首を横に振る。「だよな」とレオハルトがため息をついた。


「あの……いまからでも辞退を伝えてまいりましょうか? この楽器は弾けません、と」


 がりがりと前髪を掻きむしるレオハルトにそっと申し出る。


「ですがそんなことをすればお嬢様の評判が……っ。ただでさえ好き勝手噂されているのに」


 怒りをあらわにララが眉根を寄せる。


「どうせ見栄を張ってできもしないことを受けたのだろう、と蔑まれるに決まっています! ここはバシーっとラミア様に落ち度があるのだ、ということを明確にしなくては!」


 憤慨するララを見て、アルテイシアは苦笑いを漏らした。


 ラミアが誘導したい落としどころもそこなのだろう。

 公の場でアルテイシアが恥をかけばいい。

 そしてレオハルトに「あんな女を側におくとあなたの株を下げるわよ」と言いたいのだろう。


「だけどここは私が頭を下げるしか……」

「いや、待て。このまま引き下がるのも馬鹿らしい」


 レオハルトがとがった声を出した。


 アルテイシアは目をまたたかせる。

 なにしろ彼がずいぶんと怒っているように見えたからだ。


「少々のことは目をつむろうと思っていたが、これは目に余る」

 にやりとレオハルトは笑った。


「反撃だ。一撃を見舞ってやる」


◆◇◆◇


 フルートを演奏したアンネに、いま、盛大な拍手が送られた。


「たいしたことないっすね」


 ぼそりと背後でララが吐き捨てる。「しっ」とアルテイシアは立てた人差し指を唇に押しあててたしなめるが、口笛でも吹きそうな感じでとぼけている。


 そんなララを見ていると緊張が和らいでつい口元が緩んだ。


「でも……そうね」

「ほら、お嬢様もそうお考えだった」


 ふたりでくすくすと笑いあう。


「せいぜい寄宿舎の催しもの程度です。お嬢様のほうが素晴らしい」

「そんなことないわよ」


 アルテイシアが力なく首を横に振ると、ばしっと背中を叩かれた。


「レオハルト様があんなに自信満々なんです。絶対大丈夫!」

 ぐっと拳を握って顔を近づけ、ララはにっと笑った。


「一発かましてやりましょう!」


 もと貴族令嬢とはおもえない言葉遣いのララに、アルテイシアは思わずまた笑い声を立てた。


 そうだ。

 自信などみじんもないが。

 あんなに張り切っているレオハルトやララを見ていると、自分としてもなにかやり返してやろうという気がふつふつと湧き上がる。


 会場に設置された一段高い壇上では、ラミアがアンヌに花束を渡しており、会場からはふたたび拍手が送られていた。


 アンヌとともに派手な拍手を受けているラミアの横顔をみていると、静かな怒りが沸き上がってきた。


 自分は好き放題殴っておいて、他人は殴り返してこないと思っているあの表情。


(横っ面を張り倒してくれる)


 そんなことを思う自分が不思議だ。


 神殿で聖女として暮らし、聖騎士を言祝ぎ、祭事を主導しながらもここまでの万能感を覚えたことはなかった。


 聖女でいたときは、誰からもかしずかれながらも、いつも「なにか失敗するのでは」と怯えていた。


 偽聖女と断罪され、逃げ出してからは「見つからないようにしなければ」と己を消すことばかり考えていた。


 思えば。

 レオハルトと出会ってから、少しずつ自分は変わってきたような気がする。


 自己を守るために張り続けてきた殻がゆっくりと崩れ、ぴんと張り詰めた糸がゆるんできた。


 そして本来の自分が戻ってきたような。

 そんな気分だ。


「それでは、ご紹介します。次の演者はアリさんです。さあ、どうぞ」


 ラミアの声がする。

 アリはひとつ、息を吸い込んで壇上へと上がった。


 代わりにラミアとアンヌが小声でなにか言いあいながら、くすくす笑って壇を降りた。


「あら。あの方……楽器は……?」


 そんな参加者からの声に、アリは一瞥もくれない。


 会場を正面に見据えて立ち、足を肩幅に開いた。ぐ、とヒールの中で足指に力を入れる。お腹の前で手を揃えた。


 参加者たちもなにも持っていないアルテイシアを見て怪訝そうだ。


 ざわざわと徐々に騒がしくなる会場を。


 高音の旋律が裂く。

 ぎょっとしたように参加者たちが会場後方を振り返る。


 そこにいるのはレオハルトだ。

 肩と顎で古びたヴァイオリンを挟み、弓を操ってかなりの早弾きを披露する。


 クロスで磨き上げ、松脂で手入れをしたものの、やはり楽器としての質は落ちる。弦の状態も悪かった。


 だがそれを気づかせないようにレオハルトはうまくごまかしていた。


 なにより、「レオハルトがヴァイオリンを弾いている」ということに参加者は呆気にとられていた。


 するり、と。

 レオハルトが速度を緩める。


 視線を壇上に寄こした。

 つられるように、参加者たちも壇上へと顔を向ける。


 アルテイシアは息を大きく吸い込む。

 レオハルトが小さく合図を送る。


 タイミングを合わせ、アルテイシアは歌いだした。


 高音の。

 だけどヴァイオリンのような硬質さを思わせない、やわらかい奥行きとのびのある声。


 それがアルテイシアの喉から流れ出す。


 参加者の視線を痛いほどに感じた。

 たぶん、少し前のアルテイシアなら怯えて泣いたかもしれない。


 だが、いまはその視線はまったく気にならない。


 レオハルトが自分を見ている。

 目線や弓の先、少しの動きで合図を送ってくる。


 アルテイシアはそれに合わせ、自分の声をのせていく。


 歌は、ミリオシア王国で歌っていた聖歌だ。


 いわゆる「春の歌」とよばれるもので、大地と太陽に感謝する内容のもの。


 高音の主旋律でロングブレスが特徴なのだが、少し苦しいなと思うとき、レオハルトのヴァイオリンがうまくそれを拾い上げてくれる。


 気づけば、参加者の視線や表情などまったく気にならなくなっていた。


 視界にあるのはレオハルトだけ。

 なにがおかしいのか、ときおりレオハルトが口元を緩めて笑むから、アルテイシアも肩の力を抜いてのびやかに歌う。


 最後の一小節。かなりのロングトーンを、レオハルトの合図とともに収める。


 そして。

 唇を閉じる。


 心臓がかなり早く拍動し、はぁはぁと息も上がった。

 だが、しんどいとか辛いとかより、達成感があった。


 なんだか久しぶりに大きな声を出し、自分の思うままに歌ったような気がする。


 上気した気分で。

 はたと気づく。


 目の前の参加者。


 彼等は。

 無言でアルテイシアを見ている。


 さぁっと。

 さっきまでの熱が冷めていく。


(……失敗……した?)


 愕然とドレスを握りしめる。


 だが。


 ぱちぱちぱち、と。


 拍手が上がる。


 顔を向けるとララだ。

 涙ぐみ、顔を真っ赤にして必死に拍手をしてくれている。


(ララさん……)


 ほっとして、とりあえず壇上を降りようとしたら。


 波のように多くの拍手がアルテイシアにむかって押し寄せてきた。


 動きを止め、ゆっくりと会場に向き直る。

 さっきまで蔑み、侮蔑し、嫌悪の顔を向けていた参加者たちが。


 満面の笑みや驚いた表情でアルテイシアに惜しみない拍手を送っていた。


「アリ」


 茫然と立ち尽くしていたアルテイシアの隣に、いつの間にかレオハルトが立っていた。


 まだヴァイオリンを持ったまま、レオハルトは恭しく参加者たちに一礼するから、アルテイシアも慌ててそれに倣う。


「わたしの恋人である彼女はリュートの名手なのですが」


 さらりとレオハルトが‶恋人〟の一単語を放り込んできたのでアルテイシアは身体を固くしたが、特に大きな反発は会場から感じない。


 それよりもレオハルトが話す続きを興味津々で待っている。


「なにぶんセッテリーノ伯爵家から演奏会へ招待されたのが、五日前でしたので……。楽器の手配が間に合わず、急遽内容を変更させていただきました」


 レオハルトがちらりとアルテイシアに視線を向ける。


「リュートは楽器内部の空洞を共鳴させて鳴らします。彼女の声も自分の身体を共鳴させて発するので、わたしに免じてこれも楽器演奏とさせてください」


 いやいや問題ない、と高齢の参加者男性が応じ、他の参加者も大きく頷く。


「一度、彼女の歌声を聴いてから虜になりまして」


 いつ聴いたのだと驚いた。

 そもそも、この提案をしてきたとき、なぜレオハルトが聖女の務めのひとつである「聖歌」を知っているのかと戸惑ったのだが。


(エニスへのことほぎ……)


 懐妊したかもと言っていた彼女に、安産と小さな子への加護を祈った。

 あれを聴いていたのだ。


「その気持ち、今日ここにいらっしゃる皆さまにもわかってくださるでしょう?」


 レオハルトの呼びかけは、盛大な拍手によって応じられた。

 再度自分に向けられた拍手に、アルテイシアは慌てた。


「あの……っ。突然ご協力いただきましたレオハルトさまに、どうぞみなさま……あ、あの……は……拍手を……っ」


 どもりながらあわあわとレオハルトを見たり、会場をみたりしていると、率先してララが拍手をする。


 それにつられるように拍手と。

 それから彼の友人らしい青年貴族たちからは指笛や足踏みが聴こえてきて、レオハルトは苦笑している。


「サプライズ込みの演奏、ありがとうございます。次は主宰者でもありますラミア嬢です」


 突如そんな声が聞こえた。顔を向けると、ラミアが連れている執事だ。必死で会場の興奮を収めようとしているように見える。


 レオハルトは一瞥をくれると、アルテイシアをエスコートして壇を降りた。


 ちらりとレオハルトは背後に視線をやる。

 つられてアルテイシアも振り返る。


 ラミアがグランドピアノに座ったところだが。

 会場は浮かれたように騒がしい。声掛けをしている執事の声すら圧している。


「いやあ驚いたな」

「作法も悪くない。服装だって奥ゆかしいほどだ。どこが育ちが悪いって?」

「娼婦と言うより歌姫ではないのか?」

「スロイレン卿への配慮といい……。本当に彼女がメイドたちを放逐したのか?」


 参加者同士がしきりにアルテイシアの素性を探ろうとしており、早速ララがその情報源として取り囲まれ始めている。


 そのせいで、次の演者だというのに誰もラミアに注意を払っていない。


「ざまあみろ」 


 ふん、とレオハルトが鼻を鳴らしているが。

 真っ赤になって肩を震わせているラミアの視線から逃れるようにアルテイシアは背を向けて会場をあとにした。



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