第25話 演奏会

◇◇◇◇


 アルテイシアがスロイレン男爵邸に来てから5日が経った。


 約束通りラミアから案内状が届き、アルテイシアはレオハルトに連れられ、セッテリーノ伯爵家の別邸にいたのだが。


 正直、参加を見送るべきだったと、壁際の椅子に座ってぼんやりと考えていた。


「想像以上に無視されていますねー……」


 アルテイシアの側に控えているメイドのララがぼやく。

 結局あの日、レオハルトがメイドをすべて解雇してしまったため、急遽マーリンの雇っているメイドをひとり融通してもらうことになったのだ。


『じゃあ、お嬢様と年が近い方がいいわね』


 そう言ってマーリンはララを即日屋敷に寄こしてくれた。


 現在、スロイレン男爵邸にはメイドがララひとりしかいない。

 というのも解雇されたメイドたちがアルテイシアに関するよからぬ噂を一斉に吹聴してまわったため、募集をかけても誰もよりつかないのだ。


 元娼婦の女主人。

 メイドをすべて解雇。


 そこから連想される印象だけがひとり歩きしているのだ。


 だからといって「メイドなし」というわけにはいかない。

 アルテイシアの着替えやメイクなどを手伝う使用人が男性というわけにはいかない。


 そこで衣装のサイズ直しのためにやってきたマーリンにレオハルトが頼み、「正式なメイドを雇うまで」という期限付きで来てもらうことにしたのだ。


 そういった事情であるにも関わらず、ララは腐ることなくアルテイシアに付き従ってくれるばかりか、『私だって没落貴族の出です。スケベ親父の妾になるのが嫌でマーリンさまのところに御厄介になりました。お嬢様と大差ありません』とあっけらかんと自己紹介をし、気さくにアルテイシアに話しかけてくれる。


「まぁ……こんな気はしたものね」


 アルテイシアは苦笑した。

 イスに座った姿勢で、のんびりと会場内を見回す。


 視線が合うとさっと顔をそむけるくせに、ぞんざいな目つきでこちらは品定めしてくる参加者ばかりだ。


 黙っていればまだましなほうで、なかにはアルテイシアに聞こえるように『あれが娼婦の』『なんでもメイドがひどい扱いを受けたとか』と言う貴婦人もいる。


 レオハルトにエスコートされ、名前の読み上げを受けて会場に入ったころはよかった。


 側に‶男爵〟がいるからそれ相応の対応をされ、「はじめまして」「こちらこそ」とやりとりをすることができた。男爵といえども、さかのぼれば辺境伯だ。誰もがレオハルトに敬意を示す。


 そのレオハルトは、本日参加の目的を「恋人の披露」だと考えていたから、主だった上級貴族に順番にアルテイシアを引き合わせていった。


 そこまではよかった。

 アルテイシアも顔と名前、階級を把握しながらそつなくこなしていった。


 だが、ある程度の挨拶が終了すると、レオハルトは気心の知れた青年たちに声をかけられてアルテイシアから離れて会場内で談笑しはじめた。


 それから、この状況だ。


 潮が引くようにアルテイシアの周囲から人が離れ、あとは動物園の動物になった気持ちで壁際にいるしかない。


「メイドを解雇したのが5日前だというのに、驚くべき速度で噂が回っていますね。これは誰か介入しているのでは?」 


 ララが少しだけ腰をかがめ、口元を手で隠してアルテイシアに耳打ちする。


「でしょうね」


 おもうに、ラミアだ。

 彼女はこの会の主宰者であるし、伯爵家のひとり娘でもある。


 参加者たちに挨拶をして回っているときに、レオハルトのことをさらりと伝えたのだろう。


『驚かないでくださいね。レオが恋人を連れて来るらしいんです』


 そんな感じでこっそりと言うと、参加者は驚くことだろう。

 正式な婚約式をかわしてはいないが、セッテリーノ家のラミアとスロイレン家のレオハルトは近いうちに婚姻関係を結ぶだろう。


 それは公然の噂だった。

 それなのにラミアが主宰する演奏会にレオハルトが別の恋人を連れて来るのだ。


『それはいったい……』

 戸惑う参加者に、ラミアはさも訳知り顔でこたえたに違いない。


『風邪をひいたようなものですわ。あの年代の男性にはよくあることでしょう? ちょっと……、ね? その手の女性にひっかかってしまって』


 そして『その女、どうもメイドも全員解雇したようでね。うちで引き取ることにしましたの』とでも言えば、参加者たちもアルテイシアに対して悪印象しかない。


「お嬢様、ところで今日の楽器はどちらにご用意されているのですか? そろそろ弦の調整などなさってはどうでしょう」


 あからさまに侮蔑の表情を浮かべてアルテイシアの前を通り過ぎた老夫婦の態度にいたたまれなくなったのだろう。ララが咳払いをしてそんなことを言った。


「ああ。そうね。ラミア様が楽器をご用意してくださるそうなのだけど……。練習が必要よね」


 ゆっくりと立ち上がりながらアルテイシアはこたえる。


 到着した直後も、屋敷のどこかから練習しているとおぼしき音が聴こえてきていた。たぶん、今日の演者が控室で練習をしているのだろうかと焦った。


 なにしろリュートが弾けるとはいえ、母国を逃げ出して2年。まったく触っていない。披露するまでに音を確認しておきたいと考えていたのだ。


「……かといってこちらからラミア様に声をかけるわけにはいきませんしね」


 ララが苦々しく呟く。

 序列がある。

 身分の低い者は、高い者からの声掛けをまたねば挨拶もできない。


「レオハルト様からお話ししていただきましょうか」


 友人たちと交流しているところを中断させるのは心苦しいが仕方ない。ほう、とため息を吐き、アルテイシアが会場内を見回すと、華やかな一団がこちらに歩いて来るのが見えた。


「ラミア様です」


 ララが口早に告げると、ささっと背後にひかえる。


 彼女が言う通り、あざやかな緋色のドレスを着たラミアが、同じぐらいの年齢の女性たちを伴ってアルテイシアに近づいて来る。


「こちらにいらっしゃったのね、アリさん。探していたのよ」


 きれいに口紅をひいた唇を三日月にし、ラミアは目を細めた。

 彼女とは屋敷に入ってすぐにレオハルトと共に挨拶をしたばかりだ。


 きちんと結い上げられた髪といいドレスといい、彼女の魅力をふんだんに引き出しており、なにより若さとはちきれんばかりの胸を強調していた。


 アルテイシアもラミアも年は変わらない。

 だけどアルテイシアは彼女のような服を着たことがなかった。


 神殿では常に真っ白な衣装であったし、装飾品などはせいぜいネックレスと指輪程度。魔獣から獲れた魔石を勲章のように飾る聖騎士のほうがまだ華やかなほどだ。


 この国に逃げてきた直後は浮浪者と変わらない恰好だったし、娼館では娼婦と区別するためにことさら地味な服を指示されていた。


 今日はさすがにマーリンが見立てた服を着、ララに髪をアップにしてもらって生花を飾りつけられているが、それでも随分と落ち着いた服装だ。


 実際、『え、あれが娼婦?』と二度見する紳士も会場内には多数いた。


「お手数をおかけしました」

 アルテイシアが頭を下げると、令嬢のひとりが肩を竦めた。


「もっと目立ちたがりで会場の真ん中にでもいるのかと」

「あら、それとは逆よ。だってほらメイドが……」


 別の令嬢が広げた扇子で耳打ちをし、ふたりで顔をしかめている。


「まぁ、陰湿な方ね」

 アルテイシアを一瞥して吐き捨てる。


「もうすぐ演奏会がはじまるの。順番をあなたに伝えておこうとおもってね」


 聞こえているだろうにラミアは友人らしい令嬢たちに注意もしない。にこにこ笑ってアルテイシアに説明をした。


「一番手はこちらのカメリア嬢。ピアノを演奏なさるわ」

 目立ちたがりと言った令嬢がふんと鼻を鳴らした。


「二番手はアンネ嬢。フルートがとてもお上手なのよ」

「まあ、ラミア嬢ったら。ありがとうございます」


 陰湿と言った令嬢がくすぐられたような笑い声をたてた。


「三番手がアリさんでいいかしら。わたくしが最後にピアノを弾こうと考えているのだけど」


 ラミアが小首を傾げるから、アルテイシアは頷いた。


「問題ありません。ありがとうございます」

「この方、なにが弾けるの?」


 カメリアが胡散臭げにラミアに尋ねる。


「リュートなんですって」

「リュート?」


 カメリアとアンネがきょとんとした顔をする。


「なんでも母国の楽器らしくてね。そうそう、アリさん。その楽器なんだけど」


 ラミアが背後を一瞥すると、侍女らしき年配の女性が楽器ケースを持ってやって来た。


 そのケースの形状を見て、嫌な予感がした。


 どう考えても。

 リュートではない。


 ネック部分だとおもわれるところが後ろに大きく膨らんでいないのだ。


 ラミアはぞんざいに侍女からケースを受け取る。


「わたくしの勘違いでね、我が家にリュートはなかったんですって。で、いろいろ調べたらリュートって弦楽器じゃない? だったらこれでもいいかなって」


 はい、と笑顔で差し出された。


「……これ……は」


 困惑しながらケースを受け取る。


 ひょうたん型をした楽器ケースには革さえ張られておらず、カビのようなものも見えた。それだけではない。上部と下部をつなぐ蝶番は錆びて緑青を浮かせており、持ち手の部分はいまにもボロリと外れてしまいそうなほど壊れている。


「ヴァイオリン」

 ラミアに無邪気に応じられて血の気が引いた。


 そんなもの、弾いたことはない。

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