第28話 隣国が探している娘

「証明……とは? おれ……わたしは討伐後、毎回報告書を添付して現状をお伝えしておりますが」


 レオハルトが訝し気に目を細める。その表情を不敬だとたしなめられたらどうしようかとアルテイシアはハラハラしたが、モンテーニュ侯爵は頓着せずに笑った。


「いや、知っている。知っているから尋ねておるのだ、なあ、ミレニアム」

 話を振られ、ミレニアムはかしこまって目を伏せる。


「どういうことですか」


 レオハルトに硬い言葉をぶつけられ、ミレニアムは少しだけ首を右に傾けて口をへの字に曲げる。


「君が嘘をついているとは思っていない。思っていないが、こちらも確認作業が必要だ。その……」


 しばらく言葉を探して灰色の瞳を彷徨わせたが、ミレニアムはぐいと顎を引いた。


「レオが先祖伝来の土地を取り戻したがっていることは知っている。いや、君だけじゃない。代々のスロイレン男爵悲願だということもね。だから」


「おれが偽の報告をして取り戻そうとしている、と?」


「レオハルトさま」


 ずい、とミレニアムに向かって一歩踏み出すレオハルトの手を咄嗟にアルテイシアは握りしめる。怒気あふれるこの声のまま、つかみかかりそうだ。


「そう怒るな。お前のことは幼い頃から知っておるが、先にミレニアムが言う通り、我々とて確認作業が必要だ。そこで、他の討伐隊にも話を聞いたのだ」


 モンテーニュ侯爵が手を伸ばし、ミレニアムのジャケットの端を掴む。物理的に距離を置くために離したようにアルテイシアには見えた。


「討伐隊……って? レオハルトさま以外にも騎士団がいるの?」


 とにかくレオハルトの意識をこちらに向けたくてアルテイシアはそっと尋ねる。


 そういえばエニスが以前『男爵の騎士団は安全だけど』と言っていた気がする。

 ミリオシア王国で魔獣を狩る場合、その都度集められた騎士に聖女がことほぎをして聖騎士とするのだが。


「3か月ごとに魔獣狩りを行う。そのため、この国では4つの騎士団が時機を決めて討伐をするのだよ、隣国のお嬢さん」


 モンテーニュ侯爵が笑う。


 隣国のお嬢さん。


 その言葉に心臓が跳ねるが、単純に自分の外見のことだけかもしれない、とアルテイシアは思い直す。


 事実、モンテーニュ侯爵はすぐに視線をレオハルトに向けた。


「ほかのみっつの騎士団に確認をしたところ、宿泊所近くのその泉は『以前からずっと使えた』と言っておるが」

「ばかな! そんなことはありません」


 レオハルトが断言するが、ふ、とモンテーニュ侯爵は笑いを漏らした。


「だからそれをどう証明する? お前の騎士団だけなのだ。『泉が復活した』と言っておるのは」


「彼らとてあの泉が汚染され、討伐の時に使用できなかったことを知っているはずです! だからあの宿泊所では水が貴重で……」


「もとからあの泉は生きていて使っていた、と。そう言うておるが?」


 レオハルトの怒りがアルテイシアにも伝わる。再びかっとなって口を開く彼より先に、アルテイシアは言葉を発した。


「賃金が差し引かれているはずです」


 アルテイシアが発言するとは思わなかったのだろう。

 驚いたようにモンテーニュ侯爵が一瞬目を見開いたが、すぐに興味深げに視線を向ける。アルテイシアは即座に片膝を折って礼をした。


「許しなく発言したこと、お詫びいたします」

「よい。賃金とは?」


「男爵がおっしゃる通り、現在討伐隊が使用している泉は、以前は汚染されて使用できませんでした。そのため、宿泊所で使用する水はすべてふもとの村からポーターが持参していたのです」


 ロイやエニスが言っていた。

 あの泉が復活して楽になった、と。


「ですがあの泉が復活し、水汲みが楽になったため、ほかの騎士団はそのぶんポーターに支払う賃金を減らしたのです。理由は」


 モンテーニュ侯爵だけではない。ミレニアムも自分に注視していることを十分に自覚し、アルテイシアは言う。


「泉が使用できるようになったから、です。水汲みが楽になったのだから、その分賃金を安くする、と。男爵だけでした。泉が復活してもポーターの賃金を減らさなかったのは」


「ほう、これは新しい視点だ」

 モンテーニュ侯爵は目を細め、ちらりとミレニアムを見た。


「すぐに確認を行います」

「それだけではございません。泉のそばの植生が変わっていました。そうですよね、レオハルトさま」


 即座に出て行こうとするミレニアムの足を止めるため、アルテイシアはレオハルトを促す。彼は深く頷くと、モンテーニュ侯爵とミレニアムに対しての説明を引き継ぐ。


「これはわたしではなくアリが気づいたことですが……」


 そう前置きをし、綺麗な水質でしか育たないレイブンが育っていることや、沼地育ちのガーダマが枯れたことについて語る。


「これらのことから今後土地が復活する可能性が見えてきました。どうか閣下、賢明なご判断を」


 レオハルトがそう言って締めくくる。

 その隣で緊張しながらアルテイシアも彼の手をぎゅっと握った。


「面白い。非常に興味深い話だ。ミレニアム。明日にでも学者を伴って魔境に行け」

「かしこまりました」


 ミレニアムが深く頭を下げる。レオハルトとアルテイシアは目を見合わせ、安堵の息を吐くとともに微笑みあった。


 それだけじゃない。

 レオハルトはいきなり腕を引いた。


 彼の手を握っていたアルテイシアはあっさりとバランスを崩し、前のめりになる。あ、と小さく声をあげたのだが、それは彼の胸に顔を押し付けられたせいでついえた。


 気づけばレオハルトの腕は自分の背中に回り、抱きしめられていた。


「え……ちょ……レ、レオハルトさま……っ」


 もがき出ようとするのに微動だにできない。ぱかぱかと彼の背を叩くが、レオハルトは嬉し気に笑ってさらに腕に力を込めてきた。


「ありがとう、アリ。お前のおかげだ」

 そんな声が聞こえてきた気もするが、それよりなにより苦しい。


「レ……レオハルト……さまっ」

「よせよせ、レオ。お前の恋人が窒息するぞ」


 モンテーニュ侯爵の愉快そうな声が聞こえてきてようやく自分を拘束する腕が緩む。


 げほりと咳き込み、アルテイシアは空気をもとめてぜいぜいとあえぐ。気づけば床に座り込んでいて、レオハルトとミレニアムに覗き込まれていた。


「レディ、大丈夫ですか」

「すまん、つい。立てるか?」


 だ、大丈夫と応じて、差し伸べてくれたレオハルトの手を取る。


「ところでレオ」

「はい」

「その娘、どこでどのようにして手に入れた?」


 それは水面に投げ込まれた石のようだった。 


 途端にレオハルトは表情を引き締め、アルテイシアの腰に手を伸ばして引き寄せる。


「魔境近くの娼館で。気に入りまして恋人にしておりますが」

 なにか、と突き放すような声にまたモンテーニュ侯爵は笑った。


「なにもお前の恋人を取るつもりはない。予はどちらかというともっとふくよかな女が好きだ」

「……さようですか」


「いやなに。いままで女に興味を示さぬお前が珍しいな、と思っただけだ。しかも、その金髪碧眼。隣国の容姿をしておるしな」


 アルテイシアは自身に向けられた侯爵の視線に身を堅くする。

 それから守るようにレオハルトはそっと一歩前に出てくれた。


「それに少し気になることも聞いておるしなぁ。そうだな? ミレニアム」


 モンテーニュ侯爵はグラスの酒を呷ると、隣に立つミレニアムを見上げた。だが彼は黙すだけだ。


「どのようなことですか、宮中伯」

 探るようにレオハルトが問う。


がお探しのようなのだ」


 答えたのはモンテーニュ侯爵。片頬の口端だけを上げてレオハルトを見た。


「逃亡した、聖女を」

「……逃亡した、聖女?」


 訝し気にレオハルトがオウム返す。


 アルテイシアは途端に震えた。

 おこりのようなその震えはすぐに全身に広がり、アルテイシアは立っていられずにふたたびその場にくずおれた。


「アリ⁉」

 レオハルトが振り返る気配がする。


 だがアルテイシアはそれさえ確認ができなかった。自分で自分の腕を掻き抱き、身を小さくする。そうしないと‶自分〟というものが震えて崩れて霧散しそうだ。


(……とうとう、ここまで探しに来た……)


 どうして、と呟いたはずなのにその声さえ顎が震えてうまく言えない。


 マーガレットと共に国を逃げ出して数年たつ。ここまで来ると大丈夫だと思っていたのに。


(どうして……? どうしてわたしを探すの……?)


 マリア・リアが聖女になった。

 アルテイシアはそのために貶められ、国を捨て、マーガレットの命さえ失った。


 それなのに。

 それなのに、これ以上なにが欲しいというのか。


「アリ⁉ おい!」

「おお、大変だ。レオ、退出することを許すゆえ、すぐに介抱してやれ」


 モンテーニュ侯爵の声が聞こえ、すぐにアルテイシアの身体は浮かび上がった。

 レオハルトに抱えられたのだと気づき、なんとか自分を制しようと思ったのに、身体からは震えが去らない。


「じっとしていろ」


 レオハルトが低く命じ、アルテイシアは黙って目を閉じた。彼に身をゆだねる。

次第に遠くなる意識の中で、レオハルトが侯爵と宮中伯に口早に挨拶をするのを聴いた。


◇◆◇◆


「どう思う、あの娘」


 モンテーニュ侯爵は長い脚を組み替え、扉を見る。

 レオハルトが横抱きにし、慌ただしく連れ出した金髪碧眼の娘。


「そちとて、一度見たことはあろう? 元聖女を」

「……なにぶん、遠方でしたし、あのときまだ聖女は十代前半。いまとは容貌が変わっておるでしょうし」


 ミレニアムは遠い目をしたあと、小首を傾げる。


「あのときは確か閣下もいらっしゃったはずですが」

「予はもとより子どもに興味はない」

「……さようで」


 ミレニアムの返答にモンテーニュ侯爵は愉快そうに笑って、グラスを傾けた。


「さて、どうしたものか。にくれてやって、恩を売るもよいが……」

「ですが、レオがあっさりとあの娘を手放すとは思えませんが」


 ミレニアムがため息交じりに応える。


「そんなもの。手放さなければ手を斬り捨てればよい」

 ははは、とモンテーニュ侯爵は笑う。


「さて。どうすれば我が国が一番潤うか。ここは考えどきだぞ、宮中伯よ」

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