第22話 矜持
「黙れ」
それをレオハルトが一喝した。メイドたちは唇をかみしめてお仕着せの服を握り締めるが、目から流れる涙は止まらない。
「明日までに紹介状を用意し、全員セッテリーノ伯爵家に放り出せ」
「セッテリーノ……伯爵家、でございますか。なにかそのような申し出が先方様から?」
カイゼル家令がいぶかしんだ声を出す。レオハルトは無表情のままナタリーに視線を移した。
「知らん。だが、こいつらはおれから給金をもらいながら、ラミア・セッテリーノ伯爵令嬢を自分たちの主人だと思っているようだ。そのようなものは当家に不要。そうだろう」
「確かに給金泥棒ですな」
カイゼルはナタリーたちを一瞥した。その視線にメイドたちはいっせいに床にひれ伏した。
「お許しください! わたしどもはただ、ナタリーメイド長に……っ」
「うるさい。黙れ」
レオハルトがさらにすごむ。メイドたちは悲鳴を上げて一塊になって互いに抱き着いている。
「ヨルマン執事長」
「ここに控えております」
メイドたちに押し出されたらしい。廊下のほうから声が聞こえてくる。
「メイドを全員解雇しても我が家は回るな?」
「……旦那様のお望みのままに」
どこかため息を含んだような返答が廊下からあがった。
「では、明日の朝にはこの屋敷を出ます。旦那様、いままでお世話になりました」
ナタリーは深々と頭を下げたあと、レオハルトを見据えてきっぱりと言い放つ。
「旦那様、最後にひとつ申し上げます。名君とは諌言を受け入れる度量を兼ね備えておるもの。判断は誰でも誤ることがございます。その誤りを指摘したものを追放するなど……。スロイレン男爵家もそこが知れました」
ああ、そうだ、とようやくアルテイシアは我に返る。
この行動も〝アルテイシア憎し〟で行っているわけではないのだろう。
あくまで主人を思う忠心ゆえの行いに違いない。
ならば、自分のことを思って処罰を下そうとしているレオハルトに進言せねば。
「あ……あの、男爵……じゃない。レオハルトさま」
横抱きにされたまま、彼のシャツをぎゅっと握る。意思のはっきりした視線を向けられ、尊大な態度で返事された。
「なんだ」
「どうか寛大なご処置を。その……寒かったのは寒かったのですが、なにも解雇するほどでは……。実際、朝には扉を開けてくれるつもりだったようですし」
「甘い甘い」
「その前に凍死しちゃってたよ」
そう言って苦笑いしているのはレオハルトの背後に控える騎士たちだ。
「ですが……、その。どうやらこの屋敷にはずっとラミアさまがいらっしゃったのに、いきなりわたしのようなものが連れてこられて混乱するのは当然のように思います」
アルテイシアはレオハルトの胸に身体を預けたまま、彼を見上げる。
「わたしはこのようにもう無事ですし。彼女たちもレオハルトさまにお叱りを受けて反省なさったのでは?」
ちらりと戸口を見やると、メイドたちは涙で顔を濡らしたまま、無言で何度も首を縦に振っている。アルテイシアはほっとしてレオハルトに続けた。
「なので、もうこの件は……」
「娼婦の
ぴしゃりと冷徹な声がアルテイシアの頬を打った。
それだけではない。全身を貫かれるのではないかと思うほど鋭い視線で射抜かれる。
「わたしの矜持がそれを許しません」
目が合うと吐き捨てられる。
その瞳が。そこに映る意思が。明らかにアルテイシア個人を蔑んでいた。
(もしこれが本当に諫言であれば……)
屈辱を味わう地位だったとしても、この屋敷に残って主人に対して危害が及ばないように行動したり、気配りをしたりするだろう。
だが、この女性は単純に「
自分の意思に主人を合わせようとしている。
このひとはマーガレットとは違う。
アルテイシアは無言で彼女を見つめていたが、もぞりと足を床に向かって伸ばす。
降りたい。
そのことに気づいたレオハルトが腰をかがめて腕を緩めてくれた。
裸足に床の冷たさは堪えたが、アルテイシアは毛布を肩にまとわせたままナタリーと向き合う。
レオハルトの腕に囲われていて熱は十分だ。もう寒くはない。
「確かにわたしは娼館と呼ばれるところで仕事をしていました。娼館主は、わたしに仕事を課す代わりに対価となる給金と住処を与えてくれました」
アルテイシアは顎を引き、胸を張る。
「あなたがたが蔑むような仕事なのでしょうが、それでもわたしやほかの従業員は誰が
娼館主からお金をもらいながら、ほかの娼館にいい顔をするような娼婦はひとりもいません。それを考えるのならば、確かにそうですね。わたしが口をはさむべきではありませんでした。レオハルトさまのもとを去り、ご自身が
自分の行いを指摘されたと気づいたのだろう。ナタリーの頬に赤みがさす。
ともすれば震えそうになる口を一文字に結んでから明確に吐き捨てた。
「娼婦風情が」
「人を職業で判断するのは、自分の目に自信がないばかりではなく、品がない行いです。レオハルトさまは、一度もわたしを……わたしの仕事内容でわたし自身を判断なさることはありませんでした。この方はとても賢明。その証拠に家令や執事長はレオハルトさまにつきました。対してあなたは……残念ですが、見る目がない」
アルテイシアは少しだけ首を傾ける。さらりと金色の髪が流れ、肩口に広がった。室内の光を受け、その金の髪は豪奢に輝く。
「この家門にふさわしくないのは忠心をちらつかせながら主人を意のままにしたいというあなたのほうではありませんか?」
アルテイシアの言葉のあと。
しばらく屋根裏部屋はしんと静まり返った。
その静寂に気づき、背中に汗が噴き出す。
しまった。自分はいま、とんでもなく場違いなことを言ったのではないのか。
そろり、と。
隣に立つレオハルトを上目遣いに見やる。
彼は。
丸めたこぶしで口元を隠し、うつむいている。
前髪が目元を隠しているので表情は知れないが、肩が小刻みに震えていた。
(……怒っている……)
絶望したアルテイシアだったが。
こらえきれなくなったようにレオハルトは笑い出した。
「これこそがスロイレン家の女主人だ」
ぽかんと見上げているアルテイシアだったが、騎士たちも愉快そうに笑ってレオハルトに声をかけている。
「知らなかったんですか、団長。この嬢ちゃん、結構気がつよいんですよ」
「宿泊所でも変なことをいうやつには、きっぱり言い返してましたしね」
「そうだったのか」
笑いすぎて浮かんだ涙をぬぐいながら、レオハルトはアルテイシアを見る。
「名誉や矜持は自分で守るものだ。余計な手出しをして悪かったな」
「いえ……そんな」
怒っているわけではないとわかってほっとしたアルテイシアは、なんだか無邪気な彼の笑顔に魅了される。
ぽうと。
酔ったような気分で彼を見つめていたら。
こほり、と家令に咳払いされて慌てた。
「では私はこのあと紹介状をやまほど書かねばなりませんので。退室させていただいてよろしいでしょうか?」
「ああ、よろしく頼む」
レオハルトはうなずき、それからナタリーとメイドたちに命じた。
「いますぐ荷造りをしろ。家令の紹介状ができるまではこの屋敷への滞在を許す」
「旦那様……っ!」
「わたしたちは違うんです! メイド長に指示されて仕方なく……っ」
駆け寄ろうとしたメイドたちの肩を捕まえ、「愚か者っ」と叱責したのはナタリーだ。
「かような場所に未練はありませんっ。ラミア様のところに参りますよっ」
言うなり、くるりと背を向けた。そのあとをメイドたちはあきらめたように従っていく。最後尾をついてくのは家令のカイゼルだ。ばりばりと頭を掻きながら大きなため息をひとつ残して姿を消した。
入れ替わるように入室してきたのは、もうすでに疲労の色が濃いヨルマン執事長だった。
「ヨルマン。女主人の間へ彼女を案内しろ」
「かしこまりました。さ、お嬢様」
腰を折り、白手袋をはめた手を廊下のほうに、すっと差し出す。おそるおそる彼に近づくと、レオハルトがさらに命じた。
「すまんが、部屋の前で警備を頼む。もうあいつらはなにもしないとは思うが……」
「承知しました」
騎士たちが口々に応じている。
アルテイシアが執事長とともに廊下に出ようとしたとき、さらにレオハルトが指示を出した。
「そうだ、衣装が全部ないんだな……。ヨルマン、明日の朝いちばんにマーリンをこの屋敷に引っ張ってこい。服を用意させる。ついでに姉が残した衣装の中に正装用のものがあるだろう。あれを仕立て直して……」
「そんな……っ! もういいです! これ以上の出費は!」
真っ青になってアルテイシアは首を横に振る。
「だが、着替えも何もないぞ」
レオハルトが腕を組んでうなる。
「たぶん、あの様子なら衣装一式はラミアの屋敷だろう。取り戻すのも腹が立つからくれてやる」
「いやあの……。あ! でしたら、申し訳ないですがお姉さまの服を貸してください。それを着ますので……っ」
さっきレオハルトは『姉が残した衣装の中に……』と言っていた。
それをそのまま貸してもらえばいいのだ。
だが。
「旦那様。マーリン様に来ていただくのなら、いっそ正装用のものもいちから誂えになっては?」
「もちろんマーリンに言ったんだが、最速で二か月はかかるらしい。侯爵にお目通りを願い出ているからな。それでは間に合わんと伝えたら、『だったらあるものをリメイクするしかない』と言われて」
「さようでございましたか。それではシシリー様の正装用のお召し物を明朝ご用意しておきます。どれをご使用なさいますかご判断くださいませ」
「そうだな。だが、それと普段着用は……」
「もちろんそれはそれ。これはこれでございます。新たにお嬢様にふさわしいお召し物を誂えください」
「いや、あの……っ」
「アリ専用の侍女とメイドも必要だな」
「仰せの通りです」
「ひぃ! あの……っ! 自分のことは自分でできますからっ!」
「明日、めぼしいものを連れてくるように。随時面接する」
「かしこまりました」
「本当にこれ以上世話になるわけには……っ」
必死でレオハルトと執事長に訴えるのだが、あっさりとアルテイシアの意見は聞き流され、笑いをこらえる騎士たちに連れられて女主人の間へと連れていかれた。
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