第20話 屋根裏部屋
結局ラミアは夕食をともにしたあともしばらく居座り、堪忍袋の緒が千切れる寸前のレオハルトに叱られてようやく屋敷を退出した。
『今日はいろいろと悪かった。打ち合わせや今後のことは明日話し合おう。あとはゆっくり休んでくれ』
疲労の色も濃いレオハルトとはホールで別れた。
彼はヨルマン執事長を連れて西館に向かう。いまからまだ家令のカイゼルと今回の討伐で得た財産について話し合うらしい。
(男爵がゆっくりと休めればいいけど)
その背を見送りながらそんなことを思う。
「こちらです」
声をかけられ、振り返るとナタリーメイド長と数人のメイドが控えていた。
「お部屋にご案内します」
言うなり、ナタリーはさっさとメイドを引き連れて歩き出す。
東館に向かうのだろう。
しばらく無言で歩く。
すぐに見えてきたのは、ホールから東館に続く扉だ。
すばやくメイドのひとりがメイド長の前に回り込み、開いた。メイド長が扉をくぐる。
アルテイシアも続いた。
東館の廊下はすでは照明の火がいれられていて、とても明るい。
それよりなにより、その屋内の可憐さに息を呑む。
女主人の使う屋敷だと聞いたが、うなずけるほどに可愛らしい。
廊下の調度品やカーテンにいたるまで、華やかでありながら繊細さを兼ね備えている。
敷かれた絨毯も一流品だ。ヒールの高い靴で歩いてもまったく負担がない。
アルテイシアは物珍し気にきょろきょろ周囲を見回しながら歩く。
ずっと神殿に住んでおり、荘厳さや静寂にはなれていたが、このような愛らしい屋敷は初めてだ。
そうやっていくつもの部屋の前を素通りし、階段を上がる。
変だと気づいたのは、二階を素通りし、三階をすぎて。
まだ、階段をメイド長たちが上がって行ったときだ。
外から見る限り、この建物は三階建てだ。
だが、階段は続く。
いや、階段というにはあまりにもみすぼらしい。
あくまで作業用にとりつけられた足がかり。
そういったところにあるものといえば。
それは部屋ではない。
物置だ。
「どうしました」
立ちすくむアルテイシアを、階上からメイド長が見下ろす。メイドのひとりがマッチを擦り、燭台に火をともしてメイド長に手渡した。ぼやりと灯る橙の光を下から受け、メイド長の顔は彫像のように見えた。
「あなたの部屋をご用意しています。どうぞ」
冴え冴えとした声に、アルテイシアはなんと答えればいいのかわからない。困惑したまま立ち尽くしていると、メイドふたりに両腕を掴まれた。
「な……なにを……っ」
腕を振り払おうとするのに、強引に階上に連れていかれた。
照明装置すらないらしい。
廊下自体がうすぼんやりとしている。
メイド長は燭台を手に進み、ひとつの木製の扉の前で止まった。
アルテイシアの右腕を拘束していたメイドが離れる。メイド長の前に進み、腰につけた鍵束から鍵を取り出して開錠した。
がちりと重い音が鳴り、扉が開く。
途端に痛さを感じるほど冷たい風が吹き込んできた。
顔をそむけたが、左腕をつかんでいるメイドはお構いなしに歩いた。
メイド長の脇を抜けたとき、どんと背中を押されて前のめりに部屋に転がり込む。
寒い。
反射的に顔を上げる。
寒いはずだ。
部屋にひとつだけある窓が開いている。
物置か倉庫だと思っていたが、その窓の下にはベッドらしきものがあった。それだけではない。小さなテーブルと、その上には金盥とタオルまである。
そして、そのテーブルの脚の下には、アルテイシアの古びた革鞄が置かれていた。
「旦那様が、あなたの部屋を用意するようにと言われましたので」
凍てつくような声に振り返ると、入り口には手燭を持ったメイド長が立っていた。
「あなたにふさわしい部屋を用意しました。こちらをどうぞ」
その背後にいるメイドたちも敵意むき出しの視線をアルテイシアに注ぐ。
「娼婦のくせに女主人の館を使おうなんて……。厚かましいにもほどがある」
「ここはラミア様のための御屋敷。どの部屋も一切つかわせないわ」
震えながら、アルテイシアは立ち上がって腕を擦る。寒い。
「この部屋でしたらいくらでも滞在していただいても構いません。が、一晩で懲りるのでは?」
がたがた震えるアルテイシアを睨みつけ、メイド長は吐き捨てた。
「明朝、さっさとこの屋敷を出て行くんですね」
メイド長が一歩下がると、メイドが素早く木戸を閉めた。
途端に室内が闇に飲まれる。
がちり、と施錠される音に、アルテイシアは「閉めないでっ」と悲鳴を上げた。
「娼婦が夜に出回って騎士相手にいかがわしい商売でも始めたら大変ですから」
木戸越しにメイド長の声とメイドたちの笑い声が聞こえ、それはどんどん遠ざかって行った。
(……とにかく、窓を閉めないと……)
このままでは凍死してしまう。
だいぶん闇に眼が慣れてきた。小刻みに震えながらアルテイシアは窓に近づく。
ちょっとほっとしたのは、窓にガラスがはまっていたことだ。
木製の雨戸だと閉めた途端さらに深い闇に室内が飲まれる。
ショールを胸の前で結び、窓を閉めた。
空気の流れがおさまったからだろう。体感的に寒さがましになる。
おまけに今日は満月らしい。月光がガラス越しに差し込んできた。
ゆっくりと室内を見回す。
ベッドらしきものと、机、金盥、タオル、自分の鞄。
それだけしかないだろうか、と目を凝らすと、月光を受けてきらりと光るものがある。
そっと近づくと、燭台だ。芯が焦げた蝋燭もまだ残っている。
(マッチ……は、持ってる!)
厨房で使うことが多いため、いつも革鞄に入れているのだ。
机の下に置かれた鞄を引っ張り出し、中を探る。四角い箱が指に触れた。
マッチだ。
引っ張り出し、震える指でマッチを擦った。硫黄の独特の匂いのあと、橙色の明かりがマッチ棒の先に灯る。そっと蝋燭の芯に近づけると、それは安定した光となった。
安堵し、燭台の手持ちに指をかけて持ち上げる。
(……ベッドにもぐりこめば寒さをしのげるかしら)
いま、この部屋は屋外と同気温だろう。
外套などなにも持ち合わせていない。このままでは眠った時の体温降下で命が危うい。
ベッドらしきものに近づき、燭台で照らす。
照らして。
げんなりした。
シーツも敷布も、なにかわからない獣の毛で汚されているのだ。顔を近づけると、すごい獣臭もする。
「うあ………っ」
さらに顔を近づけると、ぴょこんとなにかが跳ねて慌てて身を引く。
ノミだ。
急いでベッドらしきものから離れ、燭台を手に持ってため息をついた。それはすぐに真っ白な呼気になり、おもわず笑ってしまった。
(……そりゃあ、気に食わないわよね)
メイド長やメイドたち。それからラミアの顔を思い浮かべて肩を落とす。
やはり自分は世間知らずだ。
レオハルトの提案がいいように思えて飛びついたが、そううまくいくものか。
彼は男爵と言えど、かなり富裕な身だ。
そこに突如として現れた娼婦のような女。
誰もが警戒し、憎み、排除することなど想定されるべきことだった。
(明朝出て行け、ってメイド長が言っていたってことは……)
レオハルトの起床前にやって来るに違いない。
そのとき、屋敷を出ればいいだろう。
理由はメイド長やラミアが考えてくれる。
手持ちのカネは少しだけある。
それを使ってもう一度辺境に戻ろう。そして娼館に帰るのだ。あそこが一番。
「それまで、生き抜こう」
わざと声に出すと、やっぱり可笑しくなった。
別に野獣のいる森に取り残されたわけでも、魔獣がいる魔境に放り出されたわけじゃない。立派なお屋敷に閉じ込められているだけ。
それなのに、うっかりすれば凍死するなんて。
ふふふふ、と笑うとやっぱり呼気が真っ白になり、足指がかじかんでもう感覚がない。右手は手燭を持っているから微かにあったかいが、それ以外は身体の中までも冷え切っている。
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