第19話 演奏会の楽器

◇◇◇◇


 そのあと、アルテイシアとレオハルト、ラミアの三人はホールの真上にある談話室に移動した。


 ラミアはしきりに東館の応接室に行きたがったが、レオハルトが「ここでいい」と言い張ったのだ。


 談話室は西館と東館をつなぐ部分になる。

 簡単な接客は1階ホールで。それ以上となると二階の談話室になるようだ。


 レオハルトとラミアの話から想像するに、当主の私的な客人は西館に。女主人の私的な客人は東館に迎えるらしい。


 入室すると同時に執事たちが暖炉に火を入れた。


 メイド長と執事長がふたりで銀のワゴンを運んできて、お茶をサーブする。そのころには部屋はだいぶん温かくなっていた。そっとアルテイシアはショールをほどく。目の前では、執事長が菓子の盛られた鳥籠のようなハイティースタンドをテーブルの上に載せているところだった。


 そのまま退室するわけではなく、ふたりは部屋の隅に直立不動で控え、なんならラミアの侍女もそこに並んだ。


 騎士たちのように表情豊かなわけでもないので、アルテイシアは非常に居心地が悪い。まるで見張られているような気もする。


(……でも、まあ、そうか)


 婚約者になるかもしれない男女二人が部屋にいるのだ。

 結婚前になにかあっても困る。

 そういうやましいことはなにもないのだという証明のためにも彼らはいるのだろう。


「東館の応接室なんだけど、家から持って来た調度品できれいに飾り付けたところなのよ? あなたに見せたかったのに」


 不満たらたらの声に、アルテイシアはそっと視線を移動させる。


 向かいのソファだ。

 隣に座るレオハルトを見上げ、ラミアは、ぷう、と可愛らしく頬を膨らませた。レオハルトはそんな彼女を見ることもなく、カップを持ち上げる。


「いますぐ撤去しろ。というか東館はこの邸宅の女主人のものだ」

「だったらわたしじゃない」

「お前じゃない」


 さっきからずっとこの調子だ。

 アルテイシアは半ば感心して、向かいに座るレオハルトとラミアを交互に見た。

 一方的にラミアが話しかけ、レオハルトがすげなく返すにも関わらず、最終的にはラミアが「やっぱりそれはわたしのことよね」と納得して「違う」とレオハルトに否定されている。


「おふたりは……仲がよろしいんですねぇ」

 ついそんなことを言ってしまって、レオハルトに睨まれた。


 だが、ラミアは嬉しそうに目を細めて笑うと、ぎゅっとレオハルトの腕にしがみつく。


「そうなの。照れ屋だから誤解されるけど、レオって私のことが大好きなのよ」

「一度もそんな感情をお前に抱いたことはない」


 きっぱりとレオハルトは断言するが、ラミアは毛ほども信じていない。


「照れちゃって」


 笑いながらカップに手を伸ばし、優雅な仕草でカップを口に運ぶ。それからどこか横柄な態度でアルテイシアに言った。


「あ。よろしければ、冷める前にどうぞ」

「なぜお前が勧める」


 レオハルトは唸り、改めてアルテイシアに向き直った。


「菓子はどうだ? 好きなものがあるといいが」

「ありがとうございます」


 アルテイシアは微笑み、ハイティースタンドを見た。

 色とりどりのマカロンやプチガトーに混じり、どっしりとした見た目のマフィンがある。


 ふと、マーガレットのことを思い出した。


(最期に……やっぱり食べさせてあげたかった)


 自分についてきたために、子爵家の夫人のはずが転落の人生をたどることになったのだ。


 逃亡のどこかの段階で彼女を国に返せばよかった。

 そんなことを考えていると、甘い菓子の香りが胃にどろりと溜まった。


 菓子ではなくカップに手を伸ばし、唇に寄せる。白磁のカップは非常に薄く、品がよいものだと知れる。お茶を口に含むと、ベルガモットの良い香りが鼻から抜けた。わずかな甘みといい、申し分のない茶葉だ。


 こくりと飲みこむと、お茶は喉を潤し、胃に溜まった苦い記憶を幾分清浄にしてくれる。


(温かい)


 行儀悪いとおもいつつ、カップを両手で包むとそのぬくもりにほっとする。カップを覗き込むと、その湯気にくゆられ心地よい。やはりショールを羽織ろうか。そう考えていた矢先、声をかけられた。


「寒いか? お前、冷え性だからな」

「え?」


 驚いて顔を上げると、レオハルトが執事長に「ひざ掛けかなにかを」と言うから、慌てて首を横に振る。


「大丈夫。心配しないで。ショールもあるから」

「そうか?」


 無理するなと続けた語尾を濁すようにラミアが割って入った。


「ねぇ、レオ」

「なんだ。お前、これ飲んだら帰れ」


 うんざりしながらレオハルトが答えるが、相変わらずラミアは頓着しない。


「彼女をこの屋敷に住まわせるつもり? 侯都においておくの?」

「もちろんだろう。彼女はおれの恋人だ」


「だったら社交界にも連れて行くんでしょう?」


 尋ねられ、思わずレオハルトが口ごもる。

 なるほどとアルテイシアも目をまたたかせた。

 彼の公式の恋人であるなら、社交界の場にも連れて出る可能性はある。


「そうだな。侯爵にも拝謁を願い出ているから……。衣装が足りないな。格の高い衣装を用意し忘れた。ヨルマン執事長。明日にでもマーリンを屋敷に」


 かしこまりました、と応じる執事長の声にかぶせるように、「違うでしょう!」とラミアが声を張る。


「そのひと、社交界に知り合いなんていないんでしょう? 五日後にね、うちの屋敷でちょっとした演奏会をするの。ねえ、あなた来る? 顔見知りができるかもしれないわよ」


 ラミアがソファの背もたれに上半身を預け、カップを傾ける。


「高位の方々がいらっしゃるから。紹介してあげてもいいわよ」

「そう……ですね」


 ちらりとレオハルトを見て、慎重にアルテイシアは返事をした。


「男爵……レオハルトさまが同行されるなら」

「五日後か……」 


 レオハルトは顎をつまみ、考える素振りを見せた。ということは、参加に前向きらしい。


「さっきも言ったように侯爵にこのたびの魔獣討伐のことを含めて報告をするために拝謁を願い出ている。その返事次第だが……。参加してもいいな」


 アルテイシアを見、レオハルトは続ける。


「正式にお前をおれの妻だと公言する前の予備的な場にしよう。非公式だがそこでおれが宣言すれば、社交界にも噂は回るだろう」


 アルテイシアは言葉に詰まる。そんなことをしてしまえば、自分はもう逃げられないではないか。腰が引けそうになるが、刺すような視線に気づいて恐る恐る顔を向ける。


 ラミアだ。


「妻じゃなくて、愛人、でしょ。そこを間違えちゃいけなくってよ、レオ」

 吐き捨てるようにレオハルトに言うと、アルテイシアを睨みつけた。


「一応、演奏会なの。参加者の女性はそれぞれ楽器を演奏するんだけど。あなた、なにかできるの? それが参加資格なのだけど」


「楽器……」

 アルテイシアは呟いた。


 ここで『できません』と言えば、レオハルトが自分を妻認定する場に行かなくてもいいのではないか。


 ちらりとそんなことを考えたが、レオハルトのすがるような顔を見たら『できません』とも言えない。散々迷った結果、振り絞るように言った。


「リュートなら……」


 空洞の筐体をもつ弦楽器は、神と交流する道具だとミリオシア王国では考えられている。だから神殿にいるときに女神官から厳しく仕込まれたし、聖女としての最初の仕事も神前でのリュート演奏だ。

 プロ並みかといわれれば違うが、人に聞かせられる程度という自覚はある。


「リュートってなあに?」


 きょとんとした顔でラミアがレオハルトに尋ねている。


 しめた、と思った。

 そうだ、この国においてはあくまで異国の楽器だ。この国にあるとは限らない。


 特にリュートは神殿でよく使われる。ミリオシア王国では、民が楽器として広く利用するのは打楽器で、旋律を奏でる楽器は高位の世界にしか流通していない。


「ミリオシア王国の伝統楽器だ。弦楽器で……。リュートか。ヨルマン執事長。この屋敷には……」


「残念ながらございません」


 首を横に振る様子にアルテイシアはほっとした。


 ないのなら仕方ない。

 これで参加を見送られたら。

 つい頬がほころんだ。


「ああ、弦楽器ね。ミリオシア王国の」

 間髪入れずラミアが告げた。


「お父様のコレクションにあったと思うわ、レオ」


 レオハルトにしなだれかかり、にっこりとラミアは笑った。


「当日、用意しておくわね。楽しみだわ」

「……そう……か。よろしく頼む」


 レオハルトはちらりとアルテイシアに視線を送る。アルテイシアは強張った表情でなんとかにこやかにあろうと努めた。


「お手数かけますが、よろしくお願いいたします」

「ええ、楽しみ」


 ラミアが甘い声で笑う。


「あなたがどんな演奏をするのか、本当に楽しみだわ」


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