第18話 相当の覚悟
「いい。おれが下す」
レオハルトは言うなり、両腕を伸ばしてアルテイシアの腰を掴み、軽々と持ち上げた。馬車から下されるとき、ふわりとショールの端が風に舞う。
「寒いだろう。しっかりショールを巻いておけ」
言うなり、ぎゅっと端と端を結ばれた。マーリンが見たら悲鳴を上げそうなほど味もそっけもない結び方だ。
「あの……ごめんなさい。飛び降りればよかったんだけど、ひょっとしたら移動するのかな、とか」
それよりなにより申し訳なさで泣きそうになりながら言い訳めいたことを口にしていたアルテイシアだったが、その語尾は荷物が落とされる音に消えた。
レオハルトと共に顔を向ける。
そこに転がっているのは、アルテイシアが持ち込んだ革鞄だ。
ミリオシア王国から逃亡するときに持ってきたもので、二年の逃避行にもその後の放浪にも耐えて来たつわものだ。革製のいいものなのだが、最近では汚れが目立ち、さっきマーリンの店で服を詰めてもらったトランクと並ぶと格段に見劣りする。
その革鞄が馬車から落ちていた。
その革鞄だけ、が。
「こちらの荷物は旦那様がお連れになったお客様の荷物でしょうか?」
じっと革鞄を見ていたアルテイシアが振り返ると、ナタリーメイド長が静かに控えていた。
四十代後半だろうか。落ち着いて見えるだけで実はもっと若いのかもしれない。
ただ、冷ややかな視線にアルテイシアは背筋を伸ばした。
あきらかに敵視されている。
身体を強張らせたとき、ぎゅっと手を握られた。いつの間にか冷えた指先からぬくもりが伝わってくる。
顔を上げると、レオハルトだ。
「そうだ。すべて東館の女主人の間に運ぶように」
アルテイシアの手を握ったままレオハルトは傲然にもみえる態度で言い放つ。
ナタリーメイド長が顔を伏せるようにして頭を下げると、リズミカルなヒールの足音が近づいてきた。
「おかえりなさい、レオ!」
声の主は同時にレオハルトに抱きつくというより、飛びついてきた。
レオハルトは転倒を防ぐために慌ててアルテイシアから手を離し、両腕で抱きかかえる。
「危ないだろう、ラミア!」
怒鳴りつけられても、その女は嬉しそうにレオハルトを見上げ、それから背中に手を回してぎゅっと彼を抱きしめた。
「魔獣討伐、ご苦労様。今回の成果はどれぐらい? わたくしへの婚約指輪になりそうなぐらい大きな魔石は獲れて?」
「お前に言うことは何もない。というか、なぜここにいるんだ」
強引に腕を振りほどき、レオハルトはうんざりした様子で女性を見る。
「だってあなたの婚約者ですもの。辺境地から戻られると聞いたら、お出迎えしなくっちゃ。ね?」
「さようでございますね、ラミア様」
ナタリーメイド長が慎み深く答えるのを見て、レオハルトは牙を剥く。
「お前はおれの婚約者じゃない。何度も断っているだろう」
「はいはい。あ! あれ、わたくしへのお土産でしょう⁉」
ラミアと呼ばれた女性が見てはしゃいでいるのは、さっきアルテイシアのために買った服がつまったトランクだ。いま、メイドたちによって屋敷の方に運び込まれようとしている。
「はあ⁉」
レオハルトが素っ頓狂な声を上げた。
「ふふふふ。マーリンの店に立ち寄ってから来たのはすでに聞いているのよ。きっとわたくしへの新しい衣装でしょう?」
「違う!」
「レオの気持ちは嬉しいけど、わたくし、身につけるものを自分で選びたいの。今度からは店に同行させていただける?」
「だから違うと言っているだろう!」
不機嫌を露にして怒鳴りつけているが、ラミアはまったく意に介していないようだ。
アルテイシアはそれをなかば感心してみていたが。
(きれいなひと)
つやつやした黒い髪をハーフアップにして、生花を飾っている。その花がこぶりな顔に良く似合っていた。ぱっちりとした二重。整った顔立ちに施された薄化粧は、余計に匂い立つほどの若さを感じる。
ぴたりと身体に沿ったマーメイドタイプのドレスは、アルテイシアでさえ魅惑的に見える彼女の体型を際立たせていた。
(このひとが婚約者候補)
レオハルトが、アルテイシアに偽恋人を依頼してまで縁談を断りたい相手。
なぜ、と首を傾げたくなる。男なら好感を抱くタイプの女性ではないのか。
じろじろと見過ぎていたのかもしれない。
ばちり、とラミアと目が合った。
「ふうん」
きれいに唇に塗られた口紅。
それが勝気に三日月になる。
「あなたがレオの恋人?」
顎を上げ、斜交いに見下げられる。
なんだか気に障る視線と口調だ。アルテイシアは黙って彼女の目を見返した。
「彼女はアリ。今日からこの屋敷に住む。いろいろ準備があるからお前はもう帰れ」
ぐい、と腕を引き寄せられ、アルテイシアはたたらを踏んでレオハルトの胸に顔をぶつけた。
さっきのラミアのように抱き着けばよかっただろうかと思うものの、なんだかそれも照れ臭い。どうしたものかと思っていたら、華やかな笑い声が聞こえてきた。
「娼婦ってきいたから、どんな女が来るのかと思った」
「ラミア」
レオハルトが怒りをにじませた声を発する。だがラミアは黙らない。腕を組み、アルテイシアに鼻を鳴らして見せた。
「着ているものだけ上等でも仕方ないのよ? 中身が伴わないと」
レオハルトが舌打ちしてアルテイシアの前に立ちふさがろうとしたが、それより早く、アルテイシアは一歩前に出て、ラミアに向かい合って立った。
少しだけぎょっとしたように背を逸らされたが。
アルテイシアは構わず、左手でスカート部分を少しつまみ、片足を引いて膝をわずかに曲げて見せる。
「アリと申します。どうぞお見知りおきを、伯爵令嬢」
背筋を伸ばしたまま目だけ伏せる。
そのまま返事を待ったが。
(……ん?)
なにもない。
そっと視線を上げると。
ラミアどころかレオハルトもナタリーメイド長も驚いたようにアルテイシアを見ていた。
(……聖モンテーニュ侯国ではこのような礼をしないのかしら)
戸惑っていると、顔に不愉快の色をにじませてラミアがレオハルトの腕を掴んだ。
「どうせ付け焼刃の演技でしょう⁉ 行きましょう、レオ! お茶を用意しているの!」
「ちょ……、おい、ラミア。手を離せっ」
騒ぎながらレオハルトとラミアは屋敷の方に向かい、その後ろをメイド長と執事長がついていく。
ぽつんと残されたアルテイシアに声をかけて、背を押してくれたのは騎士団の騎士たちだ。
「こいつは傑作だ」
みんなゲラゲラ笑っている。
「気にすることはない、お嬢」
「あんたの屈膝礼があまりにも完璧すぎて腹立ててるんだ。自分の方が‶上等〟で‶礼儀正しい〟と思っていたのにな」
「……そう、なのかしら」
小首を傾げながらも、騎士たちに囲まれて屋敷の玄関に向かって進む。
「俺たちみんな、あの伯爵令嬢が苦手でさ」
「小汚いって思ってんだよ、基本的に俺らを」
「団長も嫌っているのに、世の中の男は全員自分を好きだと勘違いしてんだよな」
騎士たちは口々に言う。
それに対して相槌を打ちながらアルテイシアはポーチへ続く階段を上る。
腕を引っ張られるようにしてレオハルトはラミアと共にさっき屋敷の中に入り、続いて執事長、メイド長がホールに姿を消した。
そのあとに続こうとしたアルテイシアの目の前で。
最後尾のメイドが無表情のまま扉を閉めた。
ぱたん、と。
風圧でアルテイシアの前髪がふわりと浮いた。
呆気にとられ、豪奢な木彫りの入った玄関扉を見上げていると、騎士たちが苦々し気にため息をつく。
「お嬢よ」
「はい」
年長の、さっきレオハルトを呼びに走ってくれた騎士が言う。
「これは……相当覚悟した方がいいぞ」
「ですねー……」
はは、と乾いた笑い声を立てたと同時に、いきなり扉が内側から開き、驚いて飛びのいたアルテイシアの手を、レオハルトががっしりと掴んだ。
「しっかりついて来んか!」
牙を剥いて言われ、アルテイシアはがくがくと首を縦に振った。
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