第17話 悪意
◇◇◇◇
アルテイシアとレオハルトの交渉がまとまってから三日後。
討伐期間が終了したその日には宿舎を発ち、五日かけて一団は侯都に到着した。
「あの……。このお召し物の代金ですけど、分割で……」
「しつこい。それぐらいかまわん」
馬車の中で、アルテイシアは六度目になる提案をあっさりと断られていたところだった。
ごとごとと揺れる馬車の向いには、レオハルトが座っている。
魔境近くの宿舎を出たときは騎馬で並走していたのだが、さっき侯都の衣装店を出てからは馬車に乗り込んできた。このまま彼の屋敷まで馬車で移動するらしい。レオハルトの愛馬は騎士が手綱を握って走らせているようだ。
(だけどなぁ……)
アルテイシアは眉を下げたままレオハルトを見る。
彼は馬車の窓枠に頬杖をつき、長い脚を組んで外を眺めていた。
今日はいつもの軍服姿じゃない。丈の短い上着に、上等のスラックス。乗馬靴こそはいているが、ぺリースマントを着用した姿は、立派な貴族の青年だ。マントの留め金は稀にみるほど透明度の高い魔石だし、腰に着用している剣の柄にも魔石を配した装飾がなされている。
なにもそれは彼だけではなかった。
侯都に近い宿泊所で騎士団は一斉に着替えた。それまで着用していた黒の軍服から、真っ白で銀糸の飾緒をつけた礼装用の軍服になったのだ。それにあわせて馬の装具も代えると、魔境で屈託なく飲んで騒ぎ、アルテイシアに軽口をたたく青年たちではなかった。
騎士団の全員が実は由緒のある青年たちであることが知れた。
侯都の大きな門をくぐるとき、レオハルトに率いられた白銀の騎士団は衛兵たちに一斉に敬礼をされ、都民たちは威風堂々たるその行軍に見惚れた。
男爵レベルの資産ではないとアルテイシアは内心驚く。
少なくともアルテイシアがいたミリオシア王国では違う。この装備や人気は伯爵位以上だ。
だが、ここで問題が生じた。
レオハルトだけでなく、騎士や馬さえも一級の装備品を着用しているというのに、馬車の中にいるアルテイシアの服装が庶民以下だった。
農道を走るのならともかく、人の多い侯都の街道には屋台が並び、場所によっては都民や騎士たちがひしめきあっている。誰かにのぞかれたらなんて思われるだろうと、アルテイシアが身を小さくして隠れていたら、馬車は侯都の中央にある一軒の衣装店で止まった。
なんだろうときょとんとしていたアルテイシアだったが、騎士が壁を作り、レオハルトがマントで隠すようにしてアルテイシアは馬車から連れ出され、店の中に入れられる。
そこで待っていたのは、店主のマーリンだ。
一瞬アルテイシアは女性かと思ったが、声を聞く限りでは男性らしい。
首からメジャーをかけ、男物のジャケットとドレスをあわせたその人物は、レオハルトとは懇意らしい。
『まったく、あなたはいつもせっかちね』
腕を組んでつんと横を向いたものの、レオハルトが『お前しか頼れん』と言えば、満面の笑みを浮かべた。
そこからはあれよあれよという間に既製品とはいえ新品の衣類に着せ替えられ、『ほかにもいろいろ頼む』とざっくりしたレオハルトの注文により、トランクがいくつも埋まるほどの衣装を購入することになった。
『あの男、気が利かないからあれだけど。下着も入れておくわね』
こっそりとマーリンに囁かれ、アルテイシアは真っ赤になって頷くが。
すぐに真っ青になる。
支払いだ。
『あ……あ、ああああああ、あの。お代はいったいいかほどに……』
震えるアルテイシアに、マーリンはしばらく凝視したあと、噴き出した。
『やだ、そんなのあの男からぶんどるに決まっているじゃない。あなたはわたくしにとっていいカモなんだから、そんな顔しないの。どーんと構えておきなさい』
そうして宝飾品まで身にまとわされ、可愛らしいハイヒールをはかされて店を出た。
外で待っていた騎士たちはアルテイシアを一目見るなり言葉を失い、そのあと一斉に誉めそやし始めるからここでもやはり真っ赤になって顔を伏せたまま逃げるように馬車に乗り込む。
そして。
向かいの席に座るレオハルトに言ったのだ。まず第一回目の『支払いは分割で良いですか』を。
「おれの事情で、お前のことを『おれの女だ』とみんなに紹介するんだ。それにはそれなりの服装が必要で、それはおれが勝手に必要だと思ったことだ。お前が服やアクセサリーを買い取る必要はない」
窓の外を眺めたまま、やっぱりまた断られる。
馬車は店を出てから一路、侯都の北に向かっていた。
「……じゃあ、できるだけ汚さないようにします。私が用済みになったときに返却しますから」
これ以上のやりとりは不毛だし、発展性もない。
アルテイシアはため息交じりにそう言って、とりあえずしわにならないように座り直した。自分が彼の元を去り、侯都で新しい仕事をみつけたときにすべて返せばいい。レンタル。これはレンタルなんだと自分に言い聞かせた。
そのとき視線を感じる。顔を向けるとレオハルトだ。
じっと自分を見つめているから無言で首を傾げて促すと、つまらなそうに鼻を鳴らした。
「返却不要だ。というか、そんなにあっさりおれと別れられると思うなよ」
「……怖……っ」
アルテイシアは呟き、顔をそむけるようにして窓を見る。
がつり、と。
車輪の音が変わった。
馬車の前後を囲むようにして走っている騎士の馬が鳴らす蹄鉄の音も変化する。
「わ……。これ……男爵の邸宅?」
窓に手をついて外を見る。
石畳で舗装された道の両脇には、自然物に見えて実は人工的に手が入れられている庭園が広がっていた。
剪定された庭木。よく手入れされている芝生に、最小限に配置された岩や低木。季節ごとに咲く計算された植栽。
それらはきっと塀で囲われているのだろうけど、その囲いがみえないほど広大だ。
「スロイレン家は男爵に落とされたが、邸宅はそのまま使用することが認められた」
ぼそりとレオハルトが言う。
(そういえば元は辺境伯だったものね。なるほど)
流れ行く庭園をみていたら、二階建ての横長になった建物が見えてきた。
「あれは団員たちの宿舎だ。独身の騎士が使用する」
「へぇ……」
神官の寄宿舎みたいなものだろうか、とアルテイシアは理解した。
ふと甘い香りが鼻先をくすぐる。
ん、と瞳を移動させると、窓に張り付くようにして見ていたアルテイシアにレオハルトが顔を寄せてくる。
「ちょ……」
「あれが本館だ」
戸惑うアルテイシアをよそに、レオハルトが馬車の向かう先を指差した。
さっきの騎士団宿舎とは比べ物にならないほど豪奢な三階建ての建物がそこにはある。
長大な屋敷をふたつ、つなげたような構造だ。
その‶つなぎ〟部分にも見える部分はホールになっているのだろう。
その前が馬車廻しになっていて、窓に頬をくっつけるようにすると、噴水も見える。
「西館が当主の居館。東館が女主人の居館になっている。お前を連れて戻ることはすでに手紙で伝えているから、東館の女主人の間も使えるはずだ。メイド長のナタリーにお前の世話を頼もうと思っているが、のちのちは侍女をつける」
おずおずとアルテイシアは頷く。
神殿にいるころはマーガレットや女神官たちに囲まれて暮らしていた。あんな感じだろうと想像する。
「おれのことはレオハルトと呼べ。おれもお前のことをアリと呼ぶ」
「……確かに。私、男爵の」
「レオハルト」
「……レオハルトの公認恋人ですからね」
窓から身を離し、馬車の座面に座り直す。
レオハルト、レオハルトと何回か練習のために繰り返していると、くつくつと笑い声が聞こえてきた。なんだ、と目をまたたかせると、レオハルトがゆるく握った拳で口元を隠して笑っている。
「何をやっているのかと思えば」
「なにごとも練習がものを言うんですよ」
じろりと睨みつけると、馬車がゆっくりと速度を落としていった。
屋敷の前まで到着したらしい。
噴水を横切り、屋敷の正面玄関前で馬車はぴたりと停止する。
同時に、がちりと硬質な音がして馬車の扉が外から開かれた。
途端に吹き込む寒風に身体が強張った。マーリンがアルテイシアに着せてくれたこのワンピースは襟ぐりが大きくとられていた。
『あなた華奢だから。こういうデザインのものってはかないかんじがしてよく似合うのよね』
そうは言うが、この時期には寒い。
アルテイシアは座面に載せていたストールに手を伸ばし、手早く肩に羽織った。
「おかえりなさいませ、旦那様」
そこにいたのは、黒を基調とした制服を着た初老の男性だ。その半歩後ろには、同じく黒い制服を着た中年の女性が頭を下げて控えている。
「出迎えご苦労。ヨルマン執事長、ナタリーメイド長」
レオハルトが立ち上がり、馬車から出て行く。
馬車の外に用意されていた三段の踏み台を降りると、まるでそれが合図のように執事長とメイド長が顔を上げる。
レオハルトはふたりを従え、屋敷の正面玄関へと歩いていく。
そこには幾人もの同じ制服を着た使用人たちがきっちりと頭を下げて主人を待っていた。
(私も……降りた方がいいのよね?)
アルテイシアはおずおずと馬車の扉に近づき。
そして戸惑う。
踏み台がないのだ。
馬車から地面までは少し距離がある。
普通はさっきレオハルトが使ったような踏み台を使用して降りる。
(え……っと。これは。馬車に待機ってこと? それとも飛び降りる方がいいのかしら)
もちろん地面まではそんなに距離があるわけではない。ぴょんと降りることも可能だ。
だがそれが淑女らしい振るまいかといわれたらそうではない。マーガレットが見たらきっと激怒するだろう。
ということは、レオハルトはここで下車するが、アルテイシアは馬車に待機し、別の場所へと移動する可能性もある。
扉口の手すりを持ってどうしたものか、ときょろきょろ見回していると、馬車廻しで待機していた騎士たちがこちらを見た。
数人が小声でなにか話し合い、それからすぐに一番年長と思しきひとりの騎士がポーチを抜けて玄関ホールに入ろうとするレオハルトに追いつく。
騎士の声掛けに、レオハルトが驚いたようにこちらを向いた。
距離はあったが確実に彼と目があった気がした。
おまけに、彼の眼にしょぼくれた自分の姿が映っているのも見えた気がする。
レオハルトは一瞬驚いたような顔をしたあと、かなりの距離を走って戻って来るからアルテイシアは恐縮した。
「ご……ごめんなさい。どうしたらいいのかと思って。あの、私は別の場所に移動するのかしら」
馬車まで戻ってきたレオハルトに早口で尋ねる。
「そんなわけあるかっ! おい、踏み台はっ」
「たぶん、片付けられました」
怒鳴りつけられて身を小さくしたアルテイシアの代わりに騎士が答える。
「は?」
レオハルトが訝し気に騎士に尋ねる。騎士は眉根を寄せ、肩を竦めた。
「これが悪意でなければいいのですが」
そう言ったあと、他の騎士に向かって「誰か踏み台に代わるものを」と声掛けをする。
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