第14話 人生やり直し2度目のウルバス
◇◇◇◇
その日の晩。
自室で報告書にペンを走らせていたレオハルトは、ふとその奇妙さに気が付いて手を止めた。
今回の派遣で倒した魔獣は11頭。
少ない時は一桁もありうるし、魔獣はこのところ数を減らしつつあるから遭遇率も低い。ほかの騎士団などは「これでは採算があわない」と愚痴を言っていると聞く。
だが今回、レオハルトの騎士団はかなりの魔獣を倒し、魔石を獲得した。その中には貴石も含まれている。
(それよりもっと不思議なのは……)
ペンを揺すりながら、作成中の報告書に視線を落とす。
負傷者が少ないのだ。
これだけの魔獣を退治すれば、おのずと負傷する団員が出てくる。
現に、10日ほど前に街に降り、娼館や飲食店で団員たちを遊ばせたのは、レオハルトを含めて数人の負傷者が出たからだ。
士気の低下はそのまま事故につながる。
ここで悪い流れを一旦切るべきだ、と考えた。
その後、再度魔境に戻り、討伐を続けたのだが。
(けが人が一切出ていない)
かなりの数を退治したのに、だ。
その上、団員たちの意欲は高く、健康状態もいい。
(食事のせいか? 確かに調理員は変更したしな……)
アリだ。
団員たちも口々に「いいひとを調理員にしてくれた」とレオハルトに礼を言うほど好評だ。
(だが……そんなことだけで……?)
じっと報告書を見つめていたレオハルトの耳に、ドアノックの音が届いた。ウルバスが来たらしい。
「入れ」
短くそう言うと、案の定、入室してきたのは信頼する右腕のウルバスだ。
「……団長の女はおられない?」
ウルバスはまるで害虫でも探す目つきで部屋を見回している。
「アリならまだ厨房で片づけをしている。しばらくは帰らない」
「さようで」
後ろ手に素早くドアを閉め、ずかずかとウルバスは机に近づいて来た。
「報告が二つあります」
「なんだ」
「ひとつは、厨房手伝いのエニスが期間途中ですがやめたい、と」
「なにか不満が? それとも傭兵どもがまたちょっかいを出したか」
視線は書類に向けたまま淡々と尋ねる。
「いえ。どうやら子ができたかもしれない、と」
「なら受理しろ。ポーターが夫だったな。なにか祝いの品を贈るように」
「わかりました。続いての報告です」
咳ばらいをし、ウルバスは続ける。
「団員を娼館にやり、娼館主と話しをまとめてきました。おめでとう、男爵。あの女は晴れて団長の女になりましたよ」
「そうか」
レオハルトは続きの文書を作成しようと思ったのに、がん、と机の表面を叩かれて再び顔を上げる。
「どうするんですか、あんな得体のしれない女を引き込んで。何度も言っていますよね? なにかあってからでは遅いんです。事実ぼくは一度死んだんですからね」
片眼鏡越しに睨まれる。
一度死んだ。
その言葉にレオハルトは苦笑いを浮かべる。
いまから六年前。ウルバスは魔獣退治にしくじり、右目に大けがを負う。
意識喪失のまま三日間昏睡したあと、目覚めたらしい。
その後レオハルトのところに団員が『ウルバス殿の様子がおかしい』と報告に来た。
なんでも、開口一番ぽかんと周囲を見回し、『辺境伯はどこにおられる』と言ったのだそうだ。
辺境伯とは誰のことかと尋ねると。
レオハルトのことだという。
団員が『スロイレン男爵、だろう?』と問い直すと、『いまは何年の何月だ』と焦りはじめ、うろたえながらも答えると、『男爵を呼んでくれ!』と騒ぎ始めたそうだ。
後遺症のなにかだろうかとレオハルトは病室に駆け付け、人払いをした。
『どうした、大丈夫か』
『……男爵……。ぼくは一度死んでもう一度やり直しの人生をしているみたいです……』
真っ青な顔でレオハルトにそんなことを告げたのだ。
『このままじゃ男爵もぼくも死んでしまう。防がなくっちゃ』
当然、怪我の具合がわるいのだとレオハルトは考え、医師を呼ぼうとしたのだがウルバスは頑として断り、必死の形相でつづけた。
『全部は思い出せません。ですが、女が……。女のせいでぼくも男爵も命を落とすんです』
ウルバスが言うには、レオハルトと彼が死ぬのはいまから六年後になるらしい。
魔獣退治を続けながら、着実に侯爵の信頼を得、ようやく魔境の一部を領地として返上されるところで。
侯爵に逆らい、女を引き渡すことを拒否するのだそうだ。
『女を引き渡すことを拒否? なんだそれは。どんな女なんだ?』
レオハルトがいぶかしむと、ウルバスは苦しそうに頭を抱えてうめいた。
『わかりません……。その女の容姿も思い出せない……。なんか……でも、その女を侯爵が探しておられて……。男爵がみつけるんです。で、引き渡しを拒否したら……』
次の記憶は、燃えさかる建物の中をウルバスはレオハルトの肩を担いで逃げているのだそうだ。
だが、大きな梁が落ちてきてふたりは焼け死ぬらしい。
『これがその証拠です! 燃え落ちてきた梁をこう……手で防いだからほらっ』
そういって掌を開いてレオハルトに見せる。
不思議なことに魔獣にやられたのは右目だというのに。
ウルバスの掌には大きな火傷の痕があった。
『侯爵が探しておられるということは敵対関係にある女でしょうか……。その報復でぼくと男爵は……』
『ただの悪い夢だ。だいたいお前と死ぬのはいやだ』
レオハルトは笑っていなしたのだが。
ウルバスは以降、レオハルトの周囲をやけに警戒している。
特に女が近づくのを、だ。
娼婦のように一夜限りの相手なら問題ないようだが、伴侶となるような女となると目の色を変えて素性や素行、侯爵との関係性を調べ上げる。
「得体のしれない女……なぁ」
レオハルトは呟き、文書作成をあきらめてペンを机に放り投げた。
どうやらまたウルバスの悪い癖が出たのだろう。
自分たちの命を危うくする存在の女。
アリのことをそう考えているのだ。
腕を組み、椅子の背もたれに上半身を預けてウルバスを見上げる。ぎしりと鳴る椅子の軋み音を聞きながら、レオハルトはアリのことを思い返していた。
最初のひっかかりは、よどみのない聖モンテーニュ侯国共通語だった。
アリの外見は、どこからどうみてもミリオシア王国人のそれだ。
しかも処女で娼婦として出されている。
ということはここ最近、なんらかの理由により聖モンテーニュ侯国に来たが、職にあぶれて、あるいは職に就けないような状態であることが想像できた。
ふるまいも言葉も下賤な身だとは思えない。
それを裏付けるように、死の床にいるメグという女は、アリを「お嬢様」と呼んだ。
アリはミリオシア王国でそれなりの身分を持つ女性だったのだろう。
当初、レオハルトはアリを一晩買った代償として、ミリオシア王国へ戻れるように手配してやろうと考えていた。そのための金額を彼女に手渡してやろうと思ったのだが。
彼女は「魔境に連れて行ってほしい」と言いだした。
これが決定的となる。
彼女はミリオシア王国からこの聖モンテーニュ侯国の状況を調査しに来た潜入者ではないのか、とレオハルトは考えた。
魔境は両国の間にまたがって存在している。こちらの異変にあちらが気づいていないわけがない。
侯都のやつらは信じていないが、魔境はここ数年で変わりつつある。
魔獣が減り、水脈が復活しつつあるのだ。
魔境の大半は、もとはスロイレン辺境伯領だった。
レオハルトの先祖が守護し、育ててきた地だったのだが、魔獣の影響を受け、土地や水脈汚染が進み、仕方なく侯爵直轄領として召し上げられ、代わりに「土地を守れなかった」ということでスロイレン家は爵位をはく奪。男爵まで落とされ、土地を没収された。
そのため、スロイレン家は騎士団を結成し、魔獣退治に参加。
定期的に魔獣を退治して魔石を獲得することで家格に見合う収益を手にしたり、生まれた女子を有力貴族に嫁がせることを繰り返して宮中での地盤安定化を図った。
辺境伯位をはく奪されて以来、スロイレン家の長年の夢は領土を取り返し、領民を取り戻し、もう一度辺境伯位を賜ることだ。
その夢がいま、叶えられようとしているのに。
『領地が欲しいがために嘘を言っている』
侯都のやつらはレオハルトたちをあざ笑うばかりで信じようとしない。
一方、ミリオシア王国のやつらはこの状況を知っているのではないか。
その調査に来た人物がアリという娘ではないのか。
『だとすると、この女こそが侯爵が欲しがる女では? いますぐ男爵から遠ざけねばっ』
ウルバスは息まいて主張したのだが。
宿泊所に連れてきてみれば、非常にまじめにアリは働いた。
厨房で次々と料理を作り、同僚の村娘ともうまくやっている。
食事の評判はよく、団員たちからは「男爵はいいひとをみつけてくれた」と感謝されるほどだ。
魔境は気になるが、仕事優先。
そんなアリの態度はレオハルトやウルバスを困惑させた。
ひょっとして、自分たちは勘違いをしているのではないか、と。
ならばどうして。
この娘は魔境に興味があるのか、と。
「アリがどうして魔境に対して造詣が深いのかはわからんが……。モンテーニュ侯爵の前で説明させれば我々の有利になるだろう」
魔境が変わりつつある。
そのことを理解するのではないか、納得してくれるのではないか。
あの地が最早、魔境ではないことを。
そしてスロイレン家に領地を返してくれるのではないか。
レオハルトはそう期待していた。
「あの女が敵だったらどうするのです。これが隣国のなんらかの陰謀であったとしたら? そして侯爵が探しておられる女だったら? ぼくも男爵も死にますよ」
ウルバスが鋭く切り返す。
「即刻縁を断つべきです」
レオハルトは小さく息を吐いた。
結局、アリが何者なのかはまだ確証を得ていない。
レオハルトとウルバスは話し合い、彼女に母国の新聞を見せて反応を見ることにした。
宿舎に到着したその日の夜。
彼女に新聞を見せ、レオハルトは予想以上の反応に驚いた。
なにより「新聞を読ませてほしい」と堂々とレオハルトに告げたことに、だ。
ウルバスもレオハルトも、「こっそり読むに違いない」と想像していたのだが、アリはなんのてらいもなく、レオハルトに「読みたい」と訴えた。
許可すると目の前で新聞を広げ、黙々と読み始める。
なんなら、その内容に衝撃を受ける様子を隠さなかった。
(あの娘は間諜の類ではない)
レオハルトはそう確信したが、ウルバスは信じていない。それも含めて自分たちを欺こうとする演技だと譲らない。
「陰謀としつこくお前は言うが……。具体的にどういう内容のものだ」
「ぼくだってあの魔境の地が入植可能になるのであればそりゃあうれしいですよ? だけどここは慎重にならねば。あの女の口車に乗って、もし間違いだったらどうするんです。男爵には最悪な結末しか待っていない」
固い声で主張するウルバスの声を、レオハルトは少々の落胆をもって聞いた。
結局は。
ウルバスも魔境が変わりつつあることを信じてはいないのだろう。
「はたまた男爵を宮中から追い落とそうとする一派の手先かも」
ウルバスは譲らない。
「ここは手堅くラミア様と婚姻なさって伯爵位をまずは獲得してはどうですか。ぼくが知る未来では、男爵は辺境伯だった。ならば魔境を賜って辺境伯に返り咲くのは危険です。ラミア様と結婚なされば伯爵になれます。そしたら未来は変わる。そのためには、あの女は邪魔なんです」
「しつこいな。ラミアについては考慮の余地もない」
つい声がとがる。ウルバスもそれに気づいたのか、それ以上のことは言わなかった。
ラミア・セッテリーノ。
セッテリーノ伯爵家の長女だ。
二年前にセッテリーノ伯爵家の方から、父であり、現在は隠居生活をしている前スロイレン男爵のもとに、ラミアをレオハルトと結婚させないか、との申し出があった。
父やウルバス、家臣たちは大喜びだ。
というのも、セッテリーノ伯爵家にはラミアしか子がいない。
もしラミアを妻にしてくれるのであれば、いずれ伯爵位を譲ってもいいとセッテリーノ伯爵が言っているからだ。
だが、レオハルトはうんざりしていた。
自分の姉や妹たちはさんざん、その爵位獲りや宮中での権力争いのために振り回されてきた。
姉はまだ二十歳になるかならないかの若さで、50の男のところへ嫁がされた。この男は若いうちに放蕩の限りを尽くし、50になってようやく結婚相手を探していたのだが、「女は若くて処女に限る」と人目もはばからずに言っていたという。
そんな男が妻を大事にするとは思えない。姉は嫁いだその日から笑顔をみせなくなり、宮廷で出会ってもまるで人形のようだ。
妹は有利な嫁ぎ先を父がさんざん探したために、婚約者が5回も変わり、そのたびに男たちに品定めをされた。
結局6回目の婚約者のところに嫁いだが、「本当に処女だったのか」と初夜のシーツを姑が確認しにきたり、その後も「男に色目をつかう」と嫁ぎ先はさんざん妹をいじめていると聞く。
姉や妹の境遇を聞くたび、無力な己が情けなかった。
父に歯向かっても、ことごとく跳ね返される非力な自分が情けなかった。
だが。
すべては父が、「自分以外の力」でスロイレン家を再興させようとしたからではないのか。
その憤りは消えることがない。
レオハルトは自身が爵位を継ぎ、スロイレン家の長年の夢をかなえようとしたとき、誓ったことがある。
それは「自分自身の手」でスロイレン家を再興させる、ということだ。
婚姻に頼らず、武勲のみでのし上がる。
泣く女をみるのも、処女に価値を見出す男たちにもうんざりしていた。もちろん自分を値踏みする貴族の女たちにも。
だからレオハルトはできるだけ婚姻とは遠いところに身をおいたつもりだったのだが。
自分の容姿というのは女性を惹きつけるらしい。
二十歳を過ぎると縁談は山のように持ち込まれた。すべて断っていたのだが、父は着々と「レオハルトにふさわしい女」を探していたようだ。
それが、ラミアらしい。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます