第12話 魔境の変化

 ◇◇◇◇


 アルテイシアが魔境に来てから七日が過ぎた。

 今日は騎士たちも休暇日ということで、レオハルトとウルバスに許可を得て、魔境まで来ていた。


 もちろん、水脈の状態を確認するためだ。


 レオハルト、ウルバスのふたりと共に来る予定だったが、宿泊所を出る前にトラブルが発生したのだ。


 まだ日が高いというのに酒を飲んでけんかになっている一団があるという。


 いったいどこのどいつだ、とレオハルトが牙を剥き、ウルバスが「例の」と口にすると盛大に顔をしかめた。ということは、当初から問題視されている傭兵たちなのだろう。


『あとで追う。くれぐれも魔境の奥に入るな。今日見るのは、宿泊所で使用している湧水だけだぞ』


 レオハルトに念を押されなくとも、さすがにアルテイシアでもたったひとりで魔境の奥に入るのは怖い。


 聖女であった頃、魔境に何度も水脈の確認に来たが、そのときは聖騎士を数十人引き連れ、神殿の武官に囲まれての調査だった。


(動き回りやすいようにこの格好で来てよかった)


 ブラウスにスカート。その下には膝丈のズボンを着用し、編み上げ靴を履いている。


 ズボンも編み上げ靴も宿泊所に捨てられていたもので、この日のために破れをつくろい、底が外れた靴は革紐を巻いて補強した。寒さ対策のために、これも補修不能とばかりに打ち捨てられた毛布を短く切って端を縫い、ショールがわりに肩に巻き付ける。


「うううう。寒い……っ」


 アルテイシアは小走りに魔境に向かった。かじかむ指に息を吐きかけると、真っ白になる。


 復活した水脈というのは、ポーターのロイからもある程度場所を聞いていたので、そんなに迷わずに到着することができた。


 宿泊所から北に歩いて5分。そこには「立ち入り禁止」の防護柵が張ってある。


 ここからが魔境だ。


 その「立ち入り禁止」の看板のそばの柵をくぐり、さらに歩くこと5分。だいぶん、身体があったまってきた。


 下草ばかりだったのに、徐々に低木が増え始める。

 だが迷うことはない。


 毎日ロイが水を汲んでいるからだろう。甕を乗せた荷車がわだちを作り、アルテイシアを導く。


 そして。

 大きな樫の木の下に、その湧水はあった。


 近づくにつれて、こぽこぽと愛らしい音がしてくる。

 水が湧いているのだ。


「これね……」

 アルテイシアは足を止め、しげしげと見つめた。


 水が動いているからだろう。魔境の外とは段違いに寒い。


 樫の木の根元。

 大きく隆起した根が楕円形となり、その中に水が溜まっている。

 溢れた先は北に、つまり魔境の奥に流れ出し、小川の様相を呈していた。


(透明度が高い)


 覗き込むと、自分の姿が鏡のように映った。

 楕円形のそれは、すり鉢状になっている。

 最奥では砂が絶えず吹き上がっていた。

 地下水が湧いているのだ。


(……だけど、毒性はない)


 あまりにもきれいすぎる水には鉱毒が混じっている場合がある。あるいは、魔境のような場所では魔獣の排泄物で汚染されている可能性が高い。生物が住まないから汚れないのだ。


(毎日、わたしたちが飲食に使っていても健康被害は出てない。鉱毒はない)


 アルテイシアは湧水の脇にしゃがみこむ。


 地面はぬかるんでいた。毎日ロイが水をくみ上げる場所は決まっているらしく、彼の足跡らしきものが隣に見える。


 樫の根には苔が生い茂り、ふかふかしたその小さな森のようなものは連なって山脈のようになっている。


(植物は育っている)


 いや。

 よく見るとレイブンと呼ばれる、清水の側にしか生えない草の根元には、枯れた植物の跡が見える。


 指で掘り返すと、レイブンの根だ。たぶん、もっと本来は広域に生えていたのだろう。それが一度枯れ、そして。


 再生している。


 立ち上がり、湧水が流れる先をゆっくりとたどる。

 じゅくじゅくとぬかるんだ地面は音を立てたが、編み上げ靴の中にまでは入ってこない。


 真っ白な息をいくつも吐き出しながら、慎重に小川に沿って歩くと。


(あった……)


 小川の側。

 白ちゃけた丈の長い植物が群生して枯れている。


「ガーダマ……」

 呟くと呼気がまた雪のように白くなる。


 だが、寒さは感じない。

 奇妙な熱を自分の中に覚えた。


 ぐず、と洟をすすって名ばかりのショールをかき抱いて小走りに近づく。


 枯れたガーダマはアルテイシアと同じぐらいの背丈がある。


 ボロボロに朽ちかけている茎に触れる。もろく崩れたそれは中が空洞になっており、確かにこれがガーダマであることがわかった。念のために腰をかがめて根を見る。


 さらさらと水の流れる音を側で聞きながら、目を凝らす。


 確かにガーダマだ。間違いない。


 ミリオシア王国でも水質悪化の目安とされる植物だ。魔境に赴いたとき、水脈にこれが生えていないか、よく観察したものだ。


 根は完全に枯れて土から浮き上がり、その代わり青々とした下草が大地を割って顔をのぞかせていた。


「ガーダマが生えて、枯れた」


 自分に言い聞かせるようにアルテイシアは呟いた。


 ガーダマは地下水や流水のある場所には生えない。

 この植物が自生するのは、沼などのある程度水が滞り、溜まるところだ。


 つまりこの場所は以前、水が滞留していた。

 水が枯渇したか、魔獣による水脈汚染のために非常に水質が悪い状態にあった。


 だが。

 なんらかの、例えば魔獣の減少により、水脈が汚染されずに復活した。


 そのため、ガーダマが枯れた。


(どうして魔獣が減るの……?)


 緩く握った拳を唇に当てる。それだけでかじかんだ指がほぐれるようだ。


 もちろん、聖モンテーニュ侯国でも魔獣の討伐に取り組んでいる。

 その成果だと言われればそうだが、普通は「数を一定にする」のでも大変なのだ。


「なにが変わったのかしら」


 小川に目を向けると、ちらりと何かが光る。

 凝視すると川エビだと知れた。小さな小さな透明にも見える生き物だ。これがいるということは、これを捕食するための魚がいる。


 そして、魚がいるといずれ鳥が来る。


(……土地が、復活しつつある)


 レオハルトが言う通り、この地は姿を変えようとしているのかもしれない。


 それに気づいて鳥肌が立つ。

 喜びに。


 アルテイシアはもっとなんらかの変化を見つけられないかとその場にしゃがみこみ、小川沿いの小石を持ち上げてみたりして生物を探す。


 そのアルテイシアの耳に、聞きなれない男の声が聞こえて来た。


「おお、こんなところでなにしてんの」


 振り返り、立ち上がる。

 小川に気を取られていたが、すぐ側には瓶を片手に男が三人近寄っていた。


「あんたのことを探してたんだ」

「まさかこんなところにいるとはね。なになにー。こんな寒いのに川遊び?」


 男たちはゲラゲラと笑い、瓶に口をつけて呷る。

 風向きで知れたがワインだ。


 アルテイシアは無言で彼らの肩口を見る。

 この宿泊所で知ったのだが、軍に所属している人たちというのは肩に部隊章というものをつけているのだそうだ。


 レオハルトの騎士団は牙を剥く狼の横顔。

 男たちの肩には全員青いリボンが縫い付けられているだけ。


(……けんかしていたとかいう傭兵……?)


 レオハルトから逃れてここまで来たのだろうか。


「なあ、あんたいくらだ?」


 男のひとりがアルテイシアに言葉をぶつけた。別の男が吹き出し、ワインを呷る。


「マジか。お前、こんな鶏ガラみたいな女をカネ払って買うのか」

「お前の趣味もたいがいだなぁ。ここの団長もだが」


 三人は下卑た笑い声を立てた。

 そのあと、飲み干したのかワイン瓶を放り出すから、アルテイシアは怒鳴る。


「ちょっと! ちゃんと持ち帰って!」

「なんだよ。こんな魔獣しかいねぇところ。どうだっていいだろうよ」


 舌打ちをし、アルテイシアを睨みつける。


「それよりカネ払うから相手しろよ」

「いやよ。わたしの客は団長だけよ」


 きっぱりと言い放ちつつ、距離に気を配る。

 そんなに近いとは言えないのにかなり酒の匂いが濃い。飲みすぎだ。


「拾って、それ!」


 空き瓶を指差すと、すい、とふたりの男の視線がアルテイシアの動きにつられた。


 いまのうちに、と駆けだそうとしたが。

 ぐい、と三人目の男に腕を掴まれた。


「離して!」


 叫び、両足で踏ん張るが地面のぬかるみが災いした。

 ずるりと簡単に引きずられる。


「カネ払うほどでもねぇだろうよ、この女」


 近づいた顔から発酵したような臭いがして顔を背ける。


 なんとか逃れ出なければともがき続けていると、他のふたりも近づいてきて冷や汗が出る。


 別の男がアルテイシアのショールを剥ぐ。


「やめて! 離して!」

 精一杯低い声で怒鳴りつけるが、それは嘲笑に消えた。


「顔はいいが、身体がなぁ」

「まだ子どもみてぇじゃねぇか」

「胸なんてほれ」


 言うなり乱雑にブラウスの上から鷲掴みにされて恐怖に足がすくむ。


「尻はどうなんだ」


 スカートが無造作にめくられたが、すぐに舌打ちされた。


「ズボンはいてやがるぜ。おい、脱がせろ、脱がせろ」


 男の手がズボンの裾を強く引っ張るのを感じ、アルテイシアの目から涙があふれる。


 声を上げようと思うのに。

 触るなと怒ろうと思うのに。

 喉がしめられたように声が出ない。


「……ひ……っ」


 嗚咽のような悲鳴のような声を必死で漏らす。

 誰か助けて、と。


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