第10話 ミリオシア王国 サイレウス2
「はい」
「ご準備ができました。どうぞこちらへ」
返事をすると、扉が開かれて侍従らしき男ふたりが頭を下げる。
サイレウスは椅子から立ち上がり、上着のボタンを留めて扉に近づいた。
「申し訳ありませんが、剣はこちらでお預かりします」
控室を出ると、侍従のひとりが頭を上げずに両手だけ差し出してきた。
サイレウスは戸惑いながらも、革ベルトから鞘ごと外して侍従に差し出した。いまから会うのは王太子ユーウッドだ。確かに武器等の携帯は不敬かもしれない。
頭ではわかるが。
不穏さに肩や背が緊張で強張るのを感じる。
王が公の場で「マーガレット、忠義なり」と明言してくれたおかげで、タートル子爵家はいままで「偽聖女逃亡ほう助」の罪を問われはしなかった。
だが、神殿と王太子は違う。
新聖女マリア・リアを推してきた彼らは、マーガレットを敵視しており、執拗にその所在を探している。それを息子であるサイレウスにも隠そうとはしない。
(たぶん、此度も母のことであろうな)
こうやって呼び出されたのも一度や二度ではない。
尋問ともとれるようなことを一日中受けたこともある。
「王太子殿下は……」
侍従に先導されて王城の廊下を歩きながらサイレウスはその背に声をかけたが、しりすぼみに口を閉じる。
「なにか?」
先導の侍従が足を止め、背後からサイレウスの剣を携えてついて来る侍従が訝し気に尋ねる。
「いや。お健やかであられるか?」
自分の呼び出された理由を侍従に問うたところで仕方ない。
サイレウスは誤魔化しながらまた歩き始める。
「ええ。やはりサクラメント領のコテージで聖女様とお過ごしになったのが
侍従が慎まし気に応える。
サイレウスは表情に出さないように重々しく頷いて見せたが、内心驚いた。
あの王太子が気鬱。
サイレウスの記憶にある王太子というのは、いつも自信に満ちており、どちらかというと傲岸不遜なところがあった。
王太子という立場もあり、誰も表立って反対意見をいうこともないので、その態度は年々高まるばかり。
(その王太子が、気鬱)
改善されたとはいえ、侍従のこの様子ではしばらく食欲もなかった様子だ。
「こちらのお部屋でございます」
侍従がひとつの扉の前で足を止める。
護衛士だろう。槍を構えた騎士がふたり、扉の前にいた。
「わたくしどもはここで控えておりますので」
剣を携えた侍従が背後から声をかける。無言で頷くと、騎士が訪いの声を上げた。
「タートル子爵のご令息サイレウス様がご到着なさいました」
「入れ」
テノールののびやかな声が扉の向こうから聞こえてくる。
騎士が扉を開けてくれるので、サイレウスは軽く頭を下げる侍従たちをおいて入室した。
「王国の宝たる王太子殿下にご挨拶を申し上げます。タートル子爵の息子、サイレウスに御用とのこと。このとおり急ぎ馳せ参じました」
頭を下げている間に背後で扉が閉まる。
重さを感じない革ベルトがやはり不安を増した。
「よい。おもてを上げよ」
この声は確かに機嫌がよさそうだなとサイレウスは胸をなでおろしながら顔を上げる。
謁見室のひとつなのだろう。
部屋の隅にも漆の塗られたこの国のものではない猫足の飾り棚が置かれ、金粉や金箔を多用した衝立が立てられていた。
異国の模様がほどこされた毛足の長い絨毯が敷かれており、三人掛けのソファが向かい合うように設置されている。
そのソファには。
王太子だけでなく、隣に見知らぬ女がいた。
「忙しかったか?」
声の主であり、この国の王太子であるユーウッドはソファの中央に座っていた。
長い脚を組み、背もたれに上半身を預けてサイレウスを見ている。
その瞳は母后ゆずりのサファイア色で、若干巻き毛がちな金の髪は父王譲りだ。端整な顔はこの国の婦女子たちに人気で、彼が顔を出す舞踏会は常に未婚の女子であふれかえるという。
ただ。
男であり、同年代でもあるサイレウスからすれば「実がない」ように見える。
みてくれが良いだけの張りぼて。
質実剛健で思慮深い陛下からどうしてかような王太子ができたのか。
それはサイレウスだけではなく、王宮に勤める男であれば誰もが一度はそう思うことだ。
「いえ」
社交的に返事をしただけなのだが、王太子の隣に座る女がおかしそうに笑った。
「こら、マリア・リア」
王太子はたしなめるが、顔はやはり笑っている。
サイレウスは女を見た。
(……マリア・リアということは。これが新聖女か)
十代後半というところだろうか。
笑顔を作るとあどけないところもあるが、化粧のせいか実年齢より上に見える。
『花のようだ』と評判だったので、もう少し幼いイメージがあったが、花は花でも、野の花ではなくユリや大輪のバラを思わせる容姿を持っている。
「だって。
舌足らずの甘い声音でそんなことを言う。
「まあ……。アルテイシアの一件以来、タートル子爵家には公職を渡さぬようにしておるとわたしも神殿から聞いている。確かにヒマだろう」
決めつけてくるからカチンとする。
もちろん神殿関係からは公職を外されているが、王宮では通常と変わらぬ公務を行っている。神殿に入り浸っている王太子や、そもそも神殿側の聖女にはやはりその辺がわかっていない。
「……王太子殿下。此度はどのようなご用件で……。非力な我が一門に対処できることであるとよろしいのですが」
皮肉を込めて言ってやるが、王太子ユーウッドはにこやかに答えた。
「簡単なことだ。いやなに、少し気になることを聞いてな」
「王太子殿下の御心をお騒がせして申し訳ございません」
少し声がぶっきらぼうになったかなとは言ってから気づいたが、サイレウスは冷えた視線をユーウッドに向ける。
視線の先で、なんとも挑発的にユーウッドは嗤った。
「お前のところに、なんとも怪しげな手紙が届いたそうではないか」
聞いた瞬間、全身の血液が凍ったかとサイレウスは感じたが、表情筋を一切動かさずに少し首を傾げて見せた。
「それは……どのような手紙のことでしょうか。確かに当家は母の一件以来神殿からの公職はすべてはく奪されましたが……。それでも毎日幾十と手紙が届きます。その中の……」
「子爵家にはふさわしくないほどみすぼらしい手紙」
断言され、ぞくりとサイレウスの身体に寒気が走る。
屋敷においていなくてよかった。サイレウスが王城に呼び出され、あんなに長い間騎士待機室で待たされたのは、その間に家探しが行われていた可能性がある。
背筋に汗が垂れるのを感じながらも、サイレウスは「はて」とわずかに唇の両端を下げて見せる。
「さような手紙は、少なくともわたしの手元には届いておりませんが……。下働きの者たちが故郷より届いた手紙をなにか勘違いした者がいたのでしょうか」
「なるほど、あくまでしらばっくれるのならそれでも良い」
ふん、と王太子は鼻を鳴らして長い脚を組み替えた。
「お前の母であるマーガレットはいまどこにいる」
「何度もお答えしております通り、我が家も所在を探しているところでございます。なにか新しいことが分かり次第、必ず陛下と王太子殿下にはお伝え……」
「実はそのマーガレットから手紙が来ておるのではないのか」
語尾を切り落とし、鋭い言葉を向けてくるユーウッドに、サイレウスは確信する。
まだ
手紙の中身まではわかっていないのだ。
不審な手紙がタートル子爵家に届き、それがマーガレットに関係したものであることまでは察しがついたのだろう。
「母からの手紙など受け取っておりません」
サイレウスはきっぱりと断言した。
嘘ではない。
手紙の差し出し主は、「マーガレットの知人」なのだから。
「……なるほど」
その気迫に感じるところがあったのか。ユーウッドはしぶしぶといった風に顔を背けた。その際、隣に座っているマリア・リアと目があったのだろう。ふ、と柔らかく微笑んで彼女の手を握る。
「心配ない。すぐに偽聖女は見つかる」
「はい」
微笑みあうふたりを見、サイレウスは非常にしらけた。
こんなばかげたふたりのために、自分を含めた家門が振り回されているのかと思うとうんざりする。陛下が、重臣が、王太子殿下の教育に躍起になっている気持ちが痛いほどわかった。
「……失礼を承知で申し上げますが。なぜ、そこまで前聖女をお気になさるのですか?」
許しなく喋るなとか、お前になぜ答えねばならぬのか、と怒声を飛ばされればそれを機に退室すればいい、と目算した結果、醒めた声でサイレウスは尋ねる。
「聖女が交代してから2年。新聖女マリア・リアさまは滞りなく職務を遂行されておられるとか。民衆は前聖女のアルテイシアがいまでもレルーン修道院に投獄されたと信じています。このまま放逐でよろしいのではないでしょうか」
ここまで執着する理由は、やはりアルテイシアになんらかの力があることに気づいたからだろうか。母のように。
「サイレウスさまにとって、聖女とはどのようなものでしょうか?」
鈴が転がるような声でマリア・リアが問う。
少しだけ首を横に傾げ、つやつやした唇に人差し指を押し当てる様子は大変コケティッシュだ。
(確かに、前聖女のアルテイシア様とは大違いだな)
腹違いではないのに、まったく似ていない姉妹だ。
「神殿から仕置きをうけるような、わたしのような者には想像も及びません」
「なんでもいい。言ってみろ」
興味深そうにユーウッドまで会話に混じってきた。マリア・リアはくすくすと笑う。
「そうですよ。仮にも前聖女のおねえさまを世話なさったのはそなたの母君ではありませんか。母君はどのようなことを大事にして〝聖女〟をお育てになったのかしら」
母を侮辱されたとなると黙っていることはできない。
サイレウスはそれでも全神経を表情筋に注ぎ、唇以外は動かさなかった。
「聖女とは魔獣の侵略を防ぐため、国土を安全に保つために聖騎士に聖力を注ぎ、国民に安寧をもたらす存在ではないでしょうか。少なくとも、神代の時代はそうではなかったかと」
「その聖女の力って本当にあると思う?」
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