第9話 ミリオシア王国 サイレウス1

◆◆◆◆


 サイレウス・タートルは、受け取った手紙をもてあましていた。どのように解釈すればいいのかわからないのだ。


 騎士控室の長椅子に座り、彼は質素な便箋に書かれた文字に目を落とす。


 それは『マーガレット・タートルさんの知人』から昨日、届いたものだった。


 当初、あまりにも封筒がみすぼらしかったことと、正規ルートではない方法で届いたため、家令がサイレウスに手渡すことをためらったほどだ。


 家令がためらったのは、それだけではない。

 偽聖女と断罪されたアルテイシアと共に姿を消した母の名がそこにあったからだった。


 たちの悪いいたずらかもしれませんので、と前置きをして家令はサイレウスにその手紙を差し出した。


 旦那様より先に若にご判断いただきたく、と。


 サイレウスの父であり、現タートル子爵は、妻が出奔して以来ふさぎこんでいる。

 去年あたりからは、子爵位をサイレウスに譲り、妻を探しに行きたいと本気で言いだした。


 そんな彼に、真偽不明の手紙を見せるわけにはいかないというところだろう。


 サイレウスは預かり、昨晩自室で封筒を開いた。


 そこに入れられていたのは、安価な便箋だけではなく、布地がいたみはじめたハンカチと、短い白髪の束。


 気味が悪い、とサイレウスは顔を顰め、まずはそっとハンカチを摘まむ。


 そして愕然とした。

 そこにある刺繍。それは紛れもなくタートル子爵の紋だったからだ。


 手燭を引き寄せてハンカチをよく見る。見覚えがあった。母のものだ。


 まさか、本当に母の消息を知らせる便りなのか、と慌てて手紙に綴られた文字を追う。


 そこには、『マーガレット・タートルが病のため亡くなった』こと。

『彼女の遺髪と遺品を送った』こと。『彼女は最後に、「息子に伝えて欲しい。母は間違っていない」と言っていた』ことが書かれていた。


 サイレウスは言葉を失った。


 母は間違っていない。


 それは、サイレウスと母マーガレットが最後にかわした会話だったからだ。


『アルテイシア様は偽者と判断されたのです。神殿の指示にお従いください』


 レルーン修道院に監禁されたアルテイシアを救いに行くのだ、と騒ぐマーガレットを、サイレウスはなだめた。


 母は、聖女アルテイシアのことになると我を忘れる。


 娘を流行り病で亡くし、追悼も兼ねてマーガレットは自ら進んで神女官として神殿に仕えた。そして世話係としてアルテイシアと出会うのだ。


 両親から離され、神殿で厳しい教育と作法を仕込まれるアルテイシアにいたく同情し、まるで我が子のようにかわいがっていた。


『お母様は、実の子の僕よりもアルテイシア様の方が可愛いのでしょうね』


 呆れて一度、そんなことを言ったことがある。

 母も呆れた顔で、


『お前にはもう十分愛情を注ぎました。母は、アルテイシア様が本来ご両親から受けるべきであった愛情を注いでいるだけです。あなた、まだ私から愛情が欲しいのですか』


 と言い返して来たから苦笑する。確かに、そのころアルテイシアは10歳かそこらで、自分はもう20歳になる頃だったのだから黙るしかない。


 だが、偽聖女として処罰を待っているアルテイシアを救いに行くと言いだした時は必死で止めた。


『母上だけの問題ではありません。これは家名にも関わることです』

『そうです、家名に関わることです。本物の聖女をしいし、偽者をたてまつるなどあってはならない』


『アルテイシア様は偽者だったのです。大神官がそうおっしゃったのです』

『そんなことあるはずがありません。何か大きな、そして邪な力が動いているのでしょう。アルテイシア様を失ってから間違いに気づいては遅いのです』


『だから……っ。何度も言っているではありませんか! アルテイシア様は偽者なのです! それを……』

『母は間違っていません。お前が考えを改めるまで、もうこのことについて話し合うことはありません』


 マーガレットはそう言って自室に閉じこもった。

 父に相談もしたが、いまは頭に血が上っているのだろう。いつか目が覚めるはず、となだめられた。


 その隙にマーガレットは屋敷を脱走。 


 そのままアルテイシアをレルーン修道院から連れ出し、共に姿をくらましたのだ。


 サイレウスは王家や神殿から厳しい罰を申し付けられるのかと怯えたが、それは杞憂に終わった。


 それどころか、王が『忠義なり』とマーガレットのことを褒めていると噂で聞いた。


 一方で、神殿は烈火のごとく怒り狂った。


 タートル子爵一門はいまでも神殿の門をくぐることを禁じられているが、葬式や結婚式でもない限り、神殿とは縁がないせいか、生活に支障はきたさなかった。むしろ、年間行事のための無用な人手や金銭を出さずに済み、楽になったぐらいだ。


 王が表立ってタートル子爵を責めないからだろう。神殿は歯ぎしりしつつも、その程度の嫌がらせで矛をおさめた。


 そして世間的には新聞を使って『偽聖女はレルーン修道院にて罪に服している』と報道したのだ。


(……本当に、母は死んだのだろうか。だとしたら、アルテイシア様はいまどこに……)


 あの母が、アルテイシアをどこかで放り出したとは思えない。

 また、物心ついた時から神殿を出たことがないアルテイシアが、母の側から離れることはさらに想像しがたい。


 となれば、このふたりはいつも一緒にい続けている可能性がある。


(だとしたら、この手紙の主はアルテイシア様……)


 封筒や便箋はみすぼらしいものだが、文字自体はしっかりとした、いやむしろ流麗な文字だ。差し出し主は男性を装っているつもりのようだが、女性的な文字をしている。


(アルテイシア様は生きている……)


 神殿から逃げ出してはいるが、そう長くは生きられないだろうというのが、大方の見方だった。


 神殿の外に出たことすらなく、カネを使ったこともない。


 宗教儀式に詳しくとも、世間のことはまったく知らない無垢な娘だ。


 マーガレットは数人の知己を頼ったようだが、彼らがかくまった形跡はない。もてあますのは火を見るよりあきらかだった。


 音を上げてすぐに出て来るか、見つかる方が早いか。


 意地悪く「どちらに賭けるか」と賭け事の話題にまでなったというのに。

 予想に反して、2年たった今でも消息は不明だ。


 神殿や王太子が必死に追っている、というのに、だ。


(アルテイシア様は無事……だということか……?)


 いまになって、世間は『母の言っていたこと』が‶真実゛だと思いつつある。

 そして、母は死の間際でも自分の信念を決して疑わなかった。


 今朝、サイレウスは屋敷を出る前に密かに家令に命じた。

 手紙の主を探せ、と。


 手紙が運ばれて来た経由を逆行していき、差出人を秘密裏に探すのだ、と。


(アルテイシア様こそが本物)


 偽者だと断言され、処罰を待つ間に逃げ出したアルテイシア。


 彼女を保護せねば。

 いま、国内で『真の聖女』として立っているのは、マリア・リア。


 アルテイシアとは年ごの妹だ。


 その容姿は13の時でさえ輝いて見え、就任のためにパレードに出たとき、民衆はその可憐さ、可愛さに興奮した。


 春の乙女だ、花の妖精だとほめそやされ、彼女が儀式に登場するだけで神殿は妙な熱気に浮かされていたという。


 熱狂する民衆の姿を見て、王侯貴族は苦笑いを浮かべ、神殿の連中はほくそ笑んだらしい。


 ようやくが登場した、と。


 というのも、アルテイシアは儀式や祭事は熱心だったが、マリア・リアのように民衆が望むことをするわけではなかった。


 聖女など形骸化した制度。

 王も貴族も神殿さえも割り切っていた。


 建国の伝説に従い、それなりの少女にそれなりの儀式を覚えさせ、それなりの対応をさせていたにすぎない。


 増えた魔獣は狩る。

 実際、それしか方法はないのだ。


 魔獣を狩る騎士を鼓舞し、民衆に対してそれっぽい儀式を行い、王に対して権威付けをしてくれれば誰でもいい。


 誰もが口にこそしないが、そう思っていた。


 だが。

 アルテイシアには華がない。


 真面目で勤勉だが、それだけだ。


 今度のマリア・リアは違う。

 彼女こそ真の聖女だ。


 民衆に歓迎され、王太子に愛され、この国をもっと幸せにしてくれる。

 誰もがそう信じていたという。


 この2年間タートル子爵は神殿への出入りが禁じられていたため、新聖女のマリア・リアの姿を間近で見ることなどなかったし、興味もなかった。すべては新聞と社交界の噂で聞いたのだ。


 だが、その人気にも最近陰りが出ていた。


 凶事が続いているのだ。


 まず、魔境が目に見えて広がっていること。 

 次に魔獣討伐がうまくいかないこと。

 最近では土壌汚染と水質悪化の場所がどんどん広がり、いまでは一部地域住民が避難する事態になっていること。


 とどめは、聖女がその場に赴き、祈りを捧げてもなんの効果もないこと。


 それらのことが、最初は囁き声で。

 いまでははっきりと民衆から上がっている。


『聖女はなにをしているのだ』と。


 隣国の聖モンターニュ侯国のように、魔境が辺境であればその声は捨て置かれたかもしれないが、この国では王都の一部が魔境であると言っても過言ではないほど隣接している。


 聖女が、聖騎士が。

 その力でもって押し返さねば、王都が真っ先に被害に遭うのだ。


(まさかと思うが……)


 サイレウスは最近、ふと思うことがある。


(実はアルテイシア様は本当に聖女の力なるものをお持ちではなかったのか)


 だからこそ、特別なことは何も起きず、国は平穏に保たれていたのではないのか。


 そして、母はアルテイシアに聖女の力が宿っていることを知っていた。


 だとすれば。


(母が言う通り、我々はとんでもないことをしでかしたのかもしれない……)

 暗鬱な視線を便箋に向けていると、扉がノックされた。

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