第8話 ふたりで過ごす熱い夜

「どうした?」


 問われて、反射的に強く新聞を握りこんだ。

 くしゃ、と脆い音を立てた新聞の向こうで、レオハルトが訝しげにこちらを見ている。


「い……いえ。あ、ごめんなさい。これ……。ありがとうございます」


 新聞から手を離そうと思うのに、指が震えてうまく動かない。


 何度か深呼吸を繰り返し、ようやくアルテイシアは新聞をソファの座面に置いた。

 腰を屈め、自分がつけた皺を伸ばす。


(どういうこと……。そもそもわたしは……。マリア・リアの代わりだったはず……)


 アルテイシアとマリア・リアは年がひとつしか変わらない。

 神殿の宣託を受けて神官がジョイアス伯爵家にやってきたが、「どちらの娘が」とは言わなかったと聞く。


「ジョイアス伯爵家の娘が聖女に選ばれた」

 神官はそう言ったという。


 だから、両親はアルテイシアを差し出した。


 素養があったからではない。

 マリア・リアが可愛かったからだ。両親は妹を手放す気など最初からなかった。


 アルテイシアはこのときからすでに、自分が親から興味のない存在であることに気づいていた。


 いつも可愛がられ、世話されるのはマリア・リア。

 のちに世話係になるマーガレットは「お嬢様に素養があるからですよ」と言っていたが違う。


 自分は、都合よく捨てられたのだ。


(……マリア・リアが聖女になることを望んだ……?)


 まだ震える指で新聞を整え、束の上に置く。

 そのとき、ちらりと別の新聞の見出しが目に入った。


 聖女マリア・リアは、数年後の聖女引退とともに王太子ユーウッドの婚約者になる、と書かれていた。


(ああ……。このために……)


 よくあることだ。

 聖女の役割を終えた未婚の女性は、そのあと王族と婚姻を結ぶ。

 箔をつけるために短期間だけ聖女という役割を演じさせるのだ。


(こんなことのために……)

 じわりと目に涙が浮かぶ。


 こんなことのために、マーガレットは貧して死んだのか。

 そう思うと悔しくて仕方がない。


「アリ」


 再び呼びかけられたが、アルテイシアはくるりと背を向け、気づかれぬように涙を拭った。その指が氷のように冷たい。

 気づけばあれだけ温かかった足の指先も冷え切っていた。


「あの……。先に休ませていただいても?」


 背を向けたまま尋ねる。ずいぶんと不敬だということはわかっていたが、この顔をレオハルトに向けるわけにはいかない。絶対に「どうした」とまた問われてしまう。


「ああ。かまわん。ご苦労だった」


 低い声に背中を押されるようにしてひとつしかないベッドに向かう。

 これは共同で使うのだろうな、とぼんやり思いながら木靴サボと靴下を脱いだ。


 そのままベッドの上に膝立ちになり、壁際まで進む。

 掛け布団をめくって、頭が隠れるまですっぽりもぐりこんだ。


 一瞬、シーツの冷たさに息が止まる。


 マリア・リアのことや両親のこと。マーガレットのことを忘れるぐらい、ベッドの中は冷たい。


 うー、と声をもらしながら、じたばたと腕を振り、足をこすり合わせる。

 こうやってベッドの中の温度を上げねば。


 何も考えずに無心で手をこすりあわせ、なんなら、はあ、と呼気を吹きかけていたら。


「騒がしいっ」


 すぐ近くで怒鳴られて、びっくりして布団から目だけ出す。

 ベッド脇には仁王立ちになったレオハルトが立って、アルテイシアを見下ろしている。


「なにをしているんだ、それは。就眠儀式かなにかか。気になって仕事にならん!」

「……寒くて。ごめんなさい」


 気迫に押され、アルテイシアは反射で謝る。


 謝るが。

 ベッドから身体を起こそうとは思わない。せっかく温もりはじめたのだ。これでまた掛布団を上げようものなら冷気が入ってくる。


「詰めろ」

「へ?」


 急にそんなことを言い出すからなにごとかとレオハルトをきょとんと見上げる。


「もう少し詰めろと言っている」


 ぎしり、とベッドが傾いたかと思うと、レオハルトが座り、かつ掛布団を乱雑に上げて入ってきた。

 ばふりと頭から掛布団をかけられるが、確実に空気が一掃された。


「信じられない! 寒い寒い寒い!」


 せっかく温めたのに、とまたじたばた動き出すと、ごろんと壁に向かって転がされる。


「ちょ……っ!」


 なにをするの、と身体をねじって文句を言ってやろうと思ったら。

 後ろからがばりと抱きしめられて、再び完全に息が止まった。


「ほら、こうしてると温かいだろう」


 耳元で囁かれ、火にあぶられたように耳たぶと顔が熱くなる。


「……………そ…………そういう問題じゃない……っ!」


 叫ぶとようやく息ができ始めた。


「子犬や子羊は、拘束されると落ち着くんだ」

「ひどい!! 同列にしないで!」


「おれはゲン担ぐほうだから、魔獣退治の間はあんたになんもせん。ほらほら、寝ろ寝ろ。静かに仕事もできん。あったかいだろうー。眠くなってきただろうー」


 これはなにか。あやして寝かせる的なあれか!

 ゲン担ぎもなにも、女としてみられていないではないか!

 そもそも最初は子犬や子羊とか言っていた。最早、人でもない!


 レオハルトはアルテイシアを後ろから抱きしめているが、その腕は自分の腰に回されている。


 つまり、両腕は拘束されていない。自由だった。

 アルテイシアは、ぐいと両腕を突き上げる。「お?」不思議そうな声が真後ろから聞こえた。


 その声の位置からレオハルトの顔や首があるあたりの狙いをつけ。

 ぺたりと自分の両掌を押し当てる。


「ひ……ぃいいいいいいいいい!」


 レオハルトが素っ頓狂な声を上げた。自分の腰に回る腕から力が抜けたことを確認し、アルテイシアは素早く両膝立ちになった。


 ベッドの上には、「いー」の顔で仰向けになっているレオハルトがいた。

 にやり、とアルテイシアは嗤う。


「……待て、早まるな」

 怯えたようにレオハルトが言った。


「温めてくださるんですよね、男爵」


 にこりと笑い、電光石火の速さでレオハルトのシャツをめくり上げると、その素晴らしく割れた腹筋に両手を押し当てた。


 レオハルトは「冷たい」と「寒い」と「ひぃぃぃぃ」の混じった声を上げて逃げ出そうとベッドで暴れる。だがアルテイシアはがっちりと彼の身体に馬乗りになり、冷えた掌を次々と彼の身体の温かそうなところに押し当てていった。


 そんなことを数分も繰り返したころ。


「……もう、好きにしてくれ……」


 レオハルトは力尽きた様子でベッドに転がっている。

 服などアルテイシアによって着ていないに近い。ズボン裾が膝までまくりあげられているのは、冷えた足裏もレオハルトのふくらはぎに押し当てて暖をとったからだ。


「ありがとうございます、男爵。なんだか温かくなって眠れそうです」


 アルテイシアは微笑むと、掛け布団をかけ直してもぐりこむ。

 そして、大の字になって伸びているレオハルトに両腕で抱き着いた。


「んヴぁああああああ……。よかった……。もう冷たくない……」


 奇妙な声を漏らしたレオハルトは大ため息をつき、アルテイシアに背を向けた。

 アルテイシアはくすくすと笑いながら、その背に顔を近づけ……。


 そのときに、ふと気づいた。


 服がはだけて背中が半分見えている。


(傷……)


 初めて娼館で見た時は、古傷を含めてもっとあったような気がした。


 アルテイシアは彼の背中に指をはわせる。

 確かに傷跡はあるのだが、以前みたようなみみずばれのような様相は呈していない。なめらかなのだ。


(あの傷は……? 治ったの?)


 レオハルトを誤解させた出血。

 それをもたらした傷。


 確か腰近くだったと思うが、それにいたってはまったくわからないほど治っている。


「どうした?」

 不思議そうなレオハルトの声が、掛け布団越しに聞こえてくる。


「いえ。なんでも」


 アルテイシアは口早に言うと、ぎゅっと彼の背中に抱きついた。額を押し付ける。


 どくどくどく、と。

 レオハルトの心音が聞こえる。


(マーガレットみたい)

 

 身体の大きさも硬さも何もかも違うのに、この鼓動と体温はマーガレットを思い出させる。


 アルテイシアはただ、その心音を数えながら眠りについた。


◇◆◇◆


 翌日。

「昨晩、団長の部屋では熱い夜が繰り広げられたようだ。すごい騒ぎだった」

「あのゲン担ぎの団長がねぇ」

「よほどあの娘にご執心とみた」

 団員たちは口々に噂したという。

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