第5話 アルテイシアが望むもの
◇◇◇◇
二日後。
アルテイシアは、マーガレットの墓の前にいた。
真新しく土が盛られたそこには、花が飾られている。アルテイシアが朝、河原から摘んだ野の花だった。葬儀費用を支払い、墓の区画を買えば、アルテイシアがあの晩、レオハルトから貰ったカネは尽きた。
なにも支払われた金額が安かったわけじゃない。墓の代金が高かったのだ。
娼婦たちは『死んだ人間にそんな大金使うなんて』と呆れたが、アルテイシアはどうしても身元不明者たちが投げ込まれる集団埋葬地にマーガレットを入れることができなかった。
近づいて来る足音にアルテイシアは振り返る。
最初、影かと思った。
それぐらい周囲の夕日からは隔絶した雰囲気を放っていたのだ。
「男爵さま……」
だが、近づくにつれてそれがレオハルト・スロイレン男爵だと気づく。供だろうか。同じぐらいの身長の男が付き従っている。
銀色の髪を短く切り、片眼鏡をかけていた。一見侍従のようにも見えるが、腰には拳銃ホルダーがある。銃士らしい。
「娼館主から、お前がここにいると聞いて」
レオハルトはぶっきらぼうに言いながらも、視線はアルテイシアの背後にある真新しい墓だった。
墓といっても、墓碑銘などない。
棺を埋めた上に土を盛り、名を刻んだ杭を差しているだけだ。なにもこの墓だけがみすぼらしいわけではなく、街の集団墓地はいずれも同じようなものだった。
数年もすれば朽ち、区画を買ったにもかかわらず、そこにはまた別の誰かが葬られるだろう。それを知っているから娼婦たちはアルテイシアに忠告してくれたのだ。
だが、しばらくの間だけでもいい。マーガレットにはひとりでゆっくりしてほしかった。
「ウルバス」
レオハルトが声をかける。
控えていた銃士の男が進み出て、手に持っていた花束を墓に備えてくれた。アルテイシアが用意したようなものではない。花屋で葬儀用に誂えた白薔薇だった。
「ありがとうございます。男爵さまにはあの日、特別におとり計らいいただいたとも聞いています」
アルテイシアは丁寧に頭を下げた。
もうすでに手元にカネは残っていないが、それでも破格の値段をアルテイシアとの一夜に支払ってくれていた。
「今日は……いまから娼館に? あの、でしたらわたしも戻るところです」
アルテイシアはレオハルトとウルバスと呼ばれた男を交互に見た。
もうすぐ日が暮れる。ひょっとしたらまた娼館に行くのかもしれない。だったら、同行した方がいいのだろうか。
「いや、お前に用があってきた」
レオハルトが言うと、ウルバスが大きなため息をつく。
なんだろうときょとんとレオハルトを見やると、彼は、ばりばりと頭を掻いた。
「お前、おれの女になるか?」
「………………は?」
言われた言葉を脳内で反芻したものの意味が分からず、口から訝し気な声が出た。
「いや、だから……」
「だから娘の方は、なんとも思っていないって言ってるでしょうよ。もう放っておきなさいな」
呆れ切った顔で腕を組んだのはウルバスだ。
「変なところで純情なんだよなぁ」
「純情とかそういうことではない。おれはこの娘の今後に関わることをしてしまったんだ。彼女には選ぶ権利がある」
「だけどこの娘。どうみても異国人でしょう? しかも娼婦だ」
ウルバスが遠慮のない視線を向けてきた。
今日、アルテイシアは金の長髪をみつあみにして結い上げている。彼が見ているのはその髪色と、瞳の色。
この国ではなく、隣国の特徴を色濃く残しているアルテイシアの容姿を指摘しているのだ。
「男爵が望んだとしても正妻にはできませんし、ご親戚も納得なさらないでしょう。それにラミア様にはなんと説明を? もうすぐ婚約も調うのではないんですか? だいたい、彼女は気にしてないようじゃないですか。変な執着はやめてください。今年は6年目なんですよ? もっと慎重になってください」
「ラミアとはそんな仲ではない。おい、アリ」
じろりとレオハルトはウルバスを睨みつけると、アルテイシアを一瞥した。
「その……。お前の純潔を奪ったのだ。おれは責任をとらねばならん。おれの女に」
「いえ、結構です」
きっぱりとアルテイシアはレオハルトの言葉を断つ。
(おれの女って、そういうことね。正妻を迎えるまでの慰み者ってこと?)
ウルバスはさっき「ラミア様」と女性の名を挙げていた。しかももうすぐ婚約が調う、とも。
「は? いや、違う。なにか誤解を……」
ぎょっとしたように目を見開くレオハルトに、にっこりと笑って見せた。
「そのような責任を感じていただかなくても大丈夫です。わたしは商売。男爵さまはそれに対しての対価を支払っていただきました。今後、わたしと性的ななにかをしたければまた、お支払いいただいても?」
〝おれの女〟とやらにして、無料で事に及ぼうとしてもそんなの許すものか。
じろりと睨みつけると、ウルバスは腹を抱えて笑い、レオハルトは舌打ちをする。
「いまお前が考えているような不埒なことをしようとは思ってもいない」
「へー。そうなんですねー」
「ああ、くそ、わかった。なら、なにか償いをさせてくれ」
「償い?」
眉根を寄せてレオハルトを見る。彼も同じような表情でこちらを睨みつけていた。
「お前がどう思おうと構わんが、おれは本当にお前に対して詫びたい。それは先日支払った金額とはまた別の形で、だ」
それはまたどうして、と問おうとしたアルテイシアをレオハルトは遮った。
「カネを支払っても全額お前のところにはいかないだろう。おれは娼館にではなく、お前に直接なにかをしたいんだ」
指摘され、なるほどと納得した。
確かにあの一晩でアルテイシアは調理員では手に入らないような金額を手にした。
だが、その金額以上のカネをこの男爵は支払っている。
なぜなら、娼館が上前をはねているからだ。
娼館ドレスティアはあこぎではない。適正価格を設定し、娼婦にもそれなりの生活やカネを保証している。そうでなければマーガレットも住み込みで働くことなど考えなかっただろう。
だが、もちろん娼館とて慈善事業ではない。もうけは出さねばならない。
「お前の望みをひとつ叶えたい。なにがいい。カネならある程度は用意できる」
レオハルトが言い、ウルバスが肩を竦めている。
「この方は強情なんだ。悪いが適当になにか言っておさめてくれない? それでサヨナラしよう。君も男爵にもう近づかないでくれ」
「適当とはどういうことだ」
「ほらもう、すでにうっとうしい」
男同士はケンカ未満の言い合いを繰り広げる。
アルテイシアは戸惑いながらその様子を見ていたのだが。
ちらり、と。
夕日を反射してレオハルトの帯刀が光る。
いや、正確には柄に仕込まれた宝石が光ったのだ。
(……魔獣退治の騎士団……なのよね)
あの晩、レオハルトが言っていたことが喉に刺さった魚の小骨のように気になっていた。
『ここ数年、劇的に魔獣が減っている』『水脈が復活した』
そのようなこと、あるのだろうか。
聖女のつとめ。
それは、魔獣を王国に近づけないことだ。
ミリオシア王国と聖モンテーニュ侯国の間には魔境がある。
ミリオシア王国の東。聖モンテーニュ侯国の西にその地はあり、往来は厳重に保護された山道を使うか海路を使用するしかない。
ミリオシア王国の場合、魔境近くに王都と神殿を構えることで、国土を西へと扇状に広げている。
逆に、聖モンテーニュ侯国は最東端に王都を構え、魔獣は西の辺境に押し込めている形になっている。
ミリオシア王国には聖女がいる。
聖女とは常人にない神聖な力を他者に与え、魔獣を退治させる者のことだ。
本当にそんな力があるかどうかはわからないが、あるということを前提にすべての物事が進められる。
聖女として選ばれた娘が幼いころから神殿に暮らし、様々な儀式を通して魔獣の力を減じたり、選ばれた騎士に祈りを捧げ、魔獣退治をさせて王国に影響が及ばないようにしてきた。
一方の聖モンテーニュ侯国には聖女はいない。
定期的に騎士団を派遣し、物理的に魔獣を排除してきたのだ。
実際にはミリオシア王国だって変わらない。
聖女から力を授けられたと信じられた聖騎士が魔獣を狩るのだから。
(だけどなにもしないのに……。どうして魔獣が減ったり、水脈が復活したりするのかしら)
むしろ、聖モンテーニュ侯国はここ数十年魔獣に悩まされていたはずだ。
レオハルトが言う通り、魔獣が頻繁に侵入することにより、人間が住めない領地も増えていると聞いていた。
また、魔獣被害のひとつとしてあげられるのは、水脈汚染だ。
魔獣の排泄物や死骸が土地に沁み込み、水脈を汚す。なので、魔獣を定期的に退治し、燃やすことが必要となってくるのだ。
ただ、被害ばかりではない。
魔獣を燃やした際、核と呼ばれる魔石が現れる。
これは大陸のどの国でも高値で取引されるため、騎士の栄誉であり財産ともなる。
レオハルトが討伐のあと、いつも気前よく部下に振る舞うのはその魔石のおかげともいえた。
「あの……討伐期間はまだ終わってないんですよね? みなさんはまだ魔境に?」
アルテイシアが尋ねる。
「ああ。二日後にまた魔境に入り、場所を変えて討伐を行うが……」
予想外の問いだったのだろう。レオハルトだけではなく、ウルバスも真意を測りかねてきょとんとしている。
「でしたら、そのとき一緒にわたしを魔境に連れて行ってくださいませんか?」
「は?」
レオハルトが眉根を寄せた。たぶん、昨晩であればアルテイシアも震えあがっただろうが、なんとなくこの男に慣れ始めたせいか、逆に顔を近づける。
「わたし、娼館では調理員として働いています。料理ならできます。雇ってもらえませんか?」
「雇うって……。え。お嬢ちゃん、状況分かってる?」
ウルバスが苦笑いをした。
「魔獣もヤバいけど……。男ばっかの宿泊地だよ? そっちも結構ヤバいと思うけど」
「大丈夫です。自分の身は自分で守ります」
「そこまでしてなぜ魔境に?」
レオハルトは理解ができないとばかりに息を漏らした。
「確認してみたいことがあるんです」
レオハルトは言っていた。魔獣が減り、水脈が復活した、と。
そんなことがありうるのか。
偽者と言われて処罰されかけたが、アルテイシアは十年近くを聖女として過ごしてきた。魔獣は定期的に減らさねば増えるばかりのはず。
だから騎士たちは危険を冒して討伐するのだ。
(だけどもし……。減るための他の方法があるのだとしたら……)
なにもそんな危ない橋は渡らなくてもいいのだ。
そんな方法があるのならぜひ知りたい。
そんなものを知ってどうするのか、ともうひとりの自分があざ笑うが、純粋に知りたい。
なぜなら。
聖女であったとき、アルテイシア自身が希ったことだからだ。
魔獣を減らす方法を。
「マーガレット……じゃない、メグの息子さん宛に手紙を届けようと思っています。その準備や、娼館への説明もあるので……」
アルテイシアは目まぐるしく頭を巡らせた。
もちろん、アルテイシア名義で手紙を出すわけにはいかない。居場所がばれてしまうので身分や名前をいつわり、『マーガレットと知り合った者だが』と手紙を出すつもりだ。
死の間際、彼女が伝えた通り『母は間違っていない』という言葉を。
そして、数か月だけ調理員を休ませてほしいと娼館主に掛け合わねばならない。
それらすべてをこなすと、やっぱり二日はかかると大きく頷いたのだが、レオハルトは渋い顔だ。
「……確かに調理員を随行させれば助かるが……。しかし、ウルバスのいうとおり危険だぞ?」
「もちろん承知の上です」
あっさりとアルテイシアは頷いた。
マーガレットがいない。
そのせいか、自分の価値が軽くなった気がした。
マーガレットが心配するから。
マーガレットが気にするから。
マーガレットが大事にしてくれるから。
アルテイシアは‶聖女アルテイシア〟として振る舞うことができた。
マーガレットがいなくなったいま。
ただのアルテイシアとなった自分は、どこで傷つこうがどこで命を失おうが、ある意味自由だ。
自分が知りたいことを追求したい。
「だが……」
「男爵さまはおっしゃったじゃないですか。わたしの望みはなんだ、と」
アルテイシアは身を乗り出す。
「わたしは魔境の現在の状況を確認したい。それが望みです」
言い切ると、ちくちくとした視線に気づく。
ウルバスだ。少しつり上がり気味の目を細め、片眼鏡を押し込んだ。そしてレオハルトを見やる。
「どうします? ぼくは反対ですが」
「……では、二日後の朝に娼館前で待て」
しばらくの沈黙のあと、レオハルトはきっぱりとそう言い、ウルバスは無言でため息を吐いた。
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