第十八章 覚悟
僕らは部屋に着き、装飾のあるベッドに腰掛けた。なぜか一気に疲労感が押し寄せて来た。
「過去のこと、聞いちゃダメ?」
体を密着させ、僕は聞いた。無論、それは浅ましい考えからではない。信頼して、僕の手を取って欲しかったからだ。
「待って。頭が割れそう。私、何か。何か。思い…出せない。話せないの。分からない、分からない…」
文はそう訴え、頭を抱えた。トラウマが大きすぎるということか。飯島がそれを負わせたと考えて間違いないのだろうか。
「思い出せる範囲で良い。何も知れなかったら、僕は何をしていいのかも分からないから。
文、落ち着いて、ゆっくり息をして。そう、大丈夫。あいつとは関わりたくない?」
僕は文を倒し、膝の上で寝かせた。優しく撫で、僕が付いているということを伝えた。文もゆっくりと従って息をしたが、目からは涙が流れて、僕の膝を濡らした。
「うん。あいつは最低…でも、そうじゃない。私だって…それがどうしても思い出せない。私は…」
少し落ち着きを取り戻したと思ったが、その過去に自身で触れようとした矢先、また発作のようなものがやって来てしまった。僕は軽く押さえ、彼女の手を強く握った。
「平気、平気…もう一回、ゆっくり息を。心配いらないよ。もう考えなくていいからね。」
息は荒くなって行ったが、そう諭すとまた落ち着いてくれた。文が強く僕の手を握り返し、苦痛に耐えていた。今、必要な存在になれているのは確かだが、この先僕は文と歩んでいくことができるのか。
「ごめん…ね。言いたくなくて。私は良いから、すみれに聞いて欲しい。多分、色々話してくれるから。」
掠れた声で文は返した。前に同じことを山野から聞いた。文は話したがらないだろうと。やはり、文を理解してくれている親友の様だ。
「そうするよ。今日は、休もう?僕は帰ろうか?」
僕は了承し、山野に相談することにした。場所が場所だし、二人で夜を明かすというのは少し気が引けた。文を横にしたまま僕は立ち上がり、ベッドから数歩、歩きだした。
「一緒に居てよ。それとも、したいの?」
その発言は混乱から来るものなのか、体を起こしながら暗い表情で飛んできた。どういう心積もりか分からない。からかっているというのはあり得ないが。僕の汚い感情を覗いているのだろうか。
「今じゃないよ。でも、意識はしてる…」
そうだ、今じゃない。文の体に興味がないと言えば全くの嘘だ。この場で押し倒し、文の反応を伺うという事も可能だ。それは信用を損なうような行為ではない。そういう気持ちを文が理解しているなら。しかし、そうすべきじゃない。
「分かってるよ。聞いただけ。しないなら居てくれもいいんじゃない?」
言い終わると、ゴロンとベッドに仰向けになり、文は天井を見つめた。少し落ち着いたみたいで安心した。僕は、文と体の関係も持つことになるのだろうか。果たして、そうしていいものかも分からなかった。そんな愛の表現の仕方をしたこともなかったから、いまいち、思い描けない。重なることを望んでいるのか。前みたいにどうにでもなれと言う、投げやりな感情がある気がしてならなかった。
「一緒に横になったら、昂ぶっちゃうって解ってるでしょ?」
そうする気は無いと言っても、落ち着かない。文にその気があるなら、その場の空気に任せてしまうなんてことも起こりえる。だが、それではいけないんだ。どこか心の慰みのために、そんな行為に走ってしまっては。そういう意図の元、行わないにしても、少なからず心はそう捉えてしまう側面があるではないか。
「…横に来て。」
仰向けのまま、文は呟いた。僕が死のうとしたあの日みたいに、口数が少なくなり、一層文が僕をどう思っているかを紐解きづらくなった。だけど、今なら聞ける気がした。僕は転がる文を背にベッドに腰掛け、文の流れていきそうな髪に触れた。
「文はさ、僕のこと、どう思ってる?」
空気はそのままで、純粋に、されど空虚に僕は聞いた。
「好きよ。」
言葉は短いままだった。
「僕の事、本気で信頼してくれてるの?」
それは直接聞くべきことではなかった。
「…」
あの時と同じだ。黙って文は頷いた。
「僕は、勿論、君が好きだ。でも時々、僕のことなんか興味ないんじゃないかって思っちゃう。文が余りに、高嶺の花だから。」
日々思っていることを口にした。心に触れようと、言えなかったことを。
「そう…正直、どうでも良かった。今は大事。離れないでって思う。」
ずっと上を向いたままで、文は本音を言ってくれた。
「どうでも良かったって…いつ?」
そういう感情があったことは間違いないのか。だが、逆説があって、現実味がある。
「考弥が死ぬまで。」
僕は死んだわけではないけどね。死ねなかったんだ。まだ、死んだ気にもなれない。
「やっぱり、同情?」
はっきりさせたかった。今は違うとしても、始まりがそうなら負い目がある。
「ううん。ちょっと違う。一緒に死ねると思った。」
返って来たのはかなりきついものだった。希望はなく、黒一色だった。
「そっか…今も?」
でも僕は、悪くない。そう思ってしまった。異常だろうか。
「今も…死にたいけど、支え合ってたい。死ぬ気は、どうだろ。」
その言葉に毒はあったが、僕にはなぜか暖かかった。
「じゃあ、分かり合えるかもって言った日は、僕は眼中になかった?」
僕は更に振り戻し、今までの答え合わせをした。過去は無理でも、それは受け止めたかった。
「そうね。嘘じゃないけど…いや、はっきり言うね。今も好きでたまらないってわけじゃない。バーに行った日、覚えてる?自分の意思とは、ずれた行動をしてるって、言ったよね。あれね、今もなの。好きっていうのは絶対本当。でもあなたに全部を任せようって気にもなれないの。何処か、自分が望んでない部分があるような…」
文は吹っ切れたのか、少し饒舌になり、上体を起こし僕の手に触れて向き直った。トラウマがあると知ってしまったから、その言葉を聞いてもがっかりはしなかった。むしろ、いつもフラフラとしているような態度を形にしてくれて、安心した。
「だよね。僕は、夢を見てる。すっごい美人で、喉から手が出る程魅力的な人が、認めてくれて、一緒に居てくれる…ただの夢。そもそも、釣り合わないし、こうやって一緒にいること自体が、夢なんだ。だから、離れていっちゃうのは怖いけど、文がそんなに僕を愛してくれないのも仕方ないって思っちゃう。体もさ、文が望むならでいいよ。ううん、それが良い。もし、そう思ってくれるなら、その時はしよう。」
この空間がそうさせるのか、目を見ながらでもそんなことを言えた。本当に今でも怖いと思う。いつの日か、音沙汰もなく僕の前から文が居なくなってしまうということが。まるでそれが未来であるかのように、貼り付いている。が、もう繋ぎとめるものはそれしかなくて、その時は首でも括ろうなんて言う観念が、芽生えてしまっていたのだ。地獄を見て、絶望するかもしれない。文と出会ってから、その絶望が来たとしても、受け入れられるか耐えられなくなるかの二択だと解ってしまったのだ。
「したくないって言い続けたら?」
文はじっと、僕の目を見た。空虚。それを感じるのは何度目だろう。
「それまでだよ。すること自体に意味があるわけじゃない。」
僕もじっと見つめ返し、淡々と答えた。
「そっか。いつかしよ。悪くないよ。」
文は横になり、ベッドに潜った。疲れているのは間違いなかった。しばらく見守っていたけど、そのまま眠りについてしまった。綺麗だ。それに尽きる。かすり傷も数日でなくなるだろう。お疲れ様。
僕もベッドに潜り、余計な気を起こさぬように文の方を見ずに眠った。
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