第十七章 衝撃
(此処に来て。)
ケータイアプリから文のメッセージが届いた。それ以上のメッセージはなく、何処かの住所が張り付けてあった。どんよりとした気分は陰りを見せ、今必要な気持ちを呼び起こさせた。
「文!近所だ。何があったか知らないけど、行かなくちゃ。」
時刻は午後八時、会うという事を拒んでいたことからも、この状況に僕は切羽詰まっていた。書かれている場所に走って向かった。色々と返事を返したり、それを待ったりしてる暇はなさそうだった。
場所を確認するため、所々立ち止まり二十分後にそこにはついた。一軒家、都心部から少し遠い場所にあるそこは、文の家だった。門の横にある表札には確かに代埼と掘られていた。そして、文が僕を呼び出した理由が一目でわかった。
「おい、中にいるんだろ?なあ、文、怒ってるわけじゃないって言ってるだろ?頼むから顔を合わせてくれよ。」
門の先、玄関の扉を隼人が叩いていた。門は開けっ放しで、ずっと隼人が何かを訴えていた。家同士が遠いから近所まで聞こえていないのか、隼人がそうさせないように大声を抑えているのか、それを止めてくれる要素はなかった。また、どこにいる?なんて言ってたことからも、どうにかしてここを嗅ぎ付けたという事が予測された。きっと文は怯えているだろう。警察に電話する?が、友情などという幻影が邪魔だ。いや、今そんな事よりは文だ。ここからあいつをぶん殴りに行くことは容易い。だが、恐らく負けるし、より大きな事件になりかねない。僕は僕らしからぬ、気づかれる前に状況を把握し、大外回りで迂回した。
思った通り、裏手は塀になっている。ギリギリよじ登れる高さだったが、草木が邪魔だった。簡単に入れるなら隼人もそうしているかも知れないな。良い様に考えよう。
(今裏手に来てる。どうやったら出られそう?)
僕はアプリで文に連絡を取った。さっきの考えが隼人にもあって、それをまだ実行していないとするならば、鉢合わせのリスクがあり、時間を掛けてはいられなかった。
(引き上げることができるなら出られる。)
塀の隙間からその奥を見ると、リビングのカーテンがちらりと揺れ、文が顔を覗かせた。何処にいるか悟られないためか、リビングは真っ暗で、文の顔色は伺えなかった。
(今はやるしかない。)
僕は周りを見渡し、ハンドサインを送った。ここから引き上げるって。この隙間に足を掛けて、立ち上がったら手を伸ばせるけど、それをするなら殆ど足だけで体重を支えなければいけなかった。支えきれず僕が転倒し、腰を骨折する可能性だってあるだろう。不安でいると、文が音を立てないようにリビングの窓を開け、庭に出た。久しぶりに見る顔は以前よりもやせ細り、元気が無いようにも見えた。
僕の場所まで到達し、僕は手を伸ばした。そもそも、文は警察を呼んでいないのか。そうならこんなコソコソ出て行く必要はないはずだ。それか、僕と同じように名残惜しさがあるとか。でも、あの態度でそれはないか。いずれにせよ、話し合う必要がある。今度は遠回しな言い方は避けて欲しい。
僕は引き上げ、文を這いずり上がらせた。足が悲鳴を上げ、梃子の原理で折れてしまいそうだったけど、声を抑え耐えた。文も無理に上ったせいで、木々で顔をこすり、引き上げ切った頃には無数のかすり傷ができてしまっていた。
二人でゆっくりと地面に着地し、行く当てもなく歩き出した。お互い、先ずこの場を去ることに精一杯で、何処に行こうということもなかったのだ。僕らは、裏手から全く別の方から曲がろうとした。なのに、
「どこに行くんだ?」
どうやってか隼人は先回りし、僕らの進行方向にいた。家から路地を回れば可能なルートがあるが、問題は、なぜここに居るのかと言うことだ。今まで扉を叩いていたんじゃないのか。
「知らないよ。隼人、僕にとってはまだお前は友人だ。だけど、これ以上、文と関わるのはやめてくれ。警察沙汰にはしたくない。」
僕は逃げることを諦め、勇気を出した。夜の街灯が僕らを照らしてやけに眩しかった。ここだ。ここが分岐点だ。
「文はまだ解ってくれてないだけなんだ。な?文、俺との子はどうする?お前一人で育てていくのには無理があるだろう?俺から離れて、それから?」
隼人は物悲しそうに語った。隼人の口から信じられない単語が飛び出してきた。子供だって?そんな、馬鹿な。捻じ曲がるような現実にクラっときた。僕が追っていたものはなんだ。
「うるさい。うるさい!最っ低!もうウンザリよ!子供?もう知らない。子育てなんて私には無理!何も知らない癖に!あんたが何になるって言うの?だったらあんたがあの子の面倒を一生見れば良いじゃない!」
文は僕が傷を見せた時の何倍も怒り、発狂しかけていた。考えるに、隼人の子を文が間違いによって身ごもって、その子供の責任を文が負わされてるとか、そういうことか。その子供が今どうしているか分からない。だが、簡単に予想されるのは、純粋な愛を与えられて生きているわけではないという事だ。こんな話では僕の仲介する資格なんてなかったはずだ。だけど、僕は口を開いた。
「文、今考えるのはよそう。隼人、もういいだろ。文は死ぬほど疲弊してる。お前にはもう、会いたくないんんだ。これは僕の意思じゃない。文のだ。」
きっと関係ないって、思われる。言われる。僕は不甲斐なく、何も知らない。文の過去も、本音も。未だこうやって前に立つほど、関係性が確立されていない。だとしても、仲介できるのは僕しかいない。
「お前に文の気持ちは分からないだろ。文は本気でお前を愛してなんかいない。言ったよな?幸せにできんのかって。今、お前がこいつの支えになっているように見えるか?」
隼人は声を荒立てることなく、毒づいた。妙に冷静さがあり、この前のような怒りではなかった。
「そんなの知ってるよ。釣り合わないって。だけど、救いたいんだ。それしかないんだ。文、何も言わなくても良い。でも、もし、僕に付いて来ても良いって言うなら、僕の手を握って。この場を離れよう。」
僕も、受け入れがたい現実を置いて置けば冷静だった。今は僕のすべきことをすればいい。その決心だけが僕を誘導していた。僕がそう言うと、震える手で文は僕の手を握ってくれた。一時でも良い。文にとって少なからず救い、いや、ほんの少しの安心で僕がいられるなら、それで。
「文、後悔するぞ?その選択がどういう意味か解ってるはずだ。おい!俺はお前が理解するまでいるからな!」
それを見て、隼人、いや飯島は眉を潜ませて苦言を呈したが、文が強く僕の手を引いたため、僕は彼を突き飛ばし、文の手を引いて後ろに駆けて行った。あいつの言葉が遠ざかる。もう終わりだ。お前はもう、友人ではなくなった。なくなってしまった。唯一の友人。だが、後悔なんて背負うべきじゃないな。何を失ってでも、文を守りたいって思ってしまったから。
僕らは夜の街の方へ走っていった。ただ逃げる、その為に。
「僕の家はまずい。知られてる。」
この交差点を曲がれば、それから逸れて行き着くことができるが、それは得策ではない。帰る選択を僕がすることは問題ないが、文が一緒と言うなら話は別だ。
「どこでもいい。もう、あそこで。」
文が見つめたのは夜の街に輝くホテルだった。こういう状況だ。僕もそういう気持ちは全くない。でも、二人で入るのには少し抵抗がある。
「分かった。そうしよう。」
周りを見渡したが、他に良い案などなく、文の言う通りにした。僕らはお互い、心の痛みと将来と言う恐怖に怯えながら、そこに泊まることにした。
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