第十六章 異常

「あれ、切られた。」

 数十分後に文と話す必要があると思い、電話を掛けたものの、出ることもなく切られてしまった。近づけないでと言っていたし、怒り心頭でもおかしくはない。僕はアプリを使い、謝罪の念と、もう話が終わったことを伝えた。

 それから数分、今度は文から電話がかかって来た。僕は大きな緊張感と謝る準備を備えながらそれに出た。

「文、ごめん!一つだけって言われて…怒ってるよね?」

 通話が開始された瞬間、僕は謝った。文との関係にも亀裂が入ったら最悪だ。

「ううん、そんなに。即切ったのは話す気がないって意思表示。次に出るのがアイツだってこともありえたから。別に考弥君からの電話が嫌だったわけじゃないよ。まあ、止めては欲しかったけどね。」

 それは良かった。と言うべきだろうか、そうだとしても事態は進展していないのだから。今の僕には折衷案が必要だった。

「ごめん、もうしない。にしても、一言だって聞く気ないの?」

 まずはあの態度について説明して欲しかった。僕目線では、百歩譲っても隼人が不憫に思えてしまった。

「どうせ帰ってこいとかそんなんでしょ。それとも、泣いて後悔でもしてた?」

 ずっと文は冷静だった。受け答えもしっかりしてくれるし、ちゃんと話になる。信じるべきは彼女の方だと確信した。ただし心配だ、その心の内を僕は知らないからだ。

「いいや、怒ってたよ、凄く。」

 今思い出しても嫌な気持ちになる。どれ程の感情がああさせるのか。

「でしょうね。結局私のことを思ってるわけじゃないの。」

 どうやら見捨てたという形でもなさそうだった。隼人が悪と決め付けるには早すぎるが、文が心底無関心で接しているわけでもないようだ。

「文、何があったか聞いても良い?隼人は僕をもう友達だと思っていないみたいで、一向に教えてくれなかった。」

 こうやって対話ができるなら、その手懸りだって見つけやすい。まあ、文は話したがらないだろうな。

「それは…なんて言うか…思い出したくない。話して、安心したいけど、まだ、その、おかしくなりそうで。」

 断られることは予想できたが、親密さがないことを理由とするような言い回しではなく、本当にしんどそうだった。顔は見えないが必死に何かを抑えているような言葉の切れだった。今までの距離を置かれてる感じとは違い、怯えているような声色に心底同情した。山野も相当なことが過去にあったようなことは言っていた。これもその一つだというのか。

「大丈夫、文。大丈夫。話さなくていい。落ち着いて話せる日が来たらで良いよ。もう聞かない。」

 受話器越しに聞こえる息は荒く、普通の状態ではなさそうだった。発作と言うには落ち着いているが、平静を保っている人の息ではなかった。

「ごめん、気分が悪い。切るね。えっと、心配はしないで。」

 そう言うと文は僕の返事を待たずに消えてしまった。嫌な予感がする。きっと体は無事だが、また音信不通にでもなりそうな、なぜかそんな雰囲気があった。距離感があったわけではない。多分、信頼はしてくれてるし、興味を失って離れるとかそんなのでもない。でもなぜか、遠い気がしたのだ。前に急に帰ったことを思い出してしまっただけだろうか。そうであって欲しいものだ。

 それから数日、文からの嬉しい連絡は来なかった。一応、ケータイアプリでの会話には応じてくれては居たものの、会う事や話すことは暫くしたくないと断られてしまった。これでは心配しないと言う方が無理だ。心の傷が原因だというのは解釈できた。でも、会って話すことさえままならない状態になるだろうか。何処に居るかも知らないから、訪問することもできなかった。聞いた。だが、これも答えてはくれなかった。それを教えるのはやぶさかではないが、会う理由ができてしまうのは避けたいと言われたのだ。前みたいに繋がりのない仲で待たされるわけでもない。だから今は文が平気になるのを待つしかないようだった。

 また、同じ。文のいない日々に戻った。バイト先では隼人は勤務しなくなり、斎藤店長はつい先日辞めたと教えてくれた。僕もやめる事を考えていたが、新しい場所を見つける心配は無くなった。と言っても、いつかまたふらっと現れて、いつもの笑顔で会ってくれるという理想が抜け落ちず、またしても親友を失ったという現実を認めることはできていなかった。普通、あんな態度を取られ、奥底のようなものを知ってしまっては、こちらから願い下げだというのが中庸な評価になるだろう。でも、僕にとっては今一度輝いた青春だったのだ。くだらない話で盛り上がるのは楽しかったし、恋人では埋まらない孤独感と言うのを確かに埋めてくれる存在、時間だった。惜しい。その思いだけは理屈を置いてきて留まっていたのだ。ああ、大地、どうして僕は君の居なくなった世界で生きていられたのだろう。もう一度、傍に来て笑ってくれよ。僕らの絆だけは本物だった。違うかい?僕はこの先、何を信用したらいい?友達って、親友って、手を取り合わなくても、肩を並べてるだけで暖かいものだろう?それを得ることはそんなにも難しいことなのかな。僕はただ、あのくだらない日々が好きだっただけなのに。

 数週間、もう一月も終わるか。文はここ数日、ケータイアプリですら会話してくれなくなった。たった数日、それは別に、大きく気にすることでもない。でも状況が状況だったから、非常にもどかしかった。相変わらずうつ病は酷かった。完全にそうだと自覚できる程、その傾向に幾つも当てはまっていた。これは診断書を貰った方が楽だろう。苦しくて、頭が回らず、おまけに体も重くてやる気がでない。厄介なのは、そのやる気が出ないという症状を、僕自身が咎めてしまうことだ。何処までいっても、病気のせいだと割り切ることができない。何かをすることを億劫に思う気持ちが、その病気と言うのを理由にしているみたいに、自分の中で自分を責め立てる。その度にまた、死が一番解決になる方法で、苦痛のために生かされてるような気分にさせられる。まずいのだ。心を支えてくれる者が居なくなった途端、また悪魔が見え始めた。そんな不安定な状態だった。決して、良くはなっていない。その考えに埋め尽くされそうで、怖くてしかたない。

 心は、もっと癒しが必要だった。平穏を取り戻したと錯覚した心が、またかと叫びを上げる。そんな不安定な状態で、文から連絡が来た。それは、また支えになってくれるような、和やかな話なんかではなかった。

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