第十五章 話し合い
その日、僕は隼人に呼び出された。近所のファミレス。前に行った所ではない。この日は妙に体が重かった。鬱が影響していることは間違いないが、心が休まらない感覚のせいが大きいだろう。あれから何度も言葉を整理し、どうやって再び笑い合えるかも考えていた。だけど、最適解と言うのは何時まで経っても浮かび上がってはくれなかった。
「来たか。まあ、何か頼めよ…で、文はなんて?」
既に席に隼人がおり、僕の到着を待っていた。今しがた、既に着いているという連絡があった。しかし、思ったより落ち着いていそうで良かった。とは言うものの、苛立ちのようなものは漂っていた。
「コーヒーを…。その、言いづらいんだけど、話す気はないって。」
僕が言い終えると、隼人は舌打ちし、軽くテーブルの柱を蹴った。余程気にかけていたらしい。文への依存が匂ってくるようだ。
「あいつ。俺がどれだけのもんを与えてやったと思ってんだ。俺なしじゃ生きれない癖に。」
隼人の悪態は、依存とは違う傲慢な態度だった。文に食い下がっているというよりは、自分から離れたことが理解できず、腹を立ててるといった風だった。
「あのさ、隼人、何があったか教えてもらってもいいかな?文も、場合によっては話してくれるかも知れないし…」
文の人相をより深くは知らない。だから言い切れなかった。もしも、僕も文と別れる時が来てしまったら、言ってたみたいに口の一つも聞いてくれないようになるのではないか。常に淡々としている文からそれを思い浮かべるのは難くなく、イメージが多少なりともあってしまった。少し、文が冷たい人なのかもしれないという不安が心に沸いた。
「はあ?なんで今付き合ってる奴に失恋の話ししなくちゃいけねぇんだ。そんなこと言うならよ、今ここで電話してくれよ。」
僕は火に油を注いでしまった。それは御尤もだ。自分が諦めるに諦められない女性の彼氏が出てきて、前はどうだったかなんて聞かれれば、それは逆上でも何でもない。本人からすれば、失ったものを憎たらしい笑みで掲げられているのと同義だ。だが、隼人の要求は簡単には飲めない。事情を知らない以上、下手なことをすれば信用を失う。それはこと文に限った話ではなく、その行動自体にも問題があるというものだ。
「悪いけど、それはできない。僕は文も尊重したい。勿論、隼人も大事だよ?だけど、お互いに納得して話して欲しい。」
丁重に断った。いくら友人の頼みと雖も、できなかった。自分なりには正しい判断をしているつもりだ。
「別に長話するつもりはないんだ。一つだけ伝える必要があることがあるんだ。だから、それだけでも頼む。」
隼人は深々と頭を下げた。彼なりに、僕に向かってしまう怒りに覚えがあるのかもしれない。立場的に頭を下げるというのも癪だろう。僕はたった一言くらいなら、文も大目に見てくれるだろうという算段でそれを呑み込むことにした。スマホを取り出し、電話を掛けた。
「…文、あのさ、隼人がどうしても伝えたいことがあるらくて。そう。今一緒。だから今から変わっ…」
文はいつも通り電話に出てくれ、相槌を打っていたが、その話題を口にした途端電話を切った。通信が切断される空しい音が、スピーカーから流れるだけだった。余程嫌だったのだろう。ただ冷たいとかそういう次元じゃない気がしてきた。
「なめやがって。おい、今アイツ何処にいる?」
隼人はテーブルを強く叩き、目くじらを立てた。まだ口を着けず、水位が下がっていない届いていた僕のコーヒーは溢れて零れた。これは危険だ。尚更そんな反応でその質問に答えられるわけがない。
「知らない。これは本当に。何処に住んでるとか、まだ知らないんだ。」
僕が返したのは事実だ。教えるわけにいかないにしても、実際に詳細は知らないのだ。教えようもない。おかしな話だが。
「はあ…なんで一言すら聞く気がない。冷たいと思わないか?」
怒りだけではなく、隼人に若干の落胆が出始めた。まあ、一理あると思う。何があったかは知らないが、一言もなんて…文は真っ当な理由を抱えているのだろうか。
「少し。あの態度だから、良いことにはならないけど、僕の口から伝えようか?少なくとも伝わると思うし。」
話したくないというのは重々承知だったが、どこか隼人がいたたまれない気持ちが強かった。きっとここで解散となったら、僕は完全に隼人の敵になる。せめてもの力になりたかったのだ。
「だから何なんだよ、お前。そんなんで納得できると思ってんの?」
僕は頭が悪いから、隼人がどうすればいつもの彼でいられるようになるかを導き出せなかった。
「友達だから。隼人にとって僕が目の敵だっていうのは理解してる。でも、僕にとっては親友なんだ。前みたいに一緒に笑えるなら、できることは何でもする気だよ。」
だから僕はその誠実さだけを伝えることができなかった。もっと頭が回るなら、今までの人生も失敗続きではなかったはずだ。ああ、またこの感覚だ。いつになったら心の平穏と言うのが訪れるのだ。どうしてこういう、意味の分からない運命のいたずらに苛まれなくちゃいけないんだ。
「ちっ。友達?ふざけんな。そもそもなんでお前なんだ。仕事もろくにできねえ、頭も悪い、のろまで何一つ満足にできねえお前が。文が好きでお前といるとでも思ってんの?」
隼人から出た怒りの言葉は、人権を否定するような、友達に吐きかける言葉ではなかった。なのに、僕は怒りよりも悲しみが爆発しそうだった。もう、埋まることもなさそうな友情に対しても、文との現状に対しても、何も変えられやしないことに。彼の言い分は、ずっと僕が心で燻り続けていることだったから、反論の言葉も出てこなかった。文と付き合っているのも、半分は泣き落としみたいなものから始まったのだ。文に今の気持ちを直接聞くことができない僕には、ただの愚弄とは映らなかった。
「落ち着いてよ。僕は確かに無能だ。でも、今までは楽しかったじゃん。それを引き合いに出すのはよそうよ。力にはなる。だからそんな風に見下さないでくれ。」
僕はまたも同じ提案をした。薄々気づいてはいた。自分自身が隼人にとっての嫉妬の対象である限り、僕が彼を救うことはできないという事を。それでも、そんなのが理由で、ようやく大地のように苦楽を共にできる人との絶交というのは余りにも酷いではないか。
「そうか。なら、文と別れろ。」
かなり取り乱しているのか、隼人は支離滅裂と言ってもおかしくないことを僕に言い出した。
「それは流石に…」
無茶苦茶だ。そもそも、別れたとしても隼人が報われるわけじゃない。文の態度が変わるわけでもなく、誰のプラスにもならない。
「俺がただ嫉妬で言ってるとか思ってるのか?違うぞ、よく考えろ。お前、アイツを幸せにできんの?迷惑してるぜ、絶対。文はさ、ほっとけないタイプなんだよ。本気で望んで一緒に居たいって、アイツが言ったのか?そうじゃないならもう一度考えてみろよ。釣り合わないってお前も理解してんだろ。心から愛してるって思うなら、その人の幸せを本気で願うのが筋だろうが。」
また痛い所を突かれ、僕の不安が言葉にされてしまった。しかし、何かに打たれたように、あろうことか僕の心は冷静さを取り戻した。文の言った通り、こいつは危険だ。間違いない。今までの態度で、そんな格言みたいなのに説得力があるか。勿論、文が僕をどう思っているかという、その言葉には引っかかりがあり、違うとは言い切れないが、きっとこいつは文の幸せを望んでなんかいない。ただ、友人と言う立ち位置はどうしても諦められなかった。どうにかしたら、また上手くいくはずだと思ってしまっていた。最低な奴だと、切ってしまえば良かったのに。
「僕は、帰るよ。もし、落ち着いたらまた話そう。今の話、持ち帰る。」
その甘さがあるが故、確実なノーを彼に言い渡せなかった。僕は立ち上がり、出口へと向かった。
「おい、まだ終わってねえぞ。」
脛を蹴られ、立ちゆく時も服を掴まれたが、僕は申し訳なさそうに振り払い、何も言わずその場を後にした。隼人もため息だけでそれ以上僕に絡むことはなく、店に残っていた。
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