第七章 重い

 張り詰めるような自殺願望は沈んだが、無くなったわけではない。自分を傷つけようとする苛立ちに似たものは、ジトジトとずっと纏わりついていた。だからそれに伴う自傷行為を、文が傍に居てくれるようになったからと言って、止められたわけでもないのだ。他愛もなく、続けるしかなかったのだ。

 だが、少し前向きな話題もあった。死んだ目で通っていた本屋に新しい人が入ってきたため、幾分仕事も楽になり、それだけでなく僕と年相応で対応も良かった。

「こんにちは。俺は「飯島 隼人」です。考弥先輩ですね?よろしくお願いします。」

 隼人は金髪の若干やんちゃな見た目をしていたが、好青年な様でいかついイメージはなく、案外話は通じそうだった。

「有坂で良いよ。初めに言っておくけど、僕は仕事ができない。頼らないで。」

 バイト仲間と言われる人は存在してたものの、僕と同年代は居なかったため少し嬉しかった。しかし、相変わらずここで煙たがれる存在ではあったために、離れていくものだろうと腹を括っていた。

「んじゃ有坂、よろしくな。」

 人づきあいも不得手で無さそうな彼は、はにかんで見せて良い印象を与えた。以降通った数日間、適応していき、僕と顔を合わせることも多く、僕の無能っぷりを見ることとなったが、苦手とするところを代わってくれたりもした。

「いいんじゃね?別に接客なんかできなくても。周りのこと気にすんなよ。」

 他の人とは違い、判ってくれそうだった。似ているわけでもないが、大地を彷彿させるとさせるような態度に、彼自身を重ねてしまい、良い友人に成れるのではないかと思えた。人は見かけによらないと久々に思えたのだ。ここに通うのを地獄のように思わなくて済むのは、僕にとっては有難いことで間違いはなかったのだ。

 それでも足りなかった。僕に纏わりついてくる不吉な感情は、そう簡単には拭えない。僕は好転の兆しに乗るようにして、文に電話を掛けることにした。彼女が本気で振り向いてくれて初めて、全てが始まるような感覚があったのだ。

「文、週末に会おう?どこでもいいんだけど…できれば家が。」

 あれから電話ではなく、携帯アプリで会話していたため誘いやすかったのもある。僕を放置していることを気にかけてくれていたのか、些細な話題でも連絡してくれていたのだ。そして僕が、家が良いと言ったのには訳がある。前のあれは例外として、付き合いたてで家に呼ぶのは良くないと知っていたとしても。それは体が重いということだ。それも尋常じゃなく。本気で鬱が込んできたのか、動こうにも動けずに意識が遠ざかっていくような感覚が頻繫にあるのだ。特に低気圧の日は自律神経の影響か、それが顕著に表れるのだ。もの凄く不安定な状態で、待ち合わせ場所を決めてそこに定時に行けるかも確証がなかった。

「家?いいよ。会おうね。」

 そういう事に理解があるようで、呆気なく文は了承してくれた。前みたく、何をされても良いなどと言う自暴自棄の考えでなければいいのだが。

「最近、ホントにしんどくてさ。もし来ても、上手く対応できないかも。迷惑かけたくないけど、起こりえるから言っておくよ。」

 僕は自分の今の状態を伝え、要らぬ誤解を生まぬように努めた。それでも、仕方のないことだと解っていても、怠けているような自分に自分勝手だという感情が少なからずあった。

「そう。じゃあ、鍵は開けといて。勝手に入るから。」

 文は肯定も否定もせず、それだけを言った。彼女も同じような症状が?そういう事をもっと話したい。深くなりたい。僕らは一気に距離が縮まったようで、実際は相手を理解していないから、そのタイミングを逃し、距離感が掴めないようだった。

 漫然と過ごしている間に週末が来た、隼人が来てくれたおかげで憂鬱感はましだったが、この日は体が重すぎた。もうすぐ文が来る時間だというのに、布団から体を起こすことができなかった。意識が行ったり来たりする中、彼女が来た。

「入るよ?ああ、お眠か。」

 玄関で声がした。それでも覚めず、微睡の中にいた。

「うう。文。」

 夢に引きずりこまれそうになりながらも反応し、その方向に目をやった。この時は申し訳ないという気持ちよりもしんどさが勝っていた。文はゆっくりと廊下を歩き、リビングで横たわる僕に近づいてきた。今日の服装は短パンとTシャツにグレイのパーカーを羽織っており、彼女にしてはかなり控えめで普通の格好をしていた。

「外、雨だからちょっと濡れちゃった。」

 先ほどまで靴下を履いていたようで、素足の湿り気のある音が床に響いていた。そのまま僕の傍まで来ると座り、見守ってくれた。僕はそこでようやくほんの少し現実に戻って来て、文と目が合った。

「文、ごめん。どうしても起きれなくて。」

 罪悪感が芽生え始め、意識は這いずり出ようと体を起こそうとした。

「分かってるから。暖かい飲み物持って来てあげる。キッチン借りるね。」

 文はぺたぺたと歩きながら、台所へと向かっていった。すらっとして細い脚は色気があり、眠気の中でも目が吸い寄せられた。床に響く人の体重による振動も、存在感を強く受け取ることができ、愛おしさを増進させる。

 彼女は片手に湯呑を、もう一方にはマグカップを持ち、持ってきた。鼻孔をくすぐる紅茶の香りに釣られ、僕は起き上がることができた。前と同じくソファに並んで座った。代り映えのしないデート。本来はもっと楽しいもののはずだ。

「どこか、行きたいとかある?せっかくのデートだし。」

 そう思い、質問した。距離感はおかしいが、近づくべくして近づくことは出来る。お互いを知るにもその機会が必要だった。

「そうだなあ。前にさ、バーって言ったよね?紹介したいところがあるの。勿論、前みたく嫌ならいいんだけどさ。」

 前と同じ提案だったが、今回はやけくそな感じはしなかった。早いというのは正しいが、僕にばっかり付き合わせるのは面目が立たない。

「文が良いなら。でも、明日はバイトだ。飲むのはほどほどにするよ。」

 諸々の理由で了承することにした。おかしい。普通は男から誘って女性が深く考えるようなことではないか。前のは前として、文にはこういう大胆な所があるのかもしれない。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る