14.〈騎士〉ヴィクトル




「ユーディット様、少しご相談してもよろしいですか」

「はい、何でしょう?」


 作業に一区切りがつき、ティーブレイクを挟んだタイミングで、ジークハルトがユーディットに話しかけた。


 テーブルには時計回りにユーディットと聖女様、ジークハルト、研究者のバルヒェット侯爵令息の四人が座り、聖女様の護衛の男が淹れた紅茶が四人分用意されている。ヴィクトルと聖女様の護衛二人は後ろに控え、お茶菓子のクッキーだけいただいていた。


「この護符が実用化された場合、ユーディット様ならどう扱いますか?」


 あら、とユーディットは意外そうに目を丸くした。おっとりとティーカップを傾けてから、淀みなく答える。


「生活魔術具として各家に売ります」


 意外と優雅な仕草で紅茶を楽しんでいたバルヒェット侯爵令息が、わずかに眉をひそめた。


「差し出口ですが、危険ではありませんか。【通信】してどこと連絡を取られるかわかりません。使い方次第では盗聴される可能性もあります。軍用魔術具として申請し、管理を徹底すべきかと」

「軍用魔術具とするならば、国軍、ひいては王家が利益を独占することになります。妖精王の悪戯による混乱が収まりきらぬ中、王族だけが利を享受するのは望ましくありません」


 ユーディットが間髪容れずに反論すると、ジークハルトは「きっぱり真逆だね」と真面目な顔つきになった。


「どちらも一理ありますが……。完成した護符は相当な高級品になるでしょうから、普及にもかなりの年数がかかります。影響力の大きいものを中途半端にちらつかせれば諸外国の警戒心を煽りますから、いっそ魔術式の権利を放棄し公表するのも手かと」 

 侃侃諤諤と議論し始めた生粋の上流階級お三方に、聖女様は黙って紅茶をすすっている。貴族生まれのヴィクトルも一言目で匙を投げた政治の話だからついていけないのだろう。つまらなくないかと観察したが、この聖女様は本当に表情筋が動かないので何を考えているかわからない。


 すると、見すぎたのか聖女様がヴィクトルを振り返った。


「…………」


 自分のことは棚に上げるが、そう見つめられると怖い。無視するのも自分から声をかけるのも憚られ、黙って耐えていれば、聖女様の護衛の片割れがひょいと主の手から空になったカップを取り上げた。


「気になるなら言ってしまった方がいいですよ」


 流れるような手つきでおかわりを注ぎ、カップを聖女様の元に戻す。聖女様の側付きの割には振る舞いが粗野で、ちょっと親近感が湧いた。


 聖女様は「あ」と小さく呟くと、お守りのように湯気の立つカップを両手で包み込む。


「……あの、ヴィクトル様」

「呼び捨てで構いませんよ。僕は大した者ではないので」


 訂正した途端、おずおずと喋り出していた聖女様が、ぱっと口を閉ざす。一の口答えで百の嫌がらせを打ち返してくるユーディットとは似ても似つかない反応で、ヴィクトルは対応を間違えたと気づいた。ひとまず、この人には話の途中で口を挟むのはやめた方がいい。


「申し訳ありません、お話の途中で」


 ヴィクトルが慇懃に謝罪すると、聖女様は「いえ」と小さく首を振る。もう一度勇気を振り絞るまで、思いの外時間はかからなかった。


「ヴィクトルさんは、どうして騎士に?」

「騎士になったのは生活のためです。田舎貴族の端くれで、貧乏だったもので」

「……怖くはありませんか?」


 感情の見えない、平坦な口調に首を傾げる。この聖女様は何を知りたいのだろうと思って、ふと思い出した。


 聖女様は妖精教会に拉致されたところを、王国騎士団に救出されている。しかし、命を惜しまぬ信者らの抵抗に遭い、かなりの被害が出たと聞いた。


 そのときに見た血が、忘れられないのかもしれない。


「怖くありませんよ」


 ヴィクトルはあっさりと告げてから、見下ろしたままも怖いかと思ってその場に膝を突く。座る聖女様より視線を下げて、話を続けた。


「それなりに訓練は積んでいます。聖女様が怖い思いをなさったのなら、騎士団が守るべきものを履き違えたのでしょうね」


 聖女様が一度瞬きする。相変わらず無表情のままだが、今のはわかった。驚いている。


 そのとき、後ろから手が伸びてきて、顎を掴まれて強引に上向かされた。見上げた天井を背に、逆さまになったユーディットが困ったように微笑む。


「ヴィクトル、エルナ様を怖がらせてはだめですよ」


 ヴィクトルは冷めた目で束縛癖のある姫様を見返した。


「それは申し訳ございません」

「ユーディット様、あの」

「聖女様、お気になさらず。僕が聖女様に膝を折ったのがお気に召さなかっただけですよ」


 何か言いかけた聖女様を制して、ヴィクトルはユーディットの手を振りほどき、大人しく立ち上がる。聖女様はヴィクトルを視線で追いかけ、ちらりとユーディットを一瞥した。


(……意外とわかるもんだな)


「あら。私はどなたにも礼節を尽くすヴィクトルを誇りに思っていますよ」


 無言でオロオロしている聖女様とは対照的に、姫様はよく喋る。胡散くさい台詞にヴィクトルは半眼になり、「光栄です」と心にもない返事をした。もう若干素が出ているから、嘘で固められた淑女の仮面は諦めればいいのに。


 すると、「ユーディット様」と聖女様が姫様を呼んだ。


「突然、申し訳ありません。一つだけ、お願いしたいことがあるのですが」

「何でしょう? お力になれることでしたら、もちろんご協力いたします」


 ユーディットが微笑むと、聖女様は礼を述べながらちらりとヴィクトルを見た。こちらをまっすぐ見上げる聖女様の目に少しだけ力強さを感じて、軽く瞠目する。いつもは覇気のないガラス玉のような目なのに、そんな目もするのか。


「今度、レオノーレさんとゲオルクさんに魔術なしの戦い方を、ヴィクトルさんに指導していただけませんか」


 頼み事の内容に驚いたのか、ユーディットは一瞬笑みを遠ざけた。自分に関係があるとは思わず、ヴィクトルはまじまじと聖女様を見つめ返してしまう。


「私の護衛官は少なくて、慣れるのに時間がかかるので、人を増やすこともできません。二人に強くなってもらわないといけないのです」


 聖女様は淡々と理由を説明し始めた。話し方はいつも通りたどたどしいが、ずっと受け身だった聖女様が、明確な意志を持って喋っていることは間違いない。


 ユーディットは不思議そうに聞き返した。


「お話はわかりましたけれど、魔術なしというのはなぜでしょうか? ドレッセル伯爵家なら、防衛結界も魔道具も豊富にございますでしょう。魔術を用いた方が、戦い方に幅が生まれると思いますけれど」


 聖女様はふるふると小さく首を横に振る。ヴィクトルに頼む理由を端的に説明した。


「でも、私たちは魔術を使えません。頼りすぎるのは危険です」


(そう来るか)


 しかし、妥当だ。ヴィクトルと聖女様が個人的に仲良くなるには立場が違いすぎるし、聖女様自身見知らぬ相手に近づくのは怖いだろう。直接交流するのが聖女様の護衛官であれば、同じ武人として共通点もあるし、身分もそう高くないのでヴィクトルの方もやりやすい。発案者だろう黒幕の顔が隠しきれていないところは微妙な気分になるが。


「ヴィクトル、あなたはどう思いますか?」


 ユーディットが気遣わしげに横に立つヴィクトルを振り仰いだ。自身の騎士なら命じればいいものを、実際に役目を負う本人の意志を尊重しようとする心優しい主の仕草に見えるが、ヴィクトルにはわかる。これはその方が面白そうだからと全部ぶん投げてくるときの態度だ。


「お二人は優秀な武人です。聖女様にご指名いただきながら申し訳ないですが、僕がご指導できることはないかと」


 ヴィクトルが丁重に断ると、聖女様は「そうですか」と呟いた。わずかに落ち込んだ気配がして、ちょっと気まずくなったヴィクトルは、予定していた言葉を早めに提案する羽目になる。


「ですが、主のために強くなりたい気持ちは僕も同じです。もし許してくださるなら、お二人と手合わせの機会をいただけないでしょうか」


 聖女様はぱちくりと大きく一度、瞬きした。


「訓練にご協力いただけるということですか?」

「協力というほどでは……。僕が教わるだけになるかもしれませんし」


 聖女様の護衛官二人が只者でないのは佇まいでわかるが、幸いその実力が発揮される場面がなかったので実際の強さはわからない。多少は相手できるつもりだが、と不安げに二人を見やったら、どちらも言いたいことを呑み込んだような微妙な顔をしていた。


「ありがとうございます」


 ぺこ、と聖女様が一礼する。その正面に座るジークハルトが「よかったね」と優しく微笑めば、聖女様はそちらを見てかすかに口元を緩めた。


 ユーディットが決まりというように手を合わせる。


「それでしたら、計画を立てなくてはね。エルナ様、その手合わせは私も同行してよろしいでしょうか? 私の騎士の勇姿は見逃せませんから」


 姫様は早速、絶対に勝てとヴィクトルを脅してきた。先程弱気を見せたことでプライドを傷つけたのかもしれないが、かつてユーディットに仕えていた騎士の中でヴィクトルは最弱である。予防線を張るくらい許せよ。


 表面上は無邪気なユーディットに、聖女様はちらりとジークハルトを見上げた。たぶん姫様の裏の声を正確に聞き取っているジークハルトは困ったように苦笑する。


「魔術省の実験室を借りるつもりだったのですが、ユーディット様がいらっしゃるなら手狭ですね。どうしようかな」

「実験室?」


 ヴィクトルが聞き返すと、ジークハルトは何でもないように研究中の魔術を試用するための場所だと教えてくれた。主に攻撃魔術の実験に使われており、遮蔽物のない堅牢な部屋なのだという。危険な手合わせの間に、護衛を引き連れたユーディットが入るにはスペースが足りないらしい。


 しかし、こうと決めたら周りを巻き込んで爆走するのがユーディットである。ジークハルトも別に拒否したわけではないが、ちょっと困らせたからといって遠慮するような性格ではない。


「王国騎士団の訓練場はどうでしょう? 伝手はありますから、エルナ様とジークハルト様のご都合に合わせて手配できると思います」


 続いて豪快な策を提案したユーディットに、ヴィクトルはまた始まったと顔をそらした。ドレッセル伯爵家の面々は目を丸くし、我関せずといった感じだったバルヒェット侯爵令息が少しだけ眉をひそめる。


「王国騎士団の施設を私的に利用するのは、王族でもなければ許されないのではありませんか?」

「そうですね。ですが、皆様で使えばよいでしょう?」


 バルヒェット侯爵令息はよくわからないと言いたげに首をひねった。聖女研究室に出入りするようになってわかったが、彼は魔術さえ絡まなければ割と常識的で気配りの人だ。


 いくらか姫様の無茶振りに耐性のあるジークハルトは、ユーディットの出方を伺うように口を開く。


「訓練場に一般開放されている場所はありませんよね?」

「現状はありませんが、かつては剣術大会の催しなどで市井の民が観覧にいらした記録がありますし、最近でも検討されたことはあります。ジークハルト様もご存知でしょう」


 ユーディットが水を向けると、ジークハルトはなぜか遠い目になった。


「…………あれですか。あれを今、やろうとしていますか?」

「だめですか?」


 ユーディットは少し眉を下げて聞き返す。ジークハルトは珍しく気が進まなさそうに答えた。


「ヴォルフを引っ張れますか?」

「コルネリウス様ではなく、でしょうか」

「彼は確実に来ます」

「そうですね」


 断言するジークハルトに同意してから、ユーディットは検討するように小首を傾げる。


「おそらく、可能です」


 臆面もなく言い切る姿は、頼もしいを通り越していっそ怖い。誰だ、我儘な姫様にこんな権力を持たせた奴は。


 流石に王太子の名前が出てくると看過できなかったのか、黙って成り行きを見守っていた聖女様が戸惑ったようにジークハルトの袖を引く。


「ジークハルト様、これから何をするのでしょう」

「騎士と魔術師の交流試合、の予定」


 端的な返事に、聖女様はぴしりと固まった。ジークハルトは聖女様の手を握って宥めながら丁寧に説明する。


「王国騎士団と魔術省、特に警務部は仲が悪くてね。共に国防を担う重要な機関なんだけど、管轄が同じな分、その線引きで衝突しやすいんだ。この辺りはヴィクトルの方が詳しいと思うけど」


 視線を向けられて、ヴィクトルは軽く頷いた。


「騎士団が捜査を進めていた案件でも、魔術絡みだとわかると即行で持っていかれますからね。魔術になんか頼るかと頑なな諸先輩も少なくないです」


 おかげで、便利な魔道具も王国騎士団ではほとんど使用されていない。それで得物を限らず戦えるようになったので全部が悪いわけではないが、普段から反発し合っている状態で有事の際に連携や協力ができるはずもない。国防の要である王国騎士団と魔術省の不和にどう対応するかは国の頭痛の種だった。


「三年前はどちらにも拒否されてしまいましたが、今の騎士団長はコルネリウス様で、ジークハルト様も結界管理室の室長に就任されました。勝算はありますでしょう?」


 退く気のないユーディットの後押しに、ジークハルトは「そうですね」と覚悟を決めたように頷いた。


「ごめんね、エルナ。だいぶ忙しくなりそうだ」

「いえ。無理しないでください」


 ジークハルトが申し訳なさそうに謝ると、聖女様はそっと手を握り返す。


 予想通り大事になった。ヴィクトルは溜息を押し殺し、ユーディットの耳に小声で囁く。


「あんた、何を考えてるんです?」


 バルヒェット侯爵令息が指摘していた通り、これを本気で実現させるならユーディット姫の存在が否応なく目立つ。父親の権威を削ぎたいユーディットの意向に背くはずだ。


 意図を図りかねて尋ねると、ユーディットは八百枚の猫を被った笑みでヴィクトルを振り返った。


「かつて行われていた王国騎士団の剣術大会では、優勝者に主催者である王族から望んだ褒賞が与えられたのですって」


 それは知っている。ギャンブル好きの同僚が、大金をスった翌日に剣術大会を開こうと毎度のように言っていた。


「ある年の優勝者は、褒賞として家の都合で引き離された婚約者を望み、翌年には無事結婚できたそうです。ロマンチックですね」


 その言葉に、思わず顔が引きつった。


「俺に、優勝しろと?」


 確かにロマンチックだ。寡黙に姫を守ってきた騎士が、最後に大会で優勝して王族に姫との結婚を望む。ユーディットが一年かけて築いたストーリーの結末としては完璧だろう。王家と公衆の面前で大団円を演じきってしまえば、ギレスベルガー公爵もいよいよ結婚を認めざるを得ない。


「できるでしょう?」

「クソ主」


 舌打ちせんばかりのヴィクトルに、ユーディットは心底楽しそうに笑った。



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