4.〈魔術師〉ジークハルト




 ヴォルフラムの執務室に行くと、王太子は書類に埋もれながら、紳士然とした貴族とやり合っていた。


「――して、ヴォルフラム王太子殿下には、賢明なご判断をお願いいたします」


 ジークハルトが入室した途端、貴族が話を締めくくる。ヴォルフラムを護衛する騎士が来客のために扉を開けたのに気づいたのだ。ペンを動かす手を止めて無表情に聞いていたヴォルフラムは、ジークハルトをちらりと見て、慇懃に頭を下げた貴族に向き直る。


「父上に相手にされなかったから来たのか? ギレスベルガー公爵」

「まさか。国王陛下にも謁見を打診いたしましたが、公務に追われていてなかなか臣下と話す時間を取れないそうです。しかし、私の意見をないものと思われたら困りますので」

「そうか。確かに私も、最後にお会いしたのはいつだったかな。あれほど言葉を尽くしてなお理解されぬとは、父上もお可哀想に」


 相変わらずヴォルフラムの弁舌は絶好調である。公爵の嫌味をあっさり叩き返すと、挨拶もそこそこにジークハルトを呼んだ。邪険に扱われた公爵は微笑のままジークハルトに場所を譲る。


「結界管理室の室長が直々にいらっしゃるなど、緊急事態なのでしょう? これにて失礼いたします」


 最後まで嫌味たらしい公爵は、意外と素直に退室していった。馴染みの騎士が防音の扉を閉じたのを確認して、ジークハルトは書類をさばき始めた乳兄弟を見下ろす。


「昨夜、襲撃未遂が起きていましたが、報告は?」

「受けている。馬鹿だな」


 さっき同じ台詞を聞いたが、毒の含み方が段違いだ。


「フランツィスカを葬る算段が失敗したから、今日来ずにはいられなかったのだろうな。どうしようもない」

「憶測で決めつけるのはどうかと思うけど、そうだろうね」


 ヴォルフラムの気の抜けたぞんざいな態度に、ジークハルトは早々に取り繕うのをやめて同意した。


 ギレスベルガー公爵は現王の同腹の弟で、ヴォルフラムの元婚約者の父親だ。妖精王の悪戯が起こった最大の原因であり、またそれによって一番損害を被った人物でもある。公爵はいつからかの即位の夢を諦めきれず、臣下に降った今もどうにかして実権を握りたがっているともっぱらの噂だった。今回も、フランツィスカを排せば自分の娘がヴォルフラムと復縁できると考えているのだろう。


「それで? まさかそれを言いに来たのか」

「違うよ。例の、古代遺跡で見つかった古い護符のこと」

「ヴァラハ要塞の遺物か。解析できたのか?」


 聞き返すが、ヴォルフラムは顔を上げもしない。魔術関連については、彼個人の興味がさほど向いていないのと、ジークハルトに情報を把握させているのとで頭の片隅に追いやりがちだった。


「【通信】の護符だった。それを使うと遠距離で会話ができる。研究を続ければ実用化の可能性も――」

「報告書は」

「あるよ」


 利用できるとわかった途端食いついたヴォルフラムに、ジークハルトはヨルンの報告書を差し出した。ヴォルフラムは手にしていた書類を放り出し、報告書に目を通す。研究の過程と成果が簡潔にまとめられているそれを読み込み、数分後に顔を上げた。


「聖女殿が魔術式を理解すると? お前、教えたのか?」

「教えてない」


 ジークハルトは首を横に振る。婚約前に担当した講義は、歴代の聖女に関する研究内容を教えたり、代々異なる聖女の力を二人で調べたりするもので、魔術の指南はしていない。多くの科目を勉強させられて目を回していたエルナに、特に難解な魔術を教える気はなかった。


「魔術研究に有用な人材だな。古代魔術式の解析か魔術具の改良か、どちらがよい?」


 案の定、ヴォルフラムはエルナの出仕を決断した。思考過程を省いた雑な質問を、至極平然とするのだから、ジークハルトは肩をすくめる。


「研究内容は【通信】の護符を勧めるけどね。エルナはヨルン・バルヒェットと組ませるべきだ」


 ヴォルフラムは一瞬、報告書に目を落とした。


「お前の部下か?」


 婚約者を目に届くところに置きたいだけだろう、という言外の非難を感じる。ジークハルトは微笑んだ。


「エルナは魔術式を読めるけど、魔術師として十分な知識があるわけじゃない。魔術式として成立するものを理解できるだけで、虫食いの魔術式を補完することはできないし、その魔術式がどんな仕組みで効果を発揮するかもわかってないんだよ」


 ヴォルフラムは眉をひそめた。エルナ一人で魔術研究は成立し得ないことはわかってくれたようだ。ジークハルトは説得を続ける。


「とすると、今回みたいに、エルナが読めた分を手掛かりにして研究を進められる魔術師が必要になる。三か月前、ヨルンに伝えた情報と同じものを遺物研究課にも渡したけど、向こうは目処も立っていないらしいよ」


 ヨルンが頭一つ二つ抜けているが、現存する史料の少ない古代魔術を研究する遺物研究課も、実力派揃いの専門家集団である。彼らが成果を上げられないなら、エルナの提供する情報についていける研究員は他にいないと見ていい。エルナと組ませる魔術師は、ヨルン以外には務まらない。


「【通信】の研究は、だろう。聖女殿自身に知識を身につけさせれば、他に使い方もできる」


 ヴォルフラムが淡々と告げる。まあ、そう来るとは思っていた。


 いきなり補佐付きで高度な研究に関わらせるより、あらゆる魔術式を読ませる方が知識もつくし、聖女の力の有用な利用方法が他に見つかる可能性がある。何より聖女が読むだけで魔術式の効果がわかるから、時間や経費が省ける。毎年莫大な研究費を支出している王家にとっては重要だろう。


 ジークハルトは許可できないというように首を振った。


「エルナを開発部に入れても、まともな研究にならないよ。自惚れじゃないけど、あの子は俺しか信じてないんだから」


 見知らぬ集団に萎縮して、心労を溜め込む未来しか想像できない。魔術師の資格を持っていない素人が開発部に入ることも受け入れられない研究員がいるだろうに、肝心のエルナが何の行動もできないとなれば、反発が大きくなるのは必至だ。その反発にエルナがさらに心を閉ざすという悪循環に陥る。


「余計な軋轢を生むくらいなら、エルナの研究室を新しく作った方がいい。聖女の力がどんなものでも対応できる」


 ヴォルフラムが黙る。赤い瞳で睨めつけて数秒、彼は不満げに言った。


「お前、怒っているな?」


 ジークハルトはかすかに笑った。昔を思い出す懐かしい反応で、つい楽しくなってくる。


「俺の譲歩を受け入れないなら、怒るかもね」

「お前はわからんな。フランツィスカも大概だが」


 ヴォルフラムはどこかあきれた口調で呟くと、「わかった」と報告書をジークハルトに返した。


「聖女をヨルン・バルヒェットと組ませるよう、魔術省長官に伝えておく。露払いは自力でやれ」

「ありがとう、ヴォルフ」

「それと」


 呼び止められて、ジークハルトは首を傾げる。ヴォルフラムはポケットから鈍色の懐中時計を取り出した。


「そろそろフランツィスカが来る頃だ。挨拶していけ」

「来る頃って……」


 何でもないような言葉に戸惑う。二人は婚約者だから、執務室で会う約束をするのも不思議ではないが、そんな時間を邪魔していいものか。用意した自衛用の魔術具を直接渡せるのはありがたいが、ヴォルフラムが今さら、ジークハルトとフランツィスカの接触を警戒したとも思えない。


(……嫌な予感がするな)


 ジークハルトは溜息をつきたくなった。


「今度は何したの?」

「私が何かした前提で聞くな」

「してないならいいけど」


 ジークハルトが片手を腰に当てれば、ヴォルフラムは書類仕事に戻ろうと目線を下げる。


「奴の侍女を一人解雇したら、怒って手がつけられなくなった」


 ヴォルフラムは時々、フランツィスカを奴と呼ぶ。ある意味予想通りの修羅場に、ジークハルトは即座に情報開示を要求した。


「どうして、どうやって?」

「先日公金を横領して逮捕されたザシャ・クナップの妹だからだ。雇い主のグートシュタイン公爵と協議した結果、フランツィスカの側付きを解雇して公爵領の邸に戻した」


 端的に答えるヴォルフラムに、ジークハルトは頭が痛くなった。怒って当然である。


 ジークハルトは魔術師で自衛手段を持っている上、機密事項の多い職務なので側仕えはめったに連れ歩かないが、一般の貴族子女からすれば手足も同然だ。実際に側に置いているフランツィスカに断りもなく、公爵である祖父と婚約者が勝手に解雇を決めて、不満を持たないわけがない。


「フランツィスカには謝ったの?」


 ヴォルフラムは嫌そうに顔をしかめた。


「昨日の晩餐は一方的に詰られて終わったが?」

「あぁ……」


 売られた喧嘩はその場で買うのがフランツィスカの主義である。口の上手いヴォルフラムが一方的と言うなら、もはやその侍女を側付きに戻してからでないと何も聞いてくれないだろう。ジークハルトを間に挟みたがったのもわかる。


「王太子妃の側仕えに、罪人の縁者が相応しいわけがなかろう。瑕疵のある人材でも使わねば成り立たぬのかと舐められるだけだ」


 近隣諸国の中には、罪人の家族も罪人と見なす連座制度が刑法上存在している国もある。フランツィスカがこれからローゼンミュラーの顔となる以上、ヴォルフラムやグートシュタイン公爵が解雇を決断したのは間違いではなく、彼女とてそれは承知しているはずだ。


「気持ちはわかるけどね。本当にそう思うなら、あの子の頭越しに勝手しないでちゃんと本人と話すべきだよ」


 ジークハルトは少し眉を下げた。


 王太子妃の地位は重い。民の期待に応えるのが当然で、それを超えればさらに大きな期待を寄せられる立場だ。特にフランツィスカは王族入りが決まって日が浅く不慣れな上に、国内外を混乱させた妖精王の悪戯の影響で不必要に厳しい目を向けられている。彼女の評判に傷をつけそうなものを極力排除しておきたい気持ちはよくわかるが。


「フランツィスカと不仲になって困るのはヴォルフだ。あの子が何を言っているのか、どうやったら聞いてくれるか、もう一度じっくり考えろ」


 ベチッと額を弾くと、すぐさまヴォルフラムに手を叩き落とされる。ジークハルトは素直に手を引っ込めた。


「フランツィスカは、どうして納得しないんだと思う?」


 ヴォルフラムは忌々しそうにジークハルトを見上げる。


「それがわかるなら苦労しない」

「わかるよ。もっと簡単に考えて」


 ジークハルトは机に手をつき、顔を近づけるようにしてヴォルフラムの紅玉の目を覗き込んだ。ヴォルフラムが文句を言う。


「近い」

「そんなに近づいてないよ」


 言い返しながら、ヴォルフラムが気を取られた隙にフランツィスカへの魔術具を彼の手に押し込む。突き返される前に素早く距離をとり、身を翻した。


「ジークハルト!」

「それ、フランツィスカ宛てだから。よろしくね」


 怒鳴る王太子に背を向け、扉へ向かう。今まで口を挟まず扉を守っていた壮年の騎士が、ジークハルトと目が合ってふと口元を緩めた。幼い頃、ジークハルトの母がヴォルフラムの乳母をやっていたときからの王子の騎士だ。


「お疲れ様でございます、ドレッセル室長」

「お疲れ様です。……いつもありがとうございます」


 扉を開けてもらいながら、すれ違いざま囁く。乳兄弟二人の秘密に散々付き合っている騎士は、慣れた様子で「どういたしまして」と返事をした。



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