中
「これ見んの?」
「なに? もしかしてびびってんのか?」
ショッピングモールに併設された映画館。入口横の壁に、上映中のポスターが並ぶ。そのうちの一つを前に立ち止まり、眺めていた。
「びびってはいないけど。確かに、怖そうだね」
閑散とした街並み。血みどろの姿で顔をゆがませる、たくさんの人。彼らから逃げている男女の主人公。力強い筆圧で書かれた映画タイトル。
ネットで大きく騒がれている洋画ホラーだ。ウイルス感染パニックもの。従来の作品よりグロテスクなゴア表現がとにかく多い、という情報を、幸人はすでに仕入れている。
「嫌だろうがなんだろうが付き合ってもらうからな。チケットももうとってあるし」
「そう。じゃあしょうがないね」
「感謝しろよ。この俺がわざわざとってやったんだから。おまえと一緒に見るためじゃなきゃこんなことしないんだからな」
「……そう。ありがとう」
怖がらせて怯えさせ、そんな
これなら絶対にうまくいく。頬を緩める幸人に、
「俺、飲み物買ってくる。なにがいい?」
「え? いや、いいよ。俺が買ってくる」
「……じゃあ、お金」
「いいって。どうせチケットも俺が払ってやってるんだし。大人しくおごられとけよ」
「……わかった」
めったに飲めない大好きなコーラと、どうせなら
待っているあいだ、すました表情の裏側で、
ほんとうに
それならそれで仕方がない。こちらもその想いに応えるくらいはしてあげなければ。今日いきなり家に連れ込むのはさすがに進みすぎかもしれない。手をつなぐ、までで我慢してもらおう。
こっちだってたくさん、我慢しているのだから。
ドリンクを受け取った幸人は、笑みを浮かべて
幸人の視線の先には、当然
――見ず知らずの女性二人に向かって。
不快な感情を隠すことなく、幸人は大股で近づく。
「おまえなにしてんだよ! ちょっと目放してる隙に」
向けられた怒声に、三人は顔を向けた。それが幸人だと気づいた女性たちは、ぱあっと笑う。
「俺がいないときに勝手に女くどいてんじゃねえよ! 俺が見張ってないとこれだもんな!」
女性たちの表情が困惑に変わった。なにも言い返さない
「そういうところが意識低いんだよ、昔から。まあ、俺と違って気にするご身分でもないんだろうけど?」
「一階のラフトは広いからすぐに見つかると思う。バス停も近いから、夕方からのライブには余裕で間に合うよ」
「あ、ありがとうございます」
女性たちに、笑顔が戻った。
今度は、幸人が困惑する番だった。
「え? なに? どういうこと?」
「大好きな芸人さんの単独ライブに行きたいんだって」
「わざわざ地方から出てきたらしいよ。始まる前に買い物に来たけど、劇場はそこそこ遠いし地下鉄を調べても難しくて、パニックになったみたい。だから声をかけて」
「口説こうとしたんだろ?」
ふてくされる幸人を、
「道案内してただけだよ。そのついでに好きな芸人さんのタイプが一緒で、ちょっと盛り上がっただけ。それを口説いてると思うんだったらそれでもいいよ」
「……そうかよ」
自身の勘違いにいたたまれない幸人だったが謝罪はしなかった。
「ああ、ありがとう」
受け取った
「え? これなに?」
「メロンソーダ」
幸人は平然と、自身が持つドリンクのストローをくわえる。
「ああ……そう」
開場アナウンスが流れ始めた。目的の場所が開場したことに気づくと、幸人はショルダーバッグから二人ぶんのチケットを取り出す。
コーラを飲みながら、
†
――映画の内容は、すこぶるよかった。
最初から最後まで緊張感の連続だ。猟奇的なシーンが続く中、こだわりがこれでもかと詰まっていた。吹きすさぶ血しぶきは当たり前。臓器が飛び出すのも当たり前。その表現や音響がまたリアルだ。
人を人とも思わない残虐性のあるシーンや、見る者が吐き気をもよおすような演出が立て続けに流れていった。――というのに。
映画館のロビーに戻った
「おまえ、もしかして寝てた?」
「ちゃんと見てたよ。なんで?」
「なんでって……」
幸人は怯える
不満げに視線を下げる幸人に、
「あー……大丈夫? 結構リアルだったしね」
予想どおりにいかない悔しさからか、映画があまりにも残虐だったからか、幸人の体が小刻みに震えていた。
「……別に」
幸人は
「それ、くれよ。俺が捨てておくから」
その手の先にあるのは、
「いや、いいよ。自分で捨てるし。姫小路のぶんも、俺が」
「いいって。俺がやるって言ってんだろ」
「あ……」
無理やり、カップを奪い取る。想定外の重さに、一瞬腕が下がった。
「え?」
カップの表面から、揺れている緑色の液体がよく見えた。幸人はコーラを飲み干しているというのに、メロンソーダはなみなみと注がれたまま。それどころか氷が溶け切ってさらに重くなっている。
戸惑う幸人に、
「あ~、その、映画に集中してたから。ドリンクの存在を忘れてて」
「なんっ……で……」
俺がせっかく買ってやったのに――。
怒鳴り散らしたくなるのを、ぐっとこらえた。顔をしかめつつ、落ち着いた声で続ける。
「いや、いい。……捨ててくる」
メロンソーダは、苦手だったのかもしれない。気分ではなかったのかもしれない。
幸人が、怒鳴る権利なんてない。
――何が飲みたいか聞かなかった幸人が悪い。
売店の横に設置されたゴミ箱に、自身が飲んだカラのカップを放り入れる。
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