呪術師メルツの解呪録 ~呪われたおっさん美少女~

漂月

「呪われたおっさん美少女」

 僕は今、人生最大の危機を迎えていた。

「てんめええええぇっ! よくもやりやがったな!」

 僕の店舗兼自宅でギラギラした剣を抜いているのは、見知らぬ女の子。



「やっと会えて嬉しいぜ、呪い屋メルツ! てめえのケツから剣ブッ刺して、チ○コの代わりにズボンからおっ勃ててやるからな!」

 しかもメチャクチャ口が悪いときた。顔はツクヨミ人形みたいで凄く可愛いんだけど。



 僕は眼鏡をずり上げつつ、なるべく冷静に語りかける。

「確かに僕はメルツですが、あなたとは初対面です。恨まれるようなことは何もしてません」

「呪い屋が何訳のわかんねえこと言ってんだ! 殺す!」



「いや、呪術師ではあるんですが、僕は呪いを解くのが専門なんです。そっちのお客さんじゃないんですか?」

 すると剣を構えた女の子は、ギラリと笑う。

「呪いってのは、術者を殺せば解けるんだろ? だったら殺す! 今すぐ殺す!」



「ちょっ、だから僕は他人に呪いなんかかけないですよ!? 解くのが専門だって言ってるじゃないですか!? 人違いです!」

「そんなもん信用できるか! てめえを殺して呪いが解けなきゃ、他の呪い屋を殺すまでだ!」



「……ちょっと待ちなさい」

 僕は右手を袖の中に隠しつつ、左手で眼鏡を押さえる。

「あなたは今、無辜の人間を殺しても構わないと言っているんですよね?」

「あ? ああ……いや、そりゃまずいな……」

 毒気を抜かれたように、急に剣を下ろす少女。困惑の表情で独り言をつぶやきはじめる。



「おかしいぞ、人違いで無実のヤツを殺すのは絶対ダメだろ……。なんだこれ、オレはどうしちまったんだ……?」

 様子がおかしいな。

 僕は警戒しながら立ち上がり、意外と小柄な少女に近づく。



「僕は本当に呪いなんかかけていません。確かにそういう依頼をするお客さんもいますが、呪う方は専門外なので事情がどうあれ全部お断りしてるんですよ。しかも僕は対面でないと呪えないんです。あなたとは初対面ですから、絶対に呪ってません」



「まあ、お前の言葉が本当ならそうなるな……」

 半信半疑ではあるけど、どうやら僕の頭をカチ割るのは思い留まってくれたようだ。

 彼女は剣を鞘に納め、ぺこりと頭を下げた。



「すまねえ、なんだかよくわかんねえけど頭に血が昇っちまった。オレはリリト。ここの市営冒険者組合のもんだ」



 冒険者……ああ、あの山菜摘みとか盗掘とかしてる違法スレスレの人たちか。道理でガラが悪いと思った。あれって絶対、野放しにしてると山賊化するからだよな。適当に仕事を与えて管理してるんだ。

 とはいえ冒険者組合の人ならお客さんだ。



「はじめまして、リリトさん。僕は呪術師メルツ。様々な呪いを解くのが生業です。冒険者組合とも解呪代行契約を結んでいますよ」

「あ、ああ。それでここを知ったんだ。……よく考えたら、あんたがオレを呪うはずがないよな。冒険者を呪ったりしちゃ組合からの仕事がなくなっちまう」



 だんだん声に勢いがなくなり、リリトはしおしおとうなだれる。

「申し訳ねえ……。呪われたからって冷静さをなくしちまった。とんだ無礼を働いちまったぜ」

 どうやらもう大丈夫そうだ。

 となると今度は、呪術師としていろいろ興味が湧いてくる。



「さっきもお話しした通り、僕は解呪の専門家です。お役に立てるかもしれません。これも何かの御縁ですし、お代はいりませんよ」

 組合からは金を取るけどな。この人怖いから適当に恩を売って帰ってもらおう。



 するとリリトはパアッと明るい表情を浮かべた。

「ほんとか!? うわぁ、ありがとな!」

 かわいい……。殺されかけたので好きにはなれないが、嫌いにもなれなくなってきた。



 僕はあくまでも冷静に、彼女を診察台に案内する。

「そちらの診察台に横になってください。呪いの種類を特定します」

「いや、呪いは簡単なんだ。オレは四十過ぎのオッサンなんだが、こんなちんちくりんのガキに変えられちまってよ」



 この女の子が、四十過ぎのおっさん……? どう見ても十代だぞ。

 僕はしげしげを彼女を見つめる。サラサラの長い黒髪が美しい。

 可憐な容貌に対して、服や胸当てはかなり使い込まれていた。擦り切れまくってる。



 僕はそれらをじっくり観察してから、こう伝える。

「よく誤解されるんですが、一般的な呪いには性別を変えるほどの力はありませんよ。異性やカエルに変えたりはできないんです」

「えっ、そうなのか!?」

「そういうのは変身魔法の類ですね。別の専門家の管轄です。ただ……」



 僕は手をかざし、リリトにかけられた呪いがないか調べる。

「確かに呪われてますね。しかもかなり強力な呪いです。これは興味深い」

「興味深くねえよ!? オレを元に戻してくれ!」

「四十過ぎのおっさんに戻りたいんですか?」

「そうだ!」



 リリトは拳を震わせる。

「本当のオレは歴戦の強者なんだ。こんな貧相な体じゃまともに剣も振るえねえ。おまけに見た目が弱そうだから、仕事で組む連中が嫌がるんだよ。おかげで仕事にありつけねえ」

「なるほど……それは大問題ですね」



 とはいえ、変身魔法は管轄外だ。

「とりあえず、呪いの正体を探ってみましょうか。元の姿に戻れる手がかりが見つかるはずです」

「あっ、ありがてえ! 頼む!」

 リリトは深々と頭を下げた。

 うーん……。これはなかなか大変そうだぞ。


   *   *


 冒険者組合の人が僕を殺しに来ようが、誤解が解けた代わりに面倒事を背負い込もうが、僕には日々の仕事がある。呪いに怯える人々のケアだ。

「助けてくれ、メルツ先生! もうどうしたらいいのか……」



 僕は依頼人を落ち着かせるために、真剣な表情でうなずく。

「なるほど。じゃあその商売敵さんは、『お前は呪われてるぞ』と教えに来たんですね? それも毎日のように」

 僕の問いかけに、依頼人のおじいさんは何度もうなずいた。



「そう、そうなんだよ! わしはもうすぐ死んで、魂は地獄に引きずり込まれるというんだ!」

「地獄の方は死霊術師にでも問い合わせた方がいいとして、あなたがもうすぐ死ぬようには見えませんが」



 百まで生きそうなぐらいぴんぴんしてるぞ。呪いの兆候も見当たらないな。魔力計にもそれらしい反応はない。

 それでもまだ怯えている老人に、僕は説明する。



「本当にもうすぐ死ぬような呪いをかけたのなら、わざわざ教える必要はないでしょう。呪殺の疑いがあるなら呪術師や死霊術師が呼ばれますし、こうして呪術師のところに駆け込まれたら解呪されてしまう可能性もあります。教えない方が安全で確実なんですよ」



「そう言われても、あれから商談がうまくいかないんだ。金勘定は間違えるし、家族や使用人たちもわしを避けるし。ここに来るときも道に迷って……」

「それだけ深刻な顔をしていれば商談もうまくいかないでしょうし、周囲の人たちも距離を置くでしょう。金勘定や道を間違えるのも、おそらくは不安のせいかと」



 僕はそう言い、呪術書をそれらしくパラパラめくってみせた。

「呪いの存在を相手に告げるのは、インチキ呪術師の常套手段です。呪われたと思った相手は心身ともに不調になり、やがて自滅していく。それ以外に呪いを実現させる方法がないんです。なんせインチキですから」



 それから僕は木簡にシュシュシュと筆を走らせる。

「とはいえ、このままでは御不安でしょう。魔力を帯びた板に呪術用インクで護符を作りました。このインクに触れて色が赤く変わったら、呪われている可能性があります」



 木簡を受け取った老人は、おそるおそるといった様子で問いかけてくる。

「変わらない……。これは大丈夫ってことかね?」

「はい。今回はたぶん呪われてませんが、これが手元にあれば呪いをすぐに察知できるでしょう」



 老人はホッとした顔をして、何度も頭を下げた。

「あ、ありがとう。ありがとうな、先生。これ大事にするよ」

「毎日触れるのを忘れないようにしてくださいね。赤く変色したらすぐに僕のところへ。夜中でもです」



 老人は手拭いで木簡を丁寧にくるむと、大事そうに鞄にしまった。

「わかった。よおし、これさえあれば怖いもんなしだ! 本当にありがとう先生! お代はどれぐらい払えばいい?」

「今回は呪われてなかったみたいですので、診察代と護符代だけで大丈夫です。解呪費用は高いですよ。恨みを買わないように気をつけてくださいね」



 笑顔で老人が帰ったところで、僕は表に出て閉店の札を掲げた。外はすっかり夕暮れだ。

 店内に戻ると、ずっと座っていたリリトがやや不安そうに尋ねてくる。

「オレのこと、忘れてないよな?」

 もちろん忘れてはいないので、僕は説明した。



「今は経過観察中です。付与された呪いがいつ、どのような条件で活性化するのか、長期的に観察しているんです」

「いや、だから女に……」

「呪いが弱まる瞬間があれば、その隙に力業で解除することも可能なんですよ」



 そう説明しつつ、彼女に向けておいた魔力計の目盛りを記録する。魔力波計があればもっと詳細なデータが取れるんだけど、あれは恐ろしく高いのでおいそれとは買えない。

「ただし、解除を試みると悪化する二段構えの呪いもあります。最悪の場合は僕もあなたも死にますので、万全を期すために少し時間をください」

「ま、まああんたがそう言うのなら」



 リリトは素直にうなずいて、それから椅子にストンと腰掛ける。

「それにしても、あんたはまっとうな魔法使いみたいだな」

「そりゃ冒険者組合と契約してるぐらいですから……。逆に呪殺専門の裏稼業の人たちとは敵対していますから、命を狙われることもありますよ」



 なので、この店には様々な防御結界が幾重にも組まれている。もしリリトが僕に剣を振り下ろしていたら、逆に彼女が死体になっていた可能性が高い。自動で反撃するタイプの呪術は手加減ができないのだ。



「とりあえず今夜はうちに泊まってください。依頼人を守るため、ここには客室もありますから」

「何から何まで悪いな。すまん、恩に着る」

 ぺこりと頭を下げるリリト。悪い人じゃなさそうなんだが、殺されかけたのでまだ怖い。



「あ、でも夕飯が何もありませんね。どっか食べに出かけますか」

「材料があるならオレが作るぜ。ぶった切って煮込む程度のことしかできねえけどな。何か恩返しがしてえんだ」

 台所貸すの不安だけど、めちゃくちゃ料理したそうな顔してるな。



「じゃ、じゃあお願いします」

「おう! おっちゃんが美味え飯食わせてやっからな!」

 嬉しそうに笑うと、リリトは力こぶを作ってみせた。


   *   *


 リリトが作ってくれた夕食は、「ぶった切って煮込む程度」のものではなかった。

「うわ、食卓が輝いてる……。もしかしてリリトさん、料理人の経験があるんですか?」

「いや? 独身生活が長いからこんなもんだよ」

「そういうもんですかね」



 皿に盛られた料理は、刻み野菜の包み蒸しと白身魚のパイ。あと豆のスープ。

 白身魚のパイは魚の形をしている。芸が細かい。

「パイが妙にかわいいですね。このまま飾りたいぐらいです」

「ふふん、生地の余りでチョチョイと細工をな。あ、目はスープに使った煮豆だ。包み蒸しとパイは同じ生地にしたから、どれも大した手間はかかってねえよ」



 いやあ、僕なら小麦粉をこねるのすらめんどくさいからな……。干し魚を戻してパイの具にするぐらいなら、干し魚のまま炙って食べるよ。

「僕も自炊はしますが、僕の方が『ぶった切って煮込む程度』なので驚きましたよ。これなら料理人でやっていけるんじゃないですか?」



 でもリリトは首を横に振った。

「無理無理、いっぺんに注文をさばくなんてできねえ。作るのも遅いしな。ほれ遠慮すんな、食材はどれも先生の家にあったもんだからよ」



「先生……?」

「そう呼ばれてただろ、メルツ先生?」

 手際よく小皿に取り分けながら、リリトはニヤリと笑った。



 向かい合って食事をしながら、僕は何気なく会話を切り出す。

「僕はツクヨミからの流民の末裔ですが、リリトさんは?」

「オレは先祖代々、西の辺境の人間だよ。実家は半農の郷士なんだが、家は弟が継いだはずだ。よく覚えてねえが、よっぽど不出来だったんだろうな、オレは」



「西の辺境というと、パルーニャかリオロ辺りですかね?」

「いや、ミレボーの山奥さ。インビニウム郷っていうクソ田舎の集落でな。古い寺院があるだけで、土地も痩せてるから蕎麦だの稗だのも育ててるような土地だよ」



「てことは、フルネームはリリト・インビニウムですか?」

「まあそうなるな……。よせやい、こっぱずかしいぜ」



 なるほど……。なんとなく納得した。

「郷士の出身なら、剣術は子供の頃に学んだんですね」

「ああ。そこら冒険者の喧嘩剣法とは違うぜ。先祖伝来、戦場仕込みの剛剣よ」

 得意げに胸を張るリリト。



「弟さんは今いくつです?」

「四十前のはずだが、一度も会ってねえな。それがどうした?」

「いえ、僕には実家を継いだ妹がいますが、そういえばしばらく会ってないなと」

「ははは、たまには顔を出してやれよ。オレが言えた義理じゃねえが」



 リリトは豪快に笑い、結った黒髪を揺らす。長い髪がサラサラと流れた。

 つられて僕も微笑む。

「僕の家は先祖代々ずっと薬師ですが、呪いだか病気だかわからない客が多いんですよ。それを見て、僕は薬師ではなく呪術師になりました。病気の人にはうちの実家を紹介しています。おかげで盛況だとか」



「そんなにか?」

「ええ。うちに来るお客さんのうち、本物の呪いにかかっている人は百人に一人いればいい方ですね。体が病気の人が十人ぐらい。残りの九十人ほどは心の病か、そうでなければ単なる気のせいですね。それ以外の事例もありますが、だいたいそんなところです」

「ずいぶん少ねえんだな」



 リリトが首を傾げているので、僕は説明する。

「一部の例外を除けば、呪術や呪具を扱えるのは呪術師だけです。本物の呪術師は少ないですし、そういう人は解呪で生計を立てられるので軽々しく他人を呪ったりしません」

「なるほど、そりゃ道理だな」



「ということで僕の本分の解呪ですが、リリトさんの呪いについてもある程度わかってきました。診断を確定させるために、あと三日ほどください」

「結構かかるんだな」

「誰がどんな風にかけたかわからない呪いですから、解呪にも手間がかかるんですよ。ですが、何とかなりそうです」

「そっか! ありがとな、先生!」


   *   *


 僕はその夜、リリトが寝ているのを確かめてから自室の窓を開ける。

 窓枠にはフクロウが一羽。僕と契約している召喚術師の使い魔だ。最も速く、最も確実に、最も秘密裏に手紙を運んでくれる。

「これをあの方に届けてくれ。戻ってくるときも、かならず夜に。わかるね?」

 使い魔のフクロウは小さく鳴くと、羽ばたきながら夜空に消えていった。

 さて、後はどうやって騙し通すかだが……。


   *   *


 それから三日間、僕はリリトと生活を共にした。

 冒険者だから普段はゴロゴロしているのかと思いきや、リリトは意外と働き者だった。

「なあ先生、なんか手伝うことはないか? 居候じゃさすがに申し訳がねえ」



「家事をやってくれればそれでいいですよ。あ、縫い物できます?」

「冒険者だから、繕うぐらいは何とかな。なんだ、糸がほつれただけかよ。任せときな」

「すみませんね、助かります」



 僕はリリトの針さばきを眺めながら、届いた封書を机の引き出しにしまう。

 封書の内容は予想通りだった。ほぼ間違いない。

 となると、リリトをうまく騙して連れ出す必要があるな。



「リリトさん、明日は市が立ちます。買い出しを手伝ってもらえませんか?」

「おう、お安い御用だ。荷物運びなら冒険者に任せときな!」

 ニコッと笑ったリリトは、細い指でスルスルと針を操っていた。


   *   *


 翌日、街に繰り出した僕たちはいろいろな屋台を見ることになる。

「リリトさん、あっちに馬具の屋台がありますよ」

「ん? いやあ、馬はなんかおっかねえや……」

 苦笑するリリトに、僕は別のテントを指差す。



「そうですか。あっちは弓の屋台ですね。どうです?」

「そっちも興味ねえな。オレは剣しか使えねえからよ」

 なるほど。

 最後に僕は別のテントを指差す。

「では砥石の屋台は?」



「あ、そいつはちょいと見てえな。手入れは欠かせねえからよ」

 軽い足取りで歩いていくリリトを、僕は慌てて追いかけた。



 こうしてあれこれと買い物を楽しんだ僕たちは、最後に古着市のエリアを訪れていた。

「リリトさん、冒険者用の厚手の服しか持ってませんよね? 部屋着も少し買っておいたらどうです?」

「ああ、確かにそうだな……。せっかく先生の家のベッドを借りてんのに、寝間着のひとつもなけりゃもったいねえ」

「じゃあこちらに」



 それからしばらくして、リリトは試着用テントの中で真っ赤な顔をしていた。

 手には薄手のチュニックワンピースを持っている。僕のお勧めだ。

「こ、こりゃ……女物の服じゃねえかよ!?」

「ここは女性用の店ですので」

「女装趣味はねえぜ!?」



「ですが今は女性の体ですから、男性用の服だと体型に合いませんよ。寝心地も悪いはずです。それにリリトさんが今着ている服も、ボタンや紐の配置は女性用ですよ」

「あ、そういやそうだな……」



 リリトは軽く溜息をついて、それから上着を脱いだ。

「ちょっと着てみるから、外で待ってろ」

「それはいいですけど、男同士ですよね?」

「男同士でも裸を見せる趣味はねえよ!?」



 そしてリリトはもじもじしながら、チュニック姿で大通りを歩いている。

「やべえな、足元がスースーしやがる。変な趣味に目覚めちまいそうだ」

「似合ってますよ」

「よせやい、照れるぜ……」

 赤面しつつも笑うリリト。



 僕は隣を歩きながら、ようやく薄着になったリリトの全身を眺め回した。

 華奢に見えるが、冒険者らしくよく鍛えられている。見た目より力持ちだろう。気をつけた方がいいな。



 指は女の子っぽいが、剣の修練で鍛えているのがよくわかる。腕輪や指輪はつけない主義のようだ。

 足首は白くて綺麗だ。普段はブーツを履いているからだろう。

 太ももは引き締まっている。厚着をしているせいか肌は白い。魔除けの入れ墨などもなさそうだ。



 耳や髪は飾りっ気がないが、清潔感があって良い匂いがする。冒険者は入浴の機会が少ないから、清拭を毎日してるんだろうな。

 となると、後は……。



 僕は斜め上から彼女の胸元を見下ろす。思っていた以上に平坦なので助かる。

 するとリリトが僕を見上げた。

「なんだよ?」

「いえ、その首飾り……」

「ああ、こいつか?」



 リリトは嬉しそうな顔をして、組み紐についた銀色のメダルを手に取った。

「こいつはオレのお守りさ」

「彫られてるのは蜂のようですね。家紋ですか?」

「いや、うちの家紋はカボチャだよ。御先祖様があの家紋で戦場を走り回ってたかと思うと泣けてくるぜ」

 わははと笑うリリト。



「こいつは旅の途中、人助けのお礼にもらった品さ。本当かどうか知らねえが、先生の護符と同じようなもんらしい。何十年も冒険者稼業を続けられたのも、こいつのおかげかもな」

「なるほど、じゃあ大事にしないといけませんね」



 そんな話をしながら帰宅すると、僕は玄関の鍵を締めた。リリトは安心した様子で剣帯を外し、剣ごと壁に掛けている。

 よし、丸腰になったな。



 僕は指先でスッと払い、呪術を使う。

「心を縛れ、鎖の如くに」

「うぐっ!?」

 リリトがビクンと硬直し、そのまま床に転がった。



「せ、先生!? なんだこれ!?」

「僕は呪う方は得意ではありませんが、対面でなら呪いをかけることができます。これは【縛鎖乃呪】と呼ばれる術です。もう身動きはできませんよ」



 体の動きは脳が支配している。その脳を支配すれば、体の動きぐらいは自由に操れる。呪術は脳に干渉するのが得意だ。

 僕は棚からナイフを取り出し、ゆっくりとリリトに歩み寄る。



「人間の心には呪いに抵抗する力がありますが、心を許した相手からの呪いは防ぐのが難しいんです。リリトさんは僕に心を許しました。なので簡単に拘束できたという訳ですよ」

「くっ!? 放しやがれ! なんでこんなことを!?」



 それは……。

 そういや今気づいたけど、薄着の少女を呪術で縛りつけて床に転がしてるのってメチャクチャやばいな。早く始末しよう。



 僕はナイフを手にしてしゃがみ込むと、リリトの胸をはだけさせた。

「おっ、おいっ!? 何考えてるんだ!? オレはおっさんだぞ!?」

「いえ、おっさんかどうかは今は関係ありません」

「うおおおぉい!?」



 なんか誤解があるようだな。僕はナイフをそっと差し入れると、メダルに触れないように気をつけながら首飾りの組紐を切った。

 平坦な胸を滑り落ちて、メダルが床に転がる。



「うああああぁっ!?」

 その瞬間、リリトがビクビクと痙攣し、激しく暴れた。瞳孔が大きく開き、背筋(せすじ)が弓なりに反る。さすが冒険者、背筋力(はいきんりょく)がすごい。

 呪術で動きを封じていなければ、背骨が折れていたかもしれない。事前に拘束して正解だった。



 僕は悶える彼女を抱きかかえながら、メダルからなるべく離れた。

 リリトが暴れていたのはほんの一瞬で、すぐにぐったりして目を閉じる。呼吸が荒い。びっしょりと汗をかき、唇からは唾液が垂れているが、もう拘束は必要ないだろう。

 僕はリリトをそっと横たえると、【縛鎖乃呪】を解除する。もし失敗したときでも、彼女には逃げてほしい。



「あぁ……せん……せぇ……」

 床に白い手足を投げ出し、ぴくぴく震えているリリト。意識は保っているようだ。

 チュニックが乱れていろいろ誤解を招きそうな光景になってしまっているが、今はそこまで配慮している余裕がない。とりあえず上着を掛けておく。



「リリトさん、あれは心を支配する呪いのメダルです。今、リリトさんとメダルの精神接続を強制的に切り離しました。これからメダルを処理します」

「めだる……?」

「はい。あなたがお守りだと思っていたものが、呪いの元凶だったんですよ」



 そのメダルが微かに発光している。

 それに伴って、室内が急激に寒くなってきた。周囲の熱が奪われているのだ。何者かが力を得るために。



 リリトの快復を待ち、僕は声をかけた。

「リリトさん、動けますか?」

「あ、ああ……クソ、頭がガンガンしやがる……。何が起きやがった? 心を支配って?」

「呪いの正体はあの蜂のメダルだったんですよ。蜂といっても蜜蜂じゃなくて寄生蜂ですけどね。【精神寄生】という呪術の象徴です」



「精神寄生って、なんか怖そうなんだが……」

「怖いですよ。呪具を介して、自分の心の中に別の人間の心が入り込んでくるんですから。自分を四十過ぎの中年男性だと思い込んでしまうぐらいにはね」



 背後でリリトが息を呑む。

「それって……」

「説明は後です。メダルを処理しないと」

 僕はナイフから呪術師の杖に持ち替え、メダルを睨みつけた。



「出てこい、卑怯者」

 その言葉を待っていたかのように、メダルからどろどろと黒い粘液が噴き出してきた。

 そのどろどろが人間っぽい形を取り始めたので、リリトが悲鳴をあげる。



「なっ、なんだありゃ!? スライムにしちゃ変だぞ!? シェイプシフターか!?」

「いいえ、呪いを可視化したものです。僕の店には呪術の結界が幾つも張ってありますので、それで見えてるんですよ。そして」



 黒い粘液人間はうろうろと何かを探している様子だったが、やがてリリトに狙いを定めて飛びかかろうとする。

 だがそれは見えない壁に阻まれ、黒い粘液はべちゃっと床にぶちまけられた。



「当然、呪いを無効化する結界もあります。あのメダルに触れない限り、実害はありません。後はメダルの機能を停止させるだけです」

 僕は杖を振り上げ、呪文書の一節を詠唱する。



「至尊の魂の玉座より、偉大なる叡智の王錫をもって命ずる! 矮小なる穢れよ、過ちの染みよ! 天と地の狭間に汝の居場所は存在せぬ!」

 呪術師の杖で思いっきりメダルを叩く。杖タイプは遠くから処理できるのが利点だ。



 なお詠唱は別に必要ないが、お客さんに受けがいいので毎回やっている。



 メダルを叩いた瞬間、黒い粘液がボッと燃え上がる。

「ひゃっ!?」

 リリトが僕の背中にしがみついてきたので、そっと片手でかばう。



「もう少しで終わります。じっとしていてくださいね」

 ぶすぶすと黒煙を上げながら、黒い粘液は拗(ねじ)くれ、縮み、そして跡形もなく消え失せる。灰すら残らない。



 残されたのは錆びついたメダルだけだ。それもヒビが入り、真ん中からパキンと割れた。寄生蜂の紋様が消えていく。

 僕は振り返ると、まだ怯えているリリトに笑いかけた。

「あなたの呪いは解けましたよ。お疲れさまでした」


   *   *


 疲れた様子のリリトを診察台で休ませながら、僕は診察台の端に座って説明する。

「実はこっそり、リリトさんの実家のことを調べさせてもらったんです。確かにリリトという人物は実在しましたし、その弟が家督を継ぐ予定です」

「そりゃそうだろ」



 不思議そうなリリトに、僕は事実を告げる。

「ですが弟のリオン殿はまだ十才だそうですよ」

「え? そんなバカな……」

 驚いた様子のリリトをなだめつつ、僕は続けた。



「郷士の跡継ぎなら近隣住民はみんな知ってますからね。ほぼ間違いありません」

「そ、そうなのか。本当かよ?」

「本当です。リリト・インビニウムはリオンの姉で、冒険者になったのは今年ですね。結婚するのが嫌で家を飛び出したとか」



 するとリリトは頭を抱え、唸り始めた。

「う、ううん……? あっ、そういやそうだ!? オレはティザリス家のクソ息子と結婚させられそうになって、家を出たんだ! うん、覚えてる。なんで忘れてたんだ!?」



「呪いと矛盾する記憶が呼び覚まされると、心理的に強いストレスがかかります。自分の心を守るために、無意識のうちに記憶を封印していたんでしょう。僕もいろいろ隠していてすみませんが、リリトさんの精神が壊れないようにするための処置なので許してください」

「あ、ああ……いや、いいんだ。ありがとう、先生」



 修業時代、心理術や弁論術の勉強をさせられたのを思い出す。魔法以外の座学がやたらと多いのが呪術師あるあるだ。

「おそらく暗示をかけるタイプの呪いだったんだと思いますが、この暗示の悪影響は記憶だけでなく、認知や判断にも及びます。例えば冒険者組合から紹介された呪術師を敵だと思い込むなんてことも」



 リリトが青い顔をしている。

「怖えな……。それでオレは先生を殺そうと」

「はい、呪いの自己防衛機能です」

「本当にすまねえ、先生……」

「この仕事してるとよくあるんですよ。気にしないでくださいね」

 僕は笑う。



「リリトさんが郷士の家の男子だったら、馬術や弓術を修めていないはずがありません」

 武家の人たちは狩猟ができないと話にならないらしい。コネすら作れないと聞いた。

 それに泰平の世といっても山賊討伐などで領主の招集に応じる義務があるので、馬術と弓術は必須技能だ。



「でもあなたは剣術しか知らないと言っていました。それに剣や防具は今の体格に合わせて作られていますね。成人男性には小さすぎますが、いつ買ったんです?」

「言われてみりゃ、剣や防具を買い直した記憶がねえな。そんな金がある訳もねえ」



 あとついでに言うと、急に女性になったにしては身だしなみが完璧すぎる。長い髪の手入れも手慣れている様子だ。

 ちょっとした所作にも女性らしさが感じられるし、ずっと前から女性だったようにしか見えない。



 リリトは腕組みをして椅子の背もたれに体を預けると、首を傾げた。

「なんだか変な感じだな……。確かにガキの頃のことは思い出せるようになったから、オレは女で間違いない。ここの冒険者組合に来たときも女だったしな。でも、うーん……」



 冒険者組合の登録台帳によると、『インビニウム郷のリリト』は確かに登録されている。性別は女性で、登録されたのは今年。外見通りの新米冒険者だ。

 彼女が実はおっさんだったという記録はどこにも見つからない。



 僕はこう説明する。

「偽の記憶を植え付ける魔法もありますけど、そういうのではなかったようですね。暗示の魔法は専門外なのでわかりませんが、後遺症が疑われるので精神術師の診察を受けた方がいいでしょう。明日、連れていってあげます」



 そして今度は僕が首を傾げる。

「あのメダルを渡した人物が何を考えていたのかがわかりませんが、もしかすると実験台にされたのかもしれません。冒険者組合や領主には通報しておきましたので、そのうち捜査が始まるでしょう。他にも被害者がいるかもしれません」



 しかしリリトはまだ不思議そうだ。

「けど先生、オレの呪いは解けたんだろ? オレが本当に女なら、なんでこんな言葉遣いのままなんだよ?」

「呪い以外のことはよくわからないのですが……」



 そう言いつつ、僕は昔の仲間から届いた報告書を見返す。

「『リリト・インビニウム嬢は眉目秀麗で、料理裁縫から文学や兵法まで学んだ才女として有名。ただし大変なおてんば令嬢で、男装と剣術を好んだ』と書かれていますね」

「てことは、まさか……」



 じわりと額に汗を浮かべるリリト。

 僕はうなずいた。

「元からそういう性格だったのかもしれませんよ」

「マジかよ!? ああでも、確かにお袋によく叱られてたな!?」



「暗示の影響が残っているかもしれませんし、その辺は一度帰郷して確認しては?」

「そうしようかな……。なあ先生、不安だからついてきてくれよ」

「いいですよ」



 すがるような目をしている少女に僕は笑顔で応じる。

 面白い光景が見られるかもしれないな。ちょっと楽しみになってきた。

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