第2話 ︎︎芽生える温もり

「うるぅあああああああッッ!! くたばれッ! 死ねッ! 爆ぜろッ!」


「き、汚い言葉使いすぎッ! 仮にも淑女でしょっ! ひゃっ、しょっぱい」


「仮にもじゃねーよまことの淑女だわッ! ぬぅうううあああああ日頃の恨みぃいいいいいいいッッ!!」


「ひゃああああああんっ!!」


 目線の先、小さな波が押し寄せる海辺でバシャバシャと水をかけ合っている美乃里と智香ちゃん。


 楽しそう……というよりは殺気立っているが、傍から見ればキャッキャウフフと煌めいている二人を、周辺の客(主に男)たちは何かに取り憑かれたかのようにポーッと見惚れて立ち尽くしていた。


 美乃里は当然可愛いが、しかしやはりというか、比べて見ても智香ちゃんのビジュアルは他よりも頭一つか二つ抜けている。


 ラッシュガードを脱いだその姿はポヨンと豊かな膨らみに引き締まったくびれ、お尻もプリっとしていて愛らしく、そして何といっても芸能人顔負けの整ったルックス──可愛い。智香ちゃんマジで可愛い。


 俺、あんな可愛すぎる女の子に毎日『おにいちゃあーん♡』て言われて抱き付かれてるのか……? いいのか? この世で許されていい存在なのかこの俺は?


 と、己の境遇にある種の恐怖を抱いていた俺だったが、


「あはは、楽しそーですねー二人とも。めっちゃ目立ってますよーアレ」


 自前のテントの下、俺の隣に寄り添って座る紗彩ちゃんはケラケラと笑いながら、屋台で買ったかき氷をスプーンストローでシャリシャリと口にしていた。


「……」


 その反対、もう片方の隣にチョコンと座るひまりちゃんも同様にかき氷をチビチビ食べつつ、無言ではありつつも俺の肩にピットリ身を委ねてくれている。プニプニした二の腕の感触がとても気持ちいい。


「紗彩ちゃんは混ざりに行かなくていいの?」


「あたしはこーして日陰でゆったり海を眺めてる方が性に合ってるんで。そう言うお兄ちゃんこそ混ざりに行かなくていーんですか? 両手に花だーって周りの人たちに自慢してやれるチャンスですよ?」


「いやー……はは。ちょっと、あまりにも二人が眩しすぎて、俺の肩身が狭くなりそうで。それに今は──ほら」


 俺に密着して離れそうにないひまりちゃんに目を落とすと、紗彩ちゃんは仕方なさそうに息を吐く。


「ま、確かに今はひまりの身を案じるのが最優先ですもんね。てゆーか、パパさんとママさんはどこ行っちゃったんです? さっきからずっとお姿見えませんけど」


「ああ、母さんと父さんは誰にも阻まれない真実の愛を育みたいとか言ってどこかに歩いて行っちゃったよ」


「ええー……あたしたちを放っておいてですか」


「千尋さえ居ればみんなを守ってあげられるでしょーって母さんからは一応そう頼まれてる」


「……そですか。春香さんって、ほんとお気楽ですよねぇ。悪く言ってるわけじゃないですけど、どこかフワフワしてて危機感がないといいますか。お姉ちゃんなんて特にこういう場所だとトラブルに巻き込まれやすいのに」


 お隣のご近所に住む中学二年生の女の子にこうまで言われてしまう母親……実の子としてお恥ずかしい限り。


「ごめんね、色々自由奔放で」


「ああいえ、お気になさらず。あたしたちはこうして海まで連れて来てもらってる立場なんで、むしろ感謝してますよ。ウチのお父さんとお母さんが仕事で忙しいばっかりに、すみませんほんと」


 声色を落として紗彩ちゃんはペコっと頭を下げる。


 裕二さんと恵美さんは今日も変わらず職場で勤務中だ。平日とはいえ、今日くらいは父さんのように有休でも取って一緒に来れたら良かったんだけどな……いつしか無理して体調を崩してしまわないか心配だ。


「いやいや、俺たちの方こそ全然気にしないで。今日は思う存分リフレッシュしていこう」


「ですね。えっと、じゃあすみません。ちょっともう一回屋台まで美味しいもの買いにブラついてきます」


「あ、うん。一人で平気? 紗彩ちゃん可愛いから変な輩に絡まれないか心配……」


「だいじょーぶですよ、すぐに戻ってきますから。お兄ちゃんはここで大人しくみんなを監視しながら待っといてください。ではでは」


 そう言い残して立ち上がった紗彩ちゃんは屋台がある方角に向けて歩き去っていった。


 まあ、今この場で一人にさせたら一番心配なのはひまりちゃんだしなぁ……言われた通り、下手に動かず大人しくしていよう。


 取り残された俺とひまりちゃんは寄り添い合ったまま、話すこともなく口を閉ざして海の景色を眺め呆けていると──不意に、ひまりちゃんの両手が俺の脇腹にギュッと回されていた。


「……ひ、ひまりちゃん?」


 驚いてつい上ずった声を上げてしまうと、ひまりちゃんの顔は海の方角を向いたままで目線は合わない。


 しかし、ほんのりと温かくてか弱い骨格をした小さな体は今も、しっかりと俺に密着している。


「おにーちゃん……ひまりね、なんだかおかしいの」


「お、おかしい?」


「うん」


 脇腹に回された両手に一段と力が加わり、ひまりちゃんはポツポツと小声を漏らす。


「こうやってね、おにーちゃんの体にぎゅうってしてないとね? ︎︎ひまり、すごく寂しくなっちゃうの」


「さ、寂しい……?」


「……おにーちゃんにぎゅうってしてると、お胸がポカポカするの。このポカポカをね、ずっとずっと感じてたいの。……どこにも、行ってほしくないの」


「……で、でもほら、今はせっかく海まで来てるんだしさ、智香ちゃんたちと一緒に遊びに行った方が」


「やあ」


「……」


「ひまり、おにーちゃんと、こうしてたい」


 ──ど、どうゆうことぉー……ッ!?


 ひまりちゃんが甘えたがりであるのは分かりきっているけども、でもこれは、単なる甘えたがりとは違う何かを感じるというか、いつにも増して距離感が近すぎる気がするというかー……!?


「おにーちゃんは、ひまりの傍に居てくれるんだよね?」


「そ、それは、もちろん」


「……ん。じゃあ、ここでずっと、おにーちゃんと一緒」


「ず、ずっと……? ひ、ひまりちゃん?」


「……」


 俺の呼びかけに返事はなく、小さく純真な身を俺に委ねたまま、ひまりちゃんは静かに目を閉じていた。


 ……こ、これは……なんだ……?


 もしや、俺の迂闊な発言が原因で、ひまりちゃんをここまで大胆なアプローチへと駆らせてしまっているのか?


 傍に居る、という意味をひまりちゃんの中で拡大解釈しちゃってるみたいな……?


(い、一歩も動けない……)


 ……真意は分からぬまま。紗彩ちゃんが戻ってくるまでの間、俺はしばらく身動きが取れずにいた。

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