第6話 解決の糸口

「下りてくるのがやけに遅いと思ったら……何してんですかー、お兄ちゃん」


 ひまりちゃんの部屋に入ってから気付けば一時間が経ち、様子を見に部屋まで顔を覗かせた紗彩ちゃんはジトー……とした目でそう口にしていた。


「……その、メンタルケア、的な?」


 と、言いつつ未だ眠っているひまりちゃんを優しく抱くと、紗彩ちゃんはより一層快くなさそうな目で盛大なため息を吐いた。


「そーやって真正面から抱き合うことがメンタルケアに繋がるってゆーんですか? 部屋の中で、人知れず二人きりでそんなお熱く見せつけちゃって、多方面に良からぬ誤解を招くと思いますけどねぇー。主にお姉ちゃんとか」


「さ、紗彩ちゃん、なんか怒ってる?」


「別に、怒ってませんけど。あたしはいつだってれーせーです」


 にしては声に若干の怒気が含まれているような……な、何故に?


 気後れする俺ではあったが、少ししてから紗彩ちゃんは見かねたように再び口を開く。


「ま、ひとまずそれはさておき──ひまり、どうでした? 元気出してくれそーな感じです?」


「……まだ、ちょっと分からない。今はとりあえず落ち着いてくれたけど、ミルクちゃんの話題に触れたらまたすぐに泣きだしちゃうかも。相当思い悩んじゃってるみたいで」


「なるほど、お兄ちゃんの力を以てしてでもすっかり元通りとはいきませんでしたか。すみません、手を煩わせてしまって」


「い、いやいや、全然。むしろ俺の方こそ、力不足で申し訳ない」


 もっと他に気の利いた言葉を生み出せていればひまりちゃんを傷付けずにに済んだのかもしれない。とはいえ、俺なりに最大限配慮したつもりではあるが。


「これからどうしていきます? 八宇治先輩にミルクちゃんを引き渡すのは決定事項だとしても、このままいくとひまりは元気を無くしたままかもですし」


「……どうすればいいんだろうね。結局、ひまりちゃんに俺が掛けた言葉って全部うやむやで、根本的な解決には至ってないっていうか……どう気遣えばいいのか、平和的に促せばいいのか、俺には分からなくて」


「まあ、正直言っちゃえばただ単にひまりのワガママですしね」


「でも、ひまりちゃんの気持ちは本当によく分かるんだよ。世の中にはさ、猫や犬を実の家族のように捉えている人たちだっているわけじゃん? ひまりちゃんもその一人で、ひまりちゃんからしたら大切な家族を知らない誰かに連れていかれちゃうような感覚なんだよ。だとしたら悲しむのは当然だと思う」


「じゃあお兄ちゃんはどうしたいんです? まさか、ひまりに加担するだなんて言い出しませんよね?」


「それはないよ、絶対。あくまでもミルクちゃんにとっての、みんなにとっての最善を選びたいから」


「……そうですか。でしたら何よりです」


 ホッとしたように紗彩ちゃんは頬を緩めると、自然な流れで俺の隣へと腰を下ろした。


「あたしやお姉ちゃん、それにお父さんとお母さんもひまりの気持ちはよく理解してるんです。ひまりが大の猫好きだっていうのはあたしたちの中では周知の事実でしたし、その度に飼えないことを言い聞かせていたお父さんも本当は心苦しく感じていて、最近なんかは特に、ひまりに嫌われるんじゃないかってあたしによく相談してくるんです。笑っちゃいますよね、大の大人が子供のあたしに相談だなんて」


「……」


「……ひまりを満足させてやれない自身の不甲斐なさをお父さんは重く捉えていて、目に見えて落ち込んでしまってます。でも、十分頑張ってくれてますよ、お父さんもお母さんも。いつも毎日夜遅くまで、あたしたちのために嫌な顔をせずに働いてくれて。これ以上無理をさせてしまったら、それこそ……余計に二人を気に病ませてしまいますから」


 ……本当に、紗彩ちゃんはよく達観して家族全体を見通してくれてるんだな。


 まだ中学二年生で親に甘えていたい年頃だろうに、生活が安定しない家族のために自分一人は冷静でいようと良い意味で親離れが進んでいる。


 俺も、美乃里も、紗彩ちゃんを見習わないと、だ。


「まあでも、これくらいワガママであった方が可愛げはありますけどね。お姉ちゃんはもっと自立しろーなんて言ってますけど、大抵の小学生はみんなこんなもんだと思いますし」


 俺にしがみついたまま眠っているひまりちゃんの頭を優しく撫でながら、紗彩ちゃんは大人びた笑みを零す。


「ひまりが笑ってくれてないと調子狂うんですよね、ほんと。……ほんとに、手の焼ける自慢の可愛い妹ですよ、ひまりは」


「……うん。ひまりちゃんの笑顔は他の誰にも真似できない、誰にも持ち得ない唯一無二の宝物だよ」


「あはは、なんですかーそれ。変に格好つけて言っちゃって」


「お、俺の、率直な思いを口にしたまでです」


「何だか語尾までお固くなってますよー? ……ふふ、ありがとーございます」


「……はは」


 お互いに見合って、軽く笑い合う。


 ……居心地いいな、この空間。


 年下とは思えない俺と対等な立場で話を聞いてくれて、意見してくれて、甘えん坊気質な智香ちゃんたちと美乃里の間に挟まれてばかりの俺にとっては大事で貴重なご意見番。


 こうしていると、何だか俺の方が紗彩ちゃんに甘えたくなってきてしまう……。


「? どーしました? そんなにあたしをじっと見つめて」


「……紗彩ちゃんに甘やかされたい……」


「──えッ。きゅ、急に何言ってるんですかっ!? あ、頭ん中でエラーでも起こしちゃいましたッ!?」


「いや、率直に、俺っていつも頼られてばっかりな気がするから、たまには誰かに甘えたいなあって……」


「……そ、そうは言われましても、あたしがお兄ちゃんを甘やかすだなんて、全く、全然想像がつかないと言いますかぁ……」


「まあ、今後そういう日が来るかもしれないってことで、頭の片隅にでも入れといてよ。現状、紗彩ちゃんが俺の心の拠り所だから」


「……わ、わかり、ました。りょーかいです」


 気恥ずかしそうにそっぽを向いた紗彩ちゃんに俺は苦笑する。


 とはいえ、ミルクちゃんの全責任を受け持つと明言したのはこの俺だ。紗彩ちゃんに甘えるのはせめて、この問題を解決した後にしよう。


 ──で、だ。


「そんな紗彩ちゃんに相談なんだけどさ、何かひまりちゃんを元気づける手段ってないかな? 色々考えてみたんだけど、どれもいまいちしっくりこなくて」


 俺が言うと、振り返った紗彩ちゃんはすぐに切り替えて唇に片手を添える。


「色々って、具体的にはどーゆーのです?」


「めいいっぱい甘えさせる──は、もう十分にやっただろうし、街中に出かけるっていうのも何だかありきたりで物足りないし……なんかこう、気分を一新できる夏らしいイベントなんかがあればなって思うんだけど、夏祭りはまだ少し先だし」


 そこまで述べた時、紗彩ちゃんは俺の肩にポンッと片手を置いて何やらウンウンと頷き始める。


「お兄ちゃん、夏と言ったら絶対に欠かせないすっごく大事な要素を一つお忘れですよ」


「えっ?」


 ニコッと笑って見せた紗彩ちゃんはもう片方の手を自身の胸に重ね、摘まんだ服をビヨーンと伸ばしながら平然と言い放っていた。



「──海です」

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