第5話 ……どうして?

 何気に初めて目にしたひまりちゃんの部屋は想像していたよりも慎ましく、生活感のあるシンプルな内装と暖色で統一されていた。


 唯一目立つ箇所といえば、横幅のあるチェストベッド上で横たわっているいくつものぬいぐるみ。


 犬や猫、キリンにウサギといった世間一般的にメジャーな動物をおもとして、小中大の様々なぬいぐるみが構ってほしそうな顔でこちらに向いている。見るからに柔らかそうな素材で手触りが良さそうだ。


「動物、好きなんだ?」


「……うん。可愛いから」


 部屋の中心で胡坐あぐらをかく俺の両足の間にすっぽりと収まったひまりちゃんは控えめに、声を落として小さく頷く。


「おにーちゃんは、動物好き?」


「もちろん好きだよ」


「なんの、動物が好き?」


「んー……色々多すぎて悩むけど、強いて言うならウサギかな。手の平サイズで愛着持てるし」


 加えて、あの丸々っとしたフォルムにモコモコの毛並み──飼うことはないだろうが、人生で一度くらいはウサギカフェに単身で乗り込んで、長い時間たくさんのウサギに囲まれながら戯れてみたい。さぞかし幸せな空間で癒されるだろうなぁ……。


 だなんて考えていると、


「そうなんだ。……ひまりはね、猫ちゃん」


 俺の胸元に背を預け、ひまりちゃんはキュッと肩を縮こめる。


「テレビの番組でね、可愛い動物特集っていうのがあってね? それでよく猫ちゃんが紹介されてて……いつも、とっても可愛いなあって思いながら観てるの」


「ああ、俺もたまにそういうの見たりするよ。確かに可愛いよね」


「うん。だから、ね? 今まで、ひまりも猫ちゃんを飼いたいなって思うことがたくさんあって、おとーさんとおかーさんにも何度もお願いしてて……だけど、お金に余裕がないからダメだって、そう言われてて」


「……そっか」


 ミルクちゃんを拾ったあの日、ひまりちゃんがあれだけ興奮していたのにはそういう背景があったのか。


「でも、そんな時におにーちゃんがミルクちゃんを拾ってきてくれて、ひまりすごく嬉しかったの。すぐ目の前に可愛い猫ちゃんがいて、ふわふわって触れ合うことができて、やっぱりとっても可愛くて。これを見たら、おとーさんとおかーさんもきっと分かってくれるって……そう、思ってたのに」


 ──声を詰まらせ、空気が重くなる。


「……どっちも、分からずやで。捨てられちゃって可哀そうなミルクちゃんを見せても、飼えないから諦めなさいって言うだけで……おとーさんとおかーさんにとっては、ひまりの気持ちなんかどうだってよくて」


「……」


「どうして……なんで、ダメなの? せっかくおにーちゃんが大事なお金を使って一緒に暮らす準備も揃えてくれたのに、ミルクちゃんだって今はひまりたちに懐いてくれてるのに、なんでそれでも引き離そうとするの? なんでみんな分かってくれないの? そんなにイヤなの? ミルクちゃんが嫌いなの? ……ひまりのこと、嫌いなの?」


 振り返ったひまりちゃんは悲痛に訴えかけ、ポロポロと大粒の涙を零す。


 心から大好きなものを大好きな両親から同情されない心苦しさ。


 誰からも同意を得られない立場、不甲斐なさ。


 里親を探すことに強制されてしまう葛藤。


 これまでの、それら全ての思いが今の言葉に含まれていて、感化されるように胸にズキンと痛みが走る。


 ……しかし、それでも俺は、今のひまりちゃんを上手く擁護できるような言葉が思いつかなかった。


「……ひまりちゃんを嫌ってる人なんていないよ」


「なら、それなら、ひまりのおねがいきいてよぉ」


「裕二さんと恵美さんは……ひまりちゃんたちの生活を守るために、最大限できることをしてくれてる。だから、それを悪く言うのはダメだよ」


「でもぉ……いま、ひまりをまもってよぉ……ひまり、かなしいよぉ」


「……ごめん。ひまりちゃんの家庭事情に血の繋がりのない俺が口出しするわけにはいかないから、これ以上ひまりちゃんのためだけに動くことはできない」


「……っ」


 辛そうに表情を歪めたひまりちゃんに、俺の胸もさらにぎゅうっと圧迫される。


 俺だって本当は助けてあげたい。ひまりちゃんの笑顔のためならどんなに苦しいことでも最後まで力になってあげられる。


 でも、俺よりもひまりちゃんを大事に思ってくれている裕二さんと恵美さんの気持ちを考えたら、俺がしようとしていることはただの野暮だから。


「だから、せめて……こういう時、ひまりちゃんが辛い気持ちを抱え込んでいる時は、すぐ傍で俺が支えるから。俺の胸くらい、いつでも貸してあげるから」


「……」


 俺は、振り切って清々とした笑顔で両手を広げた。


「ほら、おいで? 今日はひまりちゃん専用の特等席だよ? ギュってしてあげるから」


「……」


「何分でも、何十分でも、何時間でも、ずっとひまりちゃんの傍に居るから」


「……おにーちゃん……」


「……こんな風でしか、力にはなれないけど。でも、さっきも言ったけど、ひまりちゃんを見放したりなんかは絶対にしない。ミルクちゃんの代わりに──ていう言い方はちょっとアレだけど、俺は離れ離れになったりしないから。ひまりちゃんの思いを、全部この体で受け止めてあげるから」


 今の俺に出来ること──それは、気持ちだけでもひまりちゃんの味方で在り続けること。


 一人で抱え込んで進むべき方向を見失ってしまわないように、俺が導いてあげること。


 俺が、ひまりちゃんのおにーちゃんで在ること。


「……おにーちゃんは、それでひまりが満足すると思ってるの?」


「えっ」


「ひまりが、そうやって甘えてくれば、ミルクちゃんを諦め切れると思ってるの?」


「そ、そのぉ……諦め切れるとは思ってないけど、せめて、心の支えになれたらなと」


「……」


 ひまりちゃんは不機嫌そうに目つきをムスッとさせると──次の瞬間、ガバッと俺に抱きついていた。


「お、おおっ?」


 ふにゅふにゅっとした感触が全身に伝わる。


 ……けど。受け止めたその感触は僅かに震え、服は湿気を帯びていく。


「……バカ。おにーちゃんのバカ。ひまりのこと、全然分かってくれてない。ばか、ばか、ばかっ」


「あ、ああっと……」


 どうすることもできず、俺は気休め程度にギュッと両腕でひまりちゃんを包み込む。


 小さくて温かくて、柔らかくて華奢で……あまりにも脆くて貧弱なその体を優しく支えていると、俺に抱きつくひまりちゃんの両手がさらに力を増した。


「……でも、しばらくこうしてて。ひまりが、いいって言うまで」


「──ッ。う、うん、もちろん」


 言われて、俺はそのままひまりちゃんを抱きとめ続ける。


 背後のチェストベッドを背もたれに寄りかかり、放心気味に天井を見上げながら静寂のひと時が流れていく。


 ……これからどうしていくのか、ひまりちゃんとどう向き合っていくのか、どの選択肢が俺たちにとって最善であるのか、様々な思いを胸中で巡らせながら。


 すぐには明確な答えを導き出せずにいると、ふとしてひまりちゃんが口を開いた。


「……おにーちゃんの体、温かい」


「そ、そう?」


「ずっとこのまま、ぎゅうってされてたい」


「……うん。時間の許す限り、ずっとこのままで」


「……おにーちゃんは、どこにも行かないで。行っちゃヤダ。ずっと、ひまりの傍にいて」


「もちろん」



「……ん。……ありがと」



 ──その短い言葉を最後に、ひまりちゃんは口を閉ざして消えゆくように眠りに落ちていた。

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