第2話 許してくれない

「み、皆さまっ、初めましてっ! 八宇治綾乃と申しますっ! 本日は、よろしくお願いいたしますっ!」


「「「「…………」」」」


 で。喫茶店から場所を移し、毎度お馴染み相川宅。


 玄関先で出迎えてくれた智香ちゃんたち三姉妹と美乃里は俺の両隣に立つ女の子、環奈と八宇治さんを交互に見遣ってポカーンと言葉を失っていた。


「えっと、み、みんなぁ〜……?」


 俺から呼びかけると、直後に四人は意識を取り戻して一斉に口を開いた。


「お、おにいちゃんが、また、新しい女を連れてきたぁ……! ついでに環奈さんまでいるしぃ……! うええ……ッ!」


 泣かないで。


「お兄、その女、誰?」


 知人です。


「さすがはお兄ちゃん、相も変わらず天性の女たらしですね。よりどりみどりなあたしたちを差し置いて他の子に浮気するだなんて。なんて強欲な」


 違います。


「環奈おねーちゃんこんにちわっ! ⋯⋯もう一人のおねーさんも、こんにちわ?」


 ひまりちゃんはただの癒し。


 と、いった具合で四人それぞれが反応を示すと、その勢いに呑まれて「せ、せんぱいぃ~……」と縋るような涙目で俺に助けを乞う八宇治さん。


 まあ、初見でこの四人と対峙して落ち着けるはずないか。仕方ない、ここは俺がビシッと言ってやろう。


「み、みんな? 八宇治さん困ってるから、あんまり怖がらせないであげて?」


「あー出た出た、お兄ちゃんお得意の八方美人。これだからお兄ちゃんは」


「おにいちゃんの浮気ものぉッ! うわあーんッ!」


「お兄、悔い改めて」


「よく分かんないけどおにーちゃんだいじょーぶ?」 


 散々な言われようである。


「ふふ、みんなご不満みたいよ、お兄ちゃん?」


「か、環奈からも、何か言ってやってよっ! 明らかになんか俺誤解されてるしっ!」


「嫌よめんどくさいし。一人でどうにかして」


「ええー……」


「可愛い妹をたくさん持つと大変ねぇ。頑張れ~?」


 今日も今日とて小馬鹿にされる俺だった。


 ……というわけで。誰からも見放された俺は自分の口で今回の経緯を説明すると、智香ちゃん、紗彩ちゃん、美乃里の三人はどうにか納得して八宇治さんの存在を認めてくれた。


 いざ話してみると、同級生という接点で八宇治さんとは気が合ったらしい智香ちゃんと美乃里。徐々に分かり合えて、雰囲気が明るくなっていくその一方──


「……」


 ポツンと一人、蚊帳の外になっているひまりちゃんはついさっきまでの明るさが嘘のように、不安を募らせた面持ちで八宇治さんをじっと見つめていた。


「ひまりちゃん? どうしたの?」


 膝をついて気にかけるように環奈が寄り添うと、ひまりちゃんは素直に小声で吐露する。


「あのおねーさんが、ミルクちゃんのさとおやになるの……?」


「まだ正式には決まってないけど……ええ、一応ね。十分に信頼できる私の後輩よ。何か不安なの?」


「……その」


 ひまりちゃんは力を無く目を伏せ、胸元の服を片手でクシャッと掴む。


「ミルクちゃん、ね。ひまりに、いっぱい甘えてくれるようになったの」


「……」


「ひまりが、ミルクちゃんって呼ぶとね、小さな足で一生懸命駆け寄ってきてくれるようになったの。ひまりのお膝の上にもね、よじ登ってくれるようになってね、目を瞑ってくれるの。……すごく、可愛いの」


「……ひまりちゃんの熱心な愛情が、ミルクちゃんにちゃんと届いたのね」


「うん」


「良かったじゃない」


「うん。……だから、ね」


「?」


「……お別れ、したくないの」


 僅かに震えた声色で気持ちを打ち明けたひまりちゃんに、環奈の表情がグッと強張る。


「ひまりがお願いしてもね、おとーさんとおかーさんが許してくれないの。あんなに可愛いのに、分かってくれなくて。ひまりが頑張ってお世話するからって言っても、全然認めてくれなくて、いじわるで」


「……その、ご両親にも事情があるのよ。ひまりちゃんの気持ちは、十分によく理解してくれてると思う」


「分かってるけど、でも、それでも……」


「ひまりちゃん……」


 ……危惧していた通りの展開になった、か。


 ミルクちゃんと過ごしてきた今日までの日々は、ひまりちゃんにとってはそれだけ、心の大半を占めるかけがえのない思い出となっていた。


 傍でその様子をずっと見続けていた俺は特に、ひまりちゃんのあの表情に込められた思いが痛いほどによく伝わる。


『──おにーちゃんっ、猫じゃらしすると猫ちゃん喜ぶんだってっ! 明日一緒にお買い物しよーよっ!』


『猫じゃらしかぁ。なら、道端に生えてるヤツ』


『おにーちゃんと一緒にお買いものしたいのっ!』


『……でも、この前たくさんお金使っちゃったし、できる限り節約を……』


『おにーちゃあーん……』


『あ、ああー、いや、うん。じゃあ……か、買いに行こっか、明日』


『やったあっ! えへへ、おにーちゃんありがとぉ~!』


(……ッ)


 ……俺だって、今のミルクちゃんとひまりちゃんを引き離すだなんてこと、本意ではない。


 ……だけど、そうするしかない。親である裕二さんと恵美さんの意思を尊重すべきで、絶対であるから。


 そう、割り切るしかない。


「ひまりちゃん? ダメだよ、そんな顔したら。里親を探すのはちゃんとみんなで決めたことでしょ?」


「……」


 環奈の隣に俺も膝をつき、口を噤んで陰りを帯びたひまりちゃんに優しく声をかける。


「それに、今後一生会えないわけじゃないんだよ? ほら、この前環奈が言ってたこと覚えてる? 環奈を通じて休日にでもお願いすれば、会いたい時に会いに行けるからさ。そしたら、その時にめいいっぱいミルクちゃんを可愛がってあげようよ。ね?」


「でも、毎日会えなくなっちゃう……」


「それは……うん。仕方ない、かな」


「……」


 俺も、こういうことはあまり言いたくないが……。


「今は、とりあえず笑っていよう? せっかく来てくれた八宇治さんにも失礼になっちゃうし……さ?」


「……」


 その言葉に、ひまりちゃんは頷かなかった。

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