4.溢れ出る胸中
第1話 テニス部の後輩
それから数日後、里親を巡ってはすぐに大きな進展を見せた。
LINEを通じて連絡を取り合った環奈の話によると、同じ女子テニス部に所属する一人の後輩がミルクちゃんに興味を持ってくれたのだという。
何でも大の猫好きだそうで、家庭環境においても猫を飼うことに支障はないらしく問題ないとのこと。ミルクちゃんの写真を一目見て気に入ってしまったんだとか。
しかしその子は俺と面識のない他人同士なので遠慮している面もあるらしく、そういうわけで、一度俺と顔を合わせて話し合ってみてくれないか、と。
それを快諾した俺は、続けて環奈から顔を合わせる場と日時、時間帯について有無を言わさず指定され、一週間後──学校の近辺にある喫茶チェーン店前で待ち合わせすることとなった。
そうせずとも、家まで来てくれたらお茶くらいは用意するよと俺からは提案したものの……環奈曰く、その子は控えめな性格で男子に対する耐性がないため、初めは一定の距離感を保って様子を見たいのだそう。
そうか、なら仕方ないと俺も納得がいき──迎えた当日、晴天に恵まれた喫茶チェーン店前。
「あ、来た。あの人が早海千尋、私のクラスメイト」
「っ! は、はい」
気持ち早めに向かったつもりだったが、遠目から店の看板を捉えた時点ではもうすでに、前と同じ日傘をさしたワンピース姿の環奈と──こちらを見ながらひっそりと佇んだ、キュッと小柄な女の子。
緊張しているのかピシッと脇を締めて、隣に立つ環奈に目を向けたり逸らしたりとどこか落ち着きのない様子。ピンクベージュのトップスに白のミディスカートと、今どき風の可愛らしい子だった。
猛威を振るう炎天下、これ以上外で立たせるわけにもいかないので俺が駆け寄っていくと、手を振って歓迎してくれる環奈に俺からも軽く手を振って応じる。
「ごめん、けっこう待たせちゃった?」
二人の前に立って話しかけると、環奈はパタパタと手を扇ぎながらわざとらしく息を吐いた。
「ええ、すごぉーく待ってたわ。おかげさまでもう汗だくなんだけど、どう責任取ってくれるのかしら?」
「えッ。あ、あー……その、前に話したパフェの奢りでどうにか……?」
「あ、ほんとに? 冗談のつもりで言ったんだけど奢ってくれるんだ? やったぁ」
「……やっぱ無しで」
「やったあ?」
「嘘です奢ります」
「ふふふっ」
そんな形相で迫られたら断れるはずがなかった。
出費が増えてガクッと肩を落としていると、
「あ、あのっ。は、初めましてっ……!」
そのやり取りを見ていたもう一人の女の子が、意を決したように俺に声をかけてきた。
「あ、うん。初めまして、君が今日の……?」
「そ、そうですっ。ほ、本日は、貴重なお時間を割いていただき、ありがとうございますっ。い、一年五組の、
「あはは、そんな畏まらなくても大丈夫だよ。環奈と同じ二年二組の早海千尋です。こちらこそ今日はよろしくね」
「す、すみません、慣れないもので……」
礼儀正しくもワタワタと慌てて律儀に頭を下げてくれる女の子、八宇治さん。
長い黒髪を後ろで一本に束ねていて、おっとりとした面立ちと儚げな目元とは対照的に、テニス部らしくしなやかな肢体はとても若々しさに満ち溢れている。環奈と並んでいても見劣りしないほどに可憐で華のある美少女だ。
うん。明らかに俺、この二人には不相応すぎる。超がつくほどの美少女二人と冴えない男が一人、周りから比べられてバカにされないか不安になってきた。
「綾乃、敬語は必要ないわよ? 千尋はとっても寛容的でね、可愛い顔で甘えれば基本的には何でも許してくれるお兄ちゃん気質のやさしー男の子だから」
「ちょっと語弊がある気がするけど……まあ、その通り。気軽に仲良くしてくれたら嬉しいな?」
「気軽にだなんてそんなっ。早海先輩はれっきとした先輩なので、け、敬語はちゃんとしますッ……です」
そう言いつつ、再度頭を下げてくれる八宇治さん。いかにも後輩って感じでいい子だ。
「遠慮しなくてもいいのに。ねえお兄ちゃん?」
「いつから俺は環奈のお兄ちゃんになったの?」
「今」
「唐突すぎない?」
「冗談よ。なに本気にしてんの、キモい」
「……」
冷房が効いた店内に入り、空いていたソファー席に腰を下ろした環奈と八宇治さんは仲良く隣り合った。
続いて二人の向かいに着いた俺は早速メニュー表を開くと、少し思案した末にコーヒーとパンケーキを注文。無難な組み合わせだ。
次いで環奈はパフェ(俺の奢り)を、八宇治さんはメロンクリームソーダ(俺の奢り)を注文して甘味を堪能した後、仕切り役の環奈がパンっと手を合わせて切り出した。
「じゃあ本題ね。……とは言っても、ミルクちゃんの里親に綾乃が名乗り出てくれたってだけで特に話し込むことはないんだけど」
「は、はい、そうです。長田先輩からミルクちゃんの写真を拝見させていただきまして、可愛いなぁと思いまして……それでその、早海先輩に一度お話を、と」
小声で俯きつつも、俺の顔色をチラっと窺う八宇治さん。まだ少し怖がられているようでちょっと残念。
「うん、環奈から聞いてるよ。ありがとね、興味を持ってくれて」
「い、いえそんな」
「いや、本当に有り難く思ってる。俺の家はどうしても猫を飼えない事情があってさ……だから、ウェブのサイトで引き取ってくれる里親を探そうとは思ったんだけど、ネットって色々不安な要素ばかりで怖くて」
「不安な要素、ですか?」
「……その、顔が見えない相手って、怖くない?」
「……そ、そうかも、ですね?」
「そうなんだよ。ネットの世界っていつどこで詐欺や犯罪に巻き込まれるか分からないし、どうしても神経質になっちゃうんだよね。サイトに会員登録っていうのも何だか罠がありそうで、もうほんと怖くてさ」
口が回っていると──そこで止めに入るように環奈はテーブルを軽く叩いた。
「はいそこまで、話脱線してるから。で、結局千尋はいいの? 綾乃にミルクちゃんの里親を任せて」
「問題ないよ。見るからに八宇治さん優しそうだし、最後までミルクちゃんを愛情込めてお世話してくれそうだなって思えたから。……なんだけど」
「なんだけど?」
「その、智香ちゃんたちにも──特に、ひまりちゃんには八宇治さんをちゃんと紹介して同意を得ないと、かな。ミルクちゃんの保有権は全て向こうにあるから」
一時的とはいえ、一週間以上にも及んでお世話をしてくれている智香ちゃんたちの意向を無視するわけにはいかない。
人馴れしたミルクちゃんも恩義を感じているのかみんなに甘えてばかりのようで、今ではすっかり相川家の一員として日常の風景へと溶け込みつつある。
その中で──ほぼ付きっきりで、ミルクちゃんを一番可愛がってくれているのがひまりちゃんだ。
「……確かにそうね。あれからミルクちゃん、とっても懐いてくれてるんでしょ?」
「うん。健康状態も良好で元気に動き回ってるし、最近だとたくさん手を舐めてきたりしてすごく可愛いんだって。ひまりちゃんが嬉しそうにしてる」
「でも、あの子たちの家でも飼えないのよね?」
「……夏休み中の今は良くても、長期的に考えたら食費や通院、それ以外にも様々な面でどうしてもお金が必要になる。夜遅くまで仕事を頑張っていて中々面倒を見てやれない両親に、可愛いからっていう子供のワガママでこれ以上の負担はかけられないよ」
現時点、大目に見てくれてはいるが、裕二さんの反応は明らかに好意的ではない。恵美さんもどうしたものかと困っているような様子だし。
「だから三人には申し訳ないけど、ミルクちゃんのお世話は八宇治さんに任せたい。俺から話して説得するよ」
「三人、というよりはひまりちゃんね。あの子の熱量は相当よ?」
「……んー……そう、だよなぁ」
結局はそれが一番の懸念点。あれだけ愛情を注いでいるミルクちゃんをすんなり引き渡してくれるかどうか……一筋縄ではいかなさそうだ。
「あ、あの。ひまりちゃんというのは……?」
「ああ、えっと、俺の家の隣に住んでるご近所さんの女の子の名前。ひまりちゃんっていう子を含めて三姉妹なんだけど、今はその子たちがミルクちゃんの面倒を見てくれてる」
「そ、そうなんですね。は、早海先輩は、その方々と仲がよろしいんですか?」
「うん、普段から仲良くさせてもらってる。三人ともすごく可愛くて優しいよ」
「へ、へえ〜……」
興味深そうに声を漏らす八宇治さん。この子の人柄なら環奈と同様すぐに受け入れてもらえそうではあるけどな。
「私から補足。可愛くて優しいのは紗彩ちゃんっていう子とひまりちゃんよ。あと一人、相川智香っていう子はほんっとどーしよーもないワガママでねぇ……」
「ま、まあまあ、それは一旦置いといて」
環奈を手で制し、再度俺は八宇治さんに向き直る。
「八宇治さんには一度、その三人と顔を合わせてみてほしいんだよね。だから、もしできたらこの後、俺の家まで足を運んでくれたら嬉しいなー、みたいな?」
「せ、先輩の、お家まで……?」
「俺、というよりは三姉妹の方。とはいえ、今日は緊張してただろうし、今日でなくともまた日を改めてもらっても全然構わないんだけど……ど、どう?」
柔らかな口調で訊くと、八宇治さんはしばらく言い淀んでモジモジと身を揺すった後──胸元でグッと両手を握り、前を向いていた。
「わ、分かりました。お手数をおかけしたくありませんし、今日、これからお伺いさせていただきます」
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