第4話 妹 対 妹(ラウンド2)

 次の日、依然として苛まれるような蒸し暑さに晒されている昼下がり。


 屋内に鳴り響いたインターホンに応じて玄関まで歩いて向かうと、俺は若干緊張した面持ちで息を整え、そして意を決して扉のドアノブに手を掛ける。


 ガチャリ、と。扉を開いたその先には──


「こんにちは。綺麗なお宅ね」


 夏らしい爽やかなワンピース姿で日傘をさした透明感ある美少女、長田環奈が涼しげな顔で佇んでいた。


(……こ、高校生……?)


 芸能人とほぼ遜色ない見栄え、他の女子とは格が違いすぎる唯一無二の存在感。溢れんばかりの神々しきオーラを纏ったその眩さ、毅然とした貫禄に俺は圧倒される。


 どう言い表せばいいのか……非常にこう、色々と、天と地の差というものをひしひしと感じるというか。とりあえず端的に言えば──夏服の環奈、破壊力ヤバすぎる。


「? 千尋?」


「い、いらっしゃい。道、迷ったりしなかった?」


 見惚れて言葉を失ってしまったが、正気を取り戻してそう声をかけると、環奈は手に持った白色のハンカチで額の汗を軽く拭いつつ俺を見据えた。


「大丈夫よ、ルート的にも覚えやすかったし」


「な、なら良かった。じゃあ、ひとまず中にどうぞ」


「ええ、お邪魔します」


 日傘を閉じ、フワリと表情を和らげる環奈。


 落ち着け俺。環奈はただのクラスメイトで友人で、今日はミルクちゃんの様子を見に来てくれただけで。そういう、性的な男女関係とかは一切なしで……うん。


「いい香り。リードディフューザー置いてあるのね」


 玄関に足を踏み入れた環奈はそう言い、上品に目を細めた。


「リ……な、なんて?」


「リードディフューザー。そこに置いてあるガラス瓶のこと。自分の家の物なのに知らなかったの?」


 靴箱の上に置かれた、木製のスティックが差し込まれたガラス瓶に意識を向ける環奈。


「……母さんが買ってきたものだから、あまり詳しくなくて」


「ま、そうだろうとは思ってたけど。千尋ってこういうお洒落な用品使うイメージあんまりないし」


「……」


 確かにその通りなので何も言い返せない。無難に堅実に過ごしていたいんだ、俺は。


 そうしてぎこちなく言葉を交わしていた最中、


「お兄? ……あ」


 騒ぎを聞きつけ、階段から下りてきたのは美乃里。


 が、しかし。俺の隣に立つ環奈の姿を捉えた直後にピシッと動きを止め、不安げな顔でそろ~……と、俺に視線を移していた。こっち見ないで。


「こんにちは美乃里さん。お邪魔してるわ」


「ど、どーもぉ、いらっしゃいませぇ~……」


 あからさまに腰が引けている美乃里。


 ……ちょっと気の毒ではあるけど、様子を見てみよう。なんか気になるんだよな、この二人の関係性。


「何よその表情。私とは校内で何度も顔を合わせてるんだからそこまで緊張しなくたっていいでしょ?」


「そ、そぉは言われましてもぉ……せ、先輩ですし」


「……そんなに、私が怖いって言いたいわけ?」


「いえいえっ!? ぜんっぜんっ、そんなまっさかぁーっ!? 常日頃から尊敬してます長田先輩っ!」


「……兄妹揃って分かりやすい」


 なるほど、美乃里は環奈を完全な格上として認識しているらしい。まあそうだな、環奈に反抗しようものなら冷たい目で容赦なく毒吐いてきそうだし。


「千尋から事情を聞いてるとは思うけど、今日は子猫の様子を見に来ただけよ。心配せずとも、あなたに余計な迷惑はかけないわ」


「は、はぃ」


「ああでも、千尋との兄妹絡みを目の前で見せつけられると少し気に触るから控えてもらってもいい?」


「え。いや、それはちょっと」


「控えて?」


「もちろんです」


 屈するのが早すぎる。


「ありがと。で、その子猫……ミルクちゃんは今、どこにいるの?」


 辺りをキョロキョロと見回す環奈。


 美乃里は見るに堪えないくらい完全に萎縮してしまっているし、仕方ない。助け船を出そう。


「これから案内するよ。隣の、智香ちゃんの家で預かってもらってるから」


「ああ、なるほど。……プライベートであの子と顔を合わせるの、何となく嫌な予感がするんだけど」


「大丈夫だよ、智香ちゃんは優しくていい子だから」


「本当かしらねぇ……」




「どぉもぉ、こんにちわぁ~……」


「……やっぱり歓迎されてないじゃない」


 環奈と美乃里を連れて訪れた相川宅の玄関先。


 出迎えられてすぐ、露骨に嫌そうな顔で接待を始めた智香ちゃんを前にして、環奈はジト目で俺に訴えかけていた。……い、いたたまれない。


「と、智香ちゃん? 環奈はお客さんなんだから、失礼がないように」


 言い宥めようとする俺ではあったが、智香ちゃんは素っ気なく顔を背けてブツブツと小言を漏らす。


「別にぃ、わたしはお呼びしてないですしぃ。他に呼べる人なんていくらでもいますしぃ。はあぁ~……」


 ……やさぐれていらっしゃる……。


「ちょっと? 千尋の言う通り、私は客人なんだから少しくらいは丁重に扱いなさいよ」


「…………はあぁぁ~……」


 いつにも増してキャラ崩壊が凄まじいな。


「千尋、私もう帰っていい?」


「ごめんごめんっ! ほんっとごめんっ! 申し訳ありませんどーかこの通りっ!」


 一触即発といった雰囲気に当てられて謝り倒すしかない俺。なんで俺が謝らないといけないんだ、関係ないのに。


「と、智香っ。長田先輩に対してそんな口の利き方はないでしょっ!」


 一歩前に出て美乃里が主張すると、智香ちゃんは暗く淀んだ瞳で凄みを帯びた気配を放つ。


「うるさい」


「え」


「わたしのおにいちゃんを甘ーい声で誘惑して、誑かして、不埒に近づこうとする不届き者……死すべし、針山地獄で全身貫かれちゃえ、グロテスクに」


「お、おにぃ~……ッ!」


 俺に助けを乞わないで。俺が困る。


「あー、もうっ! ほんっとしゃらくさいっ! 千尋に手を出す気なんて毛頭ないわよっ! 子猫の様子を見に来ただけって言ってるでしょーがッ! それにほら、せっかくの可愛い顔がその厚かましい態度で全部台無しよ? 千尋に幻滅されてもいいのっ?」


 堪え兼ねたように環奈が切り出すと、ハッと表情を明るくした智香ちゃんは体勢を整え、俺に目掛けて真正面からハグ──いや、なんで?


「おにいちゃん大好きっ♡」


 うーんこの情緒不安定。


「お兄に気安く抱き付くなっつってんだろーがぁこのメスぶたぁッッ!!」


 連動するように怒り狂う美乃里。忙しないな二人して。


「メス豚じゃないもんっ! わたしには相川智香っていう名前がちゃんとあるもんっ!」


 バッ! と反応した智香ちゃんは美乃里と対峙してそう声を張り上げると、美乃里も負けじと躍起になって言い返す。


「男の体にベタベタ引っ付いて媚び売ってるお前みたいな女をメス豚ってゆーんだよおッッ!!」


「なら美乃里ちゃんだってメス豚じゃんっ! いつもいつも『お兄♡ お兄♡』って可愛い子アピールしてる感じが特にっ!」


「兄妹だから許されるんだよッ!」


「それでも距離感ってゆーのがあるじゃんッ! 度が過ぎてるよッ!」


「お前にだけは言われたくないわっ! よそもんのくせにッ!」


「よそもんじゃないもんっ! お隣さんだもんっ!」


「もんもんうるせえッ!!」


「うううーっ! バカあッ!!」


「ああんっ!?」


 可愛い顔に似合わずギャーギャーと罵り合う両者。


 こうなってしまったらもう止める術はない。お互いに疲弊して勢いを無くすその瞬間まで、俺は少し離れた位置から静観することに決めた。


 女同士の争いに第三者が手出しするのは禁止事項だって、どこかで聞いた気がするし。知らないけど。


 ……はあ。


「……あの二人って、ここでだといつもああなの?」


「左様でございます」


「……大変そうね」


 ごもっとも。


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