第5話 環奈おねーちゃんに任せなさい
「可愛い……ふふ、甘えたがりなのね」
二人の罵り合いが落ち着いた後、リビングでは甘えるような鳴き声で身を寄せてきたミルクちゃんに、環奈は上機嫌に声色を弾ませていた。
正座をする環奈の膝上までよじよじと這い上がったミルクちゃんはのびのびと両目を瞑り、体をコロンと横にしてすっかり懐いてしまっている。
とても絵になる。美少女の膝上でモフモフな体をピットリ委ねる一匹の子猫、慈愛に満ちたこの構図──目の保養と表現するに相応しい、そんな光景だ。
「うぅ~……ひまりにはまだそこまで懐いてくれてないのにぃ」
「大事なのは力加減よ、ひまりちゃん。背中は毛並みに沿って、顎の下はこう優しく撫でてあげると……ほら、喉をゴロゴロ鳴らして満足してくれるから」
「ほわぁ……! か、環奈おねーちゃんすごいっ!」
「これくらい大したことじゃないわ。ほら、ひまりちゃんも試しにやってみて?」
「う、うんっ!」
初対面のひまりちゃんとはすぐに打ち解け合い、肩を寄せ合って仲睦まじく笑い合うその姿は、まるで実の姉妹かのように非常に近しい距離感である。
こういうのをどう言い表すんだったか……ああ、アレだ。尊い。
「長田先輩、冷たいお茶をご用意したので良ければどうぞ。ただの麦茶ですけど」
トレーを手に持った紗彩ちゃんが二人の間にスッと入ると、環奈は「ありがと」と言いつつトレーの上に置かれたグラスを受け取り、口を付けてゴクッと喉に通した。
「ふう、美味しい。紗彩ちゃんは今、中学二年生なのよね?」
「そうですよ。何か至らない点でもありました?」
「いいえ、その逆。礼儀正しくて非の打ち所がないからすっかり感心しちゃってるところ。見習ってほしいものだわ、あの二人にも」
「……あはは」
見遣ったすぐ先で、未だにいがみ合いながら脇腹を小突き合っている美乃里と智香ちゃん。
……まあ、うん。ひと月前まで不仲だった二人が、今ではあれだけ真っ向から言い合える関係になったというのはある意味、喜ばしいことではあるけども。
「良かったらLINE交換しない? 紗彩ちゃんとなら気が合いそうだし。アプリ入れてるでしょ?」
「はい、もちろんです。そう仰ってもらえてとても光栄です、ありがとうございます」
「……実は智香より年上なんじゃないの、あなた?」
「いえいえそんな、褒めすぎですよ。あたしの実力ではお姉ちゃんの足元にも及びませんから」
いや、お世辞抜きで俺も環奈に同意。今の智香ちゃんは……ちょっと、アレ。
そうしてひと息ついた後、姿勢を正した環奈は本題へと切り出していた。
「ミルクちゃんの写真は撮ったから、あとは知り合い全員に拡散して訊いて回るだけ。昨日も話したけど、私の家でペットは飼えないから力になれるのはここまでね」
「十分すぎるよ、ありがとう」
俺が言うと、環奈は和やかに口角を上げる。
「どういたしまして。引き取ってくれる相手が見つかるといいわね」
「うん。見つかるよ、きっと」
「千尋も探してはいるんでしょ? 進捗はどう?」
「里親募集のウェブサイトを色々見て回ってはいるけど……どのサイトが一番実績を残しているのか、まだ全然把握してないから念入りに調べていくつもり」
現時点である程度の目星は付いているが、安全を第一になるべく信憑性のあるサイトを利用したい。
またあんな風に、ダンボール箱に閉じ込められて廃棄されるような悲しいこと、二度と起こしてはならないわけだし。
「そう、ならいいわ。……この子が幸せでいられる相手を、しっかり見定めないといけないものね」
環奈はそっと囁き、膝上でスヤスヤと眠るミルクちゃんの背中を毛並みに沿って丁寧に撫で下ろす。
⋯⋯すぐ目の前にいるんだけどなぁ。
「長田先輩が引き取ってくれたら本当に良かったんですけどねぇ」
と、俺と同じことを思っていたらしい紗彩ちゃん。
「ごめんなさい、臭いで親がNGなの。紗彩ちゃんはそういうのどう? 苦手だったりする?」
「あたしは気にしない派です。ただ、うちも両親の事情と言いますか、どうしても出費がかさんでしまうので同じくNGでして」
「苦労してるのね」
「です」
二人が見合って笑うと──大人しくしていたひまりちゃんが突然、環奈の背中にガバッと飛び付いた。
「ひゃっ!? な、なにっ?」
──え、なにそのらしくない声。かわい。
「……ッ。なに見てんの、引っぱたくわよ」
見てないです許してください。
「環奈おねーちゃん、猫ちゃん飼えないの?」
いつものハツラツさを欠いてボソリと呟くひまりちゃん。察したのか、環奈は気遣うように苦笑する。
「引き取ってあげたい気持ちは山々なんだけどね。私の一存では決められないことだから」
「……ミルクちゃん、知らない人に渡したくない。そしたらきっと、ずっと会えなくなっちゃうから」
「できる限り努力するわ、私の身近な人には片っ端から声を掛けておくから。そうすれば私を通じて会いたいときに会えるでしょ?」
「……うん」
「もう、そんな不安な顔しないで? 可愛くて元気なひまりちゃんには人一倍笑顔が似合うんだから。もっと胸を張っていないと、ね?」
「……」
励ましの言葉を掛けてもどこか釈然としないひまりちゃんの姿に、環奈は息をついてまた苦笑した。
「ミルクちゃん、預かっててもらえる?」
「え? あ、はい」
紗彩ちゃんにミルクちゃんを手渡した環奈は次の瞬間、両手でひまりちゃんをギュッと胸元へと抱き寄せていた。
「大丈夫よ、私に不可能なことなんてこの世に存在しないんだから。安心して待ってなさい?」
抑揚のある余裕げな声に応じて、豊かな胸元からひまりちゃんが「ぷはっ」と顔を上げる。
「ほ、ほんとっ?」
「ほんと。環奈おねーちゃんが信頼できないの?」
「う、ううん。環奈おねーちゃんは、信頼できる」
「ありがと。なら暗い顏はもうやめて、いつも通り笑ってなさい? 笑う門には福来るって、よく言われてるでしょ?」
「? よ、よく分かんない……」
「あら、このことわざの意味知らないんだ? もしかしてひまりちゃんっておバカさん?」
「おっ……お、おバカじゃないもんっ!」
「ふふ、ばーかばーか。まだまだお子さまねぇ〜?」
「にゅっ、にゅうぅうううう〜〜ッ!!」
……さすがはスクールカーストトップ。機転を利かせた言葉選びで、元気がなかったひまりちゃんを一瞬で立ち直らせてしまった。
俺には到底辿り着けない勝ち組の風格。容姿とも相まってまるで女神のようだ。敬意を込めて、ここは手を合わせて崇めておかねば。
「……お兄ちゃん、何してんですか?」
「崇高なる環奈さまを崇めておこうかと」
「気持ち悪いんでやめてください」
ごめんなさい。
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