第3話 おにいちゃん

 その後、智香ちゃんとは正面から向き合って、一つ一つ順を追っていくように色んな話をした。


 これまでどうして俺を避けていたのか、何を悩んでいたのか、きっかけはなんだったのか、など。


 智香ちゃんの力になりたい俺は、気になること全てを問いただすように話していきながら、時折様子を伺いつつ行き過ぎないように段階を踏んでいき。


 そして、時計の針が二十二時を回った頃には……。


「──いや、環奈とは本当にそういう関係じゃないっていうか、ちょっとした事情があってね?」


「でも、最近のお兄さんは、長田先輩と一緒に話してばっかりですごく冷たかったです。……もっと、わたしにも構ってください」


「あ、あー……さ、寂しかったね? ごめんね?」


「……お兄さんのバカ」


 俺が言うと、智香ちゃんはぎゅうっと縋り付くように抱きついてきていじけてしまった。


 ……ある程度の話をして自分の部屋に戻ろうとした俺だったが、そこで寂しそうに目を向けてきた智香ちゃんの誘惑にどうしても耐え切ることができず。


 それでなんやかんや長居していたら、気付くとベッドの上にお邪魔して智香ちゃんの肩を抱き寄せているというまさかのセクハラまがいな展開に。


 いや、何故にこうなった?


 パジャマのソフトな肌触りに加えて、さっきから二つの丸い膨らみを俺の腹部辺りに押し付けてくるし。


 前々から思ってはいたけど、なんというか、着痩せするというか……智香ちゃんって意外と大きいよな。


 いやダメだ、それ以上先を考えたらアウト。


「確かに長田先輩は綺麗で可愛いですけど、だとしても、そうやってうつつを抜かしてデレデレしてるお兄さんを見るのは、わたしヤです。禁止です」


「で、デレデレしてるつもりはないんだけど……?」


「してます。絶対してました」


 ぎゅうぎゅう。


 抱きつく力が強まるという分かりやすい主張。今の俺に残された選択肢は、それを真摯な姿勢で受け止めてあげるしか他ない。


「本当に嫌だったんです。……嫌だったんだもん」


「んー、けど、それなら俺を避けるんじゃなくて、話しかけてくれたら良かったのになぁー……なんて」


「……ッ」


「あ、その、ごめん、無言でそこまで力を強められると俺苦しくなっちゃうからほどほどにね? ねっ?」


 さらにぎゅううーっと締め付けてくる智香ちゃん。


 さっきの話でだいぶ迷いを捨ててくれたのか、俺に対するスキンシップがかなり大胆に変化していた。


 いやまあ確かにその方が良いとは言ったけども、にしたってまるで別人のような甘えっぷりである。


 なるほど、これが本来の、というか……俺に向けて居たかった姿というわけか。頭をポンポン撫でると胸元に頬ずりしてくれるし、本当に妹のような存在感。


「そういうのは察してください」


「ご、ごめんごめん」


「……っ。あの、お兄さん」


「ん、ん?」


 ピンと背筋を張っていると、おもむろに顔を上げて上目遣いで話しかけてくる智香ちゃん。


 …………ッ。


 暴力的な可愛さにも屈せず理性を保ちつつ、笑顔で堪えていると、


「お兄さんは、どう呼んでほしいですか……?」


「そ、それは、どういう?」


「わたしに、今まで通り『お兄さん』なのか……それとも、『お兄ちゃん』の方が、いいのかなって……」


「──……」


 秒で屈した。


 ……そういえば、あの時の河川敷でも俺のことをお兄ちゃんって呼んでたな。


 智香ちゃんが言う『いい子』で在ることに囚われていて、本心では俺をそう呼んで甘えたいんだという、これはそういう意思表示なのだろうか。


 だとしたらそれはもう、


「お、お兄さん?」


「……智香ちゃんの、好きな呼び方でいいよ」


「ッ! い、いいんですかっ?」


「うん」


 断るわけにはいかなかった。


「じゃ、じゃあ、その……お、おにいちゃん……?」


「──……」


 全身の毛穴から何かがブワッと吹き抜けていったような気がする。


「あ、あの……?」


「う、うん。なんかこう、しっくりくるね?」


 実のところはドギマギしまくってるわけだけども。


「……! お、お兄ちゃんっ……!」


 俺の言葉がよほど嬉しかったのか、華やいだ表情で再びぎゅうっと縋り付いてくる智香ちゃん。


 ああ、これは真面目に意識飛んじゃいそう。


「お兄ちゃんっ、お兄ちゃんっ……!」


「お、おおー、よしよし、うんうん」


 まともに返す言葉も思いつかない脳無しの俺。とりあえず相槌を打って接する。


 ……この勢い、もしかしたら美乃里よりも甘えん坊なのかもしれない。


「えへ……ゆめ、かなったよぉ……」


「か、叶っちゃったんだ?」


「うん……ずっと、お兄ちゃんが欲しかったから……叶うはずがないって、諦めてたからぁ……!」


「……」


「憧れてた、ずっとずっと憧れてたお兄ちゃんが、本当に……わたしもう、幸せすぎて死んじゃう」


「いやそこは懸命に生きて?」


 十代半ばでそれは気が早すぎる。


 すると智香ちゃんはガバッと落ち着きなく俺から体を離して、キラキラと目を輝かせていた。


「あ、あのね? お兄ちゃん? わたし、お兄ちゃんと一緒にやりたいこととか、行きたいところとか、いっぱいあってね? 溜め込んでてね?」


「そ、そうなんだ?」


「うんっ。だから、今までずっと頑張って我慢してたけど……もう、我慢しなくてもいいんだよね?」


「……そうだね」


「〜〜っ……はぅ」


 で、力が抜けたようにフッと前に倒れ込んで、俺に身を委ねるように全体重をかけてくる智香ちゃん。


「お、おおっと、大丈夫?」


「……うん」


 両腕と体を使って慌てて受け止めると、智香ちゃんは俺の首元に鼻を近付けてスンスンと嗅いできた。


「……わたしね、お兄ちゃんの匂い、すごく好き」


「あ、ありがと。……と、智香ちゃん、近いって」


「離れたくないんだもん……」


 ──とは言っても、俺にまたがりながら背中に両手を回して、体を密着させて、熱気を漂わせて……甘い香りもすごくて、とにかく気がおかしくなりそうで。


 このままだと俺が俺では無くなってしまいそうな感覚。ギリギリのラインで平常心を保っているのだ。


「い、色々、当たってるからさ?」


「お兄ちゃんなら、わたし気にしないよ?」


「お、俺が気にするんだよねえー……ッ!?」


「……わたし、きたない?」


「いやいやいやっ!? 全然そんなことはないしむしろいい匂いで可愛くて最高ではあるけどもっ!?」


「……えへへ。じゃあ、このままでいよ?」


「……ッ」


 ──だ、誰だ、誰なんだこの可愛すぎる生き物は。


 コテっと小首を傾げて、幼い子供のように無邪気に笑って……これは本当に智香ちゃんなのか?


 あまりの強烈すぎるギャップに全身が燃えたぎるように熱い。俺の中での清廉潔白な智香ちゃんのイメージが着実に、音を立ててどんどんと崩れていく。


 智香ちゃんの体はどこを触れてもフカフカで柔らかく、温かく、なのに線が細い。


 丁重に扱わないと壊してしまいそうな骨董品のようである。


 耐えろ、よこしまな気持ちは拭うんだ、俺。ここで手を出してしまえば智香ちゃんのお兄ちゃんを名乗ることなんて許されない。


 煩悩滅却、煩悩滅却……ッ!


(……というか、そろそろ帰らないと美乃里にも心配されるしなぁ……)


 本来ならこの時間帯、美乃里と二人きりでゲームで遊んだりじゃれあったりしている頃合いだ。


 今日はこういう事情だから美乃里も仕方なく身を引いてくれたわけではあるが、これ以上放っておくとさすがに不満を溜めて俺に突撃しかねないし。


(智香ちゃんのわだかまりもある程度は解消しただろうし、うん、この辺りで引くべきだよな)


 俺はそう心に決めて、人に懐いた子猫のように甘えてくる智香ちゃんに声をかけた。


「き、気持ち的には、もう落ち着いた?」


「うん」


「なら良かった。じゃあその……俺、そろそろ自分の部屋に戻らないと」


「──……」


「美乃里が待ってるし、智香ちゃんも熱があるから早めに身体をゆっくり休めるべきだろうし。それに時間も遅いからさ?」


 明日も平日で学校があるし、夜更かしは厳禁。


「今日は色々話してくれてありがとね。明日からはいつも通り、一緒に頑張っていこう?」


 智香ちゃんの頭を撫でながら諭すように言い、返事をもらったらキリよく体を離してこの部屋を出ようと考えていた俺だったが……。


「……やだ」


「……へ?」


 ──涙に濡れた瞳にじいっと見つめられて、俺はつい間抜けた声を出してしまった。


「美乃里ちゃんなんてほっといてよ」


「え、いや、ほっとくって……え?」


「今日は、もっと、わたしと一緒に……」


「ちょっ、あのっ、智香ちゃんっ?」


「……」


 智香ちゃんは全身を使って俺をベッドの上に押し倒して、ピットリと密着してくる。


 なんか、その、これだとまるで、


「──……今日は、わたしと一緒に寝よ?」


「いやそれはマジでアウトッッ!!」



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 1章エピローグまで連日更新します。

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