第2話 本心 2/2

「──……お、おはよ。気分は、どう?」


 どうにか冷静さを取り繕って俺から話しかけると、智香ちゃんは頭を撫でられている感触を気にしながらも、布団の中でモゾモゾと動きつつ俺を見た。


「え、えと……その。ちょ、ちょっとだけ、顔が、熱いかも、です……?」


「う、うん。少し、熱があるって聞いたからさ。だから、あまり動かずに安静にしておいた方がいいよ」


「……」


 ボウッと熱に浮かされたような危うげで、潤んで艶めいた丸い瞳が、俺の目だけを一心に捉えていて。


 ……俺と、惹かれ合うように見つめ合っている。


「あ、あた、ま……わ、わたしの……?」


「……っ。なんか、うなされてたから……こ、怖い夢でも見てるのかなって思って、ね?」


 指摘されたことを皮切りに俺が説明すると、智香ちゃんはしばらくモジモジと身を揺すった後に、再びゆっくりと瞼を閉じてしまった。


「と、智香ちゃん?」


 心配になって声をかけると、


「……すごく、気持ちいいです」


「──ッ」


 にっこりと微笑み、とても儚げな声色でそう口にしていた。


 このタイミングでその言葉は……ちょっと、反則。


「あ、あの。し、しばらく、このままで……」


「だ、大丈夫だよ、智香ちゃんが落ち着くまでずっとこうしてるから。込み入った話は、その後で」


「……」


 ホッとしたようにコクンと頷く智香ちゃん。


 ……そうして数分の間、お互いに言葉を交わさないまま、静まり返った時間を過ごしていく。


 また少し、きめ細やかな長髪を梳くように撫で方を変えてみると、智香ちゃんはほうっと吐息を漏らして薄目を開いた。


「……えへへ」


「気持ちいい?」


「……はい」


「他に、してほしいこととかある?」


「……っ。わ、わたしの、ほっぺた」


「……ん?」


「……ふれて、ほしい、です」


「……」


 ──ほ、ほっぺたを?


 意外な要望に若干戸惑う俺。


 けどそう望むのであればとすぐに気を取り直して、俺は頭を撫でていた右手を止めると、白く綺麗な頬へと箇所を移して指先で優しく触れてみる。


「……ふあ」


 まるでマシュマロのようにふにゅっと沈み、弾む。


 すごく柔らかくて、力を込めると破けて傷つけてしまいそうなほどに繊細で。


 でも、永遠と弄んでいたくなるような……そう愛おしくなる、滑らかな肌触り。


「ど、どう?」


「……えへ……なんだか、心がぽわぽわします……」


 ふんにゃりと溶けきった表情で嬉しそうにする智香ちゃん。


 ここまで自我をさらけ出して甘えきった姿は珍しい、というより初めてかもしれない。美乃里に接するときとよく似たような、そんな感情を思い起こされる。


 美乃里相手なら、こういうときには肩を抱き寄せたりしてご機嫌を取ったりするけど……智香ちゃん相手にそれはさすがに、セクハラまがいだし。


 なんていう不健全な気持ちを抑え込みながら、俺は手の平で丁寧にふにふにと頬を触り続けていた。


 ──ふと、


「…………ゆめ、だったんです」


 ぼそり、と。


 控えめで小さな声が耳に入る。


「……ん?」


「……お兄さんみたいな、素敵でカッコいいお兄ちゃんが、ずっとわたしの傍で笑っていてくれたらいいのになって……いつも、妄想ばっかりしてて」


 頬に触れる俺の右手に、智香ちゃんは上から両手をそっと重ねて、キュッと握る。


「お兄さんが、わたしのお兄ちゃんになってくれたらいいのになあって……いつも、思ってて」


 自信なさげに、たどたどしくも紡がれていく言葉。


「だからわたし、お兄さんに見てもらいたくて、いっぱいいっぱい、いい子でいようって頑張ったんです」


「……」


「でも、それが今となっては、こんな有り様なんですけど……」


 目を伏せて、申し訳なさそうに暗く言うものの。


 それでも前へと進もうとする一生懸命な姿に、俺は惹かれて聞き入ってしまう。


「わたしもいつか、美乃里ちゃんみたいに……あんな風に、いい子いい子って頭を撫でられたくて……ずっと、お兄さんのことばっかり」


「そ、そんな風に、思ってくれてたんだ?」


「…………はぃ」


 消え入るような声で肩を竦めてしまう智香ちゃん。


 ……ヤバい、めっちゃ可愛い。めちゃくちゃ可愛がりたい。抱え込んでいるもの全てをこの体で思いっきり受け止めてあげたい。


 小動物のような愛らしさとはこういうことを言うのだろう。守ってあげたくなる純真可憐さというか。


 悶々とさせられて落ち着かない俺だったが、


「ご、ごめんなさい」


 突然の謝罪に思わずギョッとする。


「えっ。きゅ、急にどうしたのっ?」


「お、お兄さんにたくさん迷惑をかけて、心配をかけて……わたし。わ、悪い子、だから……ッ」


「あ、あっ、な、泣かないで泣かないでっ!?ㅤ全然気にしてないし、大丈夫だからねっ!?」


 目に涙を浮かべて今にも泣き出しそうな智香ちゃんを、俺は咄嗟に思いついた言葉を並べて宥める。


「あ、あの時は本当に、智香ちゃんのことが本気で心配だったからつい強く言っちゃっただけで、決して嫌いになったりなんかはしてないからね?」


「……でも、わたし……ずっと、お兄さんのこと避けてて……そういう悪い態度を取ったりするイヤな女なんだって、幻滅しましたよね……?」


「幻滅だなんてそんな……確かに、最近は距離を置かれてすごく寂しかったし、不安にもなったけどさ」


「……ッ」


 先週の土曜日から今日この日まで、意図的に避けられているんだと分かったときには悲しくなった。


 実の家族のように親しくしていた子が突然俺に見向きしなくなって、どうしてだろう、なんでだろうと不安に駆られていって。


 このまま、何も分からないまま時間だけが過ぎていくだけなのかと、頭を抱えて四苦八苦したけども。


 ……だけど、


「──でも、今はこうして一緒に話せてるんだしいいじゃん。俺、細かいことは気にしない性格だから」


 結局は、そういうことなのだ。


 今が良ければ、俺はそれでいい。


 智香ちゃんと目を合わせて話せているという事実さえあれば、過去のことなんかもうどうだってよくて。


 今の嬉しさの方が気持ちが大きくまさっているから。


「で、ですけど……」


「人は誰だって完璧じゃないんだよ。智香ちゃんにもそういう一面があるんだなって、むしろちょっとだけ安心した。俺の中での智香ちゃんって、誰に対しても優しい優等生っていう印象だったからさ」


「……」


「今まで通りの礼儀正しい智香ちゃんのままでも十分魅力的だけど、今みたいに恰好を気にしないありのままの智香ちゃんの方が……俺は、好きかな。あはは」


「……お兄、さん」


 自分で言っておきながら照れくさくなってきた。


 けど、これが俺の本音。


「俺は、智香ちゃんが好きだよ」


「──えっ」


「あ、えっと、別にそういう深い意味ではなくて……だけど、俺にとってすごく大事で、これからも一緒に話し合って、笑い合って、思い出を作ってさ。……そうやって、楽しいかけがえのない時間を過ごしていきたいなって思えるような、たった一人の女の子」


 ──これ以上の言葉は、存在しない。


「お兄さん……わ、わた、し」


「……智香ちゃんは、どう?」


「……へ?」


「今、俺とこうして触れ合って、一緒にいられて、気持ち的には前までと比べてどっちがいい?」


「……」


 智香ちゃんは少し口をつぐんだ後──寝ていた体をゆっくりと起こして、俺の右手を両手で優しく握りながら……そして、やんわりと微笑みかけた。


「──……わたしも、今のわたしの方が、好きです」

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