第4話︎ ︎︎我慢しない

『──も、戻れないってどういうことお兄ッ!?』


「えっと、その、ゴメン。こうなっちゃうとは俺も想定外で……抗いようがないっていうか、今日はこっちでお泊まりする形になりまして」


『おおおおおお泊まりッ!? ……ま、まさか、智香がまた余計なことを……?』


「……はは」


『そうなんだっ! やっぱりそうなんだッ! いいよ智香なんかほっといて早くこっちに戻ってきてっ!』


「いやー……この状況だと、もう手遅れかなって」


『手遅れッ!? 何されてんのいまッ!?』


「うーん……子守みたいな?」


『必要ないでしょいい歳してッ!』


「そうは言っても──あ、ああ、そんな顔しなくても大丈夫だから。はい、よしよし」


『お、お兄!? おにーッ!?』


「じゃあ、そういうわけでほんとゴメン。明日の朝にはすぐそっちに戻るから」


『ちょっ』


 ──ピロンッ。


 美乃里との通話を切ると、俺はふうっとため息をついて手に持った携帯を傍らに下ろす。


 ……そして、


「おにいちゃん」


「ん?」


「……ありがと」


「……ん」


 ふんわりとした一枚の布団の中からひょっこりと顔を出して、俺の温もりを求めて優しく健気に身を寄せてくる、ほんのりと頬を赤く染めた智香ちゃん。


 俺と一緒に体を横にしながら、眠たげに目を細めて吐息を漏らしている。


 頭を撫でてみると、「あぅ……」と可愛らしい声を上げたりして、本当に子猫みたいだ。


「眠たくなったらいつでも寝ていいからね」


「……」


「今日は、色々疲れちゃったもんね?」


「……うん」


 ウトウトとしつつ、それでも智香ちゃんは甘えたがるように、俺の服の襟をぎゅうっと摘んでくる。


 ……ここまでされたら、智香ちゃんを放って自分の部屋に戻るだなんて真似ができるはずもなく。


 紗彩ちゃんにも今日はここにしばらく留まるってLINEで伝えておいたし、ある程度の事情を察して邪魔が入らないよう気を遣ってくれるはずだ。


 今はとにかく弱りきっている智香ちゃんに寄り添い続けて、安心して眠ってもらいたいと思う。


 ……だが、美乃里にはああ言ったけど、隙を見てこの場から離脱できるのであればそれが一番いい。


 だってまあ、普通に考えて同じ布団の中で異性の女の子と体を寄せ合って一緒に寝るって……ねえ?


「……本当にごめんなさい。わたし、こんなだめだめな女の子で」


「だめだめなんかじゃないって」


「ううん、おにいちゃんがいないとわたし……何もできないから」


「いや、だけどそこまで言わなくても……その──」


 続けて宥めようと言いかけたとき、


「でも、ね」


 遮るように智香ちゃんは口を開き、俺を見つめる。


「おにいちゃんの前だからこそ……おにいちゃんの前でしか、ね? こんなわたしを、さらけ出すことができなくて」


「……」


「……信頼、してるんだぁ。えへへ」


 俺の前でしか見せない、智香ちゃんの本当の姿。


 そう感じ入っただけで、嬉しさと恥ずかしさの両方で胸の内が熱く昂ってくる。


 それで思わず俺は、


「と、智香ちゃんは」


「……?」


「本当に、可愛いね」


「──……」


 焦って的外れな発言をしてしまった。


 その結果、目に見えて一気に顔を紅潮させてしまう智香ちゃん。


 いや、マジで何言い出してんだ俺……。


「か、可愛いだなんて……お、おにいちゃん~……」


「あ、あはは」


 案の定、お互いに羞恥心で目を逸らす。


 寝入ってもらうはずが、これだと意識が冴えていく一方。どうにか気の利いた言葉を掛けなければ……。


「──……ずっと、こうしてたい」


 俯きながら、か細い声で智香ちゃんが吐露する。


「ずっとこのまま、おにいちゃんと一緒にいたい……」


「ず、ずっと一緒はさすがに難しい……けど。今は、智香ちゃんの傍に居られるから」


「……ッ。美乃里ちゃん、ズルい。いつもいつも美乃里ちゃんばっかりおにいちゃんを独り占めして……」


「み、美乃里は妹だからね?」


「長田先輩も、他にもいるのにおにいちゃんにばっかり近づいてきて、嫌い」


「きらッ……か、環奈はクラスメイトだしね……?」


「でも、でもぉ……!」


「あーはいはい、泣かない泣かない」


 駄々をこねる子供を甘やかす親のような気分で、智香ちゃんの肩をグッと抱き寄せる俺。


 このまま勢いよく抱きしめたくなる体勢だが、それをしたら男として正常ではいられなくなるので頑張って耐え凌ぐしかない。


 ……というかもうこれ、幼稚園児並みに幼児退行してないか?


「と、智香ちゃんが望めば、いつだってこうしてあげるからさ」


「……ほんと?」


「うん」


 見上げてきた智香ちゃんに軽く頷いて見せると、



「──おにいちゃん、だいすき」



「──ッ」


 屈託のない可愛い笑顔でそう言われて、胸の鼓動がドクンと大きく弾む。


 だ、大好き……大好きって、その言葉はちょっと、さすがにライン超えのような気が。


「わたし、もう、我慢しない」


 狼狽えて口籠る俺とは対照的に、真っすぐに向けてくる智香ちゃんの瞳。


「これからは、おにいちゃんにいっぱいいっぱい甘えるんだもん。いっぱいたくさん、他の子に目移りしないように、わたしだけの……」


「えっと……できればバランスよく、程々にね?」


 若干たじろぎながら言うも、智香ちゃんは──



「……ヤダ。もう、決定事項」



(……あー……これは、帰れそうにないなぁー……)


 俺は、そう悟っていた。

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