第7話 このままでいさせて

 長田さんとはその後も、色んな場所を見て回りながら何一つ不自由のない充実した休日を過ごしていた。


 通りかかったスイーツ店では、テイクアウト用のカップアイスを口にして濃厚な甘味を深く堪能したり。


 アニメグッズやプラモデルなどを取り揃える大きなホビーショップでは、店内全域を興味津々に見渡しながら長いことブラブラ探索してみたり。


 最後に寄ったカラオケ店ではお互いにジャンルを問わず、ボックス内で思いっきり歌声を響かせて。


 その中で、意外にもアニソンを選曲した長田さんの歌唱姿は気分晴らしと呼ぶに相応しい清々しさに満ちていて、見ている俺にも自然と笑顔が零れ出る。


(……良かった。これならきっと、長田さんも来週から頑張れるかな)


 気分晴らしという名の女の子との初デート。結果としてはトラブルなく済みそうで、ホッとひと息。


 ……そう安堵していると、曲が終わり、歌唱を終えたタイミングで長田さんは手に持ったマイクを俺に差し出してきた。


「はい、次は千尋の番ね」


 ……ん?


「今、俺のこと、名前で呼んだ?」


 聞き間違いかと思って訊くと、長田さんは否定することなく「ええ」と頷いた。


「だって、今日一日過ごしてきた仲なのに、いつまでも名字で呼ぶのは他人行儀みたいでイヤでしょ?」


「……そう、かも?」


「そうなの。だから、これからは千尋って呼ぶわ。千尋も私のこと、名前で呼んでくれていいから」


「えっ。……じゃ、じゃあ……環奈、さん?」


「さん付けはいらない」


「……か、環奈」


「よろしい」


 納得したようにニコッと微笑む長田さ──環奈。


 ……まさか、ここまで俺に気を許してくれるようになるとは、正直なところ予想外。


 もちろん、心の支えとなるべく恋愛相談役として俺なりに最大限の気を遣ってはいたが……一週間前までは俺に対してもトゲのある口調だったというのに、


「ほら、もう曲が始まるわよ。思いっきり歌っちゃって? 応援してあげる」


 今となってはもう、全く敵意を感じられない穏やかで優しげなこの面立ちと声色だ。


「……よ、よーしっ、と」


 差し出されたマイクを俺は手に取り、グンッと大袈裟に意気込みながら両足で立ち上がる。


 色々思うことはあれど、環奈がこうして親しげに接してくれるというのは、それだけ環奈の中で俺の存在価値が高まっているという何よりの証。


 なら、俺からもその気持ちに応えるために、これから先も自分らしさを大切にしつつ、片思いを抱えて孤立する環奈と向き合っていくべきだろう。


 ……最終的に良くない結末を迎えることになるとしても、俺だけは見て見ぬふりをせずに、すぐ傍で元気づけてあげられるように。


 今の俺にできることを、精一杯やろうと思う。


「ふうー……く、くれないだぁーっ!!」


「……それ、ほんとに歌えるの?」


「多分ッ!!」


「……そ。じゃあ、頑張れ」







 ──夕暮れ色に染まる空の下、そよ風に吹かれてフウッとした静けさが空気中に広く浸透していく、十七時過ぎ。


「今日はありがと。楽しかったわ」


 空席が点々と目立つ帰りのバスの車内。


 ガタン、ガタンと時折揺らされながら、後部座席で俺と隣り合って座る環奈はそう小さく口にした。


「ん、どういたしまして。気分は晴れた?」


「ええ、おかげさまで。でも、ちょっと疲れたかも」


 ウトウトと目を細めながら、「ふああ……」と口に手を当てる環奈。猫みたいな仕草が可愛らしい。


「あはは、帰ったらよく眠れそうだね」


「ほんとにね。……千尋は疲れてないの?」


「俺も疲れてるよ。街に出たのは久しぶりだったし」


「……そうなんだ?」


「休日は部屋で過ごすことがほとんどだったから」


「ふーん……なるほどね、覚えとこ」


 ……かたんかたん、かたんかたん。


 小刻みに揺れるつり革の音が心地いい。


 何かを話し込むわけでもなく、俺たちは疲れきった身体を労わるようにして背もたれに体重を乗せる。


 会話のないこの雰囲気が気まずいだとか、そういったことは決してなく……むしろ、気を遣う必要のない今の居心地良さがずっと続いてほしいくらいだ。


 ──……ぷしゅー。


 道路の路肩に寄ってバス停の前に停車すると、バスの扉が開閉音を立てて自動的に開かれる。


 俺が降りるバス停は、あと六つ先。


「…………ママは、何年か前に交通事故で亡くなったって、前に話したと思うんだけど」


「……うん?」


「実のところ、まだ……立ち直れてないの、私」


「……」


 環奈は窓の外に目を向けながら、続けて口を開く。


「パパと、ママと、私の三人で車に乗っててさ、動物園に向かう途中だったの。私は人生で初めての動物園だったからすごくワクワクしててね? だから、助手席に座ってたママは私を見て、笑ってくれて……」


「うん」


「パパも、優しく笑って楽しそうにしてて」


「うん」


「……でも、その笑顔は、私の目の前から一瞬で消えて、無くなっちゃって……さ」


 ──……。


「……反対車線を走っていた車がバランスを崩して、逆走してきたの。その車は、ママが座ってた助手席に勢いよく突っ込んできて……それで……ママは……」


「環奈」


 そこまで言いかけた時、俺はつかさず声をかけた。


「大丈夫、それ以上は話さなくていいから。辛いでしょ?」


「……」


 せっかく街で遊んで満足してきた後なのに、ここで辛い過去話をさせてしまうのはあまりにも忍びない。


 過去は過去、今は今。環奈の事情を軽視しているわけではないが、今はそう割り切って明るく接していくことが環奈のためにもなるはずだ。


 これ以上の込み入った話は……もう少し、お互いに心の底から許し合えるくらいに仲が深まってから。


「ごめん。いきなり、暗い話しちゃって」


「ううん、気にしないで。でも、どうしていきなりその話を俺に?」


 疑問に思って尋ねると、振り向いた環奈はクスッと儚げに笑った。


「なんか、さ。すごく、久しぶりだったの。こうして誰かと一緒に遊んで、楽しいって思えることが」


「……久しぶりだったんだ?」


「ええ。なんというか……今はほんとに、ずっとまとわりついていた憑き物が地面に落ちて無くなったような気分。肩とか足とか、すごい軽く感じる」


「……そっか。なら、良かった」


「うん。……少し、ママに似てるの。千尋の雰囲気」


 ──コツン。


「……か、環奈?」


「……」


 突如、俺の肩に頭を乗せてきた環奈は動じることなく澄み切った面立ちで、そのまま目を閉じた。


「バスを降りるまで、このままでいさせて?」


「こ、このままで?」


「うん。こうしてると、落ち着く」


「……りょ、了解」


「声、裏返ってるし」


「……」


 ……そりゃあ、だって。


 こんな間近で環奈の体温を感じていたら、さすがに男として意識せざるを得ないでしょうよ、と。


 俺はピシッと固まったまま、しばらく身動きが取れなくなっていた。

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