第6話 分からない
「えー!? おにーちゃんいないのーっ!?」
「うっさい喚くな近所迷惑。……うん、お兄は私を置いて出て行っちゃった。……はあ、おにぃー……」
昼下がりの十三時を過ぎた頃。
お兄さんに会いに来たわたしとひまりは玄関先で出迎えてくれた美乃里ちゃんにそう告げられると、ひまりは目に見えて「あうー……」と残念そうに落ち込んでいた。
わたしとしても、週末のお昼は用でもなければお兄さんの傍でまったりするのが基本的だったから、拠り所を無くしたような気分で少し寂しさを否めない。
(美乃里ちゃんを置いて出かけちゃうなんて、何だかお兄さんらしくないかも……?)
お兄さんはインドア派。
休日にわざわざ出かける用事といえば、スーパーの買い出しだったり、通院だったり、お墓参りだったり──プライベートで自分から進んで外に出ることは滅多にない人だとわたしは知っている。
お隣に住むご近所さんとして、これまで過ごしてきた一年間……ずっと、お兄さんを見続けてきたから。
なのに、どこに行っちゃったんだろう?
出かける前に一度会って話したかったな、なんて。
「……でも、珍しいね? お兄さんが家を留守にしちゃうなんて。いつもはお家でくつろいでるのに」
「……ん」
わたしが話すと、美乃里ちゃんはプイッと横に目線を逸らしてしまった。
美乃里ちゃんとは仲良くしたいけど、これ以上の仲に踏み入ろうとすると、決まっていつも意図的に避けられてしまう。
わたしのどこが好きじゃないんだろう。
……知りたいし、聞きたい。
でも嫌われちゃうのが怖くて聞けない……少し、もどかしい。
(今日も美乃里ちゃん可愛いなぁ……わたしはこんなに美乃里ちゃんが大好きなのに、どうすれば心を開いてくれるんだろ……うう、寂しい、触りたい……)
いつかはわたしに気を許して笑ってくれたりするのかな。そう願わずにはいられない、わたしの中での密かな目標だ。
「みのりん、おにーちゃんはどこ行っちゃったの?」
ひまりが上目遣いで尋ねると、美乃里ちゃんは仕方なさそうな面持ちで口を開いた。
「……街だって。クラスの友達と遊んでくるって言ってた」
「ええー、ひまりたちと遊べばいいのにっ!」
「私に言われてもどうしようもないし。もうお兄はいないんだから」
「みのりんおにーちゃんを連れ戻してきてっ!」
「どうしよーもないって言ってるでしょーがっ!!」
「みのりんのバカっ! おたんこなすっ!」
「なんだやんのかケンカ売ってんのかそうなんでしょええそうなんでしょーねぇー!?」
「うにゅーッ!!」
ガシッと両手でとっ組み合って五分五分に対峙する美乃里ちゃんとひまり。
わたしには割って入る余地もないから様子を静観するしかなくて──だけどその中で、美乃里ちゃんが話した言葉にわたしは気がかりを覚えていた。
(お兄さんが、街で、クラスの友達と……?)
誰、なんだろう?
お兄さんがいるクラスの友達といえば、いつもよく一緒にいる伊月先輩や、宮内先輩……他に男の子の名前は思いつかないけれど、それ以外にもいるはずで。
お兄さんは優しくて素敵だから、きっとクラスの人たちみんなと分け隔てなく仲が良いんだと思うけど。
男の子、だよね?
わたしたち以外の女の子と、それも街で遊ぶお兄さんの姿なんて、とてもじゃないけど想像つかないし。
わたしたち、以外と……。
(……あ)
──ふと、長田先輩の姿が脳裏をよぎった。
そういえば最近、学校でお昼に見かけるお兄さんは長田先輩と一緒にいる場面が増えている気がする。
わたしなんかよりも女性らしくて、美人で、サラサラと靡く長髪がとても綺麗な長田先輩。
宮内先輩に誘われて二年二組の教室まで向かうと、お兄さんと長田先輩はいつも二人で親しげにお話をしていて……。
上手く言いづらいけど、なんというか、お互いの心が通じ合っているような距離感で……。
そんな二人の間に入り込めないわたしは、その様子をただ外から眺めていることが多くなっていて……。
『は、早海くん。ちょっと、聞いてほしいことあるから……こ、こっち来て』
『あ、あー……ごめんね智香ちゃん、すぐ戻るから』
『早くー、無駄話すんなー』
『は、はいはい、すぐ行くよー。急かさないでって』
『うっさい蹴っ飛ばすわよ』
『ひ、ひどい……』
楽しそうに笑いながら、お兄さんの背中は一度も振り返らずに、わたしの視界から消えていなくなって。
残されたわたしは──……何も、できなくて……。
「と、智香おねーちゃんっ! みのりんがひまりのこといじめてくるーっ!」
「……」
「……おねーちゃん?」
「……」
「おねーちゃんっ!」
「ッ!」
呼びかけられてハッとすると、美乃里ちゃんと取っ組み合っているひまりが振り返って、わたしのことを不思議そうに見つめていた。
「智香おねーちゃん、どーしたの? すごいボーッとしてたよ?」
「あ……ちょ、ちょっと、気が抜けちゃって。ほら、今日すごくいいお天気だし、ね?」
「……んー……?」
わたしが言うと、コテっと首を傾げるひまり。
ちょっと……というより、かなり意識が飛んでしまっていた。
お兄さんと長田先輩の関係が気になる──ただそれだけのことで、わたしの心はグラグラと揺らいで正常に定まらない。
(なんだろう、この感じ……)
わたしの胸の内いっぱいに広がって支配する、言い表しようのない切なさ。
心の中の灯火がフッと消えていくかのようで、それをどうすることもできずに見ているだけの無力感。
……次第に、少し苦しいような、辛いような。
お兄さんの笑顔を思い浮かべるだけで、広がりきった切なさがより一段と強さを増して締め付けてくる。
(……なんか……やだ……)
でも、よく分からない。
こんな気持ちを抱くのは、初めてだった。
「みのりん、智香おねーちゃんたいちょー悪いのかな?」
「わ、私に聞かれても知らないし。た、体調が悪いなら、自分の部屋に戻って寝とけばいいじゃん」
「みのりんは智香おねーちゃんが心配じゃないのー?」
「どうでもいいしそんなの……」
「はくじょーものーっ!!」
「うっさいわメスガキっ! シバくぞっ!!」
「うにゅーッ!!」
再び向かい合ってギリギリといがみ合う二人。
だけど、そんな二人を見てもわたしは……。
「……お兄、さん」
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