第5話 早海千尋は苦悩する

「んじゃ、俺部活行ってくるわ。また来週なー」


「ん、頑張って青春してきて。たくろーなら彼女できるよー多分」


「うっせえ余計なお世話だわッ!」


 二組の教室前で手を振りながら走り去って行く拓朗の背中を見届けて、姿が見えなくなったと同時に俺は肩の力を抜いて心を落ち着かせる。


 今日も無事に放課後を迎えた金曜日の校内では、昨日に比べて安心しきった顔で談笑する生徒、拓朗と同じように部活に向かう生徒、校門を抜けて帰路につこうとする生徒の三種類で行動が分けられていた。


 中間試験を終えたその翌日、さらに週末というポジティブ要素も相まってか、全体的に見て穏やかな雰囲気に包まれている。


 かく言う俺も、久しぶりに羽を伸ばせるんだと思うと心持ちがかなり軽い。


 この後はいつものように一年三組の教室まで美乃里を迎えに行き、何もなければそのまま帰宅して思い思いに夜を過ごすだけ。


 今日の夕食はなんだろうか、母さんのことだから週末用に豪勢に振る舞ってくれるはず。


 ……加えて、家に帰れば今日もきっと、玄関先でひまりちゃんが出迎えてくれるに違いない。


 あまり待たせると寂しい思いをさせるだろうし、今日も今日とて無駄な寄り道は厳禁である。


(……さて、と)


 スクールバッグを肩にかけて俺は歩き出し、別校舎へと繋がる外の渡り廊下に足を踏み入れる。


 梅雨入りが近い今の時期だが、ここ最近は雨の気配がしばらくないまま晴れ晴れとした過ごしやすい気候が続いている。そのため湿度は大幅に下がっており、鼻と口から吸い込む空気がとても新鮮に感じられる。


 鼻歌でも歌いたい気分だ。


「よーっし、今日も頑張っていこうっ!」


(……あ)


 ──渡り廊下を歩いていたその途中、グラウンド側から大きく響き渡ってくる快活的な男子の声。


 聞き覚えのある声につられて思わず目を向けると、その目線の先では練習着に身を包んで周りのチームメイトたちを鼓舞する宮内くんの姿が見えた。


「そういえば、サッカー部だったなぁ」


 元から容姿がイケメンな宮内くんがサッカーまでこなすとなると、それはもうホントにモテる要素しか残されていない純イケメン。正しく陽キャ中の陽キャ。


 比べて俺は、運動神経はあまり良くない方なのでサッカーなんて特に、運動部とはこの先ずっと疎遠だ。


「……」


 ……十六時手前、まだまだ太陽が眩さを放ちつつある青空の下で、青春に汗を流しながらグラウンドを駆けていくサッカー部の面々。


 その中心で存在感を示す宮内くんのことを俺は無気力に眺めながら、数時間前の昼での一幕を思い返す。


『──マジでありがとうっ、千尋がいなかったら相川さんと話せる機会なんて絶対なかったから……ッ!』


 昼食のあと、ひと通りの話を済ませた俺と長田さんは一緒に肩を並べて二年二組の教室へと戻ると、やけに活気づいていた教室内から宮内くんが飛び出してきて、俺に向けてそう感謝の意を述べてきた。


 続けて宮内くんの後ろから姿を見せた拓朗は変わりない様子でお気楽であったが、気になったのは──。


『あれ、智香ちゃんは?』


『あ、ああ。なんか急に担任の先生から呼び出しを受けてたのを思い出したらしくてさ、ついさっきこの教室から出ていっちゃったよ』


『……呼び出し?』


『なんの呼び出しなのかは聞けなかったけど、やけに急いでたみたいだから引き留めはしなかった。千尋から言われてたしな、迫ることはするなって。ははっ』


『……』


 笑いながら話してくれる宮内くんの一方で、俺は不思議に思い首を傾げる。


 真面目な智香ちゃんが人と直接関わるような物事を忘れていただなんて、なんか珍しいなと。


 傍で見守ってきた保護者的視点で俺から言わせてもらうと、智香ちゃんならそういう用事は先に済ませて落ち着いてから昼食を摂るはずだと思うのだが……。


『あっ、それとな? 実は俺、千尋がいない間に色々頑張って相川さんに話しかけてさっ、おかげで何とか相川さんとLINE交換できたんだよ!』


『お、おおー。すごいじゃん。智香ちゃんが他の男子とLINE交換してくれることなんてほぼないのに』


『お、俺の気持ちが届いたのかなー、なんて。はは』


『──……』


 上機嫌な宮内くんに俺は賛辞を送りつつ、気に食わない様子で明らかにゾワッと存在感を主張する長田さん側にそろー……と目を見遣る。


 宮内くんと長田さん、二人の事情を唯一知る俺の立場はより一層ややこしいことになっていた。


『⋯⋯何笑ってんの、キモ。LINEを交換したくらいで浮かれすぎでしょ』


『……ッ、な、なんだよ環奈。そんな言い方は、ないだろ。ほ、本当に嬉しいから喜んでるだけなのに』


『どうせビビって何も話せないくせに』


『は、はあ?』


『童貞感丸出しでキモすぎ』


『──なッ』


 長田さんからの冷たい一声で宮内くんとの雰囲気が一気に険悪になりかけたところで、つかさず『ま、まあまあ落ち着いてぇッ!?』と俺が割って入る。


『ご、ごめんね宮内くんッ!? 長田さんは今、家庭の事情でちょっと心が不安定で、だからどぉーしても機嫌が悪いみたいでねっ!?』


『え。……そ、そうなの?』


『そうっ! だから申し訳ないんだけど、ここは気持ちを抑えてもらって、宮内くんも宮内くんなりに長田さんのことを気遣ってもらえると助かるなって!』


『……わ、分かった。千尋がそう言うなら、本当なんだろうな、きっと』


 俺からの懸命な訴え(嘘)に頷いてくれた宮内くんは長田さんを見据えると、軽く頭を下げた。


『その、ごめん環奈。お前の気持ちを察してあげられなくて。俺ってどうしても鈍感だからさ』


『……ッ』


『だけど、家庭の事情で悩んでるっていうならそれくらい、千尋じゃなくても俺にだって相談してくれたらいつでも──』


 そこまで言いかけた時、


『できるわけ、ないでしょ。バカ』


『……え?』


 ……友好的に接しようとした宮内くんを強く突き放すかのような、低く鋭利な声色。


 表情から悟られないようにか下を向き、長田さんは胸元でギュッと堪えるように拳を握りながら、宮内くんから距離を置くように一歩足を引いた。


『私のことなんて、なんにも……なんにも、見てくれてないくせに……』


『か、環奈?』


『⋯⋯』


『……っ、⋯⋯?』


 面食らったように戸惑う宮内くんは何も出来ず、俺にばかりキョロキョロと目線を向けてくる。


(し、しまったぁ……!)


 心の中で思わず額に手をつく俺。


 当然だ。宮内くんからすればなんの悪気のない長田さんを気遣っただけの優しい言葉。しかし、咄嗟に出た俺の嘘がこうしてまさかの裏目に出てしまった。


 気遣って言ったはずの言葉が、むしろ長田さんの恋心に傷を付けるだけの刃物に──。


『もう、勝手にして』


『え、あ……』


 ……そうして、何も言えない宮内くんのすぐ横を通り過ぎて教室内に入っていく長田さんの後ろ姿はとても独りよがりで、切なく、小さくなっていくようで。


『どーゆう状況なん、コレ?』


『……』『……』


 その中で唯一、間抜けた顔で通常運転な拓郎の存在が頼もしく思えることに、失笑するしかなくて……。


「……はあ」


 グラウンド上のサッカー部から目線を落とし、深々とため息をつく俺。


 これは、いわゆる三角関係というやつだ。宮内くんが好きな相手は智香ちゃん、しかしそんな宮内くんに恋心を寄せる長田さんの存在が現れ、長田さんは恋敵である智香ちゃんに少なからずの敵意を抱いている。


 そして俺は宮内くんの恋も、長田さんの恋も応援したいと思っているし、加えて男子が苦手な智香ちゃんの身までも案じなくてはならないという中立的立場。


 つまり言い換えると、俺が今置かれている状況は三人の恋路の行き先を担う、最も責任重大なキーパーソン的役割というわけだ。


 とはいえ、現時点で俺が抱えているタスクがあまりにも多いもので、一体どう対処すべきなのか……。


「宮内くんはどう見ても智香ちゃんしか眼中になさそうだし……でも、長田さんのあの様子からして宮内くんに恋しているのは本気だろうし……ああ、だけど二人にばっかり気を取られて智香ちゃんの気持ちをないがしろにするわけには……うう、うああー……!」


 ヤバい、色々とごっちゃになりすぎて頭がパンクしそう。俺には恋愛とか経験ないし、尚のこと難しい。


 このまま一人で考えていても埒が明かない。誰か、拓郎以外でこの悩みを一緒に共有してくれる人物が俺の近くにいてくれたら非常に心強いのだが……。


「⋯⋯み、美乃里ぃー⋯⋯助けてぇー⋯⋯」


 そう苦しみ悶えながら、俺は美乃里が待つ一年三組の教室前へと重い足取りで向かうのだった。

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