第4話 本当の気持ち
「……なんで追いかけてきたのよ、あなたは」
「それは、まあ……放ってはおけなくて」
「世話焼きか」
「ひ、否定はできないかなー、なんて。あはは」
「……」
教室を出てすぐに長田さんの背中を見つけた俺はそのまま後を追うと、辿り着いた先は特別教室が多く集う北校舎の階段──屋上へと続く三階付近の踊り場だった。
昼休みの間は全くと言っていいほどに人気のないこのエリア。閑散とした空気に音のない密閉感、人目を避けて過ごしたい際には確かに最適だ。
俺も一人でいたい時にはここに来ようかな……なんて、思ったりして。
さておき、踊り場の段差に腰を下ろした長田さんは俺を目にするや否や、膝を組んで不満げにしながら大きくため息をついていた。
「で。私を追いかけてきて、どうしたいわけ?」
「か、軽く話でもしながら一緒にお弁当食べない?」
「……あの子、相川さんは放っておいていいの? 見た感じ、あなたが傍にいないと不安そうだったけど」
「多分、大丈夫。宮内くんと拓朗には俺から念を押して注意しておいたし、今は長田さんが優先だから」
「優先って……ほんと、大袈裟ね」
「はは……えっと、隣、座ってもいい?」
「……」
長田さんからの返事はないものの、拒否されているわけでもなさそうなので、俺は恐縮しながらも隣にソッと腰を下ろす。
艶を帯びて滑らかな長髪からは、ラベンダーのように爽やかな香りをふんわりと漂わせている。改めて近くで見ると、長田さんは本当に綺麗な子だと思う。
「時間、勿体ないから先にその弁当食べちゃいなさいよ。私と何を話したいのか知らないけど、とりあえず後にして」
「あ、うん、そうだね。実はもう、さっきからお腹ペコペコで」
グルグルと鳴るお腹を手でさする俺。食欲旺盛なのは身体が健康的であることの何よりの証だろう。
「朝食はちゃんと摂ったの?」
「うん。トーストにジャムを塗って、あとはスクランブルエッグにウインナーとか」
「……普通に美味しそう。十分に幸せじゃない」
「俺もそう思う。毎日感謝しながら食べてるよ」
「ふーん……律儀ね」
「長田さんは朝食食べる派?」
「食べない派。朝食べると気分悪くなるから、お昼で多めに摂るようにしてる」
「へえー、そうなんだ」
俺からすれば朝食抜きは考えられない。授業中にお腹が空くのが目に見えているし、脳にエネルギーが回らなくなって集中力さえ途切れてしまいそうだ。学生のうちは規則正しい生活を維持するに限る。
「好きな食べ物とかある?」
「好きな食べ物は……そうね……じゃなくて、早く食べなさいって言ってるでしょ。食事中は静かに過ごしていたいのよ、私は」
「ご、ごめんごめん、つい気になっちゃって。はは」
「……全くもう」
(あ。今の表情、ちょっと可愛かった)
話してみると、長田さんは意外にも感情豊かであることに気付く。表情に出やすいとでも言えばいいのだろうか、もちろんいい意味で。
印象としては近寄り難い雰囲気ではあるが、実際には周りが思っているほど怖い子ではなさそう……?
「何ジロジロ見てんの。あんま見てると早海くん相手でも容赦なくはっ倒すから」
いや、多少なりとも怖いっちゃ怖いけども。
その後は長田さんに言われた通り、余計な言葉を交わすことなく黙々と食べ続ける俺。グルメ好きというわけではないが、食べることは好きなので、味を堪能する分にはこうして静かに食事を摂る日があるのも悪くはないと感じた。
その
いかにもな『邪魔をしないで』オーラを放ちつつ、時折入れる横髪を手で梳くような動作がどことなく色っぽい。ジロジロと見るわけにはいかないが、それでもどうしても長田さんの様子が気にかかる。
そんな風に盗み見していくうちに、
(何の曲、聴いてるんだろう)
とか、
(家ではどう過ごしてるんだろう)
などと、密かに興味を募らせていきつつ──気が付くと俺の弁当の中身は空っぽになっていた。
(……いつの間にか、食べきってしまった)
もっと深く噛みしめつつ味わっていくつもりが、無意識にパクパクと早いペースで食してしまった。
おかげで満腹感はあれど満足度は得られていない中途半端な胃袋である。
「⋯⋯ふう」
空になった弁当箱を傍らに置き、息を吐いて気持ちを落ち着かせた俺はスマホを弄る気にもなれなくて、何となく意味もなく天井を見上げる。
(智香ちゃん、大丈夫かな。後で謝っておかないと)
今頃は宮内くんと拓朗相手に頑張って対応しているんだろうが⋯⋯さっきまでの様子を思い出すと、どうしても気がかりだ。
⋯⋯いや、そういう状況にさせてしまった俺に非があるから俺が悪いんだけども。
長田さんを放っておけない以上、今の俺には無事であることを祈るしかない。俺が戻るまでの間、何とか耐え凌いでいてほしい。智香ちゃんの力を信じたい。
「──もう食べたの?」
思い考えていた最中、片耳だけイヤホンを取り外した長田さんが声をかけてきた。
「う、うん。この通り」
「早食いは身体に良くないと思うけど」
「美味しくて、つい。あ、長田さんはゆっくり食べてくれていいからね、自分のペースで」
「……」
──すると、長田さんは弁当箱の蓋をカチッと閉めて、箸の手を完全に止めてしまう。
「た、食べないの?」
「今日はあんまり食欲湧かないから。余った分は家に帰ってゆっくり食べとく」
「……そ、そっか」
食べ物を粗末にしない辺りは偉いなぁと感じる。
そうして長田さんはもう片方のイヤホンを取り外すと、億劫そうにひと息ついて、スッと俺を見据えた。
「それで、用件は?」
「よ、用件?」
「私を放ってはおけないからここにいるんでしょ、あなたは。訊きたいことがあるなら手短に言って」
「あ、ああ……うん」
躊躇することなく切り込んでくる長田さんに対し、俺もゴホンと一つ咳払いを入れて喉の調子を整える。
そして、表情を伺いながら恐る恐る訊いてみた。
「──……その、さ。どうして、怒ったの?」
「誰に」
「宮内くんと、あと……智香ちゃんにも、かな? 当たり方が少し強かった気がして」
「別に、怒ってないわよ。ちょっとイラついただけ」
「イラついた?」
「……」
長田さんは俺から目を逸らすと、組んだ膝に頬杖をついて小言のようにボソリと漏らす。
「……分かりやすいのよ、アイツ。好きな女の子の前だからって、無駄に見栄張っちゃってさ。本当は雨の日の雷で怯えちゃうくらい精神的には脆弱なくせに」
「アイツって、宮内くんのこと?」
「他に誰がいるのよ」
「……じゃあ、長田さんも知ってたんだ。宮内くんが智香ちゃんを好きだってこと」
「……まあね。ここ最近、ずっと相川さんのことばかり話してたから、アイツ。マジで鬱陶しいくらいに」
「そ、そんなに?」
「ええ。事あるごとに相川さんの名前を出して、そのにやけ顔と言動が私の神経を逆撫でしてくる。……ちっ、思い出しただけでもあの顔、くそイライラする」
「お、落ち着いて落ち着いて⋯⋯お昼なんだしさ、もっと心にゆとりを持たないと」
二度目の舌打ちをついて不機嫌そうな長田さんに冷静さを促して、何とか宥めさせようとする俺。
それが効いたのか、殺気を帯びていた長田さんの瞳は収束するように、少しずつ力を緩めていく。
「……はあ。どの女の子から言い寄られても全然靡かなかったくせに、今ではあんな、ちょっと顔がいいだけのぽっと出の一年生に浮かれまくりやがって……私のことなんて全く眼中にないみたいだし……」
「──ッ」
「そんなに私には魅力がないって言いたいわけ? 尻に敷かれてばっかの隼太のくせに、生意気……」
ブツブツと愚痴を呟く長田さんの表情には、宮内くんに向けてだろう苛立ちともう一つ──ふと垣間見えた、虚ろに下を向いた目の陰り。
ここまでの長田さんの発言を脳内で総括した上で俺は、辿り着いた結論が勘違いでないことを祈りながらこう言葉にしていた。
「長田さん、宮内くんのことが好きなの?」
「ッ!」
瞬間、キッ!! と睨みを利かせて、同時に頬を紅潮させる長田さん。
ああ、この反応は恐らく……当たり、かな?
「す、好きって、なにが?」
「えっと、異性として、みたいな?」
「……ッ、ち、ちがうし。私はただ、私だってそれなりに可愛いはずなのに、なのに、あの一年生にばっかり目が行ってる隼太が気に入らないってだけで」
「でも、それってつまり、ヤキモチだよね?」
「──ッ! ひ、人ごとだからってあなた、ペラペラと軽そうに言って……ッ!」
「ま、待って、だから落ち着いてってば。軽い気持ちで言ってるつもりはないし、むしろ俺は長田さんの心の支えになれたらと思って訊いてるから」
再び殺気立つ気配に今度は落ち着き払って対処した俺は、続けて語りかける。
「こういう時は素直に白状した方が気持ち的に楽になると思うよ。宮内くんのこと、好きなんだよね? だとすれば長田さんが今日の昼食に飛び入り参加してきたのも、あとから機嫌を悪くしたのも合点がいくし」
「……」
「今、ここには俺と長田さん以外誰もいないし、聞かれないし、この話をクラスの誰かにバラすつもりは全くないから……どう? 宮内くんのこと、好き?」
「……」
語調をだいぶ柔らかくし、抵抗感を無くさせるように配慮しつつ、敵意のない笑みを作って俺は尋ねた。
俺なりに長田さんの心情を察して言葉を選んだつもりだが、これでもし素直に認めてくれなかったら、これ以上の詮索はそれこそ長田さんの神経を逆撫でするだけだろうからやめておくべきだろう。
俺は平和主義者なので、人脈関係でのトラブルだけは起こしたくない。特に長田さんの場合、クラス内で大きな影響力を持っているだけに尚更である。
そう思いながら返答を待つ俺だったが──、
「…………ウザい、マジでそういうの」
照れと不機嫌さが混ざったその表情を見るに、どうやら穏便に折れてくれたようだった。
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