第6話 お話くらいは聞けますよ?

「おにーちゃん、なんかいつもより元気ないね? だいじょーぶ?」


「あ⋯⋯そう、見える?」


「うんっ。ひまりはいつもおにーちゃんのこと、疲れてないかなあってちゃんと見てるから!」


「……ひまりちゃんはいい子だねえ。よしよし」


「ひゃっ。お、おにーちゃんっ、くすぐったい〜」


 ──夕食を済ませてやるべきこともひと通り落ち着いた早海家のリビングでは、パジャマ姿で今日も遊びにやって来たひまりちゃんを膝の上に乗せて、思う存分に甘えさせながら俺の心は最大限に癒されていた。


 お風呂上がりのシャンプーの香りに加え、ほんのりと温かくてぬいぐるみのように小さなサイズ感。


 願望としては、このまま後ろからガバッ! と抱き寄せて触れ合いたいところだが、それだと傍から見ればただの変態でしかないのでどうにか我慢するしかない。


 我慢、我慢、我慢……だがしかし、


「あ、ひまりね、いいこと思いついたよ!」


「ん、いいこと?」


「うん。元気がないおにーちゃんのために、ひまりがおにーちゃんのこと、ぎゅーってハグしてあげる!」


「……!」


「はい、おにーちゃんっ、ぎゅーっ!」


 にっこりと純白に笑いながら、両手を広げて俺の全てを受け止めようとしてくれているひまりちゃん。


 そんなことされてしまったらもう、あの、本当に抑えが効かなくなって暴走してしまいそう──。


「こら、ひまり。お兄ちゃんを困らせないの」


「あうっ」


 我慢の決壊まであと僅かというところで、横から音もなくスッと現れてひまりちゃんの頭をペチンと叩いたのは紗彩ちゃんだ。


「い、痛いよぉーさーやちゃんっ!」


「痛いなら痛くされないように心がけること」


「むぅー⋯⋯!」


 ぷくーっとむくれるひまりちゃん。そんな表情も可愛いから俺が頭を撫でてあげると、すぐにひまりちゃんはご機嫌そうに「えへへー」と笑ってくれた。


 ひまりちゃんと同じくパジャマに身を包んでいる紗彩ちゃんは、お風呂上がりでは髪を下ろしてより一層中学生離れした大人らしさを醸し出している。


 しっとりと濡れた髪の艶につい意識してしまう俺……中学生相手にそれはマズい。煩悩滅却、冷静になろう。


「お兄ちゃん、疲れてるようでしたら早めに寝といた方がいいですよ? 週末ですし、少しくらい長く寝ちゃっても怒る人なんていませんから」


「し、心配してくれてありがとね。でも大丈夫、ひまりちゃんと一緒だからむしろ疲れが取れてるくらい」


「あはは、相変わらず優しいですねーお兄ちゃんは」


 機嫌良さそうに笑ってくれる紗彩ちゃんに、俺からも「あはは」と返す。


(実際、宮内くんたちの一件であんまり悩みすぎても身を滅ぼしかねないし、こういう時にひまりちゃんみたいな存在が一番心の支えになるんだよなぁ……)


 拠り所ともいう。何事においても息抜きとは心持ちを整える上でとても重要である。


「美乃里さんは今、お風呂ですか?」


「うん。出てきたら次は俺が入るよ。俺が入ってる間は美乃里の相手してあげて?」


「りょーかいです。お兄ちゃんもゆっくり湯船に浸かって身体を休めてくださいね」


「ありがと。……えっと、ちなみに智香ちゃんは?」


「ああ、お姉ちゃんも今頃お風呂に入ってるんじゃないですかね。多分あとですぐこっちに来ますよ」


「そ、そっか。ならいいんだけど」


 ……放課後の帰り道では、智香ちゃんは姿を見せずに美乃里との二人きりだった。


 気になってLINEを確認すると、『今日はお友達と部活見学をすることになっていて……す、すみません。入部するつもりはないんですけど、見学だけ』との連絡が入っていて、文面から察するに、友達から誘われて断れずに致し方なくといった事情だろう。


 智香ちゃんの人間関係に余計な邪魔は入れたくないし、俺からは『うん、分かった。友達と仲良くね』との一文を送信してそれで終えたわけだが……本当は、今日の昼休みでの様子を聞いてみたかったのが本音。


 俺抜きで宮内くんと、ついでに拓郎と話してみて気持ち的には無事でいられたかどうか。長田さんとの三角関係において、智香ちゃんとしては宮内くんに対して脈アリなのかどうかの確認を取っておきたかった。


(⋯⋯もし、智香ちゃんが少しでも宮内くんに気があるのなら、状況的には両思いになる智香ちゃん・宮内くんペアを応援するのが妥当⋯⋯だけど)


 ⋯⋯しかし、


『──隼太とは、去年から同じクラスでさ。アイツ、誰とでも優しく平等に接するから、こんな無愛想な私にも笑顔で話しかけてくれて⋯⋯それで、気が付いたら何となく目が離せなくなっていって⋯⋯私、隼太のことが好きなんだって、いきなり自覚して』


『⋯⋯』


『⋯⋯な、なに黙ってんのよ。そんな、真剣そうな顔で聞かれると、なんか気まずいんだけど⋯⋯』


『ああ、いや⋯⋯宮内くんのこと、ちゃんと真面目に好きなんだなって。話してくれてありがとう』


『⋯⋯う、うん』


『できることは少ないと思うけど、俺なりに長田さんのこと、応援するよ。だけど智香ちゃんは俺の大事な友達でもあるからさ、気持ちは分かるけど、智香ちゃんに当たるような行動だけは控えてもらえると⋯⋯』


『⋯⋯ッ』


『あ⋯⋯え、えっと。じゃあとりあえず、俺とLINEでも交換しとく?長田さんが悩んでいる時に、いつでも俺と連絡し合えるように、さ?』


『⋯⋯そう、ね。分かった』


『あ、ありがと。じゃあ⋯⋯はい、QRコード』


『⋯⋯』


 そうして、LINEの友達リストに追加された『環奈』という二文字。


 昼休みを機に『恋愛相談役』として長田さんとの関わりを持つようになった俺は、その後もしばらく長田さんの話を耳を傾けて──。


(⋯⋯長田さんだって宮内くんが好きな気持ちは本物なんだ。だからこそ、ここは俺が上手い具合に三人の距離を調節していかないと⋯⋯な、なんという重荷)


「⋯⋯はあ」


 自分に与えられたこの重責に今日何度目かも分からないため息をつくと、それを見た紗彩ちゃんは俺の隣に寄り添ってきて心配そうに声をかけてきた。


「お兄ちゃん、本当に大丈夫ですか? 顔色もあまり良くないように見えますし⋯⋯何か、悩み事でも?」


「ああ、いや⋯⋯」


「その、無理にとは言いませんけど、あたしなんかで良ければお話くらいは聞けますよ? どうです?」


「⋯⋯」


 紗彩ちゃん、か。


 確かに、気心の知れた身近な存在で、普段から話し慣れていて、年端もいかない中学二年生ではあるものの……大人顔負けの冷静な常識力と人当たりの良さで好感が持てる女の子。


 この子なら多少込み入った話をしても客観的な視点で意見をくれるだろうし、何よりも、一緒に話していると気分がとても安らぐ。


 母性的というか、この子の話し方と人を見る表情には家庭的な温かさがあるのだ。


 本当は、今回の問題に何の関係のない紗彩ちゃんを巻き込みたくはない──が。正直なところ、その優しい心配りにどうしても縋りたい自分がいるのも事実。


(まあ、紗彩ちゃんだったら余計な口外もしないだろうし、話を聞いてもらうくらいなら⋯⋯いい、かな)


 一人でそう納得した俺は、心の中で『よしっ』と決心して顔を上げると、紗彩ちゃんに向き直った。


「⋯⋯実は、さ。智香ちゃんのことで、ちょっとした問題が起きてるというか⋯⋯」


「お姉ちゃんですか?」


「うん。その、大まかに説明すると──」

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