第3話 近いようで、遠い。
「ほ、本当にごめんなさい、付き合わせてしまって。お、お風呂にも入られましたよね……?」
「き、気にしないで。たまにはこうして運動するのも悪くないし、お風呂はシャワーで軽く済ませるから」
「……」
家がある住宅地から少し離れて、普段からよく見慣れている近場の大通り沿いの歩道。
日が落ちて暗くなった景色を照らし出す道路灯を頼りに周囲を確認しつつ、俺は智香ちゃんと肩を並べて懸命に両足を動かしていた。
意外にも智香ちゃんの走行ペースはかなり早く、ろくに運動をしない俺からすれば、付いていこうとするだけでもひと苦労。しかし智香ちゃんの息は全くと言っていいくらいに切らしておらず、それどころか背筋を伸ばして綺麗に姿勢を保っている。
むしろ、俺の様子を気にして何度も声をかけてくれる辺り、俺が邪魔になっているとしか思えなかった。
「ふっ、ぐ、はぁっ」
赤信号の横断歩道で足を止めると同時に襲い来る肺の圧迫感。
走っている途中で急に立ち止まると胃に負担がかかるからNG行為とは言われているが、しかしこれはそれに従っている余裕もない。あまりにもハイペース。
膝に両手をついてぜぇぜぇ息を整えていると、横から智香ちゃんが心配そうに顔を覗き込んできた。
「だ、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫、だいじょうぶ……ふう。その、これからあと、どれくらい走る予定なの?」
「えっと、向こうに見えるスーパーの看板を折り返し地点にして、何往復かしようかと……」
「……ッ」
向こうに見えるスーパーの看板って……ここからおおよそ、一キロメートル以上はあるよな……?
それを何往復かってことは、つまりは下手したら十数キロメートル……?
『お家の近くを少し走るだけなので、そこまで心配されなくても……?』
お家の近くを、少し走るだけ、とは……?
(──いや、そうだ。ジョギングとランニングとでは意味合いが違うんだ。智香ちゃんはランニングって言ってたから……)
ジョギングはゆっくりとしたスピードで保ち、それにより身体への負担が少ない走行方法。
対するランニングはその逆、早いスピードを維持することから身体に負担が大きくかかる走行方法。
…………。
どうやら俺は、見当違いをしていたらしい。
「け、けっこう、ハードになりそうだね?」
「す、すみませんっ。なのでその、無理してわたしに付き合う必要は──」
「いや、最後まで付き合うよ! 智香ちゃんを一人にするわけにはいかないしねっ!?」
「あぅ……」
辛く険しい試練になるのは間違いないが、だからと言って、ここで智香ちゃんを見放すなどという薄情な男にはなりたくない。
一緒に走るよと発言した事実にしっかりと責任を持ち、どんなに情けない姿をさらけ出してでも最後まで智香ちゃんの隣に立つ。ここで限界を超えろ、俺。
「夜風が気持ちいいねー、ははは」
「よ、夜風吹いてないです……」
──それからはもう、とにかく必死で。
一定のリズムを崩さずに淡々と走り込む智香ちゃんに対して、俺は全身に汗をまとわせながらひぃひぃと息が上がり、頭の中を真っ白にして往復を繰り返す。
途中で何度か智香ちゃんが立ち止まって休憩を設けてくれて、それでどうにか意識を繋げつつも、時間帯も遅いから早めに動いて前へ前へと足を踏み出す。
これほどの距離を平然とした表情でこなす智香ちゃんはすごい。ほんわかと可愛い俺の中でのイメージが着実に崩れて、最早尊敬の域にまで達していた。
(すごいな……ほんとに)
いつもは小さくて儚げなその姿が、今ではすっかり見違えてストイックなアスリートのようだ。それでいて頭も良いわけだし……。
改めて、相川智香という女の子は俺の傍に置くのには勿体ない優等生であるのだと再認識させられる。
俺が智香ちゃんに
「お、お兄さん。あと一往復で終わりにしますね?」
「……お、おおー……」
「が、頑張ってくださいっ!」
「……お、お……ふ、ふぬぅ……ッ!!」
気付けば先を越して遠くから手を振る智香ちゃんからの声援を受けて、死にそうながらも男としての根性を振り絞った俺は前を向く。
額からポタポタと滴る汗を腕で乱雑に拭い、こんな場所で挫けてたまるかと冷めていた心に再び火をつけて──。
(……あれ、これってそういう目的だっけ?)
……とは、感じたが。ここまで来たからにはもう細かいことは気にせずに最後まで走りぬこうと思う。
「ファイトです、お兄さんっ!」
「ふ、ふんぬぅううううっ!!」
この手を伸ばしても届かない、キラキラと輝く智香ちゃんの背中を追っていくように、俺は最後まで泥臭く駆け抜けた。
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