第1話 相川智香は注目の的
「や、やっと終わった……長かったぁ……」
「終わったねえ。拓郎はテストの点数自信ある?」
「……終わったぁ……」
「あ、うん。何となく察したよ。聞いてゴメン」
五月の下旬に差し掛かり、今日は中間試験最終日。
四日間に及んで実施された試験期間独特の緊張感からようやく解放されて、俺と拓朗はいつも通り教室で昼食にしながら思う存分にリラックスしきっていた。
窓の外を見ると、まるで俺たちを労うかのように澄んだ青空が広がっている。六月が間近に迫り、いよいよ夏らしい気候が市内全体を包み込む頃合いだ。
「いいってことよ、別にテストの点数くらいどうってことねえしな。終わったことが重要なんだよ」
「いや、点数が一番重要だと思うんだけど……?」
「うっせえ細けえことは気にすんなッッ!!」
細かいというか、むしろ一番大きい事情だと思うんですけども。
「このあとは授業もねえし、テキトーにホームルームやって早く帰れるんだからよぉ、ここはもう派手にパァーっとお祭り騒ぎといこうじゃねえかっ! 今日も部活はねえしなっ!」
「おー。ちなみに帰ったら何するの?」
「そりゃまあ──……ほら、家でゲームとか」
「……あー……うん。別に、いいと思うよ、俺は」
「やめろそんな哀れんだ目で俺を見るなッッ!!」
嘆くように頭を抱えて机に突っ伏す拓郎。
二年生に進級して二ヶ月が経とうとしているが、未だに拓郎は思うような青春を十分に満喫できていないらしい。特に、恋愛面に関しては無縁なんだとか。
かく言う俺も、この二年二組内で何か目立った進展はないけども、最近だと席替えで隣になった女の子なんかとちょくちょく話せるくらいにはクラスに馴染んできたと思う。
自分で言うのもアレだが、少なくとも俺は陰キャではないし。人と仲良くする行為そのものは好きだ。
「出会いがッ、出会いがねえんだよ俺にはッ!!」
「拓郎なら大丈夫だよ」
「お前が言う大丈夫は信用ならねえんだわッ!!」
「えー、なんでそんな酷いこと言うの?」
「お前の言うことに心がこもってねえからだよっ!」
「ちょっとうるさいから声のボリューム下げて」
「はっ倒すぞお前ッ!?」
……しかしうるさいのは事実で、周りのクラスメイトたちから鬱陶しそうな目線を向けられたことに気が引けてしまったのか、再び頭を抱えて机に突っ伏してしまう拓郎。救いようがないこの有り様。
「……誰か、俺を殺してくれッ……」
「お。なら異世界転生でもしちゃう?」
「……もし異世界に転生したら、俺は可愛い銀髪ロリ美少女に生まれ変わって周りからたくさんチヤホヤされるんだ……へ、へへ……」
「ごめん、それはキモイ」
「……」
──あ、完全に死んだなこれ。
ダウンした拓郎を「はは」と哀れみつつ、今日もバラエティー豊かな弁当を美味しくいただいていると、不意に横から一人のクラスメイトが「早海くん」と呼んで声をかけてきた。
反応して振り返って見ると、そこに立っていたのはクラスカースト中位に属するほんわか系女子、井口さんだった。個人的には可愛らしい子だ。
「ん、どうかした?」
「その、あの子が早海くんのこと呼んでるよ?」
「あの子? ──あ」
井口さんが指差した方角を見ると──そこには、教室の入口付近で扉からひょっこりと顔を覗かせる女の子の姿。
見間違いようもなく、智香ちゃんだった。
(智香ちゃんから会いに来るのは初めてだな……)
昼休みの間はクラスメイトたちに囲まれて過ごしているらしい智香ちゃんだから、こうして俺に会いに来てくれたことに若干驚きを隠せない。
学校では一緒に居づらくても、家に帰ればいつだってすぐに会って話せるし、俺のことはあまり気にしなくてもいいよと智香ちゃんには話したはずだが……。
「教えてくれてありがと」
「うん」
井口さんにきちんと感謝を述べて、俺は席を立ち上がるとそのまま智香ちゃんの元まで歩いて向かう。
上級生の空間に萎縮しているのか、どこか挙動不審そうに目線を彷徨わせている智香ちゃん。しかし、そんな様子であってもクラスメイトたちの視線は智香ちゃん一人にまじまじと釘付けになっていた。
(まあ、あれだけ可愛いしな……)
そこらのアイドルよりもよほどアイドルらしい容姿に慎ましい人柄、成績もトップクラスに優秀で、それを良いことに威張ったりもしない可憐な清純さ。そんな智香ちゃんに思いを寄せる男子は当然数多い。
その中で、唯一親密な距離感で智香ちゃんと接する俺に注目が集まるのもまた、当然なわけで……。
「こ、こんにちは、お兄さん」
顔を合わせると、ほんのりと照れたような表情でニコッと挨拶をくれる智香ちゃん。
……うーん、可愛い。ワタワタと落ち着きのない身振り手振りが逆にこう、萌えっぽくてキュンとくる。
「こんにちは。どうしたの? わざわざここまで」
「あ……そ、その、えっと……て、テスト、お疲れ様でしたっ」
「ん、智香ちゃんもね。どう? 手応えはけっこうある感じ?」
「あ、ある程度は、ですけど……はい。テスト範囲の自習は毎日ちゃんと続けていましたし、多分大丈夫だと思います」
……ある程度、多分、か。
学年首席に位置するほどの優等生であるわけだし、実のところは余裕だったに違いないだろうが……こういう控えめなところも智香ちゃんの魅力の内だ。
智香ちゃんが言うことには何の嫌味もなくて、誰が聞いていてもほのぼのとした居心地の良さを提供してくれる。何より、智香ちゃんの存在そのものが癒し。
「そっか、なら良かった。俺もとりあえず及第点は取れたかなって感じ。赤点だけは回避できたと思う」
「さ、さすがですっ」
「え。いや、でもほんと及第点って感じだから俺なんて全然大したもんじゃないよ。……これでも、勉強はけっこう頑張ってたつもりなんだけどね」
「……お兄さん、すごく真面目ですもんね。いつも見えない場所で努力されていて……とても、素敵です」
「……あ、ありがと。なんか、照れるな」
「……っ、す、すみません」
何となく気恥ずかしさが増して、こそばゆい空気感でお互いにチラッと横に目を逸らしてしまう。
家ではひまりちゃんの明るさや両親の存在で意識する機会も減っていたが、高校ではこんな風に智香ちゃんと二人きりになるシチュエーションも必然的に増えてくるわけで──いざ向かい合うと、何を話すべきなのか対応に困ってしまうのが最近の悩み。
趣味は読書と音楽を聴くこと、好きな食べ物はショートケーキ、常日頃から早寝早起きを心がけて尚且つ適度な自主鍛錬と学習を怠らない、正に才色兼備。
普通なら俺の傍に置くのも勿体ないくらいに、それほどまでに智香ちゃんは良く出来すぎている。
今も、智香ちゃんの前に立っているだけで華やかな香水の香りが漂ってきてドキドキしてしまうし……。
(お、落ち着け、俺。深呼吸深呼吸……)
不甲斐ない姿は見せたくない。いつもの俺らしく、心に十分な余裕を持って智香ちゃんと接しなければ。
「え、えっとぉ……それで。もしかして、俺のテストの結果を気にして会いに来てくれたの?」
気を取り直して訊くと、智香ちゃんはハッとしたように顔を上げて、両手で持っていたピンク色の布袋をそろー……っと胸元に掲げていた。
「そ、それも、そうなんですけど……もし、よろしければ、テストを終えた記念という意味合いも兼ねて、一緒にお昼を過ごしたいなぁ……と、思いまして」
「……」
「お、お昼ご飯……だめ、でしょうか……?」
か細い声で、潤んだ瞳で俺を見つめながら懇願するそのあどけない表情に──答えはもちろん、
「ダメなわけないよ。一緒に食べよう」
「あ……! は、はいっ」
ここで断るヤツがいたらそりゃもう人じゃない。てか、もしいたら俺がそいつをぶん殴ってやる。タコ殴りの刑ということで。
声色を弾ませた智香ちゃんは「し、失礼します」と言って教室に入ると、俺の背後にピットリとくっつきながら拓郎が消沈する窓際の席まで一緒に移動する。
「──うわ、近くで見るとマジでかわいすぎ……」
「足ほっそぉー……顔もちっちゃあー……」
「あの子と千尋ってどういう関係なん?」
「さ、さあ……?」
ヒソヒソと聞こえるクラスメイトたちの小声。
智香ちゃんもそれに気付いているようで、恥ずかしそうに下を向いて周りを見ようとしない。
ただ、俺の制服の裾を指先でキュッと摘んで、俺だけを頼りに前に進んでいるような様子だった。
(そこまで無理して来る必要なかっただろうに……)
会いに来てくれること自体は嬉しいけども……。
「──たくろー? 生きてるー?」
智香ちゃんを連れて持ち場に到着した俺は、机に突っ伏したままになっている拓郎に生存確認を取る。
女の子との出会いに飢えまくってる拓郎に智香ちゃんをお披露目したら、一体どんな反応を見せてくれるのだろう。多少なりとも興味が湧いていた。
「……」
「ちょっとメンバー追加するけどいい?」
「…………」
「えっとね、可愛い女の子を連れてきたよー」
「何だとッッ!??」
「うわ怖ッッ」
急に覚醒するんじゃないよおっかない。
「──……お、おおお……ッ!?」
起き上がった拓郎は俺の背後に身を隠す智香ちゃんを見るや否や、わなわなと震え上がって次第に目と声を輝かせていく。……そして、
「やあ、初めましてレディー。マイネームイズ、タクロー・イツキ。アイライク、チェリー」
「……は、初め、まして……?」
小学校レベルの英語力を見せつける拓郎を前に、智香ちゃんでさえ困惑ぎみに首を傾げるのだった。
「……ま、まいねーむいず、ともか、あいかわ?」
真似しなくていいから。
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