第4話 お隣さんは校内の有名人
「その、すみません。本当はお兄さん宛に
校内を出て少し離れた先にある河川敷の土手沿い。
そのゆったりと落ち着いた河川の水流を時折見下ろしつつも、両サイドに絶世の美少女と肩を並べる俺は一直線に続く一本道の中心を気ままに闊歩していた。
その片方──我が家の隣に住む相川家の長女、智香ちゃんは美乃里と同じく、先月から高校に進学したばかりの十五歳である。
「あー、そうだったんだ。相変わらず智香ちゃんはみんなに大人気だね」
「そ、そんな、大したことじゃっ⋯⋯わ、わたしとしてはあまり好ましくない状況といいますか、わたし自身すごく口下手ですし⋯⋯こ、困ることばかりで」
そう言い、俯きがちに頬を赤く染める智香ちゃん。
初めて出会った一年前と比べて、智香ちゃんも美乃里と同様に一皮剥けてとても綺麗になった。
精巧に整いすぎている目鼻立ちに色白の肌、短めだった髪もすっかり長く伸ばすようになってThe・美少女と呼ぶべき外見な上に、今年の新一年生における学年首席という超ハイスペック優等生。先月の入学式においても新入生代表の挨拶まで務めていたほどだ。
そうして当然の如く注目を集めた智香ちゃんは毎日のように同級生たちに囲まれる結果となり、いつしか上級生の間でも度々噂されるようになると、今や校内でも指折りの有名人としてその名を馳せている。
⋯⋯ついでに、今日の昼休みに拓郎が嘆きながら指していた『あの子』とは、正に智香ちゃんのこと。
男子との対面に苦手意識がある智香ちゃんだが、お隣のご近所さんで何かと親交深い俺には何の抵抗もなくニコニコと慕ってくれていた。
そのおかげでいつも、俺に対する周りからの視線がけっこう痛かったりするんだけども。
「お兄、そうやって智香のこと褒めなくていいよ。好ましくないとか、困ることばかりとか言って生意気」
「こら、美乃里。口が悪いぞ」
「う⋯⋯だ、だってぇ⋯⋯友達が欲しくても出来ない人だっているのに、なんかムカつくっていうか⋯⋯」
「みーのーりぃー?」
「う、うぅ⋯⋯お、お兄、怒んないでぇ⋯⋯」
両サイドの内のもう片方、俺の左腕にぎゅうっとしがみついて離れない美乃里はプルプルと震える子猫のようにシュンとした表情を浮かべている。
初めて出会った日から今日に至るまで、美乃里は智香ちゃんのことを何故かずっと敵対視していた。理由は未だに本人の口からは聞けていない。
「だ、大丈夫ですよお兄さんっ! そ、そんな、気にしないでください。確かに、わたしの言い方があまり良くなかったので⋯⋯」
「そう、悪いのは智香。というかあんまそうやってお兄にベタベタ近寄んないで。さっきだってお兄にいきなり飛びついたりしてイライラしてるんだから、私」
「あぅ⋯⋯ご、ごめんね。あの時はつい、嬉しさが思わず外に出ちゃったというか⋯⋯」
「ごめんねじゃ済まないし。罰として何でもいいから甘くて美味しいお菓子を私に奢ること。分かった?」
「は、はいぃ⋯⋯」
⋯⋯智香ちゃんの立場があまりにも気の毒でならない。同い歳なんだからもっと仲良くしてほしいのに。
「いや、奢んなくていいからね? ⋯⋯美乃里、いい加減にしないと頭にゲンコツするよ?」
「お、お兄のゲンコツっ⋯⋯!? そ、それだけは本当に痛いからやあッ⋯⋯!」
「ステンバーイ、ステンバーイ」
「ご、ごめんなさいごめんなさいッ、私が言い過ぎましたぁごめんなさいッ!!」
俺相手だとこんな一瞬で素直になるのになぁ⋯⋯。
「全く⋯⋯えっと、それで智香ちゃんはもう、だいぶクラスには馴染んできた感じかな?」
気を取り直して俺から柔らかく訊くと、智香ちゃんは問題なさそうにニコリと笑った。
「はい。特に差し障りなく順調です。クラスのみんなも好意的に接してくれるので」
「そっか、なら良かった。美乃里はまだクラスに馴染めてないみたいだからさ、ちょっと心配になっちゃって」
「あ⋯⋯そ、そうなんですね」
あれだけ言われた後でも、気にかけるように美乃里に目を遣る心優しい智香ちゃん。当の美乃里はご機嫌ななめそうにそっぽを向いてしまっているけども。
「み、美乃里ちゃん。その、わたしなんかで良ければ相談とかいつでも乗るよ?」
「⋯⋯別に、いい」
「で、でもわたし、美乃里ちゃんとも仲良くなりたくてっ」
「私は、そんなの望んでないし」
「だ、だけどぉ」
「しつこい、ウザい」
「⋯⋯うぅ」
「⋯⋯こっち見ないでよ」
「⋯⋯」
「⋯⋯」
──両者、あえなく沈黙。
(⋯⋯なんだかなぁ⋯⋯)
智香ちゃんからは仲良くなりたいという積極的な姿勢が見て取れるが、美乃里はご覧の通り不貞腐れてしまっている有り様。俺が何度注意しても態度を改めようとしないのだから、それだけ相当な不満を智香ちゃんに対して溜め込んでいるのだろう。
その根本的な不満というのが一体何なのか⋯⋯それさえ分かればこの状況も変わってくるはずなのだが。
「お、お兄さんー⋯⋯」
で、結局。縋るような目で先に助けを求めてきたのは智香ちゃん。まあ、やっぱりそうなるよな。
こうして二人が気まずそうな雰囲気に陥った時、決まっていつも俺が橋渡しの役目を務めることになる。
「⋯⋯美乃里?」
「⋯⋯」
分が悪そうに目を伏せるも、それでもどうしても素直になりきれないらしい美乃里。
ここであまり強く言いすぎても美乃里のためにはならないだろうし、智香ちゃんには申し訳ないけど、もうしばらくはこのまま様子見するしかなさそうだ。
甘やかしすぎるのも、良くはないのだが。
(手のかかる子ほど可愛いっていうのは、正にこういうことを言うのかな)
⋯⋯感じ方は、人それぞれだとは思うけど。
俺はため息をついて苦笑した後、竦んでしまっている美乃里に優しく声をかける。
「⋯⋯大丈夫だよ。俺は美乃里のお兄ちゃんなんだしさ、これ以上は怒ったりしないから」
「⋯⋯お兄」
「ほら、もし寂しく感じるならお兄ちゃんの胸くらいいつだって貸してあげるし。昔から俺にギュってされるの、美乃里好きだもんね?」
「⋯⋯おにぃー⋯⋯」
「なんなら今する?」
「⋯⋯するぅ」
俺の言葉にどうやら我慢できなかったようで──道のど真ん中で立ち止まると、美乃里は俺の背中に両手を回してぎゅううっと抱きついてきた。
(こうして触れるとよく成長したよなぁ、美乃里も)
⋯⋯やはり、抱き枕として最適すぎる柔らかさ。例えどんな公衆の面前であっても、この抱き心地に一度触れてしまえばそんなものはどうだっていいとさえ思えてきてしまう。
それにこの、昔から変わることのない何ものにも代え難い安心感。
何というかもう、これはそういう精神安定剤の一種と言ってもいいのかもしれない。
「おにぃ、おにぃ。⋯⋯ふへへ」
「おーよしよし。⋯⋯ん、智香ちゃんどうかした?」
傍で静かに見守っていた智香ちゃんに俺から声をかけると、智香ちゃんはピクンっと反応した後に小さく微笑むと、そのままゆっくりと口を開いた。
「本当に、お兄さんと美乃里ちゃんは仲がいいですよね。⋯⋯すごく、羨ましいです」
「羨ましい?」
「はい。⋯⋯もし、わたしにもお兄ちゃんがいたら、美乃里ちゃんみたいに甘えられたのかなあって⋯⋯」
そう囁く智香ちゃんの目の色は澄んでいて、どことなくしんみりとした物寂しさに包まれていた。
⋯⋯その様子が何となく放っておけなくて、自然と当たり前のように俺の口が開く。
「俺なんかで良ければいつでも甘えてくれていいよ?」
「──へっ!? い、いえそんなっ、それはさすがにご迷惑をおかけしてしまうので、だ、大丈夫です!」
めっちゃ全力で拒否られてしまった。
まあだけど、常識的に考えればそう言われるのも当然か。ご近所とはいえ、血の繋がりのないよそ者とも言うべき男に甘えたいとは思わないだろうし。
でも、智香ちゃんって本当に真面目で優しい性格だから、色々無理してると思うんだよな⋯⋯。
「⋯⋯お兄。そういうこと言うと、智香すぐ調子に乗るからやめた方がいいよ」
「はいはい、美乃里は大人しくしような」
「ふみゅっ。⋯⋯はうー」
俺に抱き寄せられて幸せそうな美乃里。とんでもなくご満悦そうな表情で何より。
さておき、俺は再び智香ちゃんに向き直る。
「──えっと、だけどね、俺は別に迷惑だなんて思わないよ。智香ちゃんにだって誰かに頼りたい時とか甘えたい時はあるだろうし、普段からそう気張ってばかりだと精神的にも参っちゃうでしょ?」
「それは⋯⋯そう、かも、しれないですね」
「うん。なら、可能な限り俺ができることだったら何でもするからさ、あんまり我慢し続けないで気を楽にした方がいいと思うよ。智香ちゃんには笑顔が似合うんだから」
「⋯⋯ッ、あ、ありがとう、ございます」
「ん。それで、今はそういうの大丈夫?」
「だ、大丈夫です。ご、ご気遣いありがとうございますっ」
「⋯⋯そっか。了解」
ま、俺から伝えたいことは伝えたし、それ以上は聞かずにあとのことは智香ちゃん次第。
三姉妹の長女として、校内のアイドル的存在として日常的な負担が増しているだろう智香ちゃんのメンタルケアに少しでも貢献できていればいいけど。
──ともあれ、これ以上この場で立ち止まっているとさすがに日が暮れてしまうし、そろそろ歩き始めるとしよう。
抱きついている美乃里を離すと名残惜しそうな目で縋ってくる⋯⋯ここは何とか理性を保ち、我慢我慢。
「じゃあ、そろそろ行こっか」
「は、はいっ」
「おにぃー⋯⋯ギュってしてぇ」
「家に帰ったらね」
「んぅー⋯⋯」
完全にベタベタ甘えモードと化している美乃里を上手いこと受け流しつつ、俺たちはその後も終始まったりとしたムードで家に向かって歩いて行った。
「──⋯⋯お兄、ちゃん」
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