第3話 今日も妹が可愛い

 放課後になると、俺は帰り支度を手早く済ませて足早に教室を後にした。


 次いで向かう先は別校舎にある一年三組の教室。そこには未だ環境の変化に順応できていない一つ年下の妹が在籍しており、心細いからという要請に応える形で下校を共にすることになっている。


 プライベートを優先したい旨を理由に部活に所属していない俺は、最近の放課後はこうして妹と一緒に過ごすことがほとんどである。


 しかし、だからと言って不満などはない。


 可愛い妹のためなら、目の前にどんな障壁が立ちはだかろうとも迷わず突き進んで颯爽と駆けつける──これが、兄である俺としてのポリシー。


 拓郎が言うようなシスコンなどではなく、あくまでも『兄』として当然のことをしているまでなのだ。


 ⋯⋯と、思いたい。


「──お兄っ」


 一年三組の教室前まで近付いた時、パアッと華やいだ様子で廊下を駆け寄ってきたのは、低い結び目で短いツインテールをフリッと揺らす可憐な少女。


 庇護欲をそそられる華奢な容姿に、見る者をフッと惹きつける透き通った声色。その表情からは俺との再会を心の底から歓迎している親愛深さが容易に見て取れ、さながら温もりを求めて身を寄せようとする子猫のようにも見えて⋯⋯正に、可愛さの暴力。


 これこそが、早海家が誇る見間違えようのない自慢の娘兼、俺の実妹──早海美乃里。


「お疲れ、美乃里」


「うんっ、お兄もお疲れ」


 周囲に他の一年生がいる中でもなりふり構わず、俺にめがけてガバッと飛び込んでくる美乃里。


 ⋯⋯いい匂い。いつも通り、我が家の石鹸の香りがする。それに加えて触り心地の良いふにふにとした肌の感触。こんなに小さな身体なのに健康的な肉質だ。


(抱き枕に最適だよなぁ、コレ)


 いつまでも抱きとめていたくなる。イヤらしい意味ではなく、スキンシップの一環としてただ純粋に。


 全面的な好意を受け止めて美乃里の頭を撫でていると、美乃里は一瞬心地良さそうに目を細めるも、ハッとして瞼を上げると同時にボソリと声を上げた。


「くッ⋯⋯クラスの人に、ヤなことされてない?」


「ん? いや、特に何もされてないよ? いつもと変わらず平和にのんびり過ごしてたけど。何か気になることでもあった?」


 俺が訊くと、美乃里はモジモジと不安そうに見上げながらキュッと拳を握る。


「その⋯⋯お兄は優しいから、難癖つけられて、いいように使われてたりしてないかなって⋯⋯」


 ⋯⋯正直、俺のことより美乃里の方が心配ではあるんだけども⋯⋯まあ、とりあえずはさておき。


「そんなことされてないって。大丈夫だよ、心配してくれてありがと」


「⋯⋯えへへ」


 過度に心配させないよう、再度頭を撫で下ろすと美乃里ははにかんだ笑顔でほうっと吐息を漏らす。


 今日一日頑張った美乃里を最大限甘やかしたい気持ちは山々だが、視線を多く集めるこの場所でのその振る舞いはさすがに羞恥心が勝る。とりあえずは帰路について、美乃里とは道中のんびり談笑するとしよう。


 そうと決まればここに長居する理由もない。


「じゃあ、帰ろうか」


「うんっ」


 兄妹らしく、仲良く手を繋いで俺たちは歩き出す。


 ──美乃里と手を繋いでいると、それを見た中学時代の友人から『お前、妹と仲良すぎじゃね?』と、目を丸くして言われたことがある。兄妹ならこれくらい普通だと思うのだが⋯⋯実際には、違うのだろうか?


「? お兄、どうかした?」


「ん。いや、何でもないよ」


 ⋯⋯ま、俺たちにとってはこれが当たり前であるわけだし、あまり深くは気にしないでおこう。


 そうして美乃里と隣り合いながらゆったりとした歩幅で昇降口前まで向かうと、靴を履いて外に出た途端にフウッとヒンヤリした横風が肌を撫でていく。


 五月に差し掛かってだいぶ長閑な気候に移り変わったとはいえ、この時間帯になるとまだまだ冷え込む時期だ。昼間は清々しく澄み渡っていた青空にも朱が差し込み、西に向かって刻一刻と日が沈みつつあった。


 こういう物寂しげな景色を見ていると、この歳にしてつい感慨に浸ってしまう。


(⋯⋯今日も疲れたなぁ⋯⋯)


 そんな情景に感化されて思わず欠伸をすると、それを見ていた美乃里がクスリと小さく笑みを零した。


「お兄、疲れてるの?」


「ちょ、ちょっとだけ、ね。なんせ週の初めだしさ」


「⋯⋯お兄の顔、可愛い」


「かッ⋯⋯か、からかうなって」


「からかってないよ? だって本当に可愛いもん」


「あ、あのなぁー⋯⋯男っていうのは、可愛いって言われてもあまり嬉しくないものであって⋯⋯」


「ふふっ」


「⋯⋯うぐ」


 気弱な妹に翻弄される兄⋯⋯不甲斐なし。


 今日は週明けの月曜日。大半の部活がオフ日となっている生徒の多くは、特別な用でもなければ校門をくぐり抜けてそのまま各々の住まいへと一直線だろう。


 俺と美乃里も、寄り道なんかは一切せずに正しく真っ直ぐ帰宅するつもり。寄り道するくらいなら家での昼寝に時間を費やした方がよっぽど有意義であるし。


 というわけで、外が暗くならない内に早く家に帰ろうではないか──と、思っていた矢先。


「⋯⋯ん?」


 校門をくぐり抜けようとしていたその手前──目線の先で、複数人の生徒に囲まれて身動きが取れずにいる女子生徒の姿がふと目に留まる。


 離れた位置から目を凝らしてよく見ると、その女子生徒の正体が俺と美乃里にとって、とても馴染み深い人物であることが判明した。


「お兄、あれ⋯⋯」


 同じく気付いた美乃里が呟いたのを皮切りに、俺たちは蚊帳の外でヒソヒソと相談し合う。


「あれは⋯⋯助けに入った方が、いいのかな?」


「⋯⋯別に、行く必要はないと思うけど……うん。多分、あの感じだと困ってるね」


「そう、だよねぇー⋯⋯だけど、あの圧倒的リア充オーラに割って入ってくのはけっこう勇気が⋯⋯」


「お兄なら大丈夫。だってお兄はカッコイイもん」


「⋯⋯俺のことをカッコイイなんて言ってくれるのは美乃里だけだよ⋯⋯はは」


「そんなわけない。絶対みんなお兄の知らないところで噂してるはずだもん、お兄はカッコイイんだって」


「⋯⋯ありがと。美乃里大好き」


「私もお兄が好きー、えへへ」


「結婚するか、俺たち」


「んん〜するぅ〜っ、お兄と結婚〜」


「冗談だけど」


「んぅー⋯⋯」


 我が妹、天使を超えて大天使すぎる。家に帰ったらいっぱいたくさん頭なでなでしてあげよう。


 で、まあ。大勢の人数の輪に単身で乗り込むのは正直気が引けるのだが⋯⋯美乃里にも励まされてしまったことだし、こればっかりは割り切って行くしかないだろう。


(⋯⋯仕方ない、か)


 ふうっと一息ついた後、人見知りな美乃里を後方に待機させると、俺は意を決して一歩踏み出して前に。


 そうして活気立っている彼らの元に徐々に歩み寄って行くと、その中心で一際目立つ存在感を放つ彼女のことを、俺は気持ち強めに『名前』で呼んだ。


「と、智香ちゃーん⋯⋯?」


 ⋯⋯つもり、だったのだが。


 お世辞にも明るいとは程遠い声のボリュームになってしまった──しかし、それでも彼女は電波を受信したアンテナのようにピコンッと反応すると、声がした方角を求めるようにキョロキョロと頭を振り始める。


 そして、


「──お兄さんっ!」


 ついに見つけた俺のことを親しげに『お兄さん』と呼び、栗色の長髪をキラキラと靡かせながら生徒たちの囲いを抜け出してくると、彼女──相川智香もまた、俺にめがけてガバッと飛び込んでくるのだった。

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