第5話 温かい場所
俺と美乃里、智香ちゃんが通う県立三葉高等学校から約二キロメートル離れた場所に位置する郊外地区。
そこにはヒッソリとした静けさに覆われる住宅地が存在し、そのとある一角に早海家と相川家の住宅が互いに隣接して建てられている。
多くの交流を経て厚い信頼関係に結ばれている両家は最早家族同然のようなもので、これまでの一年を通して互いに様々なことを知り、分かち合い、嬉しいことも悲しいことも心に残る思い出を積み重ねてきた。
そうして得られた確固たる絆は今も途切れることなく、むしろこれまで以上に結束されつつあると思う。
その証拠として──家に帰ると、決まっていつも玄関先で出迎えてくれる尊い存在が一人。
「おにーちゃんっ! お帰りなさいっ!」
「ん、ただいま。今日も待っててくれてたんだ?」
「うんっ!」
憂いのない満面の笑顔で大きく頷く小柄な女の子。
今年で十一歳となり、小学五年生としてさらに一回り成長を遂げた相川家の三女──関わる者全てを笑顔にしてみせるサンシャインガール、ひまりちゃんだ。
智香ちゃんとは対照的に綺麗だった長髪を肩口までに切り揃え、軽快でサッパリとしたショートヘアがひまりちゃんの印象によくピッタリで似合っている。
そして、今日の私服は大胆に肩出しした白地のTシャツにデニムのショートパンツ。元から顔が可愛いのに私服までこう露出が多いと、クラスの男子たちから性的な目で見られていないかと不安にはなるが⋯⋯今のところは目立った変化もないし、多分大丈夫なんだろう。
ひまりちゃんは美乃里の次に大事に思っている子だから、可能な限り助けられることは助けていきたい。
⋯⋯なんて言うと、勝手に保護者ぶっていてちょっとキモイかもしれない、俺。
「ただいま、ひまり」
「お帰りなさいっ、智香おねーちゃん! あとみのりんも!」
「付け足したように言うなし。⋯⋯てか、みのりん言うな。私のことも美乃里お姉ちゃんでいいでしょ」
「えー? だってみのりんはみのりんだよー?」
「だからみのりん言うな。⋯⋯はあ、もういい」
智香ちゃんと美乃里にも同年代のように明るく奔放に接するひまりちゃん。だが、次の瞬間にはまた、ひまりちゃんの意識は再び俺へと向けられていた。
「あのねっ、ひまりもね、さっき学校から帰ってきたばかりなの! だから今日はおにーちゃんと一緒にお風呂に入りたいなって!」
「おッ⋯⋯お、お風呂はちょっと、前にも言ったんだけどさ、ひまりちゃんの年代になってくると一緒に入るのはお兄ちゃん恥ずかしいかなー⋯⋯て」
「はずかしい? なにがはずかしいの?」
キョトンと不思議そうに首を傾げるひまりちゃん。
性の知識に疎い小学生とはこれほどまでに心がピュアすぎる……美乃里と智香ちゃんはギョッとした表情で顔を赤くしているというのに。
「そ、それは、そりゃあ⋯⋯ひまりちゃんもそろそろ女性らしい体つきになる時期だしさ、俺は男だから」
「ひまり、お兄ちゃんになら見られてもいいよ?」
「お、俺が困るんだって」
「えー⋯⋯?」
実は前に一度、どうしてもとせがまれてひまりちゃんと一緒にお風呂に入ったことがある。
その際目にしたひまりちゃんの身体は⋯⋯こう、膨らみかけというか⋯⋯瑞々しくて。思春期の男子にはあまりにも刺激が強い光景だったもので、それはもうとにかく目のやりどころに困ってしまった。
なので、理性を保つためにもひまりちゃんとの入浴は今後回避しようと俺の中で決めたのである。
「ひ、ひまり。そ、そうやってまたお兄さんを変に困らせないのっ!」
「だっておにーちゃんと一緒に入りたいし⋯⋯」
「ひまりはもう十分立派な女の子なんだから、そういうことには年相応の女の子らしく恥じらいを持たないとダメなのっ!」
「おにーちゃん相手なら大丈夫でしょ?」
「ぜったいダメッ!!」
何とかひまりちゃんを言い聞かせようと必死な智香ちゃん。俺を信頼してくれるのは素直に嬉しいんだけども、だとしてもそれ以上超えてはいけないラインというものが存在するのだ。⋯⋯いち男として。
「⋯⋯お兄、前に一回だけひまりと一緒にお風呂入ったことあったじゃん?」
「え? あ、う、うん」
「その時、ひまりを見てどう思った?」
「⋯⋯えっと。まあ、可愛いなー、とは」
「⋯⋯今日はわたしと一緒にお風呂入ろ?」
「落ち着け」
それやっちゃったら俺の中の目覚めてはいけない何かが目覚めてしまう気がするので。
……で。智香ちゃんとひまりちゃんを連れて当然のように早海家のリビングに移動してくると、そこで俺の目に映ったのは──ソファーに座って退屈そうにテレビを眺める、制服姿の見慣れたおさげ髪の女の子。
「あ、ども。お帰りなさいお兄ちゃん、お邪魔してます。ママさんはスーパーにお出かけ中ですよ」
気配に気付いてニコッと気さくに話しかけてくる彼女に対し、一瞬気後れするも、俺からも言葉を返す。
「……た、ただいま。珍しいね、紗彩ちゃんがここでくつろいでるなんて」
「まあ、ちょっとした気分転換ってやつです。最近はお姉ちゃんもひまりもずっとお兄ちゃんにくっついてばかりですし、あたしだけ自分の部屋で一人ぼっちってのもそりゃ寂しくなりますから」
「あ……そ、そうだよね、確かに」
「はい。あ、でも別に無理してここであたしに構おうとしなくていいですよ。あくまでも気分転換なんで」
「りょ、了解」
「どーも」
中学二年生とは到底思えない柔らかな物腰、ゆったりと大人びた顔つきで余裕ありげに振る舞う彼女、相川家次女の紗彩ちゃん。
三姉妹の中で最も曲者……という言い方はちょっと良くないだろうが、素直で分かりやすい智香ちゃんとひまりちゃんとは異なり、紗彩ちゃんは他者から干渉されるのを嫌う、自尊心を強く持つ常識人タイプだ。
中学校での成績も飛び抜けて優秀らしく、そのルックスと人柄から男女ともに校内で人気を博している絶対的存在なのだとか。智香ちゃんから聞いただけの情報だから詳しいことは知らないけども。
「美乃里さんもお帰りなさい。ポットのお湯沸かしてあるのでホットココアどうぞ。帰宅後のルーティンですもんね?」
「……よ、よく、分かってるじゃん」
「そりゃもう、美乃里さんのことはいつもよく見させてもらってるので」
「へ、へえー……そ、そうなんだ」
美乃里でさえ紗彩ちゃんには強く出れない。それほどまでに周囲へ及ぼす紗彩ちゃんの影響力は強い。
中学生でこの威厳ぶりだと、さらに成長して高校生になったらどれだけ完成されているか──容易に想像がつくようでつきそうにない。
「お帰り、お姉ちゃん」
「ただいま紗彩。洗い物はちゃんと済ませた?」
「済ませてあるよ。お姉ちゃんも先に洗い物片付けてきたら? 後に回すとメンドーだろうし」
「うん、そうする。……す、すみませんお兄さん、また後で戻ってきますから」
そう言い、智香ちゃんは頭を下げると落ち着いた足取りで玄関に向かって行き、ガチャリと姿を消した。
両親ともに企業の正社員として日中働く相川家は、ある程度の家事をこの三姉妹たちが率先して担当している。自主性に富んでいてとても立派なものだ。
「ひまりは学校の宿題まだやってないでしょ。お兄ちゃんと戯れるのはそれを片付けてから」
「ええー、さーやちゃんは終わってるのー?」
「あたしは寝る前にやるって決めてるし」
「じゃあひまりもーっ!」
「小学生は夜更かし厳禁。早めに済ませること」
「ず、ずるい〜!」
「ずるくない。ほら、早く」
「むぅ〜……」
諭されたひまりちゃんも同様に、納得がいかないように渋々とはしながらも、智香ちゃんを追って玄関に向かい姿を消す。
そうしてリビングに残ったのは俺と美乃里、紗彩ちゃんの三人。
とはいえ、俺と美乃里はここの住人なので特にどうもしないのだが、変わらずソファーでくつろいだままの紗彩ちゃんはおもむろにリモコンを手に取ってテレビを消すと、眠たげに目を細めて欠伸をしていた。
「ふあ……ん。お兄ちゃんと美乃里さんも、あたしのことは気にせずいつも通り気を楽にしてください。あたしはこうしてのんびりくつろぐだけで十分なんで」
「……紗彩ちゃん、なんかすごい馴染んでるね、この家に」
「あはは、自分でもそう思います。何というか温かいんですよね、ここの雰囲気。とても過ごしやすくて」
「そうなんだ。……えっと、インスタントだけど、良ければコーヒーとか飲む?」
「あ、ホントですか? 欲しいです」
「了解。無糖でも大丈夫?」
「大丈夫です。ブラック好きなんで」
……ほんと、大人びている。十三歳でブラックが好きだなんて女の子、中々いないと思う。大抵は甘い物が好きだったりするはずなんだけど。
「あ、美乃里も飲む?」
「ううん、私はいい。今からホットココア飲むし、あと冷蔵庫にいちごミルクあるし」
「ん、オッケー」
そう、美乃里のような反応が一般的なのだ。決して美乃里が子供っぽいとか、そういうわけではなく。
「……お兄、今私のこと子供っぽいとか思った?」
「え。いや、特に何も」
何故にバレたし。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます