第九話 変身! サニー・ベル

 安生一誠あんじょういっせいが放課後に管理人さんと会う約束をした場所、街を見下ろせる高台にある小さな公園へと辿り着いたのは、アバウトながら約束していた時刻よりも三十分近く遅れてからだった。

「遅かったね一誠くん、何かあったのかな?」

 住宅地からも離れ、おまけに辿り着くのにいささかしんどい登り道の先にあることで普段から人気の少ない公園のためか、管理人さんは例の光球の姿で既に空中に出現していた。

 因みにこの公園、いくらか遠回りになるが山の裏手から車で来れるようになっており、展望もよいので夏場はカップルたちにとって格好の穴場になっていたりする。

 穴場と言うだけに、まぁ景色見るよりも他に優先することがあったりするんですけどね、げへへ。

「ぜーっ、はーっ、ちょ……ぜーっ、ぜーっ」

 おそらくは全力疾走して来たのだろう。両腕をひざに当てて上半身を支えるように前かがみの姿勢で何とか言葉を発しようとする一誠であったが、荒すぎる呼吸のために言葉は形になっていなかった。

 毎朝一時間近くのロードワークをこなす一誠だが、さすがに全力での急勾配な登り疾走は堪えたようだ。

「先輩? これを……」

 荒ぶる呼吸を整えようとしている一誠へと、スポーツドリンクの五百ミリリットルペットボトルがおずおずと差し出された。

 差し出したのはこの場に居たもうひとりの人物、管理人さんから代理執行者に任命されている鈴城日輪すずしろひのわ、その人である。

 手にしたスポーツドリンクは、一誠の現状を察し、どんなに人気の無さそうな所にでも必ず在ると言われる飲料の自動販売機から、買い求めたものであろう。

 いやホント、何でこんなところに? って思うような所にも絶対あるよな自販機って。

 ど田舎の外灯もない真っ暗な一本道の途中に誘蛾灯のごとく煌々と明かりを灯した自販機が出現するとなんかドキッとしますよね? 日常の中に唐突に現れた非日常って感じで、ちょっとしたホラーですぜ、あれは。

 受け取ったのと反対側の手を軽く挙げ感謝の意を示し、スポーツドリンクを口にする一誠だが、

「げほっ、ぐほっ、ごっほっほっ」

 途端に、むせる。――か、勘違いしないでよ、別に炎の匂いが沁みついたんじゃないんだからねっ。

 ぜーぜーと荒い呼吸しているところへ水分を急に取れば、こうなるのは明白である。お約束をありがとう!

 だが第三者からすれば笑いの種であるが、当事者にとってこの状況は大変なんてものではなかったりする。

 人間はコップ一杯の水で溺死することすらあるのだから。

 少なからず皆さんにも経験はあるでしょう? 気管に急に水分が入ってしまった時の苦しさ、それは冗談ではなく死ぬかと思うほどだと。

「ぐげっぽっ、げぼっげごっ、ぐごっ」

「だ、大丈夫ですか、せんぱーい?」

 必死で呼吸器官に入り込んだ水分を排除しようと咳き込む一誠。水分を与えてしまった当事者である日輪はその背をさすり、少しでも楽になれるようにとサポートしていた。うーん健気だねぇ。

 むせかえること数分。ようやく一誠の呼吸器系は平常運転に戻った。

 涙やら鼻水やらよだれやらでグチャグチャになった顔をキレイにすべく、公園のトイレで顔を洗ってくる一誠である。

「あー、死ぬかと思った」

 なんてことを口にしながら、体裁を整えた一誠が日輪と管理人さんの元へと戻ってくる。

「すみません……私のせいで……」

 そんな一誠の愚痴に申し訳なさそうに日輪が返す。

「あ、いや、鈴城さんは悪くない。あんな飲み方した俺の方に責任がある。気にする必要はないって」

 頭を下げてくる日輪に少し慌てた風に答え、

「せっかくくれた飲み物をほとんど台無しにしたしな、こちらこそ恩を仇で返したようなもんだ。すまない」

 と、こちらも頭を下げる。

 そのまま「こっちこそ」とか「俺が」とかいつまでも埒の明かない会話が続き、ついに、

「――君たち、いい加減その辺りで終わらせようとは思わないかね?」

 静かな怒気を含んだ声で、管理人さんが先に進まないふたりを止めに入る。

「……はい」

 その言葉のプレッシャーにようやく生産性のない不毛な会話を止め、頭を下げる方向を管理人さんへと向けるふたりであった。

「さて、本題へ入ろうか」

 仕切り直しだといわんばかりに管理人さんのよく通る声が響く。

「一誠くんを呼び出したのは、あれこれと説明するよりも、先ずは日輪の実際の活動を見てもらう方が早いと思ったからでね」

 その言葉に視線を日輪へと向ける一誠。照れくさそうにはにかんだテヘヘ顔で応える日輪。

「つまり、サニー・ベルが昨日の事故の怪我人救出みたいなことをやってるところを見学しろと?」

「その通りだ。百聞は一見にしかずと言うだろ?」

 一誠の言葉に即答する管理人さん。

「確かに。……しかし、そんなに都合よく事故とか起きるのかな?」

 少しだけ首をかしげ、ポロリとこぼれる素朴な疑問に、

「はは、事故なんてそうそう起きてもらっても困るよ。それに我々の目的はこの街の安全と安心だ。事故なんて起きないのが一番。基本はいわゆるパトロール、見回りさ」

 苦笑しつつ管理人さんが答える。

「何事も無し、それに勝るものはないよ。何かありそうならばその芽をつぶし、そして起きてしまったら迅速に行動し対処する、そのためのパトロールなんだよ」

 腕を組み、なるほどといった感じの頷きで理解を表わす一誠。だがすぐに口を開き、

「見回りは良いんだが、鈴城さん……サニー・ベルは空を飛んで、だろ? 俺はスーパーズじゃないから飛んでついて行くなんて出来ないが――」

 身振り手振りも交えてもっともな意見を伝えるが、管理人さん、そこは少しも慌てず、

「それについては方法がある、心配は無用だ。――日輪?」

 落ち着いた口調で答え、それから日輪に促すように声をかけた。

「はいっ」

 管理人さんに小さく、けれどしっかりとした返事をし、一誠から少し距離をとりながらもしっかりとした視線を向けると、

「じゃあ先輩、見ててください私の変身」

 デフォルトっぽい縮こまったような態度ではなく、どこか自信に溢れた表情でそう告げる。

 その言葉に一誠は "まるで五〇雄介みたいだな、て事は俺は〇条さん役か。場面的には一話か最終回だよなぁ。……ふむ、協力者ってポジション的には一〇さんで間違いではない。それにしてもク〇ガは名作だったよなぁ、うん。劇場版がぽしゃったのがホント、残念で仕方ない。東〇ももったいないことしたよなぁ" なんて例のごとくな感想を抱きつつ、ある事に気がついた。

 "ん、変身、だろ? ってぇことは昨日見たあれの逆再生ってことで……"

 一誠の脳裏にフラッシュバックする夕べ見た光景。光球の中、輝きながら浮かぶ――。

 頭の中でアラームがけたたましく鳴り響く。拙い、これは止めないと拙い!

「――ちょっ」

 ちょっと待て。そう叫んで止めようとした一誠だったが、それよりも一瞬早く、

「変身ッ!」

 日輪の高らかな声が響く。

 彼女の全身が光り輝いた瞬間、世界はズレた。


「……なぁ、管理人さん」

「なにかね?」

「鈴城さんは、――このことを知らないのか?」

「訊かれた事はないかな? だから知らせてはいないね」

「――だよなぁ。知ってたら、あんなにまで堂々と "見てくれ" 宣言はしないか……」

「変身している時はトランス状態になっているからね、その間の記憶はない。日輪からすれば一瞬で変身している感覚なのだろう。だからそんな風に言ったのだと思うよ」

「なるほど……」

 管理人さんと淡々とした会話を交わしていた一誠は、そこで言葉を切ると深いため息をついた。

 一誠と管理人さん、ふたりの目の前には、夕べ路地裏で一誠が見たときのように、きらきら瞬く光の粒子の帯に囲まれるようにして、淡く全身を輝かせながら、まるで海に漂うように力を抜いた体勢で宙に浮く、一糸まとわぬ鈴城日輪の姿があった。

 淡く輝いてはいるものの、それは全身の肌の色を包み隠すほどではなく、むしろ強調するかのようであった。

 文字通り輝く肌、滑らかな透明感が若さを際立たせる。

 投げ出されたような両の腕、肩から二の腕のぷるんとゆれる柔らかな肉付きの良さ。

 いつもは背を丸め腕を前にし隠すようにしているが、背を反り返した今の姿勢ではこれでもかと強調される、豊か過ぎるふたつの乳房。

 一般的に日本人の胸というのは特有の楕円体型のため左右に広げられ、実際のサイズよりも小さく見えるものだが、日輪の持ち物はそれを問題とせず大きく圧倒的な質量を誇っていた。

 その柔らかな双丘の頂点には乳房の大きさからすれば控えめな突起がちょこんと乗っており、それを囲むリングは乳房に相応しいサイズだが、どちらも薄い桜色をして乙女らしさを際立たせている。

 乳房の下、胴には僅かながらのくびれ。体型的に仕方ないことではあるが健康的には申し分なし。

 むしろ臍あたりから下腹へと続く、思わず掴みたくなるような肉付きがこの年代特有の可愛らしさを演出していると言えよう。

 さらに下へと目をやれば、背を反らした体制により突き出される格好になっている下腹部、恥骨丘も肉付きがよく、いわゆる "土手高" だ。

 その丘の上に――季節的に手入れを怠っているのだろう――頭髪と似た赤く腰の強そうな痴毛が生えそろっている。

 中央指二本分の幅の部分はよく整えられていた痕跡が残っているが、そこから両脇のビキニゾーンは不規則に生えており、見られることを意識していないのが一目瞭然だった。

 さらにその茂みの下端から覗く秘裂はぴったりと閉じていて、排泄以外の用途に使われてはないだろうことと、おそらく自身の指以外の接触を許した経験もないのが推測できる。

 年齢のわりに骨盤はしっかりとしたもので、大きめの尻が将来的には元気な子供を産むのを想像出来た。

 両の腿も腕と同じく程よい肉付きで、そのたくましさから病気にもなりにくいのではないだろうか? ふくらはぎの力強さもそれを後押ししているように見られた。


「昨日、元の姿に戻ってた時がこの空間だった訳だから、もしかしたらって思ったんだが……」

 日輪から視線を外してポツリと一誠。

「しかし、たいしたものだね君は」

 唐突な管理人さんのその言葉に、

「――なにが、ですかね?」

 疑問で返す一誠。

「いや。君くらいの年代の男子は女性の裸体に対して格段の興味があるのではないかと思ったのだが、君はがっつくような素振りも見せない上にそういった色欲的な目で日輪を見ていなかったし、今もすぐに視線を逸らした」

 いきなりな話題を持ち出す管理人さん。ハァ? って顔をする一誠に構うこと無く言葉を続ける。

「私という邪魔者がいるからそんな態度をとったとも考えられるが、君の脳波や心拍にはそういう傾向は見られない」

「……勝手に人のバイタルをスキャンしないでくれませんかね?」

 さらりとすごいことを言う管理人であるが、それもあっさりと返す一誠。

「日輪が君の好みではないという場合もあるが、それでも若い娘の全裸だ、何かしら性的な反応はあってもおかしくはない。だのに君にはそれがなかった。故にその自制心はたいしたものだと賛辞を送ったのだが?」

「いや、とても褒められているようには思えないんだけど……」

 健全な対応を褒めたという管理人さんだが、怪訝な顔をする一誠にはとてもそんな風には感じられなかったようである。

 どちらかと言えば「若い女の裸見て興奮しないなんて、お前インポか? それとも衆道か?」とか言われてる感じだった。

 異文化コミュニケーションって難しいものですね。

「……鈴城さんが好みかどうかは別として。俺も男だから、こんな風に同年代女子の裸が目の前にあればドギマギはしますよ」

「うーん、とてもそうには見えなかったのだがね」

 日輪の名誉のためか、もっともらしい言葉を並べる一誠だが、管理人さんは一刀両断だ。

「……正直に言うと、女の裸は割りと見慣れちゃってまして」

 仕方ないなぁって風に苦笑しつつ言う一誠に、

「では、そこのところを詳しく。君という人間を知るのによいデータになりそうだ」

 即、食いついてくる管理人さん。つくづく人間臭い高次精神体である。

 まぁ神様とかって、日本神話やギリシャ神話を見る限り、結構下世話だったりしますからね、これも当たり前といえば当たり前な反応なのかも。

 そんな管理人さんの態度に辟易とした顔を向けるが、へんな思い込みをされるよりはましかと考え直し、理由を話し出す律儀な一誠である。

「――うちには従姉妹の姉代わりな、いやもう姉そのものな人がいましてね、俺が小さい頃はよく一緒に風呂に入れてもらってたんです。一回り近く歳が違うんで、当時は今の俺の歳くらいかな? あの頃の俺からしたら結構な大人です。で、ただの年上の女なら良かったんですが、身内の贔屓目に見てもかなり綺麗な身体してまして、そんなのを何年も間近で見せ付けられたから耐性っていうのかな? そういうのがついてんですよ」

 苦笑いを交えつつ話す一誠。管理人さんはじっくりと聞き耳を立てている。

「小学生の高学年になってからはさすがに一緒に風呂に入ったりはしなくなりましたけど、この人なにかにつけて肌を晒してきたり過度なスキンシップ取ってくるから、女の身体そのものに慣れが出来てしまってて……」

「一誠くん」

「はい?」

 遮るように唐突に口を挟む管理人さん。口調は平坦で機械的。

 反射的に返した一誠に、

「君、友人とかに爆発しろとか言われないかね?」

 どこか呆れたようにそう言い、そして、

「君のそれは持つものの驕りだ。持たざるものからすれば、万死に値する態度だよ。猛省したまえ」

 口調を一転させ、厳しく諭すように告げる。

「知り合ってまだ僅かだし、君のこれまでをまったく知らない私でも、今の君の体験談は静かな怒りを覚えるほどだった。以前から君を知る者、付き合いの長く深い者、特に同性の友人が今の話を聞いているとしたら、心の中で君のことを鼻持ちならない奴と思っているやも知れんよ? 彼らが君に対してその負の感情を向けないことに感謝するべきだね」

 いや管理人さん、あんたが嫉妬してどうすんだよ?

 あ、一誠爆発しろって言うのは大々的に賛成ですが。

「さすがに身内の恥にもなるんでそんなに詳しいことは話したりしちゃいませんけど……これから気をつけるようにします」

 管理人さんの個人的な感情込みの叱責だったが、なにか思うところがあったのだろう、一誠はそれを粛々と受け入れる。

 そんな一誠のしおらしい態度に、

「いや、私も少し言いすぎた。君には君の事情もあったことだろうしね。こちらも感情的になってしまった、申し訳ない」

 大人の態度を思い出して、大人な対応をする管理人さんである。ずるいよね。

 そんな管理人さんに対して心の中で、 "実は裸を見せられたのは身内以外にもうひとりいるんだけど……余計に面倒くさくなりそうだし、これは言わない方が良さそうだなぁ" とか思っている一誠の頭に浮かんでいたのは、ひとつ年上の幼馴染の思いつめた顔だったり。

 ……うん、やっぱり爆発しやがれ、こん畜生。

 互いに苦笑してこの件は終了。そして、宙に浮く日輪に話題を移し、 

「話を戻そうか。……ご覧の通り、変身中は無防備だからね、必然的にこの空間へシフトすることになる。変身イコール異層空間移動、これは変身行為に付随する現象なんだよ。それに変身という行為そのものにかかる時間の問題もある」

 それまでの空気を払うかのように、妙に説明口調にして語る管理人さん。

「時間?」

 一誠も勿論それに付き合う。空気を読めるやつは出世するぞ、うん。

「君も昨日見たのだろう? 日輪の姿が変わるのを。――代理執行者の変身とは、テレビのヒーローたちがやっているような、ただ強化服を着たとかそういうものとは違うのだよ」

 管理人さんのその言葉に、日曜朝のスーパーヒー〇ータイムからの流れで見ているプリティでキュアキュアな女子児童向けのバトル少女物アニメを思い出す一誠。

「似ているようだけど、パッと見だとちょっとわからないようになる、とか?」

「それも違う。代理執行者の変身とは、文字通りまったくの別人へと変わることなのだよ」

 おぼろげなイメージを浮かべつつ、軽い手振り付きでそれを口にする一誠をピシャリと一蹴する管理人さん。

 そう言われて昨夜の風呂上りに見た真咲まさきの撮った動画に映されていたサニー・ベルの姿を思い返す。

 それを見て自分でも口にしていたではないか、"ひどい詐欺" だと。

「……確かに」

 自身の言った言葉を思い出し、頷いて納得する一誠である。

「昼にも話したが、代理執行者はその正体を第三者に絶対に知られてはならない。そのために最も効果的なのが、本来の自分とはまったく違う存在へと変わることなのだよ。ここいらには居ないが、大都市圏や他の国では性別までも変えて行動している代理執行者もいるくらいだ」

「性別まで……」

 その言葉にセーラー〇ターズとかティ〇レッドなんかを思い浮かべる一誠。……お前、特撮だけじゃなくてアニメもいける口かよ?

 小辻真咲こつじまさきよ、女体の神秘のみならず、どこまでジャンル物英才教育施したんだ、えぇ!?

「――そろそろ始まる。見ていたまえ」

 裸体を見つめるという行為は問題にならないと判断したのか、一誠に日輪の変化を見ることを進める管理人さん。

 その言葉に従い、光の帯に囲まれて宙に浮いたまま輝く日輪へと視線を移す一誠。


 日輪から放出されている輝きがいっそうその眩さを増したかと思うと、彼女の身体に変化が起き始めた。

 圧倒的な存在感を示していたふたつの胸のふくらみがダウンサイジングされていき、程よい手のひらサイズの質量へと縮こまる。

 腰にくびれが出来、腹回りの段差が消えていく。

 尻のボリュームもダウンし、確実に一回りは小さくなった。

 呼応するように胴体が全体的にスリムになり、縦に伸びていく。

 太腿もたるんだ部位がなくなり、ふくらはぎの太さも改善され、脚そのものが延長される。

 腕も脚と同様に、二の腕のたるみがなくなると絞り込まれたようにすらりと伸びていく。

 しなやかな四肢の出来上がりだ。

 顔も身体と同じく変わりだす。

 全体的に丸っこさがなくなり、輪郭線が滑らかになる。顎の線もシャープだ。

 鼻梁もすっと通ったラインへと変わり、閉じているためにハッキリとはわからないが、目元にも何かしらの変化が見て取れた。

 ほぼ全身の変化が完了しかけると次は体毛が色彩を変えた。

 特徴的な赤みの強い茶色から、つややかな黒へ。ナイロンザイルのごとき腰の強さから絹糸のような滑らかさに。

 そして、髪の毛がブワっという擬音が聞こえてくるかのように一気に伸び、腰の辺りまでの長さになった。

 身体しんたいの変身完了。そこにはもう一誠の知る鈴城日輪の姿はなく、代理執行者・超常者スーパーズのサニー・ベルという別人がいた。

 変身を遂げた姿を見つめる。スマホのディスプレィというそれなりのサイズの映像ではなく間近で実物を直視したからなのか、その外観に妙な既視感を抱く一誠。

 ――そんな、気がしていた。


「代理執行者の変身は、いうなれば昆虫の変態だよ。蛹の中で芋虫が蝶へとその姿を変えるのと同じ様なものだ。あの輝きの中で日輪の体組織は組成を変え、彼女を別な存在へと作り変える。蝶が蛹から生態になるまでの一週間を日輪はこの五分あまりの時間で終了させる。この空間が必要なのがこれでわかってもらえたかな?」

 輝くサニー・ベルを見ながら管理人さんがそんな説明をしてくれた。

 それを聞きながら、";……サナギ〇ンからイナズ〇ン、つまりこれはリアル超力招来なのかぁ。しかも変身する時は真っ裸な辺り、忠実な原作版だ" などといつもな感想を浮かべる一誠。

 ……ま、いいけどね。


 肉体の変化続けて、身にまとうものの変化が始まる。

 原子核を囲む電子のような動きをしていた光の帯がサニー・ベルの身体にまとわり着き始める。胴体に絡みついたそれは瞬時に白いボディスーツを形作る。

 一見して袖無しレオタードのようにも見えたが、ボトムエンドが太腿まで達したスパッツ状のため、形状的にボディスーツの方が近いだろう。

 伸縮性と密着性がことのほか良さそうなボディスーツであるが、少女の少女たる部位は見事にガードされており、僅かな突起や秘そやかな亀裂を浮かび上がらせなどしない。

 それを身につけたサニー・ベルがゆっくりと横回転し始める。つられて回りだす黒髪が光を乱反射させ、眩い光の乱舞を生む。


「先ほどの身体の変身に日輪の肉体そのものがマテリアルとなっているように、外装、この場合はコスチュームかな? それも日輪が身に付けていた物が分解・再構成されて使われているんだ」

 光を身にまとい始めたサニー・ベルを見つめながら、管理人さんが説明してくれる。

「夕べ見た時もそうだったな。光が集まって制服作ってた……」

 同じ様に見つめながら一誠がそんな風に答えた。

「ただ、時に足りなかったりすることもあってね。そんな時は空中にある様々な元素を取り込んで利用しているよ」

 管理人さんの解説に、"リアル空中元素固定装置! キュー〇ィハニーかっ。実写版の京本さんと及川さんの役は見事にハマってたよなぁ" と毎度な感想を思う一誠。

 いや、それはもう諦めてるけどさ、キューティ〇ニー見た健全な思春期男子なら、バスタオルのままで疾走したり下着姿でストレッチするハニー役のサ〇エリに目が行くものじゃないかい、普通?


 回転運動の慣性に従うまま、水平にしなりだす両の腕に光の粒子が集まり、指先側からひじ近くまでのロンググローブを形成する。

 手の先から光の粒を撒き散らかすかのようなその動きはバレエのピルエット時の腕の使い方に酷似しており、とても美しかった。

 横回転が止まり、ロンググローブに包まれた両腕を頭を挟むように高く差し上げて手のひらを外へ向け、それにつりあう様に爪先を下へ向け、ピンとした姿勢をとる。伸ばした爪先から光が集まりだし、膝丈のブーツが作り出された。

 差し上げた両の腕を水平に開くと、再び身体へと光がまとわり付きだし、セーラーカラーのジャケットと、フリルスカートが出来上がる。

 最後に残った光たちがサニー・ベルの頭頂部へと集まると、ティアラ状のヘッドギアとイヤーマフ、それに付随するバイザーを形成した。

 ティアラに組み込まれた青い宝石が力強く輝き、白一色だったコスチュームのあちこちへと鮮やかなブルーのラインを通らせる。

 閉じられていたサニー・ベルの目蓋がゆっくりと開かれようとした瞬間、世界がまたズレた。


「サニー・ベルッ!」

 高らかに声を上げ、なんとなくそれっぽいポーズを決める鈴城日輪ことサニー・ベル。

 少し紅潮した顔で一誠たちを見つめている。

 その視線を例えるならば、言いつけを守ったので主人からのお褒めの言葉を待つ飼い犬のそれだった。

「あー、うん。カッコいい、ね」

 向けられた眼差しにいたたまれず、当たり障りのない言葉で称える一誠。

 返す視線は微妙にズレており、その口調に抑揚がほとんどなかったことは、察してあげて下さい。

「えっ、そうですか? やた、褒められちゃった!」

 だが、それに気がつくこともなく、返された言葉に小さくガッツポーズをして無邪気に喜ぶ、日輪=サニー・ベル。

 幼い子供の様な眩い笑顔が一誠には辛かった。

「あー、サニー・ベル。今日は時間も押している、早いところ見回りに出ようか?」

 場の雰囲気に耐えられなくなる前に管理人さんが助け舟を出す。大丈夫、いつぞやのドロ舟と違って、この船ならば宇宙にだって飛び出せそうだ。

「あ、そうですね。じゃ、早速行って来ます!」

 何も疑うことのない素直な気持ちでサニー・ベルは返事をすると、公園のフェンス際まで駆け出し、

「とぅっ」

 と、掛け声を上げ、フェンスの上を蹴って宙に体を投げ出し、一瞬下へ沈み込むが、すぐに力強く空へと舞い上がった。

 陽の傾いたオレンジに染まる空を、白を基調にしたサニー・ベルがぐんぐんと昇っていく。

 見上げていた一誠はそのコントラストに目を奪われる。

 衣装も色もシチュエーションも全然違う。だのに何故か、その姿はあの遠い夏の日に見上げたパッフュミィ・ヴィの空行く姿と重なって見えた。

 胸の奥でなにかが締め付けられたような気がし、自然に胸元に手をやる一誠であった。

「一誠くん?」

 小さくなっていくサニー・ベルをじっと見つめている一誠へ「どうかしたのか?」という風に管理人さんが声をかける。

「あ、いや。飛んでる姿が綺麗に見えて……」

 振り返りながら、その時抱いた本当の気持ちを誤魔化すように答える。

「あとで言ってあげるといい。あの娘はきっと喜ぶよ」

 保護者的視点で管理人さん。その口調は柔らかく、優しかった。

 一誠は少し照れくさそうな笑顔を向けることで返事とし、それからハッと思い出したように、

「あー、でも変身している時のことは……」

「んー、言わない方がいいだろうね」

「ですよね~」

 そう言って、ふたりして苦笑する。 

「では、我々も彼女の後を追いかけるとするかね」

 ひと時和んだ後、管理人さんが移動することを告げた。

「で、どうするんですか? 方法はあるってことでしたけど……」

 頷いてから一誠がそう言うと、

「こうするんだよ」

 どこか楽しげなその言葉とともに、世界がズレる。


「――だだいま~」

 夜の帳が下りたころ、一誠は帰宅した。

「お帰りー。今日は遅かったね、どっか寄り道?」

 今日も台所に立っている継実つぐみが、ほどほどに疲れた顔をして、いつものように弁当箱を差し出してくる一誠へと問いかける。

「んー、まぁ、そんなとこ」

 台所に入り、空の弁当箱を継実に手渡すと、冷蔵庫を開けスポーツドリンクのペットボトルを取り出す一誠。

「なに? 宮戸みやとさん辺りにゲーセンとかに付き合わされたとか?」

 受け取った弁当箱をシンク横に置くと、冷蔵庫を開ける一誠に合わせてコップを差し出しながらそういう継実。

 さすがに出来た妹さん、隙がない。

「そういうのも、たまにはいいんじゃない? お友達との付き合いも大切だからね」

 一誠がコップに注いだスポーツドリンクを飲むさまを横目にしながら、わかったようなことを言う継実さん。ホンに出来た娘やぁ。

 そんな継実の言葉に苦笑を浮かべる一誠。二杯ほど飲み、コップを継実に返して台所を出て行こうとする。が、その脚をふと止め、

「もしかしたら、これからこんな風に少し遅く帰る事が続くかもしれないけど、いいかな?」

 継実へとそう告げる一誠の脳裏にはある記憶がよみがえる。

 

 小学生の頃、今のように日が暮れるまで遊んで帰ったら家の中は電気もつけられておらず、真っ暗なリビングに入ると継実がひざを抱え声を殺して泣いていた。

「……ツグ?」

 声をかけると弾かれたように立ち上がり、全力で自分に抱きついて堰を切った様に声を上げて泣き出した。

「お兄ちゃんが遊びに行った後、誰も帰って来なくって、ひとりぼっちで、夜になって、真っ暗になって、怖くって、淋しくって、だから、だから……」

 嗚咽を交えながらたどたどしく訴える。

 ぎゅーっと兄の服を掴んで離すまいとしがみつく妹。その姿にどれほど心細い思いをしたのかが伝わってくる。

 父と母は仕事でまだ帰っておらず、姉は大学の友達との付き合いで遅くなると言っていた。だのに自分は自分の楽しさにかまけて妹の事を忘れていた。

 大人たちが居ないのならば、妹を見守るのは自分の役目であったのにも関わらずにだ。

 一誠は自分に必死にしがみつく継実を、同じくらい強く抱きしめ、

「ごめん、ごめんなツグ。お兄ちゃんが悪かった。もうこれからはこんなことはしない。ツグに怖い思いはさせないから、淋しい思いさせないからっ。ホント、ごめんな」

 泣きながらそう宣言する。

 兄に抱きしめられ、少し安心したのに、そんな兄が泣いているのを見て、継実もまた泣き始める。

 結局ふたりは両親が帰宅するまで抱き合って泣いていた。


 そんな昔がある。

 それから一誠は継実をひとりで居させるような事をしなくなった。

 遊びに行く時は連れて行き、一緒に遊んで一緒に帰る。

 小学校に上がった継実が友達と遊ぶようになっても、帰宅したらひとりぼっちという状況を作らないように努力した。

 継実が先に家にいる場合でも出来るだけだけ早く帰って、なるだけひとりだけの時間が出来ないようにしてきた。

 それは今も続いている。

 だから、一誠は伺いを立てるように継実に訊いたのであった。

「別にいいんじゃない? 明日にはおかーさんも帰ってくるし、本気で遅くなりそうなときは連絡くれればいいし、問題ないと思うよ」

 それがなにか? って顔をして答えを返す継実。その答えに意外な顔をしている一誠を見て、あーっとなにか察し、

「……イチ兄ぃ、あたし、もう中学生だってことわかってる? あの頃と違ってひとりで留守番だって出来るし、今じゃこんな風にみんなの晩御飯の仕度だってやっているんだよ? イチ兄ぃが少し遅く帰って来たって、もう寂しくないって」

 まったく仕様がないなぁって顔をしながら言葉を続ける継実。

「……もっと早く言わなくちゃいけなかったね。だからさ、心配しなくても大丈夫。もうね、自分勝手になってもいいよ、イチ兄ぃ?」

 腰に手を当て未だ発育途上な胸を張って言い放つ継実の姿が、一誠にはとても頼もしく大きく見えた。

「じゃ、頼む」

 妹の成長を実感させられたことに苦笑いを浮かべつつ一誠がそう言うと、

「うん、任された!」

 憎めない笑顔で応える継実である。ホンマ、えぇ娘や。

 着替えるために自分の部屋に向かおうとする一誠が階段を中ほどまで上がった辺りで、下から継実が声をかけてくる。

「でさ、イチ兄ぃ、なんかするの?」

 その問いに少しだけ考えて、自然と浮かび上がる苦笑を堪えつつ答える。

「まぁ……ボランティア、かな?」

 その返事に継実が疑問符を浮かべている間に一誠は自室に入り、鞄を定位置へ置くと、珍しく着替えもせず寝床に身体を投げ出した。

 そして、深く長いため息をつき、

「……なんか、疲れたぁ~」

 と、心の底からの言葉を口にした。


 路地裏で光る痴女を目撃してから始まった、安生一誠の濃密な二十四時間がここに幕を閉じた。

 お疲れさんッ!


─────────────────────────────────────────────────────

 

『どうでした先輩、私の変身?』(日輪)

『あー……うん、イインジャナイカナ』(一誠)

『何ですかー、その棒読み!?』(日輪)

『ハハハ。そんなこんなで動き出した、チーム サニー・ベル』(管理人さん)

『思っていたよりも地味なスーパーズの活動内容』(一誠)

『目立たなくったっていいんです。地道にコツコツと!』(日輪)

『次回、第三章 黄昏パートタイマー 』(管理人さん)

『「第十話 超常者のルーティーン」』(一誠)

『それで、どうでしたか? 私の変身? 何か言ってくださいよー』(日輪)

『えー、あー、そのー』(一誠)

『……お楽しみに』(管理人さん)


  第二章、終了。

  第三章へ続く。

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